先月、国の文化審議会は全国の90件の建造物を登録有形文化財に指定するよう文科相に答申したが、うち津市内の建造物は4箇所7件が含まれている。その中の恵日山観音寺観音堂=津市大門=は、昭和20年の戦災によって焼け落ちた国宝指定を受けていた観音堂の面影を受け継ぐ。いずれも地域になくてはならない景観などが評価された。

 

の登録有形文化財答申を受けた「津観音観音堂」

の登録有形文化財答申を受けた「津観音観音堂」

焼失する前の旧国宝・津観音観音堂

焼失する前の旧国宝・津観音観音堂

登録有形文化財は、築50年が経過した歴史的な建造物のうち、一定の評価を受けたものを文化財として登録し、届出制という緩やかな規制で保存と活用を促進する制度。今回は津観音のほか、旧小渕医院=津市一志町波瀬=、旧倭村役場=同市白山町中ノ村=、旧吉田医院=同市白塚町=が選ばれている。
恵日山観音寺は真言宗醍醐派の別格本山。津市民からは「津観音」「観音さん」と呼ばれ親しまれており、市内外から多くの参拝者が訪れる。津観音は和銅2年(709)の開山以来、室町時代から江戸時代の将軍家や津藩主藤堂家の祈願所として加護を受けた。また、国府阿彌陀如来が伊勢神宮の天照大神の本地仏(同一存在)とされたため、お伊勢参りの参拝客でもにぎわった。旧国宝の観音堂と阿弥陀堂、7つの塔頭寺院を含む41棟を擁する大寺院だったが、昭和20年の戦火によってすべて焼失してしまった。
有形登録文化財に指定される観音堂は昭和43年(1968年)に建てられたもの。総面積約133坪の鉄筋コンクリート造だが、京大名誉教授も務めた建築史家・村田治郎氏の監修のもと、焼失した観音堂を復元。屋根は寄棟造本瓦葺で四周に縁を巡らせ、参拝所の外陣、内陣、後陣の3列構成。外観にも意匠が施され、以前の姿を今に伝える復興建築。
津市の中心市街地、大門地区の景観を形成する上で無くてはならない存在としても高い評価を受けた。

生徒たちの前で花の生け方を実演する加藤さん

生徒たちの前で花の生け方を実演する加藤さん

3月17日、津市東古河町の津市立西橋内中学校で津ライオンズクラブ=堀川隆市会長、以下津LC=が、恒例の職業人講話を行った。
生徒たちの職業意識を育むキャリア教育に協力するため、各分野のプロとして活躍する津LCの会員たちが講師を務め、それぞれの特色あふれる講話を行っている。
今年の顔ぶれは、藤谷文彦さん=藤谷建設=、有川勝俊さん=三重水熱工業=、橋爪俊裕さん=とよさと動物病院=、加藤敦さん=花やの六さん=、岡野宏史さん=三井住友海上火災保険=、森康雄さん=岡三証券=の6名。参加した1年生の生徒たちは、自分の興味がある分野の講師の講話を聞いた。
加藤さんは様々な花を持参し、生徒たちの前で葬儀や祝い事の席などでの飾り方を実演。そして「この仕事を始めるまでは花のことが良く分からなかったが、今では大好きになった」と、イメージや先入観だけで自分のやりたい仕事を考えるだけでなく、実際に仕事にふれてみることの大切さを伝えた。
他の教室でも、講師たちは自分の仕事や業界を紹介したり、自分が学生だった頃の思い出なども語った。生徒たちは話に聞き入りながら、様々な仕事への理解を深め、自分の将来を思い描いた。

4月17日13時半~15時半、津センターパレス2階ホールで、ときめき高虎会の歴史講演会「北畠から藤堂へ~伊勢国の中世から近世へ」を開催。
講師は皇学館大学文学部国史学科教授の岡野友彦さん。中世には北畠一族が伊勢国を支配していたが、やがて藤堂高虎へと移り変わっていく。その中で北畠家臣から藤堂家臣となった武士の数や土豪・国衆と呼ばれる下級武士たちの動向を中心に、伊勢国の中世から近世への移行を探る。
参加費無料。申込不要。会員以外は資料代500円。問い合わせは090・1751・5460。

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