この五日に立夏を迎え、年よりゆっくりと進んだ春でした。世の中が同じ疫病に悩まされ、時間の感覚も大きく影響を受けているのでしょうか、来月はもう春です。
桜と交代で、青々とした葉桜が初夏への支度を急ぎ、ぎらぎら照りつける太陽に目覚めた草木の青葉、若葉が色鮮やかに芽を出し、さわやかな新緑の匂い立つ、よい季節を迎えております。
今回は、五月にふさわしい曽我兄弟の仇討を小唄にした「蝶千鳥」と、初夏の情緒を詠んだ名句「目に青葉、山ほととぎす初鰹」を題材にした「葉桜や(窓)」の二曲をご紹介します。

蝶千鳥=市川三升 作詞 草紙庵 作曲
空に一声時鳥 きくや牡丹の蝶違い
離れぬ仲のむら千鳥 富士の裾野に並び立つ 姿なつかし 五月晴

この小唄は、「夜討曽我狩場曙」(河竹黙阿弥・作)の歌舞伎を実録風に脚色し、小唄にしたものです。小唄の「空に一声」は昭和十一年四月、歌舞伎座、団菊祭興行の時、出来た曲で草紙庵自慢の小唄の一つです。
題名の「蝶千鳥」とは、母から贈られた蝶と千鳥の模様の小袖から兄弟の事を表しております。
唄に出てきます牡丹は市川家の家紋で、九世団十郎の五郎を指し、きくやは菊のことで、五世菊五郎の十郎を指しております。
話の内容は、曽我兄弟の仇討で、日本三大仇討の一つと言われています。事件の発端は、伊豆の豪族同士の所領争いでした。叔父に恨みを抱いていた工藤裕経は、叔父の長男を暗殺させます。長男には二人の男の子がおり、母の再婚先である曽我祐信の元で育てられ、兄を曽我十郎祐成、弟を曽我五郎時致と名乗りました。
健久四年に富士の裾野で、源頼朝が行った巻狩の場で、二人は討入は今宵をおいてないと決心します。十郎、五郎は首尾よく父の仇、工藤を討って十八年の恨みを果たします。五月晴れは、兄弟が仇討を果たした喜びを象徴しています。

葉桜や(窓)=作者不詳、江戸中期(陰暦初夏四月)

葉桜や 窓と明くれば山時鳥 又も啼くかと待つうちに 「かつお 鰹」オヤ勇みじゃと飛んで出る 「浮気性ではないかいな」

この曲は、江戸時代の「目に青葉 山時鳥 初鰹(素堂作)という名句をそのまま小唄にしたものです。時鳥は初夏の頃に日本に渡来し晩夏に南方に帰る渡り鳥でした。
現在では、高原の村に住み、その啼き声は鋭く、「テッペンカケタカ」と聞えます。昔の人は時鳥が渡り鳥と知らず、冬、山にこもって初夏に出て啼くと考え「山時鳥」と唄いました。和歌や俳句では、古来から夏の時鳥、春の花、秋の月、冬の雪は四季を代表する景物とされ、時鳥の初音を聞きもらさぬように、夜通し起きていると言う風習がありました。
鰹も、毎年、春から夏にかけ、黒潮(暖流)にのって薩摩・土佐沖を北上して初夏の頃、伊豆房総附近に現れ、ここで最初にとれたものが初鰹で、鎌倉からくるのを「相州の初鰹」と呼び、江戸時代には特に珍重され、江戸っ子は綿入れの着物を質に入れても初鰹を買うのを誇りにしました。
この江戸小唄は、下町の町娘が時鳥の初音にぱっと窓を開けると外は葉桜、まだ啼くかと空を見上げていると、そこへ「かつお!かつお!」の呼び声、「いつもの河岸の兄さんだ」と顔を見たさに下駄をひっかっけて裏口から飛び出す、といった光景を唄っております。

初夏を目前に吹き抜ける風が心地よさを感じます。紫陽花のつぼみも少しづつ大きくなってきました。運動不足になりがちな毎日、くれぐれもお体を大切にお過ごしください。
小唄 土筆流 家元
参考・木村菊太郎著「江戸小唄」

※三味線や小唄に興味のある方やお聴きになりたい方は、お気軽にご連絡下さい。また、中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。電話059・228・3590。