2022年8月

講師の二木芳人さん

講師の二木芳人さん

津法人会は9月13日㈫14時から15時半、オンライン特別講演会を開くにあたり参加者を募集している。
講師は、昭和大学医学部客員教授の二木芳人さん。テーマは「新型コロナウイルスの現状と今後について~ワクチン接種と収束の行方~」。
二木氏は、1976年川崎医科大学卒業、1988年から1990年に米国に留学。2006年11月から昭和大学医学部臨床感染症学講座教授、2020年より現職。日本感染症学会、日本呼吸器学会、日本化学療法学会など多数の学会で要職を歴任。テレビなど様々なメディア、情報番組などで新型コロナウイルスの有識者として出演し、データに基づいた的確で冷静な情報を発信している。
受講無料。定員先着50名。締切は9月8日㈭。
同セミナーはインターネットで開催するオンラインセミナーのため「Zoom」のアプリを使用する(スマホやタブレットでの参加も可能)。
申込から当日までの手順は─
①申込サイトの参加希望フォームから必要事項を送信。
②締切後、セミナー事務局から参加の案内メールが届く。
③前日、再度参加の案内メールが届く。
④当日、参加案内メールからセミナーに参加※30分前から入場可能。
問い合わせは、津法人会☎059・225・1302へ。

あっと思った時にはハサミが突き刺さっていた。頑丈にテープが貼られた段ボール箱を開けようとした時のこと。二重に貼られたテープはハサミを当てても固くて、力いっぱい押したらするっと滑り、その先に左手の人差し指があった。
みるみる血が噴き出してぼたぼたと落ちた。痛さよりも驚きで、自分の指を眺めた。深く刺してしまった。こんなけがをしたのは久しぶりだ。傷口を水で洗ってティッシュで抑え、その上からゴム手袋をはめて縛り止血した。
ゴム手袋が透けて真っ赤になったティッシュが見える。でもしばらくしたら血は止まった。止血用のゴム紐を緩め、ティッシュを替えて手袋のまま半日を過ごした。左手でも指のけがは不自由だ。料理にも掃除にも左手を使っていたことが分かる。
ゴム手袋を絆創膏に替えて三日で外した。触っても出血する様子はない。傷痕はくっきりとあるものの、痛みはほぼ去った。
皮膚が伸びて傷口を塞ぐ。一週間経った今、化膿してないし、押さえても痛くない。何の薬も使わなかったのに、自然に治った。それが不思議でもあり、見事でもあると思う。
医療が今ほど整わない頃でも、人は病気もけがも乗り越えて命をつないできた。身体や心が傷ついた時、自身で治して行く力が人にはある。生き物の持つ治す力は素晴らしいと思う。    (舞)

八尾市と大阪市の市境

八尾市と大阪市の市境

すっかり都会の様相を呈してきた国道沿いの風景(大阪市平野区)

すっかり都会の様相を呈してきた国道沿いの風景(大阪市平野区)

八尾市内を北西に進むと近畿自動車道の亀井跨線橋。この区間は天理吹田線という名称で、その名の通り奈良県天理市と大阪府吹田市を結んでいる。この道を北に行けば、以前に踏破した国道163号にも繋がっている。二つの旅が交差する地点を前にすると心が踊る。
この跨線橋をくぐると、いよいよ大阪市平野区に入る。ゴールは確実に近づいている。平野区は大阪市の中央に位置し、最も人口が多い区。この区に足を踏み入れるのは初めてだが、以前から不思議なご縁を感じている場所でもある。
ご存じの方もいると思うが、私は新聞記者をしながら、結婚相談所のアドバイザーもしている。よくどちらが本業かを尋ねられるが、どちらも本業である。そして、街で起こっている問題を分析し、解決方法を提案していく新聞記者の仕事と、一人ひとり異なる条件や悩みへの解決方法を提案していく婚活アドバイザーの仕事の内容は非常に似ている。この区とのご縁は、結婚相談所の仕事を通じて生まれた。
話は1年以上前に遡るが私がサポートした津市の男性は、この区で暮らす女性とお見合いすることになった。といっても、その時期は政府の緊急事態宣言などが出されていたため、県境を越える移動が難しく、オンラインでのお見合いに。画面を通じての会話だったが二人は意気投合し、交際が始まった。その後もコロナ禍が立ちはだかり、直接会えない日々が続いたがが、二人は創意と工夫を凝らして逆境を楽しんですらいるようにも見えた。毎週、ビデオ通話をして仲を深めるなんてのは序の口。それぞれがカラオケボックスに行き、交互に歌ったり、それぞれが地元のお気に入りスポットの風景を中継するなど、ビデオ通話を駆使したオンライン交際の無限の可能性を示しているようにも感じられた。そんな交際が3カ月ほど続いた頃、緊急事態宣言が解除され、二人は直接会うこととなる。もちろん、すぐに愛を誓い合う仲となり、結婚にまで至った。二人からは「本当のご縁はコロナになんか負けない」という不変の真理を学ばせてもらった。
現在二人は津市で暮らしているが、自分の足でここまで歩いてきたからこそ、改めて感じるのは、一人で見知らぬ土地に嫁ぐ覚悟を決めた女性の男性に対する愛情の深さである。それに伴い、私も心の底から、彼女に対する感謝の気持ちが湧いてくる。平野区に入ってすぐのコンビニで一休みしながら、彼にスマホからLINEでメッセージをするとすぐに返信がある。今も仲良く二人で元気で暮していること、コロナ禍で先延ばしになっていた結婚式を近日行うということなどが綴られている。メッセージに目を通した私の胸中は温かい気持ちで満たされている。
国道165号の終点がある津市で生まれ育った彼と始点の近くで生まれ育った彼女が出会い、深く結ばれるこの物語。いや、出会う前から実は二人は国道という赤い糸で結ばれていたのだろう。そんな二人の出会いに、このような連載をしている私が関われたことに不思議なご縁を感じずにはいられない。
こみあげる思いを抑えながら、私は再び国道を溯る。しばらく歩くと、国道は片側2車線に広がり、隙間なく建物が密集した風景は都会そのもの。柏原市から25号と重複する区間が続いているが、この25号の三重県を走る区間の一部(伊賀市と亀山市の間)は、道幅が狭いいわゆる〝酷道〟として有名。バイパスに当たる名阪国道が平行して走っており、交通量が少ない本道の整備を必要最小限に抑えた結果である。しかし、この立派な道が、いずれ、あれほど〝頼りない〟道になるとは、この辺りに暮らす人たちには信じられないことだろう。同じ国道の名前を耳にしても、生活する区間によって、抱くイメージがまるで違うのは面白い。(本紙報道部長・麻生純矢)

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