国道から通天閣を臨む

国道から通天閣を臨む

大阪という言葉を聞いて真っ先に思い浮かべる建造物はなんだろう。大阪城、京セラドーム、あべのハルカス等々…、有名な建造物は数あれど、恐らく多くの人が思い浮かべる八角形の塔が天に向かって伸びている。そう、皆さんも見慣れた大阪のシンボル通天閣。この国道165号を遡る旅の前に、同じく津市に終点、大阪に起点がある国道163号を踏破する旅をした。その際は今回よりも北側から大阪市に入ったため、私たちが「大阪らしい」と感じるような建造物とは余り出会えなかった。一方で、私が認知している「大阪」など、ほんのごく一部にすぎないため、新鮮な発見もあって非常に楽しかった。しかし、ここまで通算120㎞ほど歩いてきたご褒美として「大阪にきた」という感情を強く揺さぶられる景色と出会えて胸中は歓喜に満たされている。

国道から通天閣を臨む

国道から通天閣を臨む

通天閣について少しだけお話をしておくと、高さは108mの展望塔だが、実は2代目。初代は第五回内国勧業博覧会の招致合戦に勝利した大阪商業会議所会頭・土居通夫が、同博覧会の跡地に1912年、遊園地ルナパークと共に建設。初代のデザインは当時の最先端都市であったパリのシンボル、エッフェル塔を参考にしており、遊園地も同じく最先端都市であるニューヨークのルナパークの風景を模していた。新世界という名前はこういったコンセプトから旧来までの世界と一線を画したい、という思いが込められている。隣にある天王寺公園も博覧会の跡地の一部。

しかし、遊園地は10年ほどで閉園し、初代も1943年に火災で焼け
て解体されたため、1956年に二代目として再建されたのが現在の通天閣。東京タワーや名古屋のテレビ塔と同じ内藤多仲が設計しているが、先述の兄弟塔が実用的な電波塔として都会的な雰囲気を醸し出すのに一役買っているのに対し、通天閣は観光を目的とした展望塔で明確に立ち位置が違う。そして、世界の最先端をつくるという思いが込められた新世界の名は今も残っているが、現在は当初の思いと正反対ともいえる下町風情が漂う町に着地し、どこよりも「大阪らしさ」を醸し出しているのが面白い。新世界に遊びに行った際、通天閣を下から何度も見上げたことはあるが、高所が余り得意ではないため、実は上ったことがない。次の機会にはチャレンジしてもいいかもしれない、などと考えながら、西へと歩を進める。
少し先には、商売人にはおなじみの神社「今宮戎神社」。国道からほど近い場所にあり、せっかくなのでお参りをしていくことにする。この神社の歴史は古く、聖徳太子が四天王寺(前回紹介)を建立する際にその西方の守護神として600年に建立した。祭神のうち、事代主が商売繁盛を司る七福神の一柱であるえびすと同一視されていることから、商売の神として篤い信仰を集めている。特に1月の十日戎が有名で境内には所せましと人々が集まる。
しかし、平日の午後は静かなもの。境内には私を除くとメイクと服装を綺麗に整えた20代くらいの女性とその母親であろう二人組。長い時間、神前で手を合わせている姿を見ていると「何か商売を始めたのかもしれない。カフェかな。それともエステかな。それとも…」などと妄想を膨らませる。自分の番になると、まずはここまで無事に来られたことに感謝。そして、残りわずかとなった旅の無事を願う。今はこれ以上望むことはない。私はそれほど信心深いわけではないどころか、どちらかといえば横着な人間だが、神仏の前に立つ時くらいは謙虚で居たいと思っている。
参拝を終えた後、時間を確認するとちょうど15時。ゴールの梅田新道交差点までは6㎞ほど。そう遠くない距離まではきている。
境内を離れた私は近くにあった有名チェーン店に入り、休憩を兼ねた遅めの昼食をとる。もっと大阪らしいものを食べればよいのにと思われる方も多いと思うが、時間と距離の調節が難しい徒歩旅ではよくある話。ラーメンをすすりながら、ラストスパートに向け、英気を養う。(本紙報道部長・麻生純矢)