30年近く、谷川士清の会、点字絵本サークル、お茶、お花の教室と、4つの事業に均等に力を注いできた私ですが、近年の頑張りが、体力以上に達していたのか、体が悲鳴を上げ、10月下旬に動けなくなり、医師より最低3カ月の安静を言い渡されました。一日中、ほとんどベッドの上で過ごしています。
 それまでの私の日常は、朝6時25分のテレビ体操に始まり、夜11時頃まで、まるで独楽ねずみのように動いていました。なんと思いもよらない生活に突入してしまい途方に暮れました。
 しかし、これは神様が無謀な私を心配して休憩を下さったのだと、ありがたく受け入れようと、全ての行事を断り、まわりの皆様のお力を借り、3カ月余を過ごそうと覚悟しました。健康な生活に復帰できることを祈り、ひたすら治療に専念しています。
 書物をはじめ、仕事関係の物が二階の書斎にあり、取りに行くことができず、手元に置いていた、今年一月に津市内小学校、中学校に寄贈した自費出版の『小学校高学年・中学生向け倭訓栞』をゆっくり読み直すことにしました。
 士清さんが『倭訓栞』に編纂された言葉は、なんと2万1千語近く。
 私が十年かかって『増補語倭訓栞』から拾い出してまとめたのは、たったの九百一語。原本がむずかしく子供にわかる言葉を取り出し、また小学館の国語辞典や日本標準出版の国語辞典と照らし合わせ、両方に載っている言葉に絞る作業に手間取り、こんな結果になってしまいました。
 でも、子供達がこれを読んで谷川士清や本物の『倭訓栞』に興味を持ってくれたらと、一節の希望を持っての毎日でした。学校での活用も切に願うものです。
 あ行の中から特に大人も子供もおもしろいなと思える言葉を抜き出しました。「あーなるほど」と思えるものばかりです(現代かなづかい)。
 あき 秋をいう○万葉集に秋の香のよきとよめるは松のにおいをいえり
 あけぼの 曙をよめり、あかんとして物のほのかに見ゆる時なり
 あさがお(あさがほ) 朝顔の義なり、朝ごとに花さくをもて名づくるなり。新選字鏡に桔梗をよめり
 あさって(あさつて) 明後日をいう。あすを去って後のという義なり
 あちこち 彼此を常にいえり。あちらこちらともいえり
 あまがえる(あまがへる) 和名抄に蛙竈をよめり。あまは雨なり。喜んで雨に出るものなり
 あまる 餘(余りの昔の字)をよめり○口語に物事の過ぎたるをあまりにというは甚だというがごとし
 あめ 天をいう、神代紀に天上とも見ゆ。天の字の多くあめとよめり。あまともいえり○雨は天水のつづまりたることばなり○飴というは甘き義なり
 あり 蟻をいう○易占に蟻穴を封じるは大雨に至るとも見ゆ
 ある 有、在をよめり 有は無に対し、在は没に対す
 あん 餡の音転なり。西土(西洋・インド)の饅頭の餡は鳥獣の肉を用い、本邦(日本)には赤豆、砂糖を用う○あんを書かせてというは案とみゆ

 (津市広明町在住・谷川士清の会顧問)

津駅前ストリート倶楽部=青山春樹会長=の活動を紹介。
 同倶楽部は、津駅前の飲食店主らで構成。毎月実施する駅前の清掃活動や、春に行われる「津駅前ストリートまつり」などのイベントを通じて同駅前の活性化に取り組んでいる。
 11月30日には、青山会長と理事の大森芳幸さんが津市役所の前葉泰幸市長を訪問し、津市緑化基金への寄付金7万円を贈呈した。寄付金は、11月20日に「西日本セブンスリーゴルフクラブ」=松阪市嬉野島田町=で行ったゴルフコンペで募った浄財。同基金への寄付はこれまでに計93万2千円。
 さらに12月1日には、津駅東口近くの栄町公園でイルミネーションの点灯式も行われた。
 賑やかになる年末年始に駅前を明るく照らし防犯に繋げることなどを目的に毎年この時期に実施しているもので今年で11回目。イルミネーションを公園の木々に設置し、美しくきらめく憩いの場として親しまれている。
 点灯式には会員たちのほか、前葉泰幸市長も駆けつけた。点灯時間は17時~24時。期間は来年2月末迄。

 11月21日13時頃。私は四日市千歳町の四日市港湾合同庁舎の付近に立っている。ここは私が踏破した国道163号と165号の間にナンバリングされている国道164の始点。一連の旅を締めくくるため、今日この国道を踏破する。これでようやく身近なところに転がる未知を既知に変える旅に区切りがつく。
 カンの良い読者はお気づきだと思うが、この国道も前回紹介した日本一短い国道174号と同じで、いわゆる港国道。総延長はわずか3㎞と短い四日市港(千歳地区)と国道1号線を結んでいる。これだけ短い国道が存在する理由は道路法で、重要な港や空港と主要国道とを結ぶ道路を国道とすると定められているからというのは、前回にご説明した通りだ。
 元々、伊勢湾内の商業港として栄えた四日市港は明治32年(1899)に外国との貿易を行う開港場として最初の一歩を踏み出した。現在では120年以上の歴史を持つ中京圏を代表する国際貿易港であり、県内唯一の国際拠点港湾。四日市市から川越町にまたがる形で展開しており、開港当初は、肥料や羊毛・綿花などの繊維材料の輸入が主だったが、現在では石油化学コンビナートを支える工業港の色が強い。
 四日市港は5地区に分かれており、私が現在いる千歳地区は旧港からの歴史を受け継いでおり、3つの埠頭を備えている。港国道は、国策として外貨獲得のために港を重要視したことから国道に指定されたという側面が強いが、そのころと情勢が変わったなどの理由で、その意義が薄れてしまい、主要国道と接続しない盲腸線のような形で残っている国道も散見する。一方、この164号は、当初与えられた役割を今もそのまま果たしているため、生き生きとした印象を受ける。工業港という性質上、普段の生活の中では余り訪れる機会がなかった地域なので未知に心が躍る。
 起点より港を背にしての西へと進むと、すぐに北側へと国道は伸びていく。長い直線には国道であることを示す三角の道路標識、通称「おにぎり」も設置されており、ここが国道であることを再確認できる。この辺りには、日本板硝子の四日市工場など、工場や倉庫などが並んでおり、国道と並行して、JR四日市駅と四日市港を結ぶ貨物車用の構外側線も走っている。いかにも工業港の周辺という感じが面白い。いつも通り、下調べ無しで歩いているため、後日知ったのだが、この辺りを走る千歳運河には二本の可動橋(跳ね上げ橋)がある。一本は、港から北西へ真っすぐ進む臨港通りにかかる臨港橋。そして、もう一つが少し北にかかる現在日本で唯一稼働している可動式鉄道橋の末広橋。こちらは可動橋の設計を得意とした橋梁技術者の山本卯太郎の設計で可動橋として初の重要文化財に指定されている。国内で現存している可動橋は貴重で、多くが可動を廃止され、普通の橋として使われている。恥ずかしながら身近に現役の可動橋があることを知らなかった。開閉するところを見る楽しみが増えた。
 起点から歩き始めた頃から、ずっと香ばしい良い匂いがただよっている。この匂いは、とてもなじみ深く正体に心当たりはあるものの、確信が持てない。しかし、この千歳運河にかかる千歳橋を渡る時に答え合わせが出来た。千歳運河沿いに、九鬼産業の工場が見えたのだ。同社は昔ながらの圧搾法にこだわった高品質のごま油を始め、様々なごま製品を手がける老舗。とある取材で同社の広報担当の方が、料理に合わせたごま油の使い分けなどを紹介していた記憶がよみがえる。私も料理は好きでほぼ毎日やっているが、原材料のごまの焙煎具合で味や香りが代わるごま油を何種類も揃えるという発想が無かったので、とても勉強になった。そして、売り場で見かければ、同社の製品に優先的に手を伸ばすようになった。商品を売る場合、売りたい気持ちを前に出すのではなく、買った側にどのような恩恵があるかを説くことが大切という好例としても記憶に残っている。
 橋を渡り、再び北方向へと直角に曲がって突き当りまで進むと、また直角に曲がり、納屋運河にかかる開栄橋を西方向に渡る。国道が非常に短い感覚で何度も直角に曲がっているのが面白い。ここからは、まっすぐ西へと進めば終点に着くという形だ。橋と逆方向に進めば、四日市港の旧港がある。私財を投じて四日市旧港の開港に尽力した稲葉三右衛門を称える稲葉翁記念公園が整備されており、極めて貴重な港湾遺産として国の重要文化財に指定されている潮吹き防波堤も近くにある。これも後に気付いたので、実物は、後日改めて楽しむことに。
 橋の手前に「四日市港みなとまち歩き」と書かれた看板を発見。その横には周辺の地図が記された看板も設置されている。これも後で調べてネットで知ったが、JRと近鉄四日市駅から港方面に向かってのまちあるきマップも作成されており、先述の可動橋や防波堤など、周辺のスポットをまとめて紹介している。工業都市として栄えている街の原点ともいえる港周辺をもっと知ってもらいたいという気概に好感を抱かずにはいられない。そういった意味では港と深く関わる国道164号も、一見すると地味ではあるが、この街の歴史を語る上で欠かせない存在と確信できる。道を知れば、街そのものを理解することができる。
 話を本題に戻すと、国道164号は、三重県で暮らす我々にとって、最も馴染みの深い国道である23号と交差。この国道は豊橋市を起点に、終点の伊勢市までの総延長245㎞を結んでいる。起点から西三河や西尾張を通り、海岸線に沿って終点の伊勢神宮内宮前へと進むという流れ。起点からしばらく平行する1号が片側一車線の区間が続き、混雑し易いため、実質的にバイパスの役割を果たす。今日では、四日市を始めとする工業地帯と港湾や大都市・名古屋、そして関東方面を結ぶ大動脈として八面六臂の大活躍だが、お伊勢参りで賑わった江戸時代の参宮街道をルーツとする歴史の古い道でもある。
 歩道橋で23号を横断し、西へと進むと間もなく、JRの関西本線の踏切。164号のこの辺りは柳通りという名称がついており、市の中心市街地を走る立派な2車線道路となっている。23号を境に164号の性格は大きく変化する。分かりやすく例えるなら、工業道路が生活道路へと様変わりするという表現が適切かもしれない。国道沿いには、四日市市民に長年愛される洋食店などもあり、私も国道164号であることを意識していなかったが、何度も通ったことのある区間である。
 国道1号との合流地点までは前述の通り一致直線。あっという間に国道1号との合流地点の終点へと着いた。国道1号のの終点は、国道163号と165号のある梅田新道交差点。間接的であるとはいえ、国道164号もこの終点から同じ場所へと繋がると考えると、非常に感慨深い。ちなみに真っ直ぐ1号を越えて西進する道は、国道477号線で通称湯の山街道。ここを起点に大阪府池田市の終点に至る。
 164号を歩き終えた私は近くの商店街の方へと進み、諏訪公園から諏訪神社の境内へ。この神社は鎌倉時代からの歴史を持つ四日市の産土神として篤く信仰されている。拝殿の前には身なりを整えた親子連れの姿がある。七五三のお参りを終え記念撮影をしているところなのだろう。笑顔溢れる家族の時間を見ているとこちらまで釣られて笑顔になってしまう。撮影を終えたタイミングを見計らい、賽銭箱に百円玉を入れ、神前で旅を無事に締めくくれたことに感謝の意を捧げる。
 境内を後にした私は、これまでの旅を振り返り、総括する。最初に踏破した163号、そして今回の旅のメインである165号、たった今踏破した164号。おまけの174号。全国に459路線もある国道の内、たった4つしか踏破していないが、旅の前後では、目の前に広がる世界の解像度が段違いに高まっている。自分の周囲やその延長線上に未知なる楽みは山のように転がっていることに気付けるようになったからだ。ゆっくり時間をかけて、自分の足で一本の道を味わい尽くすことは、この上ない贅沢である。一連の旅を締めくくることができたが、この愉悦を知った以上、もう歩みを止めるられない。帰路に就く私の頭の中は、次の旅に向けた〝悪巧み〟を始めている。それを語るのはまたの機会に…。
 「165号を遡る」はこれにて閉幕。お付き合い頂いた方々に心よりの感謝を。=了=(本紙報道部長・麻生純矢)

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