表紙本紙会長西田久光がこのほど私家版として『西久遺文(さいきゅう のこしぶみ) 追録・日本ダイビング秘史』を出版した。「西久」とは近年西田が使用している自身の略称。
平成27年2月以来、悪性の前立腺がんを患い、ホルモン療法や放射線治療などを経て、昨年11月4度目の赤信号がともり今年3月から7月まで全6回にわたり抗がん剤投与を受け、運良くまたまた危機を脱出した。抗がん剤治療中は免疫力の低下から投与から2週間は外出禁止・自宅静養となるが、この間、暇にまかせ自身が各種雑誌などに書いてきた文章のデータを整理する中、選集出版に思い至った。
西久は二十代半ばより新聞人を生活の基盤としつつ、劇作家、スポーツダイバー、岩田川物語の会副会長、津観光ガイドネット会長、津城復元の会会長、伊勢の津七福神友の会会長、都市環境ゼミナール幹事、郷土史研究、まちづくりなど多彩な活動をしてきたマルチ人間として知られる。これまで戯曲集、エッセイ小説集、民俗研究、コラム集、紀行などテーマ別で出版してきたが自身の活動の全容を網羅した本はなく、今回が最初で最後の集大成。
詩「潜友たちへ」、エッセイ「義仲寺に想う」「古い巡礼唄を聞きながら」「地元の光を再発見しておもてなし」「おふくろの愛唱歌」「津の演劇五十年」「伊勢神宮お木曳に参加して」、連作小説「青谷物語」より、「青谷雪譜」と「風子」の2篇、郷土史論考「出世の白餅考」「平忠盛と人魚の話」「姫はキリシタン」「藤枝心中」「寛政一揆~もう一つの理由~」、紀行「荒城の月のモデル、高虎ゆかりの岡城を訪ねて」「鎮江明月記」「ドバイレポート」「フィリピンメモ」、講演録「富士山宝永大爆発と津藩」「津藩・久居藩の江戸屋敷」「御家老様の釣りバカ日誌」など31篇を所載。
また、当時、自身が副会長を務めていた中部日本潜水連盟(略称中潜)が創立30周年を迎えるに当たり、記念事業実行委員長として連盟結成時の会長らに集まってもらい記念誌に掲載した平成5年の座談会記録を「日本ダイビング秘史~中潜結成など黎明期を語る」と改題して追録。
日本のスキューバダイビングのルーツは国内では、海上自衛隊潜水学校と東京水産大学、それに米国でマスターして来た人達の3ルート。昭和三十年代半ばあたりから徐々に趣味のダイバーが増えだしたが、漁民との軋轢も起こり、また、きちんとした教育機関がない中で潜水事故が起き始めた。教育機関や漁民との調整機関の必要性から日本で最初に誕生したのが中潜。その後、関東潜水連盟、関西潜水連盟が結成され、全日本潜水連盟結成に至る。
ダイバーの教育に大きな力を発揮したのが、昭和41年、西久の故郷でもある紀伊長島町海野(現紀北町)に中潜初代会長蜂谷弘道氏が私費で土地と漁業権を取得して開設した日本初のプライベート潜水ビーチ「マリンビリッジ」。昭和43年には当時の全国の主だったダイバー約50名がここに集い第1回合同指導員研修会を開いている。
こうした日本のスキューバダイビングの黎明期の出来事、動きなどを回顧してもらった貴重な座談会を再録した。
A4判変形(21㎝角)フルカラー272頁、頒価2000円。本紙で取り扱い。問い合わせは西久携帯090・3933・6061まで。

朝夕は涼しい風も感じられるようになった。暑くて雨が多くて不安定な夏ももう終わる。暑い時期は麦茶やほうじ茶を冷まして飲んでいたけれど、そろそろ温かい緑茶にしようと思う。
台所に立つのは暑いけれど、お湯を沸かす。沸騰した湯をゆっくり冷まして急須に注ぐ。それをまたゆっくり待ってから温めた湯飲みに注ぐ。普段使いの茶葉でも、ゆっくりを重ねて入れると甘味うま味のあるお茶になる。
ところが夫は熱々のお茶が好き。火傷しそうなお茶をフーフーしながら飲むのが好き。そういえば、義母も熱いお茶が好きだった。子どもの頃の習慣は何十年経っても変わらない。育った家の好みが受け継がれていく。
別の家庭で育って、その後生活を共にするのが夫婦。それなりに仲が良いつもりでも、こういう好みの違いはどこまでも埋められない。どちらが正しいと決められない事柄だからこそ、どちらも譲ることができない。
それで、我が家では熱いお茶の時と、温いお茶の時がある。私は気分によって、お茶の入れ方を変える。時間があれば温いお茶を、忙しければ熱いお茶を。夫婦の暮らしはお互いの妥協の積み重ねなのである。
こんな二人の間で育った子どもたちはどうかというと、コーヒーメーカーとペットボトルで暮らしている。子どもの頃の習慣はどこへ行っただろう。     (舞)

ウクライナ出身のナターシャ・グジーさん

ウクライナ出身のナターシャ・グジーさん

ロシアのウクライナ侵攻を受けて、日本でさまざまなウクライナ支援プロジェクトを展開しているウクライナ出身の歌手でバンドゥーラ奏者・ナターシャ・グジーさんのコンサート「~水晶の歌声とバンドゥーラの可憐な響き~ 」が9月18日㈰14時(開場13時半)~16時、松阪市嬉野ふるさと会館で開かれる。主催=同館。
ナターシャさんは6歳の時、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が 発生し、原発からわずか3・5㎞で被曝。その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。
ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。1996年・1998年、救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。
2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会で演奏を披露。2016年7月、これまでの活動が評価され、外務大臣表彰を受ける。
今回のコンサートは、全国ツアープロジェクト『CFU47「希望の大地」チャリティーツアー』の一環。ピアノ伴奏・小関基之氏。演奏曲は「わがキエフ」「いつも何度でも」「翼をください」「鳥の歌」ほか。
チケットは全席指定・税込み一般1階席2000円 2階席1500円、小学生以下1000円(3才未満で保護者の膝上で鑑賞する場合は1人まで無料)で同会館で取り扱い中。
問い合わせは同会館☎0598・42・7000へ(月曜休館)。

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