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前号から引き続き、前葉泰幸津市長新春インタビュー。津市の中心市街地の時代に即した形を模索し、新たな価値を生み出していく「大門・丸之内地区の未来ビジョンづくり」の議論が始まっており、またそのビジョンとも深く関わる津市のシンボルである「津城の復元」に向けた取組みについて聞いた。 (聞き手・本紙報道部長・麻生純矢)
─「大門・丸之内地区の未来ビジョンづくり」です。津市の中心市街地の「顔」ともいえる両地区ですが、時代の流れと共に衰退し、新たな形での地域活性化が求められています。そこで「国土交通省の官民連携まちなか再生推進事業」について、これまで何度か話し合いをされてきましたが、どのようなアイデアが出ていますか。
市長 大門、丸之内というのはずっと街の中心で街道筋で発展してきました。街道の役割や、その街道をどのような人々がどのような目的で通っているかなどは明確に変わっている。今回は商いを中心に行った平成10年代の活性化とは少し違った柔軟な土地利用を可能とする未来ビジョンを短期・中期・長期の見通しにまとめています。
短期から行くと、丸之内は、国道23号の8車線の一番左の車線をもっとうまく使いながら、にぎわいの場所にしていくための実証実験をしていきます。元々は駐停車が出来ればいいな、という発想から始まっています。大門は車を通してみる実験と、通さない状態で歩く空間として何かをもたらせないかという実験に取り組んでいきます。
中期は、都市計画をどう変えるのか、アイデアベースというよりも各地域の皆様にお尋ねすることになります。11年半前に市長に就任した時、私の生まれ育った場所なので可愛がってもらった上の世代の商売人の皆さんから「しばらくこのままにしといてな」という声が多かった。それは商売をこのまま続けるという意味だったのですが、10年経つと同じ人たちから「なんとかしてほしい」という声が届くようになりました。10年で両地区が商業地から新しい価値を見出すべきではないかという議論が生まれつつあります。平成10年代の取り組みは、丸之内が中心で商業の観点からの議論だった。商品券の発行や、チャレンジショップを行っており、まちづくり会社の㈱津夢時風が出来た平成12年はターニングポイントで、ジャスコ津店が閉店し、新しい三重会館が竣工した。その頃の中心市街地活性化は、完全に商業。だから津夢時風はTМО(中心市街地における商業まちづくりをマネージメントする機関)。その時に都市計画を少し変更している。市道津港跡部線(フェニックス通り)の容積率を400%から500%に引き上げ、建物を上に伸ばしていこうと考えていた。逆にいえば、ここしかいじっていない。思い切って触っていくとすれば、地区計画のようなものを作って、あるエリアはこのような土地利用にしましょうと指定をして、商業だったり、福祉だったり、あるいは住居系だったり、ビジネスだったりと誘導していく場所にしなければならない。それに対して今は協力できないという人も、10年後、20年後に自分の代がこの場所を引き継ぐにしても売るにしても、値打ちが上がらなければならない。今のままでは価値が保てないので新しい姿に変えていくことで価値を上げる方向に繋がるのではないかと思っています。10年前にそのままにしてくれと言われた土地が今はむしろ動かして欲しいに変わっています。
今後10年の間に、何をどう変えたいのかということを聞いて歩くことをしなければならない。農地も同じで、担い手に任せると言っているが、担い手自身が高齢化し条件の良い所を新たに委ねられると条件の悪い所を手放す人もいます。農地だってこれから5年、10年どうなっていくかを考える必要があり、農水省も地域計画を作るといっている。山も同様で森林環境税で経営管理調査を進めており、7割の方が津市に任せるといってくださっている。山も農地も市街地も、土地をどう使いたいかを考えていかなければならない。
市役所も用地買収する訳ではないのに「あなたの土地はどうしますか」と聞きに行く話なので大変ですが、そこまで地域に入っていかないと本当に土地を生かすことができない。民間の方々の動きが調和してくると土地利用が進むが、そうじゃないと建物を取り壊した後に短冊形の狭い駐車場がどんどんできることになる。そこで5年後、10年後の土地の姿のビジョンを立てる。それが正に未来ビジョン。
長期では令和の真ん中くらいから新しい姿が出てくると思う。平成10年代の中心市街地づくりは商業振興であったが、令和5年くらいからは新しい姿をつくっていきます。
では、平成20年代は何だったのかというと、岡三証券や百五銀行の新社屋なんですよね。センターパレスから都シティ津がいなくなった令和3年が転換期となって、ここで新しい土地利用が始まったという流れになるのではないかと思っています。
─行政と民間のお互いの良いところが出せる取り組みになると良いですね。
市長 その通り。地に足の着いた議論にしなければならない。本当に大変ですが、地元に生まれた人間としてしっかり向き合っていかなければならないと思っています。
全部を壊して、土地を綺麗にして再開発をするのではなく、良いものは残していく。センターパレスだって結局、新しくホテルに入ったリオホテルズはしっかりとした建物なのでリノベーションして使うべきという意見でした。スーパーがなくなり不便にはなったが、ビジネスとして何が成り立つかは時代によって変化していく。
津城の復元に向け 市でも話し合いの場が
─津藩祖・藤堂高虎公の再評価が進む中、津城復元の会の地道な募金活動や、ふるさと納税の好調を受け、津城跡の整備宛てへの寄付が着々と集まっています。トータルで6000万円ほどになったこともあり、津市としても部署の垣根を越えて話し合っていると伺っています。これは将来的な復元を視野に入れたアクションと受け止めていますが、街のシンボルとなり得る津城の復元は先ほどの未来ビジョンとも密接に関わっています。現在、どのようなことが話し合われているのかを教えてください。
市長 ふるさと納税の「津城跡の整備」に集まった約6000万円のお金は、一人ひとりが色々な思いでされたものですが、共通しているのは「津城を愛する」ということ。お城はみんなのものなので、どのような形で整えていくかとなると、多くの方の意見や希望などを広く受け止めながら浄財を納得して頂けるよう使うのが良いと思います。
もちろん、復元がメインテーマとして掲げられているのは承知しており、絵や写真で歴史的な証拠があり、昔の姿を今の世につくっていこうというのは意義深く、それが出来れば良いと思っています。その際、他の事例を見ても、募金だけで復元するのではない。地域振興や観光のための施設として使っていくので、公費の投入もありえるのだろうと思っている。
いま第一目標の1億円に向かっているところですが、元々5000万円を超えたところで庁内の所管部長の会議をつくりました。この会議で何をやるのかというと、今の津城跡に関わる部が沢山あるので、公園を管理する建設部長、文化財を管理する教育委員会次長、中心市街地に関わる商工観光部長、文化という観点ではスポーツ文化部長、旧社会福祉センターなど津市の施設を管理する財産管理担当理事、財源のこともあるので政策財務部長も加わって6人で幅広く議論をしている。
例えば石垣が松に押されてはらんでいることは教育委員会、日本続百名城に選ばれて多くの人が訪れることに対して観光という立場で考えるのが商工観光部など、それぞれお城に関わる部分はたくさんあります。それぞれのテーマを共有しながら、どのような道筋をつけるか、論点整理をし、ルートマップのような案をつくって市民の皆さんに「どう思いますか?」と聞くと良いと思う。例えば、石垣のはらみを直すのが先か、社会福祉センターを取り壊すのが先か、あるいはすぐに城の復元をした方が良いか、またお城公園をどうするべきなのかなどをスケジューリングしなければならない。スケジューリングすると色々な意見が出てくるはず。その間に寄付金も増えてくるはずで、そうするとお城を含めた大門と丸之内のあり方論がもう少し上手く融和してくるはず。
お城に関しては行政の政策というより皆で決めていく形になり、お金が伴うので市長と議会が意思決定していく流れになると思います。
─これまで2万7000人余りの方々のご協力のおかげで、ようやく少し前は夢物語だった津城の復元が現実へと近づいています。
市長 市民の想いが吹き込まれ、令和の時代に津城の新しい形になってできあがるのであれば、それは津市民の想いなんですよね。あそこにどのようなものが復元され、憩いの場としてどうあるべきかは市民の皆さんが考えるべきものだろうと思っています。大門・丸之内地区の未来ビジョンづくりにも絡んでいけるので、ドンピシャのタイミングです。
─ありがとうございました。実現が楽しみです。
(おわり)
2023年1月26日 AM 11:22