2023年2月

津警察署協議会の委員が

 9日、「津警察署協議会」=杉田真一会長=の委員8名が津市高茶屋の県機動隊庁舎で訓練の見学などを行った。
 同協議会は、警察署から委嘱を受けた委員から警察業務について住民の意見を聴く機関として、全国に1269カ所ある警察署のすべてに設置され、それぞれ年間4回協議会が開かれている。委員は、管内の住民のほか、地方公共団体や学校の職員など、地域の安全に関する問題について意見や要望などを表明するに相応しい人物に委嘱している。
 今回は爆発物対策部隊が爆発物を処理する訓練などを見学。テロ対策など、爆発物処理の現場で使用する30キロ以上ある防護服やヘルメットを身に着けた隊員たちから説明を受けた。
 杉田会長は「本来あってはならない不測の事態に備え、訓練する隊員たちに頭の下がる思い」と敬意を表した。その後、委員たちは津警察署に移動し、管内で発生した事故や事件の現状に関する説明を受けた。

一方、窓口は混雑 市は土日対応拡充へ

 最大2万円分のマイナポイント目当ての駆け込み需要もあり、津市のマイナンバーカード交付率は60%を突破する見込みではあるものの、本庁窓口は連日、受け取りに訪れる人の混雑が目立っている。津市は平日・休日ともに本庁や支所など合わせて一日300枚ペースで交付を行っているが、更に受け取りが増える見込みの3月から4月にかけては、本庁の土日の窓口を拡充して対応する。

 国がマイナンバーカードの普及策として、新規取得申請した人を対象に、任意のキャッシュレス決済で最大5000円分(チャージや利用額の25%)の還元に加え、「保険証利用登録」を行った人と「公金受取口座登録」を行った人を対象に各7500円、計1万5千円分のポイントの直接付与を行っている。
ポイントの対象となる新規取得の締切は昨年末から今月末まで延長されたが、これ以上の延長は無いと明言され、カードの保険証利用など、実用的な場面での使用が増えることもほぼ確実となったため、駆け込み申請が急増。申請は役所の窓口までいかなくても、QRコード付きマイナンバーカード交付申請書をスマートフォンから読み込めば、比較的簡単に申請できるほか、ネットを使うのが苦手な人でも携帯電話各キャリアのショップでも申請支援を行っていたり、証明写真を撮影する機械にも申請機能が付いたものも設置されている。津市は昨年12月に市内の大型ショッピングセンターなどで休日に出張申請を実施するなど地道な支援を続けてきたこともあり、カードの交付率は近日中に60%を超える見込みで、1年余りで20%ほど伸びたことになる。
 一方、カードの受け取りは、市の各窓口に足を運んで本人確認をする必要がある。ここ最近は短期間で新規取得申請が急激に増えた影響から、特に本庁窓口は連日混雑が続いている。カードが受け取れる場所は津市役所本庁、アスト津のマイナステーション、各総合支所となっているが、原則予約制で津市役所は2日前、マイナステーションは5日前、それ以外は4日前までの予約が必要。土日は受け取れる場所と日時が限られている。本庁では、平日に限り予約なしの受け取りも対応しているが、予約の合間を縫って対応するので概ね1時間待ち。受け取りには、本人確認作業とパスワードの設定などで20分ほど必要となる。全ての場所を合わせて1日約300枚ペースで交付を行っている。それに伴い、市役所1階でカード取得者向けのマイナポイント制度の各種手続き支援を行うマイナコーナーも賑わっている。
 現在、受け取りの予約が集中すると同時に、マイナポイントと任意のキャッシュレス決済への紐づけなど、質問が集中しており、市役所の電話も非常につながりにくくなっている。受け取りは可能な限りネット予約を利用したり、マイナポイント関係などの質問は、国のコールセンターを活用するといったことも有効だ。
 今月に新規取得申請を行った人のカードが国から津市へと届くのが約1カ月半くらいの見込みで、近日に申請している人たちが受け取りに来る時期が転入転出が増える3月末から4月と市役所の繁忙期とぶつかる形になる。そこで津市は国のシステムが休止する日を除き、3月と4月は本庁で土日も受け取れる体制を整える。
 しかし、国がカードを受け取った人のマイナポイント申込み期限を5月末に定めたこともあり、それまで混雑が続く可能性は高い。
 これまでの傾向を見ると、期限が近づくにつれて駆け込みで受け取りに来る人が増えることが予想される。今後カードの受け取りをする人は、市役所から通知が届いたらすぐに予約し、できるだけ早めに受け取りにいくのが確実だろう。
 マイナンバーカードについての問い合わせや受け取りの予約は市民課マイナンバー担当☎059・229・3198へ。国のコールセンターは 0120・95・0178。

志登茂川にかかる江戸橋

 1月24日13時。私は津市の志登茂川にかかる江戸橋のたもとに居た。いよいよ伊勢別街道で関宿まで行き、東海道を遡る100㎞の旅が始まる。遅めの出発となったのは天気予報のせい。次の日には最強寒波が日本列島を襲い、津市でも積雪が予想されていたため、歩く予定を繰り上げるハメになってしまったというわけだ。今日の行程は、ここから関宿まで伊勢別街道約18㎞。日没は17時過ぎなので、無事にたどり着けるか不安はあるが覚悟は決まっている。経験に裏打ちされた自信というよりは、横着者っぷりが遺憾なく発揮されているに過ぎない。
 江戸橋は、江戸時代に参勤交代で江戸へと向かう藩主を見送ったことから、その名がつけられた。ここから伊勢街道と四日市の日永で東海道へと接続する伊勢街道と、関宿で東海道と接続する伊勢別街道に分岐するという形になっている。江戸橋は令和元年に生まれ変わり、立派なコンクリート橋が架かっているが、私にとっての江戸橋といえば先代。今や記録と記憶の中にしか残っていないけれど、昭和32年(1957)から57年間、多くの人たちが行き来してきた。特に三重大学の最寄り駅である近鉄江戸橋駅があるので、多くの若者たちの青春の1ページを彩ってきたに違いない。今とは比べ物にならないくらい頼りなかったが、改修後に付けられた木製の欄干が独特の風情を醸し出しており、好きな津のスポットだった。
 鈴鹿市で生まれた私は高校生の頃、初めてこの辺りを訪れた。当時、家庭教師をしてくれていた三重大生の先生の下宿にお邪魔したり、駅前にあったゲームセンターで友達と遊んだ思い出が鮮明に蘇る。どんなゲームを遊んだのかまではっきりと覚えている。私の43年間の人生において、ほんの一瞬に過ぎないが、まばゆい光を放つ大切な思い出。ただし、ノスタルジーを感じるわけでもない。橋を眺める私の胸中にあるのは、あれから30年近い時が流れた今日この瞬間、ここに自分が立っていることの感謝のみ。人間ははかない。年寄りから亡くなる〝順番〟なんてものは、あくまで統計データに基づく希望的観測に過ぎず、〝順番抜かし〟はしばしば起こる。親友を失った時に、それを理解した。
 メメント・モリという言葉をご存じだろうか。ラテン語で「いつか自分が死ぬことを忘れるな」という意味だが、本来は「死は誰にでも等しく訪れるが、いつかは誰にも分らないから、今を楽しもう」という明るい意味だったらしい。それを知って以来、死という概念に対する考え方が180度変わった。少なくとも自分の中では、必要以上に恐れるべき存在ではなくなった。終りがあるからこそ、命は貴く、美しい。いつか訪れるその日まで、与えられた生命を全うしようと思う。
 命がいつかは失われるように、形あるものもいつかは失われる。先代の橋はもうないし、目の前のこの橋だっていつかは役目を終え、新たな橋がつくられる。でも、心の中であれば、先代の橋の姿を思い浮かべることができる。万物が流転する世界において、酷く脆弱に思える人の心(記憶)こそが、堅牢な建造物以上に確かなものになることもある。だから、この旅の始まりの光景を心に焼き付け、精一杯楽しもうと改めて誓う。
 ひとしきり、物思いにふけった後、橋の近くにある常夜灯の前に移動。この立派な常夜灯は、江戸時代後期の安永6年(1777)の建立。伊勢神宮を目指す人々で賑わった時代から、長らく街道を行きかう人々を見守り続けてきた。軽く目を閉じ、今日の旅の無事を祈ると、街道を歩き始めた。(本紙報道部長・麻生純矢)

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