親子でシイタケの菌打ちにチャレンジしてみませんか

 きのこ研究の専門企業㈱岩出菌学研究所は2月10日㈯10時~11時頃まで(受付9時40分~)同社敷地内野外=津市末広町1番9号=で、新春恒例の「第16回親子きのこ教室」を開くにあたり参加家族を募集中。
 きのこの栽培を通じて〝食育〟に役立ててもらうのが目的。毎回定員一杯になる人気企画。今回も親子で協力してシイタケ菌の種駒の植え付けを体験する。
 参加費は1家族税込で1000円。帰りに「菌のまわったシイタケの原木」がもらえる。募集数は25家族(大人のみ・子供のみの参加は不可)。定員になり次第締め切り。軍手・かなづち・原木が入る大きなビニール袋(ごみ袋2枚程度)を持参のこと。
 申し込みは電話、メールkinoko@iwade101.comで参加者全員の氏名(ふりがな)・性別・年齢・住所・電話番号を明記して送信。野外のため防寒に適した服装を。また、マスク着用、会場内での食事は禁止。
 問い合わせ・申し込みは同社☎059・228・5786(平日9時~17時まで受付)。

春の訪れを告げる恒例イベント「津・大門のおひなさん2024」が2月15日㈭~3月3日㈰まで、大門大通り商店街各店と街の駅だいもんで開かれる。主催=津市大門大通り商店街振興組合。
 今回のテーマは「はばたく」。
 各店舗内に雛飾りを飾り、来店者を出迎えるほか、雛飾りの由来も紹介し、日本の文化的な伝統行事である桃の節句に込められた意味を知ることができる。
 また、素敵な商品と金券入りの「おひなさん福袋」を物販店で販売するほか(数に限りあり、売り切れ次第終了)、街の駅だいもんでは、手作りひな人形の顔出し看板を設置。写真撮影を楽しむことができる。そのほか「おひなさん俳句」も募集。ひなまつりや同商店街の加盟店、また今回のテーマにちなんだ一句を郵送、もしくは同街の駅内の投句ボックスに投函する。優秀作には商品がプレゼントされる。
 受付期間は2月15日㈭~2月26日㈪。優秀作発表会は3月2日㈯14時から街の駅だいもんにて。選考人は、津俳句会事務局・俳人協会会員「白桃」同人の山本清稀人さん。郵送先は〒514の0027、津市大門24の12、津市大門大通り商店街振興組合「2024おひなさん俳句」係へ。
 問い合わせは同組合事務局☎059・223・0090へ。

  バスタや東西自由通路 時代に即した形を模索

前葉泰幸津市長

前葉泰幸津市長新春インタビュー。三重県の玄関口である津駅前の新たな動きを踏まえた将来展望、復元や都市公園としての整備等様々な観点から将来像を描くための議論を始めた津城跡の整備についてを聞いた。全2回の第2回。(聞き手・本紙報道部長・麻生純矢)

 ─津駅周辺でも、東西自由通路やバスタの建設に向けた議論が進むなどインフラ面でも発展していく兆しがありますが、今後の展望について教えてください。
 市長 津駅は昭和48年にステーションビルのチャムができ、西口のロータリーも今の姿になり50年が経っています。新しい姿に変えていくために東口は更に賑やかに出来ればという意見が出ています。一方、西口は更に使いやすくして欲しいという声が多い。お店を増やすよりは通学時間帯に人が溢れる歩道を何とかできないかとか、送迎の車からの乗り降りがしづらいといったニーズがあったところにバスタの話が来ました。バスターミナルは調査によって必要性が見えてきました。
 東口では路線バスはロータリーで何とかしているが、観光バスや長距離バス、津ボートなどの臨時運行のバスなどが出る場所がありません。送迎者もタクシー乗り場の手前で非常に窮屈な状態で渋滞する可能性がある。車椅子の人が乗り降りするような思いやりスペースがない。こういった事情を踏まえると、必要性があり、実際にどういうものを作るのかを考える事業調査に入ると思っています。
 市として、どこから手掛けるかというと西口。東口のバスターミナルは調査が進んでいき最終的に国の事業となる。もうすでに道路管理者である津市、地元自治会、交通事業者であるバスとタクシー、荷下ろしをするトラック事業者、地元のビルのオーナーなど関係する方々が入ったエリアマネージメント会議が始まっています。何を話し合ってるのかと言うと、どういう形が欲しいかというニーズをぶつけあう場。これである程度姿が見えてくる。ただ一つだけ問題がある。それが東西自由通路。バスターミナルが駅の南側にできれば通路は今の地下道の上の歩道橋の場所辺りをエリアとして、ある程度太くすれば、お店や座る場所など賑わいの場所にもできます。エキナカまではいかなくても、自由通路ビジネスが展開できるようなものが作れる。一方、駅の北にバスターミナルが出来た場合は、自由通路も駅の北側になるかもしれない。そうすると西口から遠くなる。西口は自由通路の着地点がどのようになるのかと関係があるので、最後の姿まで一気に作り上げて行くのは難しい。しかし、その手前までは早目にやりたいので来年度、会議をやりながら、それを受け止めて絵にする調査をしていく。その次に設計し、更に3年後には工事に入るイメージをしています。
 もう一つの課題は駅の空間活用で、ポイントとなるのは東口。歩行者と車を分離すれば、上が歩行者によって賑わい、下がバスやタクシーや送迎の車という形があり得ると思います。

津城跡の未来を描く どのような姿を目指すか

 ─津城跡が続日本100名城に選ばれて以来、観光客が増えました。市民団体の募金活動やふるさと納税の浸透で、津城跡整備(復元)のために積み立てられた浄財は7000万円を超えています。津市も市民から多様な意見を募るためにシンポジウムを開きましたが、整備へのお考えをお聞かせください。
 市長 シンポジウムでも津城の変遷などが語られましたが、昭和42年にお城公園を作る事となり、昭和40年代に都市公園という大きな決断をしている。日本庭園にしても噴水にしても、旧社会福祉センターも史実と関係ない。それが50年経った今、史実に基づく城の櫓の復元に向けた市民運動が起っているなど、お城に対する価値観が大きく変わってきた。お城の歴史をどう守って行くのかを50年後に向かって引き継ぐ転換点に来ている。しかし、昭和40年代の都市公園を全否定するのではなく、維持しながら歴史的なものに手を加えることは出来ると思っています。
 史実に基づいた復元がなされようとしているのは北の堀沿いの部分。天守台の石垣などを傷めずに高山神社を守りながら、旧社会福祉センターも取り壊わさなければならない。石垣を傷めつつある樹木をどうするのかというのは、広い城跡の一角の話ですが、多くの意見が出ています。
 松などが石垣を傷めているのは事実。樹木医の診断で29本が石垣に影響があると認定されました。それを令和2年度から伐木しており、今年度に終わります。石垣を内側から押していた根は枯れて徐々に無くなり、元の状態に戻って行くというのが専門家の見解。それをやれば一番厳しい石垣は守れます。次は復元したいエリアに残る松や北側以外の石垣や天守台にも木があるので議論が必要。旧社会福祉センターの撤去については、来年度は解体設計、再来年には工事ができます。天守台を見える形で保存していくことになります。
 津広報に津城の歴史の連載をしていますが、なぜ始めたかというと、城のことを知って頂くことが大事だと感じたからです。皆さんに少しでも関心を持って頂き、復元することになれば、ふるさと納税で集まっているお金がベースとなります。ただ行政が一緒にお城を復元するとなると税金を使うので相当多くの賛成がないと難しい。津城をどう未来へ繋いでいくのか、その姿を考える市民的な議論の盛り上がりが必要。シンポジウムや教育でもっとお城に触れる機会が必要です。
─ありがとうございました。

[ 1 / 6 ページ ]12345...Last »