2024年1月

 海道橋を渡ると、すぐに旧東海道は田村神社の参道と合流する。今も勇名をとどろかせている征夷大将軍・坂上田村麻呂を祀るこの神社は厄除けのご利益で有名。津市からも、そう遠くないので、お参りに訪れたことがある人も少なくないはず。かくいう私も毎年初詣に訪れている。この参道は何度も通ったことがあり、お正月には沢山の人で賑わっているが、ここが旧東海道の一部ということを全く知らなかった。折角なので、少し寄り道をして今日の道中の無事を祈ることにする。いつもは車でここまで来ているが、今日は鈴鹿峠を歩いて越えてきたので、心情がかなり違う。武威によって鈴鹿峠に安寧をもたらした伝説が残る田村麻呂に、これまで以上に敬意を抱いている。参道を進み、拝殿の前に立った私は一度深く深呼吸し、心を落ち着ける。そして、二礼二拍手一礼の作法でお参りを済ませる。
 ここまで19㎞ほど歩いてきたが、まだまだ先は長いので油断できない。時刻は13時半過ぎなので、そろそろゆっくり休憩しながら腹ごしらえをしたいところ。そこで歩道橋を渡り、道の駅あいの土山に行く。「あいの土山」は「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と鈴鹿馬子唄に出てくる言葉で、現在の甲賀市土山町の辺りを称した言葉。意味は諸説あり、甲賀市のホームページによると、①相の土山説…鈴鹿馬子唄の歌詞で、坂(坂下宿)は晴れ、鈴鹿(鈴鹿峠)は曇りで、相対する土山(土山宿)は雨が降るとする説②間の宿説…宿駅制度ができ、土山が宿駅に指定される前は間(あい)の宿であったことから、坂下宿ほど繁栄していないことを唄ったとされる説など8つの説が紹介されている。事実はどうであれ、「あい」という響きは柔らかく親しみやすいので、この道の駅だけでなく、ホールの名前やイベント名にも使われているのも頷ける。
 道の駅に入ると、食券を購入し、食堂の窓際の席に座る。朝から歩きづめだったので、自分の体重を支えるという激務から解放された両足は、安堵と喜びをたたえている。注文した常夜灯丼は、以前紹介した鈴鹿峠の万人講常夜灯をイメージしており、丼に盛られたご飯の上には3本のエビのてんぷらが天に向かってそそり立ちそれをかき揚げが支えている。丼を前に手を合わせた私は、夢中でかきこみ空腹を満たしていく。
 道の駅を出ると旧東海道横から土山宿へと入っていく。古くから交通の要衝として栄えてきた土山は江戸時代初期に東海道の宿駅に指定され、東海道五十三次の49番目の宿場町となった。1843年の記録では、大名などが宿泊する本陣2軒、旅籠44軒と難所の鈴鹿峠を目前に控える休息の場として栄えていた。旧東海道もカラー舗装されており、連格子の家など今でも風情ある町並みが残されている。また、旅籠を営んでいた家の軒先には屋号が書かれた看板も吊り下げられており、多くの旅人たちが行き来した往時の風景を想像しながら歩みを進める。これからゴールまで20㎞ほど歩かなければならないという厳しい現実から、目を逸らし、しばし、〝あい〟の旅情に浸るとにしよう。(本紙報道部長・麻生純矢)

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