2024年1月

 時刻は15時半を過ぎ、日没まであと二時間しかない。朝から酷使している足は鉛のように重く、ゴールと定めた近江鉄道の水口石橋駅までの距離もかなりある。必ず着けるという確証はないが、必ず着けるという確信はある。それはこれまで徒歩旅を続けてきた自信に裏打ちされた感覚というよりも「なんとかなるさ」という生来の楽天思考に由来する。要するに私はどこまで行っても『お気楽』なのである。
 宿場町として賑わった往時の風情が漂う土山宿を西へと進むとやがて、国道1号との交差地点。国道をまたぎ、旧東海道を北へと進んでいくと「松尾川の渡し」があった場所付近に辿り着く。渡しとは、主要河川の橋の掛かっていない場所で、渡し賃を支払って人力や船で渡らなければならなかった。東海道で最も有名な渡しは宮(現在の名古屋市熱田区)と桑名を結んだ七里の渡しだが、こちらは川ではなく海路を結ぶ例外的な存在である。この地にも鈴鹿山脈の御在所岳を源流とする野洲川が流れており、一帯の流域は松尾川と呼ばれていた。今では主要河川には便利な場所に橋がかけられているが、江戸時代には橋が架けられる場所が幕府に規制されており、同時に渡河していい場所も決められていた。松尾川の渡しでも、旅人たちは渡し賃を支払い、人足に肩車をしてもらったり、輩台を担いでもらって川を渡った。渡し賃は水量によって変化していた。こうすることで関所と同じくヒトとモノの流れを制限することが、長きにわたる太平の世が守られていた要因の一つにもなっていたと思うが、近場でも自由に行き来できなかったということは現代人の私からすると、いささか窮屈に感じる。
 かつて松尾川の渡しがあった場所は行き止まりとなっており、付近にその旨を記した案内板が立っている。後日改めて現地を訪れ、清流を眺めながら人足に肩車されて対岸へと渡っていく人々など往時に思いを馳せた。
 現在は渡しがあった場所の少し南の国道1号に自動車が通れる立派な白川橋、更に南に並行して歌声橋という歩行者と自転車専用の小さな橋が架かっている。徒歩旅の趣旨的には、歌声橋を渡るべきなのだが、とにかくゴールにたどり着くことに夢中で完全に見逃しており、存在には後で気付いたため、こちらも後日に改めて渡った。
 白川橋にも歩道があり、徒歩で渡るには全く問題ないため、なぜもう一本近くに橋があるのかと考えたが、朝に歌声橋を訪れて疑問は氷解した。自転車に乗った中学生たちが通学に利用していたからだ。主に彼らの安全に配慮して架けられた橋なのだろう。自由に橋が架けられず、渡河に制限があった昔と、目的に合わせた二本の橋が架けられて自由に行き来できる現代を比べると、たった160年でとてつもない変化を遂げている。気ままな徒歩旅ができる時代に生まれたことに感謝しかない。(本紙報道部長・麻生純矢)

 前葉泰幸津市長新春インタビュー。津市の中心市街地を時代に即した次の姿へと変えていく官民連携エリアプラットフォーム 「大門・丸之内 未来のまちづくり」の取組みなど津市の課題と展望について聞いた。全2回の第1回。  (聞き手・本紙報道部長・麻生純矢)

前葉泰幸津市長

 ─最初の質問です。津市中心市街地の官民連携エリアプラットフォーム 「大門・丸之内 未来のまちづくり」による社会実験を盛り込んだ事業など本格的な取り組みが始まりました。その成果や、どのような声が寄せられているのか、またどのような展望が期待されるかをよろしくお願いします。
 市長 大門丸之内は商業振興という観点で活性化に取り組んできましたが、商店主の代替わりや大規模店舗にお客さんが流れるということがあって、中々難しかった。しかし、今回はまちづくりでいこうということで、道路空間活用実験などをやった。これは地元の商店街にどうやってお客さんを来て頂くかというよりも、あの場所をどう使えるかということ。丸之内では国道23号の南側の一番左の車線を地域のために活用したいという声が市長就任当初からあって、その頃は商店主が駐停車できるようにしてほしいということでした。今回のキッチンカーなどを配置する活用策は、人が出てきてもらう作戦。国道の西側には立派なオフィスビルが出来ているが、お昼休みには中々出て来てくれていない。キッチンカーなどを並べて昼食を買ってもらうというのは都会型のお昼の風景。それをイメージしました。
 一方、大門は車が中を通ったらどうなるかという実験をした。あの大門の車の通り方は、ビュンビュンと通過するのではなくて真ん中をそっと車が通る。むしろ、メインは歩道側のお客さんというイメージで実験してみました。道幅9mのうち、車道が3mで歩道が両側3mずつ。うち1mの店舗側は椅子や机を置いてオープンカフェにしてもいいというイメージ。その結果、これまで車を通すことだけで議論がされてきましたが、車を通すことと街をどうしていくのかを一体で議論できるようになりました。決定的に大門丸之内に対する考え方は(商業振興から)まちづくりに変わっている。
 その理由は、お客さん(社会実験に来た人)の声からもわかる。両地区が賑やかだったころを知らない人も増えており、ここでどういう活用があるかを新しい視点で考えています。昔あった専門店で買い物がしたいというよりも、この空間がどうなれば、自分たちが行きたいまちになるかという観点。これは伊勢街道やそこから広がった道路なり、街の在り方の問題ではあるが、やはり令和のまちづくりになる。新しいまちづくりをどう進めるか、短期的には新たな活用策を実験して探りながら、使い方や在り方についての声を集約していきます。中長期になるかもしれないが土地利用の在り方をまとめていく形にもしていきます。商売をやめる度に短冊形の土地のビルが壊されて細長い駐車場が出来るだけではどうにもならない。時間軸との関係もあるので、どうまとめていくかというところに入っていきたい。難しいことをやっているようにも見えますが、農地では既にやっています。地域計画で、所有者に「5年後どうします?」と問いかけ「担い手に任せます」ということを地図に落とし込もうとやっている。もっと長期の話をすれば、山林の経営管理権調査もやっているのもまさにそれ。自分で管理するか、津市が15年間預かるかを訪ねています。農地も山林もやっているんですから街だってできるはず。古い街から新しい姿に変えていかなければならない。だから、みんなに聞くしかない。これを今までやってこなかった。先祖代々商売をやってきたところで、次の代をどうするというのは聞きにくい話でしたが、聞いた方がいい。それを地図に落とし込んでいけば何かが見えてくるはずです。「一気に再開発を」という声がありますが、それは違うと思います。それをやろうとして津駅周辺の再開発に物凄い時間がかかってしまった。例えば、エリアやブロック毎での議論をしているので、今年の4月以降にしっかりと街に入り込んでいく。そんなまちづくりをしてみたいです。
 ─社会実験やイベントにも数多くの方が来てましたよね。
 市長 そうですね。例えば、ホテル津センターパレスで行われたレッ津!ローカライズ!フェスティバル。ああいうのを求められています。
 ─昨年、4年ぶりにコロナ禍前と同じ形で津まつりが開催されました。中心市街地があれだけ多くの人々で賑わう様子を見ていると、出掛けたくなる場所を求めているんだなと感じました。
 市長 毎日でなくても良いので何かイベントがあれば良いと思います。大門でやっている五十市の若い人や子育て世代バージョンみたいなものがいいのかなと。それを考える上で、自家用車をどうするかという問題があります。今までは市営フェニックス駐車場に停めて歩いて来て下さいだったが、今や玄関横づけが当たり前になってきて少し難しくなっている。例えば、お店が5軒ぐらいあるのを一つにまとめて一角に駐車スペースがあり、うち2軒が商売を続けていくという形にまとめていくなどが良いのではと感じます。中心市街地に出来たコンビニも大きな駐車場を備えており、繁盛しています。それがニーズ。車さばきもセットで考えなければならないので、大門大通りが車を通しながらというのはそのイメージです。
 ─実際に車を通す実験でどのような声が寄せられていますか?
 市長 車を通しても問題ないと思った人は70%くらい。ただし、ない方が良いという声もあり、30%の人達がどちらかといえば反対だった。その理由は安全面。周辺に停め易い駐車場があれば歩行者天国で良い、という今までの考え方に近い意見があります。丸之内の車線利用には90%の支持が集まっているのと比べると意見が分かれています。でも、出来ないことはないと感じています。まだ中身は詰まっていませんが、大門丸之内と津駅の間を自転車で結ぶシェアサイクルができないかとも考えています。
 ─行政だけでなく、市民がしっかり考えていくのが大事だと改めて感じました。
    (次号へつづく)

 

 2月16日から函館市で開かれる「令和5年度スポーツ庁長官争奪・日本生命杯第3回全日本少年少女空手道選抜大会」に出場する全日本空手道連盟和道会津支部所属の籾井ほのかさん(11歳・出場種目=小学6年女子形」と籾井周一朗さん(7歳・同=小学1年男子形)が12月27日、同会代表の土屋満廣さん、指導者の関戸真紀さん、青山昇武市議と共に津市役所の前葉泰幸市長を訪れ出場への意欲を語った。
 ほのかさんは「小学生としては最後の選抜大会になるので優勝を目指す」、周一朗さんは「2位より上位を目指します」と話し、これを受け前葉市長は「実力を出して頑張って下さい」とエールを贈った。

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