JR三雲駅近くの旧東海道はカラー舗装されており、この地域では旧東海道が重要なコンテンツとして認識されていることを感じる。路傍に設置されているマップに目を通すと、旧東海道沿いの周囲の史跡や名所がわかり易くまとめられていた。どうやら地元のまちづくり協議会が手がけたものらしい。興味本位で、すぐにインターネットで検索してみると、しっかりとしたホームページがヒットし、協議会の趣旨なども綴られている。協議会が作成した広報誌のPDFデータがアップされており、ざっと目を通すと、旧東海道を「きずな街道」と名付けて、多彩なイベントを実施し、地域への愛着を育む取り組みが行われているようだ。私たちは何か満たされないことがあると、政治のせいにしがちではあるが、行政に出来ないことは、絆で結ばれた地域住民一丸となって頑張るという住民自治の原点を垣間見られて清々しい気持ちになった。
 更に旧東海道を進んでいくと、見事な花崗岩の石積みによる二つのトンネルが姿を表す。東から「大沙川隧道」と「由良谷川隧道」。そして、最も西には現存していないが「家棟川隧道」があった。この3つの隧道はいずれも天井川の堤防を掘削しており、今も自動車が通れる生活道路として活用されている。天井川とは川底が周囲の平地よりも高い川のことで、大沙川も由良谷川も周囲の家々よりも高い堤防の上を流れている。天井川が生まれるプロセスを簡単に説明すると、①水源付近の荒廃で土砂が流出し川床が上昇②氾濫を抑えるために人間が堤防をつくる③川幅が堤防で狭まることで土砂が体積し易くなり、川床が更に上昇…といった流れ。特に滋賀県は草津川を始め、天井川が多い。巨大なすり鉢状の地形の中央に、琵琶湖があり、周囲に連なる山々を源とする河川の流路延長が短く、急勾配であるため、土砂を大量に運んでしまうことが原因とされている。3つのトンネルが掘られる以前は天井川を渡らなければいけなかったため、東海道の難所として旅人の前に立ちはだかっていた。
 大沙川隧道は、明治17年(1884)に完成した滋賀県で最初の道路トンネル。そこからも難所の解消が地域の至上命題だったことが伺える。そして、現在では築造された当初の位置のまま活用されている現役の石造トンネルとして日本最古の存在となっている。築造された年号を聞いて、私の脳裏にあるトンネルが思い浮かぶ。津市と伊賀市の境目にある長野峠に残る明治の長野隧道である。伊賀市側は崩落しており、通行は不可能だが、津市側は森の中で苔むしてもなお偉容を誇る石積みの妙が楽しめる隠れた名スポットである。この長野隧道の完成は明治18年。つまり、大沙川隧道は長野隧道よりも一つ先輩に当たり、由良谷川隧道と家棟川隧道は明治19年で一つ後輩に当たる。家棟川隧道は天井川の解消工事によって、昭和54年(1979)に姿を消して扁額を残すのみとなっているが、二つの橋が130年もの間、地域の交通を支え続けているという現実に胸が熱くなる。道は人々のニーズによって存在している。道に付随するトンネルや橋などのインフラも然りである。地域の人たちの絆の拠り所となっている旧東海道が存在する限り、きっとこれからも地域の人や旅人を見守り続けることだろう。(本紙報道部長・麻生純矢)