国道165号を遡る

スタート地点の近鉄西青山駅前

スタート地点の近鉄西青山駅前

6月9日9時過ぎ。気持ちの良い快晴。近鉄西青山駅からスタート。今日の目的地は、近鉄名張駅。距離にすると17㎞ほど。前回と比べると、かなり楽な道のりになると思う。
2月末だった前回と比べると、国道沿いも初夏の様相。ガードレールの足元から青葉が生い茂り、その葉は勢いよく天を仰いでいる。したたかに降り注ぐ日差しを浴びながら、しっかりとした足取りで私は国道を歩き

近鉄大阪線の鉄橋の下にある祠(仮)

近鉄大阪線の鉄橋の下にある祠(仮)

始める。しばらく歩道がないので、いつものように車をかわすこととなる。もう慣れた事とはいえ、危険と隣り合わせな事には変わりない。気を引き締めていこう。
そんなことを考えていると、遠くに車の影が見えた。ちょうど身をかわせそうなスペースがあったので、やりすごそうとした刹那。その車の後ろから、猛スピードで迫りくる別の車が。見通しの悪い上り坂で無理な追い越しをしようとして対向車とあわや正面衝突しそうになりそうな所を目撃する。たまたま上手くやりすごせたから良かったが、あのスピードはこの道を人が歩いているなんて、全く想定していないのは明白。今、自分がやっている事がどれほど危険かを再認識し、より注意深く国道を歩く。
少し歩くと近鉄大阪線の鉄橋。鉄骨が組まれた足元には、小さな木箱を重ね、その上にトタンを載せた手づくりの祠のようなものがある。これは、ここを歩かないと絶対に気付かない。上まで登ってじっくりと確かめたいが、不用意な寄り道で時間を食われたり、思わぬ怪我をしてはつまらないので泣く泣く通過する。しかし、しばらくの間は、あれが何であるかということで頭がいっぱい。祠(仮)の脇には、線香立てと花生けのようなものがあったことからも、置かれているというより、祀られているという表現が適切だろう。
まず頭に浮かんだのは、あそこで何らかの悲しい事故が起こり、その供養のために置かれているという線。最も妥当なように思えるが、そうであれば、もっとしっかりとしたものを置くような気がする。
次に頭に浮かんだのは、橋の下ならば雨風がしのげるので、ここで暮らす路上生活者が仏壇替わりに祀ったという線。失った家族や仲間を弔うためなのか、はたまた先祖供養かはわからない。孤独な生活の中で、唯一「人」と繋がれる心の拠りどころになっているのかもしれない。だが、人里から少し離れ、往来が危険なここで生活するのは余り効率が良くない気もする。歩を進めるごとに妄想は膨らむばかり。
ただ一つだけ言えるのは、芥川龍之介の名作「藪の中」よろしく、世の中には真実が分からないからこそ、面白いものがあるということ。白黒つけるより余白を楽しむくらいが丁度良い。(本紙報道部長・麻生純矢)

青山トンネル

青山トンネル

時刻はちょうど17時。ようやく青山峠のランドマークの一つ白山トンネルへ。車で登れば、峠のふもとからここまで10分もかからないが1時間半以上かかっている。左足裏の痛みも疲労も限界に近いので、文字通り力を振り絞りながら、一歩ずつ進んでいく。このトンネルを歩いて渡るのは初めてだが、両脇に歩道が設けられているので、ここまでの道のりよりも遥かに安全に歩くことができる。日が落ちかかって薄暗い山中にあって、更に暗いトンネル内の雰囲気は不気味に思う人も多いと思うが、私は安堵すら感じている。
このトンネルや、もう少し先にある青山トンネルは心霊スポットとして取り扱われることもあるが、私は、昭和46年(1971)に起こった「近鉄大阪線列車衝突事故(青山トンネル事故)」が起こった旧青山トンネル及び旧総谷トンネルと混同されているのではないかと思っている。この事故は、近鉄大阪線の旧西青山駅と旧東青山駅の間にあったトンネル内で起こった大事故で未だに謎が残っている。当時同線は複線化が進んでいたが、険しい青山峠を越えるこの辺りはトンネルがいくつも連なる難所で単線のままだった。同年10月25日、大阪上本町から発車した特急電車が、旧青山トンネル内で自動列車停止装置の故障が原因で急停止。乗客を乗せたまま、立ち往生した。運転士は様々なことを試したがブレーキが解除できず、急こう配であったため、車両を輪止めで固定した後にブレーキのシリンダーから空気を抜くという非常措置を講じた。ここまでは緊急停止時の正しい対処法だった。謎に包まれているのは、この後である。東青山駅から駆け付けた助役は、現場に駆け付けるとなぜか輪止めを外してしまい、運転室に戻った運転士がブレーキを解除する。車両はブレーキが利かない状態で急こう配を下り始め推定速度120㎞で暴走し始めた。そのまま総谷トンネルの手前で脱線し、3両目以降はトンネル入口に激突して停止したが、1・2両目は横転したままトンネルに突入。賢島発京都・大阪難波行の特急と正面衝突した。その結果、両列車の運転士と車掌、及び東青山駅の助役の5名と上本町発特急の乗客20名の計25名が亡くなる大惨事になった。
なぜこのような事故が起きたかの詳細は、運転士と助役が共に亡くなっているので闇の中である。この事故の影響で、近鉄は新青山トンネルを完成させるなど、同線を全線複線化し、西青山駅と東青山駅を現在の場所に移転させている。
私は青山トンネルをくぐりながら、痛ましい列車事故の記憶が、同じ名前を関する国道のトンネルと混同され、形を変えて今に語り継がれているのではないかと想像を膨らませる。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言うではないか。
夕暮れ時に、暗いトンネル内部を歩いている物好きなどいるとは思わないだろう。今ここで私の姿を見た人が、幽霊と誤認し、都市伝説として語り継がれる可能性も否定はできない。全てがそうとは思わないが、都市伝説の多くがそのような類ではないかと邪推する。(本紙報道部長・麻生純矢)

青山高校の入り口付近(津市白山町八対野)

青山高校の入り口付近(津市白山町八対野)

山林に投げ捨てられたゴミ

山林に投げ捨てられたゴミ

国道165号白山町垣内交差点から、青山峠に向かって伸びる坂道を上り始める。車では何度も通ったことがある道だが、歩いて上るのは初めて。時刻は15時半前、目的地のJR西青山駅まで約10㎞。ちなみにここまで歩いた距離は15㎞。普段運動なんてしない私にとっては、体力が尽きかけているここからが本番。「でも、きっと大丈夫」と高を括る。もちろん、根拠なんて微塵もないが、やってやれないことなんて、人生にそう多くはないのだから。
この辺りの国道は、歩道が無いばかりか路側帯も狭い。大型車の往来も少なくないので、退避所などでやり過ごしながら、ゆっくりと進んでいく。何度も繰り返しになるが、私の真似をして国道を歩こうなんて考えてはいけない。私の身一つでこと足りるこの旅にお金はかかっていないが、危険と隣り合わせなのは否定できない。もちろん、細心の注意を払かなければならない。
左足裏の痛みは、広く深くなっており、大地を踏むたびに痛みが走る。間違いなく水ぶくれが十円玉大まで膨らんでおり、それが派手に潰れたのだろう。延々と続く坂道は、そんな事情などお構いなしに疲労の溜まった足を容赦なく責め立てる。これまでの道のりと比べると大幅にペースダウンしている。
やがて、私立青山高校の入り口が見える。敷地内にある休園中の日生学園付属幼稚園は非常に思い出深い場所である。園長だったY先生には駆け出しの頃からしばらく、とてもお世話になった。思い返すと若気の至りのようなつまらない悩みにも、真摯に耳を傾けて頂いた。今の私がこの仕事を続けられているのも先生のおかげ。非常に向学心のある方で、小学校教諭を定年退職されてから、幼児教育の世界に飛び込み、海外での日本語教育にも尽力されていた。勉強以上に大切なことを教わった私の人生における恩師と呼べる方の一人である。立ち止まってゆっくりと思い出に浸っている訳にはいかないが、一歩踏み出す度に色々な思い出が蘇る。過去から積み上げてきた一歩の延長線上に、現在の私がいるのだと思うと身体の底から力が湧いてくる気がする。
峠道を登り始めてここまで約30分。思ったより順調かもしれない。ふと、ガードレールの向こう側に目をやると、投げ捨てられた無数のゴミが山林に散らばっている。きっと車窓から投げ捨てられたものばかりだろう。これは歩かないと絶対に気づくことができない。だからこそ、ここにゴミを投げ捨てるのだ。私がこの旅の醍醐味として掲げている『既知の向こうにある未知』は、美しいものばかりを指すわけではない。むしろ、こういった人の醜さや業を、白日の下に晒すことこそ、その本質と言える。だから、私はこのゴミを捨てた人たちを非難するつもりは毛頭ない。人間誰しもが、光と影を抱えているからだ。
ここにゴミを投げ捨てた人たちも、普段は間違いなく善良な市民として生きているはず。人は自分にも影が存在していることを忘れ、人の影を執拗に責め立てようとする。しかし、影と光は表裏一体。どちらかを否定すれば、もう片方の存在も揺らぐ。凄惨な事件を起こした犯人について近隣住民が「あんな良い人が信じられない」とコメントをする光景を見たことがないだろうか。まさに光と影の存在を示す象徴的な事例だろう。このゴミは誰の心にも存在する影が具現化した姿に過ぎない。目を反らさずに受け止めて心に刻もう。これは私の影でもあり、あなたの影でもあるのだから…。(本紙報道部長・麻生純矢)

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