国道165号を遡る

国道165号の青山峠のふもと(白山町垣内)

国道165号の青山峠のふもと(白山町垣内)

時刻はちょうど12時頃。三ケ野の集落の入り口を過ぎ、足裏の痛みも気になっていたので、どこかで昼食をとりながら、しばらく休みたいと思っているところに、ザ・昭和な外観のレストランを発見。ドアを開けると、ちょうどお昼時なこともあり、店にぎわっう店内。私はカウンターの端に腰掛ける。
店内は昭和の古き良き町のレストランという雰囲気。私の席の真正面に当たるカウンター内の壁には、ジミ・ヘンドリクスやランディ・ローズといった往年のロックスターのポスターなどが所狭しと飾られている。お店の方がきっと音楽好きなのだろう。しばらく、眺めている内に思わずオーダーするのを忘れそうになってしまう。慌てて、メニューを手に取り、ハンバーグがメインのランチを注文。
左足裏に鈍い痛みが走り続けているが、食事をしている人たちが周囲にたくさんいる手前、靴を脱いで状態を確かめるわけにもいかない。幸い高椅子なので、足裏へ負担がかからないのはありがたい。足をぶらつかせて気を紛らわしながら、再びカウンターの壁面に視線を戻し、そこで繰り広げられる豪華スターの競演に妄想を膨らませる。
少し待つと注文したランチが到着。至福のひと時だが、混んでいるので長居はすまいと、手早く食べ終えてレジで支払いをする。奥の厨房をのぞき込んでみると、とても忙しそうな様子。「ごちそうさまでした」と声を掛けると「ありがとうございました」。心も腹も満たされた私は上機嫌で店を後にする。
12時半頃。再び国道へ戻り、歩き始めると非情な現実がたちはだかる。左足裏には一歩歩くごとに痛みが走る。少し進むと近鉄大阪線の高架。今から数時間後には青山峠を越え、この路線で無事に帰ってくることができるだろうか。未だ遠くにそびえる青山高原の方へ目を向けると少し弱気になってしまう。なんとか気力を振り絞り、そこからは無心で国道を進む。
休んでは進むを繰り返し、歩くこと3時間。疲労困憊の状態で、なんとか白山町垣内の青山峠の麓までたどり着くことができた。安全な場所にへたりこみ、体を休める。後はいよいよ最後の大仕事である峠越えをするのみ。ただ西青山駅まではまだ約10㎞もある。峠へと続く長い上り坂をぼんやりと眺めながら、脳裏には本居宣長の「菅笠日記」のことは思い浮かんでいる。宣長は吉野の桜を見るため、早朝に松阪を出発。途中、二本木宿で食事休憩をし、初瀬街道を通って青山高原の向こうの阿保宿まで一日で歩いているのだ。初瀬街道は国道165号のルーツであることは以前お話した通り。今日の私は多少の差異はあれど、途中からは宣長とほぼ同じ行程を歩んでいるのだ。
当たり前の話だが当時の街道は舗装なんてされていないし、履物だって私が履いているランニングシューズとは比較にならないぐらい性能は悪かったはず。冷静に考えると、当時43歳だった宣長の健脚ぶりにはただただ驚かされるばかりだ。
今から歩く峠道だってそうだ。昔はトンネルなどないので山を丸ごと越えるしかない。松阪からここまで歩いたその足で、峠道を歩いて越え、宿を目指すのだ。宣長よりも年下の私としては負けるわけにはいかない。残る力を振り絞って立ち上がり、おぼつかない足取りで峠へと伸びる国道を上り始めた。(本紙報道部長・麻生純矢)

国道165号の道路標識(津市高茶屋小森町付近)

国道165号の道路標識(津市高茶屋小森町付近)

紀勢本線を越えてしばらく進むと、再び165号の本線の歩道へ戻り、西へと進む。間もなく、国道を示す道路標識を発見。国道好きにはたまらない〝おにぎり〟で心の栄養補給を行った。
三重県警察学校の前を通り過ぎると、この辺りも新たに商業スペースとして開発が進むなど、少しずつ景色が変わっている。国道側の店舗壁面に時給が貼り出されているので読むとアルバイト募集の掲示があり、高校生900円、一般950円と書かれている。最低賃金が846円に対して、妥当な額ではあるが私たちが学生だった20年以上前は、高校生の時給はせいぜい700円台。時の流れを感じると同時に、少子高齢化で働き手不足が深刻化する中、労働力そのものの価値が高まってい

国道165号と国道23号中勢バイパスの交差点

国道165号と国道23号中勢バイパスの交差点

るということでもあろう。額面がアップすること自体は重要だが、もっと大切なのは、それで何ができるのか、さらに言えば心の豊かさに繋がっているかである。
いくら考えたところで答えが出ないが、パスカルの「人は考える葦である」という言葉通り考えることこそ、人の最大の武器である。現代社会のスピーディーな流れから外れ、自分の足でゆっくりと歩みながら考えると、人間にとって適切な本来の時の流れを感じることができる。
そのまま国道を西進。間もなく、肉まんやあずきバーなど数々のヒット商品でその名を轟かせる井村屋の本社工場、その向かいには、世界中のプロの信頼を集める建設・配管工具の製造などで知られる松阪鉄工所。津市民にとっては、見慣れた風景。しかし、この国道の遥か先で暮らす人々の中には、両社の商品を知っていても、見慣れた道の先で作られていることは知らないかもしれない。逆もまた然りで、この道の先でも、きっと同じようなことがあるはず。私が、この旅を通じて伝えたい既知の向こうにある未知とは、このようなものたちである。
更に進むと、国道23号の中勢バイパスとの交差点に差し掛かる。大きな新しい歩道橋がかかり、ここから南の松阪市方面へとつながる道は陸橋がメイン。接続の形といい165号と比べると土木技術の進化は一目瞭然。道は多くの人の思いが踏み固められ、形になるがそれをなし得るのは人の業を置いて他にない。
中勢バイパスの全線開通までには、まだ時間が必要だが、この区間の連結によって、国道165号の価値が大きく高まったといっても過言ではない。三重県の南北を縦断するこの道は、現代の参宮街道という一面も持っている。前回、紀勢本線のルーツである参宮鉄道の話をしたが、今も昔も伊勢神宮は人々の心の拠り所であり続けているなによりの証拠でもある。
(三重ふるさと新聞報道部長・麻生純矢)

JR紀勢本線の線路(津市高茶屋小森町付近)

JR紀勢本線の線路(津市高茶屋小森町付近)

国道165号の側道(津市高茶屋小森町付近)

国道165号の側道(津市高茶屋小森町付近)

国道165号を雲出本郷町交差点から出発した私は歩道に沿って西へと進む。平日のお昼過ぎで交通量こそ少ないが、津市の幹線道路だけに車は途切れず流れていく。
実は、国道163号を踏破してからも、来るべき日に備え、早朝にランニングを続けてきたので身体は軽い。
500mほど進むと高架で、歩行不可となる。そこで歩道に導かれるままに、側道を進んでいく。普段であれば、まず通ることのない道。通ったことはあるが車で通り過ぎたことがあるだけで、ここまでゆっくり進むのは初めて。幾度となく通った国道の文字通り裏側を下から、じっくり見上げるのは乙なものである。
側道をしばらく進むと小さな鉄橋があり、その下をJR紀勢本線の線路が走っている。この近くには同線の高茶屋駅もある。ちなみにこの路線のルーツは、明治23年(1890年)に開業した私鉄・参宮鉄道。伊勢神宮への参拝客を運ぶことが主眼に置かれ、現在の津市と伊勢市の間に11駅が置かれたが高茶屋駅もその一つである。明治40年(1907年)に鉄道国有法によって国営化、更に国鉄民営化を経て、JR東海の管轄となり、現在に至る。
この路線が開通するにあたり、伊勢参宮街道を徒歩で通る人々を相手に商いする人たちから反対にもあっている。徒歩の場合は当然、電車より移動時間がかかり、費やされるエネルギーも比べ物にならない。必然的に飲食店や宿屋の需要も増えるのは必然だろう。裏を返せば、参拝客にとっては移動時間の短縮が大きな節約にもなった。電車の競合相手が徒歩であったのは、現代の感覚で考えると非常に面白い。
自動車の普及と共に同線の利用者は減り、電車としての存在感も利便性の高い近鉄に譲ってしまった。一昔前までは、高茶駅が三重県運転免許センターの最寄りだったので、この路線を利用したことがある人も多いはずだが、同センターの移転以降は、主に近隣住民が通学や通勤に使う無人駅となっていた。
しかし、昨年、この駅近くに大型ショッピングセンターがオープンしたことで状況は変化。まだ車に乗れない学生などが、運賃が安いこの路線を利用し始めた。ショッピングセンターまで徒歩5分ほどの高茶屋駅の利用者が増えたのだ。
今日、車は一人一台が当たり前だが、かつて競合した電車と徒歩が手を取り合う存在となっているのは感慨深い。
自分の足でゆっくり歩いていると、流転する街の小さな変化も敏感に感じられる。私は、早くも徒歩の楽しさをかみしめている。(三重ふるさと新聞報道部長・麻生純矢)

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