国道165号を遡る

近鉄下田駅

近鉄下田駅

大和高田市と香芝市の市境

大和高田市と香芝市の市境

ようやく大和高田市から香芝市。名阪国道を使って大阪方面に向かう途中、通り過ぎたことはあるので地名に見覚えはあるが来るのは初めて。この市も大和高田市と同じく大阪圏のベッドタウンとして近年まで人口が増加していた。国道は近鉄大阪線に沿って、のどかな郊外から市街地に伸びていく。また香芝市の周辺には北に位置する法隆寺で有名な斑鳩町など、面積がそれほど大きくない町がいくつも連なっているのが面白い。
よく自分の住む地域のことを「なにもない」と評する人がいる。しかし、それは真っ赤な嘘である。私は「まず、あなたがいるじゃないですか」と心の中でつぶやく。そして、その人だけではなく、その家族や友人知人など沢山の人が暮らしている。誰一人として同じ人はこの世にいないし、そこに地域性や受け継がれてきた歴史というエッセンスが加われば、唯一無二のきらめきを放つようになる。有名な観光資源だけが地域の魅力ではないのだ。むしろ、それは訪れるきっかけに過ぎない。私には県内外に友人がいるが、例えば東京の板橋区であればA君、京都の東山区であればB君、静岡の三島市であればC君といった具合に、まず人の顔が浮かび、次いで彼らが暮らす町並みが浮かぶ。それは友人の地元の観光地よりも、友人宅の近所の景色や行きつけの食堂だったりと、言うなれば「取るに足らない」ものばかりである。それこそが街の根源的な魅力なのであり、それはありとあらゆる場所に存在する。「なにもない」というのが真っ赤な嘘と断じた根拠はこれに尽きる。
もちろん、いくら街の魅力の源泉が人といっても、未知の街を訪れた時、誰彼構わず話しかけるわけにもいかないので、町並みを愛でながら、そこで暮らす人たちの営みに思いを巡らせるのはこれまでもお話した通り。香芝市内の国道沿いには、見知ったチェーン店を始め、飲食店や美容室などの店舗が多く並んでいる。それなりの人口を抱える地方都市らしい風景という表現が分かりやすいかもしれない。
香芝市に入った頃から雨足が強くなっている。横着者の私は雨具など持ち合わせていないので、フードを目深にかぶり、間に合わせの雨対策を行う。初冬とはいえ、歩くと汗ばむこともあるので、通気性の良い上着を選んだことが災いする。生地を貫いた雨粒が肌に達し、少しずつ体温が奪われる。午前中からの疲れもあるので、想像以上に足が重くなってきたため、近鉄下田駅前の公園のベンチで雨宿りをしながら小休憩を取る。人が行き交う駅は人間観察にはうってつけの場所。駅に向かって傘をさしながら仲良く歩く若い母親と幼児。自転車をこぐ20歳前後の学生風の男性。それぞれにバックボーンがあり、現在進行形で人生というシナリオが展開している。そんな無数の主人公たちが描く軌跡が交差して、街という巨大なドラマが構成されていく。当然、そのドラマは街の数だけある。
しばし、時を忘れ、初めて訪れる街を五感で楽しんでいると疲れと共に雨足も和らぐ。私はベンチから立ち上がるとスマートフォンで時刻を確認。「14時過ぎか。予定通り日没までに、今日の目標である大阪府には入れそうだな」と高をくくると、再び国道を歩き始める。(本紙報道部長・麻生純矢)

棚機神社の織姫の木と彦星の木(葛城市太田小字七夕)

棚機神社の織姫の木と彦星の木(葛城市太田小字七夕)

三ツ塚古墳群の7号墳(葛城市忍海)

三ツ塚古墳群の7号墳(葛城市忍海)

道の駅かつらぎの脇にある有料道路「南阪奈道(国道165号)」の入り口から分岐する側道を伝って、西へと進んでいく。
山を切り拓いて突き進む国道と並行する細い側道。道に沿って建つ民家や会社も少なく、私のような物好きの余所者どころか、地元の人ですら通る人はほとんどいない。桜井駅からそれなりの距離を歩いてきたため、アップダウンの激しいこの道はかなり堪える。少し歩いては休む、を繰り返しながらスローペースで進んでいく。
時刻は15時前。行程は佳境に入りつつあるはずだが、まだこの日のゴールがはっきりと決まっていない。間も無く大阪府に入るはずなので、体力のことを考えると、その最寄りの駅と言うことになるだろう。このルートから大阪に入ったことがないので、正直どのような場所であるかも見当がつかない。疲労と戦いながら一歩ずつ前へと進んでいく。すると、風にひらめく五色布が飛び込んでくる。布の近くに建てられた看板には「たなばた神社」と書かれている。「そうか、今日は7月6日。明日が本番か」。この神社の正式名称は「棚機神社」。織物の女神である「天棚機姫神」が祀らている。その昔、この一帯には朝廷に献上する布を織る氏族が住んでおり、5世紀頃に渡来人より最新の機織り機と布を織りあげる技術が伝えられた。それと同時に伝えられたのが牽牛と織姫夫婦の物語であり、日本で一番最初に七夕儀式が行われた場所と言われている。この神社は氏子がおらず、荒れ果てていたが30年近く前に地元の有志が保存会を立ち上げ、境内や周辺の手入れや七夕祭りなどを行っているらしい。
境内に立ち寄ると、社は無く、「織姫の木」と「彦星の木」の後ろには小さな祠が建てられているのみ。立地的にも、普段はほとんど人が訪れることのない神社なのは間違いない。境内からは大和平野が一望でき、これまで歩いてきた道のりも伺うことが出来る。一日前とはいえ、この神社が面目躍如の時を迎える時期に立ち寄れたのは僥倖といって良いだろう。徒歩で酔狂な旅をしなければ、一生この神社と出会うことがはなかったのだから。
神社を後にした私は、また側道に戻り、歩いていると、国道の案内看板に「太子」「羽曳野」という文字がかかれている。どうやら、今日の終着点は、その辺りになりそうだ。
また、しばらく進むと同じく側道に面している「三ツ塚古墳群」が見えてくる。南阪奈道の建設に伴い発見された古墳。6~7世紀頃につくられたもので16基の横穴式石室墳で構成される。史跡として保存されており、道路建設のため移設された7号墳を含めた6基を見ることができる。ぽっかりと口を開けた石室の入り口は、静寂が支配する常世に続いているようにも思える。
少し休憩しながら、スマートフォンで現在位置から最寄り駅を調べる。どうやら羽曳野市にある近鉄南大阪線の上ノ太子駅が目的地になるらしい。それなりに距離があるので油断はならないが、ゴールが明確になると一気に気持ちが軽くなる。この先も、まだ未知と出会えそうで心は踊るばかりだ。(本紙報道部長・麻生純矢)

国道165号の側道(大和高田市出付近)

国道165号の側道(大和高田市出付近)

ノウゼンカズラの花

ノウゼンカズラの花

自動車専用道で高架化している国道165号を見上げる形で側道を歩き続ける。最初は不満を感じていた私も、いつの間にか心が和らぎ、気付けば歩くことを楽しんでいる。なぜなら、徒歩旅の醍醐味は旅先の日常に触れることだからだ。のどかな田園風景の中で、埋もれた遺跡の発掘を行っていたりと、土地柄も感じる。私たちが旅先に選ぶことの多い観光地はいわば非日常を楽しむ場所である。地域のアイデンティティを濃縮してある分、うがった見方をすれば、よそ行きの顔が前面に押し出されている。一方、現在周囲に広がっているのは、肩の力が抜けた日常。ところ変われば、それを取り巻く日常も変化する。車なら一瞬で通り過ぎてしまうこのような景色もじっくり咀嚼すればそれは味わい深いものである。
国道に沿った側道はずっとまっすぐというわけでもない。例えば川がある場所の場合は、橋に向かって道が伸びていくし、大きな道路を横断する箇所でも側道が途切れて、いわゆる地元道を歩くことになったりと、文字通り右往左往させられる。それに、歩き疲れたら住宅街の何の変哲もない公園のベンチに腰掛けて休む。これがまた楽しいのだ。交通量が少なく危険な思いをすることもないので、側道の旅は想像以上に快適なことも特筆すべきポイントだろう。
側道を歩いているうちに、気付くと橿原市から大和高田市へ入っていた。市境を示すプレートも見かけなかったので、いつの間にか市境を越えていたようだ。日本を代表するような名所旧跡スポットが数多ひしめく奈良県内にあって、有名な観光地というわけでもないため、三重県に住んでいる人たちには、あまり馴染みのない地名かもしれないが、大阪都市圏のベッドタウンで奈良県内でも指折りの人口密度を誇っている街。観光を目的に旅をすると、通過点になってしまうことも少なくない街とふれあい、思い出を刻んでいくことに高揚感を覚える。
側道沿いの民家に目をやると、赤い花が力強い生命力を示すように咲き誇っている。夏を代表する花の一つであるノウゼンカズラだ。よく庭先や公園などに植えられているので、一度は目にしたこともあるかもしれない。花木にも疎い私が、なぜこの花の名前がすぐわかったかというと大好きな曲に登場するためである。その曲というのが、安藤裕子の「のうぜんかつら」。彼女の祖母が、祖父が亡くなった際に書いた詩が基になっている。愛しい人と過ごした甘い思い出が残る街を彩る赤い花。最後まで愛し合っていた祖母と祖父の姿に、上手くはいかない自らの恋を重ね合わせ、しっとりと歌い上げている。
「そして 赤い花 空に舞う度に あたしと つないだ手と手 道で揺らして このまま二人つづくと言って」(安藤裕子 のうぜんかつら 2006年より引用)
なんだか国道を愛しているのに、思い通りには歩かせてもらえない私の境遇にも重なるような気もする。国道を歩けないまま、側道の旅はまだまだ続いていく。(本紙報道部長・麻生純矢)

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