国道165号を遡る

大神神社の拝殿

大神神社の拝殿

大神神社の門前町

大神神社の門前町

ゴールの桜井駅から北上し、大神神社をめざす。距離は約2㎞。余力も残っているので流すには、ちょうど良い距離でもある。
有名な観光地を巡るのも楽しいが、なじみの薄い土地で暮らす人々の営みにふれるのも負けないくらい楽しい。もうゴールには縛られていないので、より純粋に徒歩旅の醍醐味を楽しんでいる。道中には、年季の入った店構えの美容室や、地元の人たちに愛されているであろう飲食店など、街の人々の生活や息遣いを感じる町並み。それは、どこにでもあるようで、ここにしかない景色。車のスピードでは気付かずに通り過ぎてしまう何気ない事物にも目を向け、興味がありそうなものがあれば、少し足を止めて観察する。人生のコンパスともいえる知見を育む最も基本的なやり方である。年を取れば取るほど、ありふれた景色の中に気付きが増えていくのは、幾千、幾万と繰り返してきた知見を育む行為の賜物である。
駅から北上し、大和川を渡ると、より強く歴史的な雰囲気が漂う風景になったような気がする。スマホで調べると、桜井市の景観条例の重点地区に入ったらしい。道沿いにある立派な町家の前に立っている小さな看板を読むと修築して利活用するといったことを行っているようだ。町の風景は、過去の人々の営みを現代に生きる人が受け継ぎ、未来をどうしていくかを考えた結果うまれる。ただし、現代に生きる私たちは目の前のことで精一杯。過去と未来にまで配慮が及ぶ人は少ない。万葉の歌人にも愛された三輪山や大神神社の近くで育まれてきたこの地域のアイデンティティを守るため、長いスパンで物事を考えられる行政がうまくそれをコントロールしていく必要があるのだ。
大神神社が近づくにつれ、町並みもよりそういった色が濃くなっていく。門前町の商店の軒先を眺めながら歩くと、大神神社に到着。
三輪山そのものを本尊とする神社で大和国の一宮。創建は神代にまで遡る日本を代表する古社。伊勢神宮と関係が深いというお話を前回したが、天照大神は大神神社の摂社・檜原神社がある場所に存在した倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)に宮中から移され、祀られて以降、最も理想的な場所を求め、各地を転々として今の場所へとたどり着いた。そのため、元伊勢の地とも呼ばれる。
鳥居をくぐって直進すると、国の重要文化財にも指定されている拝殿がある。三輪山そのものが御神体であるため、本殿は存在しないのがユニークである。神前でまず、今日の旅路も無事に終えることができたことに感謝する。広い境内や周囲には様々な見どころもあるが、流石に少し疲れたので欲張らず、次の機会の楽しみとしよう。その前に、拝殿の前にある小さな鳥居をくぐり、縁結びや夫婦円満に御利益があるという夫婦岩の前へ。私は婚活アドバイザーとの二足のわらじをはいているため、サポートをしている人たちの良縁と、幸せを掴んだ人たちの夫婦円満、ついでに我が家の平穏を祈願。JR三輪駅から帰路へつく。いよいよ、次回からの行程は私の未知の領域に踏み込んでいくこととなる。(本紙報道部長・麻生純矢)

大神神社の標識(奈良県桜井市慈恩寺)

大神神社の標識(奈良県桜井市慈恩寺)

この日のゴールの桜井駅

この日のゴールの桜井駅

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和し美し。
古事記に収められた日本武尊の有名な歌。舞台は、この奈良県桜井市である。私は彼が最期を迎えたという能褒野(現在の亀山市)からほど近い場所で生まれ育ったので、日本武尊はとても馴染み深い存在。幼少期、幾度となく彼の英雄譚に想いを馳せ、大学の卒業論文のテーマにもした。そもそも三重という県名も彼に由来している。
日本武尊からは話がそれるが、実は津市と桜井市の歴史的な縁は深い。江戸時代に津藩の領地が市域の大きな割合を占めていたからだ。津藩の交通政策によって伊勢・伊賀・大和三国を結ぶ道路の整備が行われている。初瀬街道から生まれた国道165号。私のこの旅もある意味、過去から結ばれた縁に従った必然と言えるかもしれない。
本筋に話を戻そう。現在地は国道165号の桜井市慈恩寺付近。目的地と定めた桜井駅まで2・5㎞。何事も無ければ、あっという間に辿り着いてしまうので、いささか物足りない感じはする。逡巡していると、道路標識には「大神神社」の表記。「おおみわじんじゃ」の名の通り、額田王の歌「味酒 三輪の山 あをによし…」などでも有名な三輪山を御神体にした神社。三重県のアイデンティの一つになっている伊勢神宮とも関係が深い。桜井市は何かとご縁を感じることが多い土地であることを改めて実感する。
国道沿いではないが、スマートフォンの地図アプリで桜井駅からの距離を調べてみると徒歩圏内。「よし!ゴールの桜井駅から大神神社に寄っていこう」。心が決まると足取りが羽のように軽くなる。桜井駅に向かう国道沿いには、福岡県宗像市の「宗像大社」と同じく宗像三女神をまつる宗像神社や、国史跡の桜井茶臼山古墳など、歴史ロマンを掻き立てるスポットもある。
私はそれほど歴史に詳しいわけではないし、まして専門的な教育を受けたわけでもない。ただ、年を取ればとるほど、歴史に興味を持つ人たちの気持ちが理解できるようになった。
同じ景色を見ていても、歴史的な背景を理解しているかどうかで一度に手に入る情報量がまるで違うからだ。人の営みは、無数の点が連なって構成される線のようもの。その線を束ねた縄のような存在が歴史である。歳を重ね、自分に与えられた命が短くなればなるほど、情報収集の効率化が求められる。旅先で初めて目にした景色の中でさえ、縄を見出し、手繰ることが出来れば、多くの情報を手に入れることができる。若い頃に一度行った場所に歳を重ねてから訪れると見え方がまるで違う。よく若返りたいという話を聞くが、私は今よりも更に無知だった状態に戻ることが恐ろしい。死という全ての人に等しく約束された幕引きが近づくにつれ、生命を効率的に使う術が自然と身についていることに、神秘性を感じずにはいられない。
眼前に流れる見知らぬ街の見知らぬ景色を愛でながら進むと、ほどなく桜井駅のJR側に到着。今日の行程としては無事にゴールを迎えられたが、エキシビジョンマッチと銘打って、ここから北へ2㎞ほどの大神神社へ向かう。(本紙報道部長・麻生純矢)

本堂へと続く長谷寺の登廊

本堂へと続く長谷寺の登廊

長谷寺の拝観時間には滑り込みセーフ。拝観料を支払った後に深呼吸。乱れた息を整えて、国の重要文化財にも指定されれている仁王門をくぐる。ここは真言宗豊山派の総本山で、門にかかっている長谷寺の額字は、戦国時代がお好きな方にはおなじみの後陽成天皇の筆によるもの。門から延びる屋根付きの階段である登廊も重要文化財。本堂へと続く長い階段を一歩登る度に悠久の時を遡っていくような感覚を覚える。普段であれば観光客の姿も絶えないこの寺も時節柄と拝観時間終了間際ということもあり人影はない。特に登廊に沿って牡丹の花が咲き乱れる時期には、多くの人で賑わうだけに、これだけ静かな長谷寺は、とても贅沢に感じる。これも仏のお導きなのかもしれない。
399段もある長い長い階段を登りきると、眼前にはそびえ立つ大伽藍。国宝の本堂である。清水寺と同じく切り立った崖に建てられており、舞台からは周囲の山々を望む美しい風景と寺の全貌が一望できる。これだけでも、ここまで急いできた甲斐があるというもの。人生は不思議と帳尻が合うように出来ているのだと、先ほどとは打って変わり、不信心極まりない考えが頭をよ

そびえたつ長谷寺の本堂

そびえたつ長谷寺の本堂

ぎる。
堂宇の中に入ると、私のような生来の横着者であっても、厳かな空気に触れると無意識のうちに背筋を伸ばし、姿勢を正してしまう。拝所から高さ12mを超える日本最大級の観音像である本尊・十一面観世音菩薩立像に向かって手を合わせる。いつも神仏の前に立つ時は、感謝をささげるのみ。人の命はとても儚い。今この瞬間、ここに生きているだけで、とてもありがたい。齢40を超えてつくづく思うが、今自分が幸せかどうかは客観的指標ではなく、己の認知のみで決まる。何不自由ない恵まれた環境で過ごしていても自分が不幸だと思えば不幸。逆に恵まれない境遇にあっても自分が幸せと思えば幸せなのだ。つまり、自分の手の中にあるはずの幸せに気付けるかどうかが大切ということ。寺社仏閣で心を落ち着けて祈るだけの健康状態があれば、それ以上、何を望むことがあろうか。
参拝を終えた私は心洗われる気持ちで長谷寺を後にする。ただ私には、まだ重要な使命が残されている。それは我が家の平和を守るために必要な供物、つまり妻への土産を用意することである。うっかり忘れて帰宅しようものならば、立場が危うい。
門前にちょうど良い塩梅の土産物屋を見つけたので中に入ると、おあつらえ向きとばかりにショーケースの中にプリンが並んでいる。接客してくれた見目麗しい御婦人に全種類を箱に詰めてくれるようにお願いする。どこから来たのかと尋ねられたので、近鉄榛原駅から歩いてきた旨をつげると、彼女は驚きの表情を浮かべる。冷静に考えると、そんなことをわざわざするのは、相当の物好きだけで

あろう。
夕暮れが迫り、門前町に並ぶ土産物屋はどこも店じまいを始めている。無事に目的地にたどり着いた達成感と、妻の機嫌を損ねずに済んだ安堵感で私の心は満たされている。プリンの入ったずっしり重い袋を手にした私は、のんびりと家路についた。(本紙報道部長・麻生純矢)

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