国道165号を遡る
八尾市内を北西に進むと近畿自動車道の亀井跨線橋。この区間は天理吹田線という名称で、その名の通り奈良県天理市と大阪府吹田市を結んでいる。この道を北に行けば、以前に踏破した国道163号にも繋がっている。二つの旅が交差する地点を前にすると心が踊る。
この跨線橋をくぐると、いよいよ大阪市平野区に入る。ゴールは確実に近づいている。平野区は大阪市の中央に位置し、最も人口が多い区。この区に足を踏み入れるのは初めてだが、以前から不思議なご縁を感じている場所でもある。
ご存じの方もいると思うが、私は新聞記者をしながら、結婚相談所のアドバイザーもしている。よくどちらが本業かを尋ねられるが、どちらも本業である。そして、街で起こっている問題を分析し、解決方法を提案していく新聞記者の仕事と、一人ひとり異なる条件や悩みへの解決方法を提案していく婚活アドバイザーの仕事の内容は非常に似ている。この区とのご縁は、結婚相談所の仕事を通じて生まれた。
話は1年以上前に遡るが私がサポートした津市の男性は、この区で暮らす女性とお見合いすることになった。といっても、その時期は政府の緊急事態宣言などが出されていたため、県境を越える移動が難しく、オンラインでのお見合いに。画面を通じての会話だったが二人は意気投合し、交際が始まった。その後もコロナ禍が立ちはだかり、直接会えない日々が続いたがが、二人は創意と工夫を凝らして逆境を楽しんですらいるようにも見えた。毎週、ビデオ通話をして仲を深めるなんてのは序の口。それぞれがカラオケボックスに行き、交互に歌ったり、それぞれが地元のお気に入りスポットの風景を中継するなど、ビデオ通話を駆使したオンライン交際の無限の可能性を示しているようにも感じられた。そんな交際が3カ月ほど続いた頃、緊急事態宣言が解除され、二人は直接会うこととなる。もちろん、すぐに愛を誓い合う仲となり、結婚にまで至った。二人からは「本当のご縁はコロナになんか負けない」という不変の真理を学ばせてもらった。
現在二人は津市で暮らしているが、自分の足でここまで歩いてきたからこそ、改めて感じるのは、一人で見知らぬ土地に嫁ぐ覚悟を決めた女性の男性に対する愛情の深さである。それに伴い、私も心の底から、彼女に対する感謝の気持ちが湧いてくる。平野区に入ってすぐのコンビニで一休みしながら、彼にスマホからLINEでメッセージをするとすぐに返信がある。今も仲良く二人で元気で暮していること、コロナ禍で先延ばしになっていた結婚式を近日行うということなどが綴られている。メッセージに目を通した私の胸中は温かい気持ちで満たされている。
国道165号の終点がある津市で生まれ育った彼と始点の近くで生まれ育った彼女が出会い、深く結ばれるこの物語。いや、出会う前から実は二人は国道という赤い糸で結ばれていたのだろう。そんな二人の出会いに、このような連載をしている私が関われたことに不思議なご縁を感じずにはいられない。
こみあげる思いを抑えながら、私は再び国道を溯る。しばらく歩くと、国道は片側2車線に広がり、隙間なく建物が密集した風景は都会そのもの。柏原市から25号と重複する区間が続いているが、この25号の三重県を走る区間の一部(伊賀市と亀山市の間)は、道幅が狭いいわゆる〝酷道〟として有名。バイパスに当たる名阪国道が平行して走っており、交通量が少ない本道の整備を必要最小限に抑えた結果である。しかし、この立派な道が、いずれ、あれほど〝頼りない〟道になるとは、この辺りに暮らす人たちには信じられないことだろう。同じ国道の名前を耳にしても、生活する区間によって、抱くイメージがまるで違うのは面白い。(本紙報道部長・麻生純矢)
2022年8月11日 AM 4:55
国道165号の八尾市内を順調に進む。人口の多いエリアなので歩道が途切れる心配もなく、安心して歩き続けることができるのが嬉しい。しばらく進むと国道沿いに高さ1・5m程の石柱に囲まれたただならぬ雰囲気の場所が現れる。近づくと石柱には神社の名前が刻まれており、その中には著名な神社も含まれている。土地の奥には一つの小さな墓石が建っている。そう、ここは日本古代史に燦然と輝くとある人物の墓である。その名は物部守屋。
物部氏は元々、鉄器や兵器を扱っており、やがて軍事を司る有力氏族に成長。ヤマト王権の要職・大連を占めており、守屋も権勢を振るった人物である。
守屋がなぜ有名かというと、日本の歴史上、最も人気のある人物と敵対し、破れたからである。その人物とは、皆さんご存じの聖徳太子(厩戸皇子)。没後1400年を迎えた現在、彼がどのような功績を残したか知らない人にすらも親しまれる日本史のトップスターである。その対岸に居た守屋は自ずと敵役というポジションで認知されがちな人物なのだ。
もちろん、実際は勧善懲悪の物語ではない。守屋は、当時大陸より伝わってきた仏教を広めることに強く反対しており、ライバルの大臣・蘇我馬子と対立。二人は用明天皇の後継者問題で争うこととなり、それが587年に発生した丁未の乱へと発展した。
この八尾で両軍は激突し、用明天皇の第二皇子である聖徳太子も当時13歳だったが馬子陣営で参戦。そして、激戦の末に、守屋は敗死した。
その結果、仏教が広く信仰されることとなり、仏教を保護した聖徳太子自身も後の世で信仰を集めることとなる。今に至る絶大な人気はこの戦いの勝利によるところが大きいともいえるだろう。この戦勝を祝して建てられたのが近くにある大聖勝軍寺。以前紹介した「上の太子」こと叡福寺(太子町)や、「中の太子」こと野中寺(羽曳野市)と共に「下の太子」と呼ばれ、信仰を集めている。
戦争は互いが主張する正義のぶつかりで、歴史は勝利した側によって綴られていく。私たちが知る歴史は勝ち組の主張ともいえるだろう。丁未の乱の本質も、守屋と馬子の権力闘争に他ならない。敗北した守屋は逆賊の汚名を背負い聖徳太子に破れる〝悪役〟として語り継がれた。しかし、諸行無常とはよく言ったものである。馬子の息子・入鹿は乙巳の変で天智天皇に暗殺される。更に天智天皇の死後、その肉親によって繰り広げられた壬申の乱…と日本の古代史は正義の名のもとに血の華が咲き乱れた。
守屋の墓石に話を戻そう。逆賊として語り継がれてきた彼が、これほど多くの神社の支持を集めているのは、明治時代に進められた神仏分離と、廃仏毀釈の影響が大きい。それまでは、神道と仏教が融合した神仏習合による信仰が浸透していたが、明治政府によって神道と仏教の分離政策が行われ、やがて寺院の打ちこわしなど過激な廃仏毀釈運動にまで発展した。そういった時代の流れの中で廃仏派の守屋は、神道の守り手と解釈されることになったのであろう。ただし近年、物部氏の遺構からは仏教関係の出土品が発見されていることからも、丁未の乱が仏教の是非を巡る単純な争いではなかったとする説も浮上している。
正義という概念は人の数だけ存在するだけでなく、時の権力者にとって都合よく改竄される酷く虚ろな指標である。死後も虚飾の正義に翻弄され続けてきた守屋当人は「もう好きにやってくれ」と皮肉たっぷりに語りそうな気がする。
一通り思いを巡らせた後、守屋の墓に向かって軽く頭を下げた私は再び国道を歩き出す。(本紙報道部長・麻生純矢)
2022年7月28日 AM 4:55
スタートから雨の中を歩き続けているにも関わらず、私の気分は軽い。理由は簡単。この雨が、この季節にしか出会えない春雨だからである。人間は認知の生き物なので、普段は憂鬱に感じる雨も、ひとたび特別な存在であると認知してしまえば、愛しくさえ思えてしまう。少し乱暴な言い方をするが、どんな状況であっても、自分自身が幸せだと感じれば幸せになれるし、不幸だと思えば不幸になる。身の回りに潜んでいる幸せを見つけるヒントとなるのが知識であり、教養である。「学校で習うことなんて社会に出たら役に立たない」と口にする人もいるが、それは余りに狭い考え方だと思う。学校で習う知識は、私たちが暮らすこの世界を様々な角度から細かく分解するツール。それを使って幸せを見つける指標が教養である。国語であれば、言葉を介したコミュニケーションだけでなく、今回のように、いま目の前で起こっている自然現象の名前も学べる。数学や理科であればその事象が発生するメカニズムを論理的に学べる。他の科目も同様である。春雨は食べ物の名前だと思っていたが、俳句と短歌を学ぶ際に季語としてその意味を知った。そのおかげでいま、この雨を楽しめている。幸せの本質とは物質的な豊かさの総量ではなく、なにげない瞬間に散りばめられた喜びに気づくことにある。
歩き始めて1時間半。柏原市と八尾市の市境に差し掛かる。大阪市の東に位置する八尾市は、約42㎢の市域に約26万人が暮らす中核市。面積にすると、津市の約17分の1だが人口は津市より1万人少ないだけである。国道沿いの建物の建ぺい率の高さが人口密度の高さを物語っている。
八尾市に来るのは初めてだが、戦国最後の大戦である大坂夏の陣の激戦・八尾の戦いが行われた地であることは知っている。その戦いは津と浅からぬ因縁がある。というのも津藩祖・藤堂高虎公が大坂方の有力者・長宗我部盛親と死闘を繰り広げ、一族や重臣を含む家臣を大勢失った苦い記憶が残るからだ。皆さんご存じの京都にある南禅寺の三門は、この戦いで散った家臣の菩提を弔うために高虎公が晩年に再建したものである。津市で生まれ育った方に、この話をすると驚かれることも珍しくない。三門の楼上には、高虎公の木像や戦死した家臣たちの位牌などが安置されている。あの三門の威容からは、大切な家臣たちを失った高虎公の悲しみの大きさも窺い知れる。
先ほど知識や教養についての所感をお話したが、わずかばかりの教養があるだけでも、一瞬にして、現在地である八尾と地元の津、本来は全く関係ないはずの京都の三点が結ばれる。すると、旅先の景色がより魅力的に映る。幸せの見つけ方も、これと全く同じで、目の前どころか、手のひらの中にもうあるのかもしれない幸せに気付くために、私たちは様々なことを学ぶのだ。それが唯一無二の幸せを得る方法だと確信する。(本紙報道部長・麻生純矢)
2022年6月23日 AM 4:55