国道165号を遡る

大神神社の標識(奈良県桜井市慈恩寺)

大神神社の標識(奈良県桜井市慈恩寺)

この日のゴールの桜井駅

この日のゴールの桜井駅

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和し美し。
古事記に収められた日本武尊の有名な歌。舞台は、この奈良県桜井市である。私は彼が最期を迎えたという能褒野(現在の亀山市)からほど近い場所で生まれ育ったので、日本武尊はとても馴染み深い存在。幼少期、幾度となく彼の英雄譚に想いを馳せ、大学の卒業論文のテーマにもした。そもそも三重という県名も彼に由来している。
日本武尊からは話がそれるが、実は津市と桜井市の歴史的な縁は深い。江戸時代に津藩の領地が市域の大きな割合を占めていたからだ。津藩の交通政策によって伊勢・伊賀・大和三国を結ぶ道路の整備が行われている。初瀬街道から生まれた国道165号。私のこの旅もある意味、過去から結ばれた縁に従った必然と言えるかもしれない。
本筋に話を戻そう。現在地は国道165号の桜井市慈恩寺付近。目的地と定めた桜井駅まで2・5㎞。何事も無ければ、あっという間に辿り着いてしまうので、いささか物足りない感じはする。逡巡していると、道路標識には「大神神社」の表記。「おおみわじんじゃ」の名の通り、額田王の歌「味酒 三輪の山 あをによし…」などでも有名な三輪山を御神体にした神社。三重県のアイデンティの一つになっている伊勢神宮とも関係が深い。桜井市は何かとご縁を感じることが多い土地であることを改めて実感する。
国道沿いではないが、スマートフォンの地図アプリで桜井駅からの距離を調べてみると徒歩圏内。「よし!ゴールの桜井駅から大神神社に寄っていこう」。心が決まると足取りが羽のように軽くなる。桜井駅に向かう国道沿いには、福岡県宗像市の「宗像大社」と同じく宗像三女神をまつる宗像神社や、国史跡の桜井茶臼山古墳など、歴史ロマンを掻き立てるスポットもある。
私はそれほど歴史に詳しいわけではないし、まして専門的な教育を受けたわけでもない。ただ、年を取ればとるほど、歴史に興味を持つ人たちの気持ちが理解できるようになった。
同じ景色を見ていても、歴史的な背景を理解しているかどうかで一度に手に入る情報量がまるで違うからだ。人の営みは、無数の点が連なって構成される線のようもの。その線を束ねた縄のような存在が歴史である。歳を重ね、自分に与えられた命が短くなればなるほど、情報収集の効率化が求められる。旅先で初めて目にした景色の中でさえ、縄を見出し、手繰ることが出来れば、多くの情報を手に入れることができる。若い頃に一度行った場所に歳を重ねてから訪れると見え方がまるで違う。よく若返りたいという話を聞くが、私は今よりも更に無知だった状態に戻ることが恐ろしい。死という全ての人に等しく約束された幕引きが近づくにつれ、生命を効率的に使う術が自然と身についていることに、神秘性を感じずにはいられない。
眼前に流れる見知らぬ街の見知らぬ景色を愛でながら進むと、ほどなく桜井駅のJR側に到着。今日の行程としては無事にゴールを迎えられたが、エキシビジョンマッチと銘打って、ここから北へ2㎞ほどの大神神社へ向かう。(本紙報道部長・麻生純矢)

本堂へと続く長谷寺の登廊

本堂へと続く長谷寺の登廊

長谷寺の拝観時間には滑り込みセーフ。拝観料を支払った後に深呼吸。乱れた息を整えて、国の重要文化財にも指定されれている仁王門をくぐる。ここは真言宗豊山派の総本山で、門にかかっている長谷寺の額字は、戦国時代がお好きな方にはおなじみの後陽成天皇の筆によるもの。門から延びる屋根付きの階段である登廊も重要文化財。本堂へと続く長い階段を一歩登る度に悠久の時を遡っていくような感覚を覚える。普段であれば観光客の姿も絶えないこの寺も時節柄と拝観時間終了間際ということもあり人影はない。特に登廊に沿って牡丹の花が咲き乱れる時期には、多くの人で賑わうだけに、これだけ静かな長谷寺は、とても贅沢に感じる。これも仏のお導きなのかもしれない。
399段もある長い長い階段を登りきると、眼前にはそびえ立つ大伽藍。国宝の本堂である。清水寺と同じく切り立った崖に建てられており、舞台からは周囲の山々を望む美しい風景と寺の全貌が一望できる。これだけでも、ここまで急いできた甲斐があるというもの。人生は不思議と帳尻が合うように出来ているのだと、先ほどとは打って変わり、不信心極まりない考えが頭をよ

そびえたつ長谷寺の本堂

そびえたつ長谷寺の本堂

ぎる。
堂宇の中に入ると、私のような生来の横着者であっても、厳かな空気に触れると無意識のうちに背筋を伸ばし、姿勢を正してしまう。拝所から高さ12mを超える日本最大級の観音像である本尊・十一面観世音菩薩立像に向かって手を合わせる。いつも神仏の前に立つ時は、感謝をささげるのみ。人の命はとても儚い。今この瞬間、ここに生きているだけで、とてもありがたい。齢40を超えてつくづく思うが、今自分が幸せかどうかは客観的指標ではなく、己の認知のみで決まる。何不自由ない恵まれた環境で過ごしていても自分が不幸だと思えば不幸。逆に恵まれない境遇にあっても自分が幸せと思えば幸せなのだ。つまり、自分の手の中にあるはずの幸せに気付けるかどうかが大切ということ。寺社仏閣で心を落ち着けて祈るだけの健康状態があれば、それ以上、何を望むことがあろうか。
参拝を終えた私は心洗われる気持ちで長谷寺を後にする。ただ私には、まだ重要な使命が残されている。それは我が家の平和を守るために必要な供物、つまり妻への土産を用意することである。うっかり忘れて帰宅しようものならば、立場が危うい。
門前にちょうど良い塩梅の土産物屋を見つけたので中に入ると、おあつらえ向きとばかりにショーケースの中にプリンが並んでいる。接客してくれた見目麗しい御婦人に全種類を箱に詰めてくれるようにお願いする。どこから来たのかと尋ねられたので、近鉄榛原駅から歩いてきた旨をつげると、彼女は驚きの表情を浮かべる。冷静に考えると、そんなことをわざわざするのは、相当の物好きだけで

あろう。
夕暮れが迫り、門前町に並ぶ土産物屋はどこも店じまいを始めている。無事に目的地にたどり着いた達成感と、妻の機嫌を損ねずに済んだ安堵感で私の心は満たされている。プリンの入ったずっしり重い袋を手にした私は、のんびりと家路についた。(本紙報道部長・麻生純矢)

国道165号沿いの風景(奈良県桜井市吉隠)

国道165号沿いの風景(奈良県桜井市吉隠)

美しく整備された棚田(奈良県桜井市吉隠)

美しく整備された棚田(奈良県桜井市吉隠)

奈良県桜井市吉隠(よなばり)。趣深く美しさを感じる地名で彩られたこの地は、大和国の最南端に当たる。国道165号のルーツである大和と伊勢を結ぶ伊勢街道(初瀬街道)沿いにあったため、江戸時代には長谷寺へ参詣する人やお伊勢参りへ行く人の往来でも賑わっていた。更に時代を遡ると都からほど近いこともあり、695年に持統天皇も御幸した記載も日本書紀に残っている。地名の由来は一帯に広がる初瀬谷の奥まった(隠れた)ところにある良い(吉)場所という意味があるらしい。
万葉集には、この地を詠んだ歌が収められている。

降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに

現代語に訳すると、「雪よ、そんなに降らないで。吉隠の猪養の岡に眠る愛しい人が寒がるから」といったところだろうか。この歌を詠んだのは持統天皇の夫、天武天皇の息子である穂積皇子。歌に詠まれた彼の想い人は、同じく天武天皇の娘で異母妹である但馬皇女。そして、彼女は穂積皇子と自身の異母兄にあたる天武天皇の長子・高市皇子の妻であったとも言われている。持統天皇は彼らの母親ではない。ちなみに、彼女は夫の兄・天智天皇の娘で夫の死後に発生した後継者争いで自害することになった大津皇子は異母姉の息子にあたる。少し遡ると、壬申の乱で天武天皇に破れた大友皇子(弘文天皇)は持統天皇の異母弟である。かいつまんで説明しただけでも、登場人物たちの余りに濃密な血縁関係がお分かり頂けるだろう。
血を分けた者同士が文字通り血で血を洗う争いを繰り広げた時代。背徳の香りは漂うものの、亡き想い人への純粋な愛が込められたこの歌の存在が際立つように思う。猪養の岡と推定される場所は国道のすぐ北にある吉隠公民館付近で、この歌を刻んだ碑も建てられている。旅路が美しい物語に彩られていく。
また、吉隠は棚田も有名で、奈良県景観遺産に登録されている。地元住民によるプロジェクト会議のメンバーが休耕田を解消するために、棚田で取れる米を「吉隠米」としてブランド化している。国道沿いに広がる棚田は空の状態だが、心血を注いで手入していることが一目でわかる。万葉集に詠まれた景色は今も損なわれること無く美しさをたたえている。
スマートフォンで時間を確認すると、16時10分。目的地の長谷寺は、もう目と鼻の先とはいえ、冬季拝観の受付時間リミットの16時半までわずかしか時間が残されていない。だが、何度もお伝えしている通り、国道には危険がいっぱい。歩道も途切れがちで、片側しかない場所も多い。出来るだけ安全を確保するために、対向車線沿いの歩道に向かって、横断歩道のない場所を渡らなければならないこともある。ここで無理して事故をしては目も当てられない。こんな時こそ、焦らず、御仏のお導きを信じることにしよう。もし間に合わなくても改めて訪れれば良いだけ。
なんとか長谷寺の門前町にたどり着いたが、16時半まで残り数分…。
ちょうど紙幅が尽きたので、私が拝観時間に間に合ったかどうかは次回に譲ることとしよう。(本紙報道部長・麻生純矢)

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