津ぅるどふるさと

「柳谷の貝石山」

国道165号から見上げる青山高原

 2月4日の11時頃、自転車の旅5日目。津市美里町穴倉から出発。前回は長谷山が中心だったため、美里町内を散策していく。
 この日の最終目的地は長野峠。県道28号をまっすぐ南下して美里総合支所下の交差点から国道163号を伊賀方面へと西進する。
 伊賀街道をルーツとするこの道はトラックなど大型車の交通量も多い。自転車は片側1車線の車道上を走るので、いつも以上に気を引き締めなければと思う。
 少し進むと「柳谷の貝石山」と書かれた看板が見えた。前を走るM君は、よほど気になるらしく看板の指し示す方向へと振り返ることなく走っていく。仕方なく私もその後を追う。
 脇道から2、3分ほど進んだ集落の奥にある貝石山は、三重県指定の天然記念物。せり出した岩の下には古い地層がむき出しになっている。この地層は一志郡層と呼ばれ、約2000万年前の新生代第3期のもので、海底に堆積した地層が隆起して今の姿になったらしい。アカガイ・ホタテ・カキなど、海に生息する貝類の化石が見つかっている。こんな山里で貝の化石なんて、なんとなくメカニズムを理解しているつもりでも、自然の神秘を感じずにはいられない。
 自転車を停め、地層を眺めながら、のんびりそんなことを考えていると横から「そう簡単には見つからないか」などと軽い舌打ちまじりの声が聞こえる。そちらに目をやるとМ君がまるで少年のように瞳を光らせながら地層の前を何度も行ったり来たりして、化石を探している。どうやら本気のようである。
 結局、化石は見つからずM君は少し残念そうな様子だったが再び、国道163号に出て長野峠をめざす。峠が近づくにつれて少しずつ、青山高原にそびえる風力発電施設の姿が大きくなってくる。
 無数の巨大風車を初めて目にしたM君は興味津々の様子。「今日はあそこまで登るのか?」と訪ねてくるが「いずれ、ね」と含みを持たせた言い方で返す。密かに思い描いている企画はあるがまだ明かさない。
 その後、北長野、平木の集落や、三重交通のバス車庫を右手に見る形で自転車を進める。坂道はきつくなるばかりだが「今日こそは登りきる」と心の中で強く念じながら、ギアを目一杯軽くし、必死にペダルを回し続けた。(本紙報道部長・麻生純矢)

辰水神社のジャンボ干支「午」

美里町家所の集落から望む長谷山

 1月29日14時、前回から約2カ月ぶりとなる自転車旅。4日目は前回寄った安濃町草生の「比佐豆知菅原神社」付近よりスタート。
 これほどまでに日時が開いてしまった理由は単純。日程調整が上手くいかなかったからだ。当たり前のことながら、私とM君が丸一日ないし、半日を自由に動ける日であることに加え、天候の問題もあり、調整の難しさを今更ながらに思い知らされている。
 さて、言い訳じみた話はここまでにして、話を本題に戻そう。いつものごとく自転車を車から降ろして出発。県道28号亀山白山線を西へ進むと、間もなく美里町。同町船山から高座原に向うが、山道特有の上り坂と下り坂の繰り返し。走り始めこそ少し苦しかったが、透んだ空気と山間の景色の美しさも手伝い、すぐに楽しさが勝ってくる。
 同線を途中で東に曲がり穴倉からグリーンロードを横切る。少し進むと家所の辰水神社に到着。神社前に設置してあった『午』のジャンボ干支が出迎えてくれる。この干支は地元の有志による「ふるさと愛好会」の皆さんが毎年つくっているもの。今回で29回目ということもあり、鮮やかな手つきで発泡スチロールを形成していく制作現場の様子には、思わずほれぼれしてしまう。この干支の人気もあって、小さな神社にも関わらず、毎年正月には多くの初詣客で賑わっている。
 この日、この場所に立ち寄ったのは、個人的な理由もあった。それは先日、不幸な事故で帰らぬ人となった20年来の親友の遺影に使われた写真がここで撮られたものだったからだ。この正月に奥さんと、ここに初詣にきて、ジャンボ干支を背に映る彼は本当に幸せそうな笑顔を浮かべていた。彼とM君とは私を通じて、たまに会う程度で、それほど親しい間柄ではなかったが、突然の別れにかなりのショックを受けていた。
 ジャンボ干支の下をくぐり、社殿まで続く長い階段を一段登るたびに、様々な思いがこみあげてくる。ほんの些細な出来事や、なにげない会話の一つひとつがこんな形で〝思い出〟に変わるなんて、思いもよらなかった。神前に立つと、二拝二拍手一拝の作法に従い、友の冥福を祈る。葬儀から日が経つにすれ、徐々に気持ちは落ち着いてきたものの、心の奥底に澱のように積もった悲しみは多分、消えることはない。沈んだ表情の私の隣でM君は「きっと向こうは凄くいい所なんやで。今まで誰も帰ってきた人はいないし、うちの親父も便りのひとつもよこさないからな」とつぶやく。私は無言でうなずき、静かに参道を引き返す。
 今日を楽しく、そして大切に生きる。それが遺された私たちにできる最大の弔いだと思う。私は精一杯の笑顔をつくり、自転車にまたがると、勢いよく家所の集落の中を駆け抜ける。少し進んだ辺りで「次はどこへいくの?」と後ろからM君の声。私は振り返ると、東に見える山を指さしながら「あの電波塔があるあたり」と応える。そうこの日の目的地は長谷山だ。(本紙報道部長・麻生純矢)

草生天神こと「比佐豆知菅原神社」

 阿由多神社からは安濃川にかかる明合橋を渡り、明合小学校の脇の坂道からグリーンロードへ戻る。
 冬の田園地帯を走っていると走り始めは強風が吹き抜ける度に思わず、身をすくめてしまうほどだが、ペダルを回すごとに体が温まり段々、心地良くなってくる。この日は少し厚手の上着を羽織っていたので動きづらい。そろそろまともなサイクルウェアの購入を検討すべきかもしれない。
 私たちの乗っているスポーツタイプの自転車といわゆる一般的なママチャリのなにが違うのか。一言でいうならば、ペダルから伝わるエネルギーを推進力に変える効率がとても良いということだろう。車体重量は20㎏を越えるママチャリと比較すると半分以下で、各部のパーツはかっちりと組み上げられつつも軽快に動作する。初めて乗った時は一漕ぎしただけで、これほど進むのかと感動したものだ。しかし、それが最大限生かされるのは、〝エンジン〟の性能があってのこと。しばらくはチューンアップと同時に、ボディの軽量化も課題となる。なんとも悩ましい話だ。
 明合からグリーンロードを西に横断し、野口の野菜茶業研究所の脇を抜ける形で再び草生方面へ向かう。余談だが、昔この研究所に勤めていた友人の父はトマト栽培の権威で健康系のテレビ番組にも出演されていたそうだ。愛知県在住のその友人とは私が大学生の頃に知り合い、今でも仲が良い。私がこの仕事に就いてから、彼の父のことや、彼が小学生の夏休みなどに安濃町で過ごしたことを初めて驚いた。その後、彼の父を直接知る人と出会い、話を聞く機会に恵まれた。私は直接会ったことはないが友人が語る茶目っ気たっぷりの人物像とぴったり重なり、思わず笑ってしまった。その際、「しばらくお会いしてないけど、先生はお元気なの?」と聞かれたことを友人に伝えると「親父も懐かしいって喜んでた」と後日連絡があった。距離と時間を越えたささやかなる邂逅のきっかけをつくれた嬉しさと共に、人と人とは偶然のような必然で結ばれているのだと強く感じたことを思い出す。
 県道28号から、足の赴くままに任せ、草生天神の通称で親しまれる「比佐豆知菅原神社」へ。集落から、神社に向かう上り坂は今までで間違いなく、一番きつい。M君と私はほぼ同時にギブアップし、自転車から降りる。情けないが膝が少し笑っている。
 しばらく坂道を上ると、ようやく神社に到着。ここは菅原道真公を祀っている由緒ある神社で、学問の神ということもあり、境内には津市内だけでなく様々なところから合格を祈念する絵馬が沢山奉納されている。それぞれ書き手の個性が出ており、眺めるだけで楽しい。簡単にお参りを済ませると、神社を後にする。
 その後は、当てもなく連部・妙法寺・今徳の辺りをぐるりと回りながら、目についた寺院や史跡を散策。すると時間は16時前に。
 日没までに、この日の終点の安濃中央総合公園に戻らなければならないが、その前に隣の明合古墳に立ち寄る。全国でも大きさは上位に入る古墳の上に立ち、傾き始めた太陽を眺めながら次回の道程をシミュレート。「まだまだ先は長い。のんびりいこう」と心の中で思いつつ。(本紙報道部長・麻生純矢)

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