津ぅるどふるさと
忍田橋から県道42号に戻り、少し坂を登ると長徳寺に到着。向かいの駐車場に自転車を置き、山門をくぐる。この寺には河内渓谷に住んでいた龍が天に帰る際に残したといわれる『龍の鱗』が伝わっている。
お寺のご婦人方から温かい飲み物のおもてなしを受け、М君と本堂の軒下に並んで腰を掛ける。飲み物を一口すするごとに冷えた体が温まるのを実感する。
眼前には県指定の天然記念物「龍王桜」。鱗と共に龍が残したとされる桜の種がこの木になったといわれている。高さは約3mと大きくはないが、幾重に分かれた枝の一本一本から強い生命力を感じる。
お礼を言い、寺を後にすると、再び自転車で勢い良く渓谷を下り、ふもとの雲林院の集落から椋本の大椋まで一気に走り抜ける。
樹齢1500年以上と言われるこの木は国の天然記念物で幹周約8m、高さ約18mと迫力満点。大樹を見上げながら、二人でパンを頬張り「2日目はどう?」「悪くないね」などと他愛のない会話を交わす。悠久の時を生きるこの木はこんな人々の日常を温かく見守ってきたのであろう。
続いて、宿場町の面影を残す椋本宿を軽く一周すると時間は、14時前。どうしても外せない予定があったので早めに切り上げて、安濃ダム方面へ戻ることに。
その途中、日本武尊の父である景行天皇の時代に創建されたという雲林院の美濃夜神社に立ち寄ると錫杖ウォークのスタッフと思しきご年配の方々に声を掛けられ、世間話をしながらこの神社について色々と教えて頂く。こういうふれあいも自転車旅の楽しみのひとつだ。
この後、雲林院の集落を抜け、ダムが近づくにつれて坂道は、斜度を増していく。軽めのギアで必死にペダルを回すがどんどん足が重くなる。さすがに苦しそうなM君と、励まし合いながらなんとか足をつくことなく、錫杖湖水荘付近まで登り切ることに成功。自転車初心者の私たちにはちょっとした快挙だ。
少し話は変わるが、安濃ダムに向かうこの道はロケーションも良くサイクリングだけでなく、ドライブやツーリングで訪れる人も多い。そのため、スピードを出している車やバイクも多く、一概には自転車が安心して走れる道とも言い切れないところがある。
実際、この日もダム手前にあるトンネル内部の出口付近で無理に私たちを追い越そうとした乗用車が対向車とあわや正面衝突という場面に遭遇。しっかり交通ルールを守っていたつもりだが、トンネル内を走る私たちの速度にしびれを切らしての行動だろう。サイクリストとドライバーのトラブルが絶えない理由の一端を垣間見る出来事だった。ささやかな達成感と共にやりきれないものを感じつつ、2日目の行程を終えた。(本紙報道部長・麻生純矢)
2013年12月31日 AM 4:50
11月17日朝、私の車のルーフに取り付けたサイクルキャリアに2台の自転車を積み込み、前回の終了地点である津市芸濃町河内の安濃ダム近辺に向けて出発。本来は前日の予定だったが、М君の母が急病で入院することになり中止。幸いにも軽症だったので心置きなく、自転車旅に出かけられた。
県道42号に沿って安濃ダム方面へ向かうと、この日は「芸濃名所めぐり錫杖ウォーク」が開かれていたため、普段は歩行者を余り見かけないこの道のあちこちで人の姿を見かける。
錫杖湖水荘近くのふれあい公園で自転車を降ろした私たちは、川の流れを遡る形で成覚寺へ向かう。この寺は、平清盛の孫で屋島の戦いに敗れ、那智沖で入水したとされる平維盛が河内まで落ち延びており、維盛の死後にその念持仏を本尊として開かれた清運寺が起源とされている。維盛は平家一門きっての美丈夫で大変人気のある武将。そのため全国各地に彼が落ち延びたと伝わる地が点在する。
錫杖湖水荘より上は、台風18号の際に愛知県の母子が亡くなるなど、大きな被害が出た場所。今も路面に残る土砂の形跡がその凄まじさの一端を伺わせる。記憶に新しいあの悲劇を思い出すと少し胸が痛くなる。
公園から5分ほどで成覚寺に着くと、ウォークの参加者たちと共に、芸濃ふるさとガイド会の方々の案内を受けながら境内を見学。本堂裏にある維盛の墓は寛政8年(1796年)の600回忌の際に建てられており、墓の横に植えられたナギの葉は平家一門が魔除けとして大切にしていたという。海運で栄えた平家の魔除けとは、この道中のお守りにぴったり。金運のご利益まであると聞き、すかさず財布に忍ばせる。
本堂の前でガイド会のFさんと顔を合わせると早速この連載を読んで頂いたそうで「今日も自転車で回っとるの?」と声をかけて頂く。本堂内でも丁寧な解説を受けながら維盛の姿を写した木像などを拝観し、歴史ロマンに思いをはせる。
寺を出た後は錫杖湖水荘で、芸濃特産のずいきが入った津ぎょうざで腹ごしらえ。元気が出たところで川下に向かって一気に坂道を下る。沿道の木々は赤や黄色に染まり、夏場の水不足が嘘のように豊かな水を湛えた湖面とのコントラストが美しい。県道42号を途中で折れ、同線と向かい合う形で川沿いを走る道を進み忍田橋へと至る。紅葉で有名な河内渓谷一帯でもここは特に人気のスポットで、昭和初期に架けられた小さなコンクリート橋を風に舞い散る紅葉が彩る様はまさに絶景。見頃を迎えていたこの日は、ウォーク参加者以外にも大勢の観光客が訪れており、私たちも橋のたもとに自転車を停めて様々な角度から、季節の美を愛でる。
ひとしきり満足すると、橋を渡り、再び42号線へ。次の目的地は、ほんの少し上に戻った場所にある長徳寺だ。(本紙報道部長・麻生純矢)
2013年11月28日 AM 4:55
亀山市に入った私とМ君は県道28号亀山白山線を芸濃町方面へ。津関線との合流地点から同線を関方面へ走る。しばらく進むと見える中ノ川を越え、すぐ左手側に広がる集落が最初の目的地である芸濃町楠原だ。
この集落は、長さ1㎞ほどの旧道沿いに伝統的な建築様式の民家が連なっており、津市内屈指の情緒溢れる町並みが残っている。芸濃町史によると、楠原は伊勢別街道沿いの宿場町として中世以来、栄えていたが、江戸時代になると次第ににぎわいは近隣の椋本宿へと移っていったとある。
一見すると、それぞれの建物が建てられた時期に開きがあるのは分かるが、共通して感じるのは先祖への深い敬意。優れた美術品や建築物は人々の〝思い〟を介することで時を越える。水や空気のようにごく自然な形で、集落に満たされた〝思い〟によって、この町並みが現存しているのだと実感する。
その素晴らしさに日頃スポーツジムで鍛えた健脚を見せ付けるように道中を先行してきたМ君も思わず、ペダルを漕ぐのをやめて立ち止まる。自然と2人のペースはゆるやかになり、時折振り返ったり、自転車を停めたりしながら、ゆっくりと風景を味わう。交通の妨げになる車ではなかなか出来ない自転車や徒歩の旅ならではの醍醐味である。
やがて、楠原の集落を抜けた2人は、再び津関線から、次の目的地の石山観音公園をめざす。ここは閑寂な山中にそびえたつ巨岩に刻まれた磨崖仏が立ち並ぶ芸濃町を代表する観光スポットの一つ。草創の詳細な時期などは不明だが、入口付近の「阿弥陀如来立像」は高さ5mの鎌倉時代の作で一群でも最大最古。付近の「地蔵菩薩立像」、「聖観音菩薩立像」と共に県指定文化財となっている。
自転車を停めて公園内へと入ると、すぐ地蔵菩薩立像の威容に圧倒される。その後、木々の隙間を縫うように走る順路に従って、西国三十三ケ所詣りにちなんだという33体の観音像を順に見ていく。
山頂から少し下ったところにある「馬の背」と呼ばれる岩山からの眺望は格別の美しさ。ここでふと、時計に目をやると針は16時過ぎを指している。午後からのスタートだったこともあり、日没まで余り時間がない。足早に入口まで戻ると公園から小山を隔てて南側に当たる忍田の集落を経由し、河内方面へと向かう。
ここからはきつい上り坂の連続で少々堪えるが、そんな私を尻目にМ君は軽やかに坂道を登っていく。私はあえなく途中で、自転車を押す羽目になったが、なんとか日没直前にゴール地点の安濃ダムへと到着。初回の成果はまずまずといったところで、М君もご満悦の様子。次回は日を改めてダム湖である錫杖湖周辺の散策から開始だ。(本紙報道部長・麻生純矢)
2013年11月21日 AM 4:55