津ぅるどふるさと

志登茂川のほとりで一休み

志登茂川のほとりで一休み

紳士と淑女の歓迎を受けながら河芸町へ

紳士と淑女の歓迎を受けながら河芸町へ

高田本山専修寺からはまっすぐ海側へ進んでいく。しばらく進むと、近鉄の高田本山駅。少し向こうの志登茂川のほとりで休憩をとる。ここは支流の横川との合流地点で、ここから川幅が広がる。青空に映える穏やかな水面。汗ばむ体を涼やかな川風が癒してくれる。今は静かに流れるこの川だが、40年前ほどの集中豪雨や10年ほど前の台風で大きな浸水被害を出したことでも知られる。自然の驚異の前では未だに人間は無力なのだと思い知るに足る事実といえる。
我々、日本人は古来より森羅万象に八百万の神が宿るとし、そのすべてに敬意と恐れを抱きながら生きてきた。科学全盛の時代に、そこに立ち戻れとはいわないが、絶対に過信は禁物だ。昔の人々と、程度の違いこそあれ、八方手を尽くした後は、ただ祈ることしかできないところなど、なにも変わっていないのだから。まして、現代に至るまで人が解き明かした自然の神秘など、ほんの一握りにすぎない。正しく知り、正しく恐れ、そして敬う。近年、様々な大災害を目の当たりにして以降、私が自然と接する際のスタンスだ。
そこから、国道23号に出て、すぐの場所にある逆川神社の境内で昼食休憩。その名の通り、神社のそばを流れる横川の支流・逆川にその名を由来しており、ちょうど旧伊勢街道と同線の間に挟まれた位置にある。鳥居をくぐり、拝殿の前に自転車を停め、リュックから取り出した携帯食料をほおばりながら、のんびりと体を休める。
その後、旧伊勢街道から国道23号を経て、河芸町方面に向かって走る。このまままっすぐ行けば河芸町だが、それでは面白くないと途中で、栗真小川町の団地の方面へ曲がる。団地の前を抜け、横川にかかる橋の前に差し掛かった時である。対岸のほとりにたたずむ素敵なスーツ姿の紳士と、こちらに手を振る淑女が見えたのだ。
防犯か防鳥用に設置された人形だと思うが、並んで椅子に座り、相合傘姿でたたずむ様子は、なんともほほえましい。私は、その脇を抜け目の前にある伊勢鉄道の線路をくぐる。ここからは、いよいよ市内10地域をめぐるこの旅の最後を飾る河芸町。自然と気合が入るというものだ。(本紙報道部長・麻生純矢)

三重富獄クラブ=宮木三郎会長=は9月3日(木)~6日(日)まで、津リージョンプラザ3階展示会場で「富士山写真展」を開催する。10時~17時(初日は13時~、最終日は15時まで)。後援=津市、津ライオンズクラブ、中日新聞。入場無料。
富士山の魅力にとりつかれ、撮り続けているメンバー(四日市、津、伊勢)21人の仲間達による写真展。毎年1回の発表会で今回で4回目。全紙サイズと全倍サイズの迫力ある70点あまりを発表する。
問い合わせは同クラブ☎津224・4397へ。

津市に入ったことを示す道路標識(国道306号)

津市に入ったことを示す道路標識(国道306号)

5月8日9時すぎ。快晴。湿り気のない風はさらりと心地良いが、額を伝う汗に移ろいゆく季節を感じる。今日は一人。鈴鹿市の自宅から、こぎ始めて一時間ほど。南下中の国道306号に、ようやく津市に入ったことを知らせる道路標識が見えてきた。
この道は、私の通勤ルート。もちろん、普段は車で走っているが、今まで寒さにかまけ、すっかり錆びついてしまった〝エンジン〟のメンテナンスを本編再開前にすべく約40㎞の道のりを走る。
自宅からは国道1号を西進。次いで国道306号、国道23号中勢バイパスというルート。この時間は、どこも通勤の車でひしめき合っているため、周囲に最大限の注意を払いながら車道の左側を走っていく。津市に入ってしばらく行くと、『道の駅津かわげ』の建設予定地である国道306号と中勢バイパスの合流地点に着く。    平成28年度の開駅に向けて様々な議論が重ねられているが、車はもちろん、自転車にとっても使い易い施設になれば嬉しい。伊勢神宮へと続くこの道。ニーズを掘り起こせば、間違いなく商機はある。
ただ、中勢バイパスは現状、自転車が安全に走り易い道とは言えない。車の平均速度も速く、極力左側に寄っていても、危険を感じる瞬間がある。実際に車と自転車の接触事故を見かけたこともある。
こういう現状を目の当たりにする度、ハード整備の必要性を感じてしまっていたが、最近ヨーロッパの自転車事情を綴ったレポート読んで考え方が変わった。パリやロンドンの道路では、自転車は出来る限り車道の中心もしくは左半分を走っており、日本のように隅っこで肩身の狭い思いをすることはないという。その理由は簡単で、車の走行速度が日本よりも遅く、自転車との速度差が少ないからだ。更に、道幅が狭く交通量の多い場所では制限速度を落とすなどの対策も行っているという。つまり、車と同じ車両である自転車に合わせた交通ルールを整備している訳だ。そうすることで、歩行者との接触事故と、車と自転車との接触事故の減少にもつながる。長い時間をかけて醸成されてきた文化の違いはあれど、巨額の投資が必要なハード整備がなくてもソフト次第でどうとでもなるという証拠だろう。
この仕事を始めてから10年以上、車でほぼ毎日走り続けてきたこの道だが、自転車で走った回数はほんの数回。スピードや目線が違うだけで、見飽きた景色にワクワクできるから不思議だ。この感覚をより多くの人々で共有することができれば、交通ルールも自然と変わっていくのではないかと思ってしまう。
ふと、自転車好きの知人が「自転車に乗る人が増えれば、石油の消費も抑えられて環境にも優しいし、運動不足も解消されるから、皆が健康になって医療費も抑制される。おまけにロードサイドの飲食店が腹ペコの自転車乗りで繁盛するから、地域も活性化するはず」と冗談交じりに話していたことを思い出す。それは極端すぎる例にしても、何らかの化学反応が起きる可能性は否定できない。
私はペダルを回しながら「確かにそうなれば、この中勢バイパス沿いの景色ももっと違ったものになるかもしれないな」と心の中で呟く。ちょうど、中勢北部サイエンスシティ付近に差しかかかった辺り。東丸之内の我が社までは、まだまだ距離がある。もうひと頑張りだ。(本紙報道部長・麻生純矢)

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