津ぅるどふるさと

「波氐神社」の社殿

「波氐神社」の社殿

 波瀬小学校の裏手にある波氐神社にも立ち寄る。参道は小学校の横から繋がっており、市道を挟んで城砦を思わせる立派な石垣の上に社殿がある。自転車の私たちは、砂利が敷き詰められた参道をぐるりと迂回する形で、境内へ入る。
 ここは、伝教大師・最澄が社殿に改修を加えたという記録が残る式内社。すぐ隣にある曹洞宗の古刹・安楽寺の境内を覗くと、盆踊り用のものと思われる櫓が組まれている。
 境内の木陰で、少し体を休め水分を補給するが猛烈に暑い。余りゆっくりしていると、体調を崩しかねないので、ペース

「波瀬川」のほとりにて

「波瀬川」のほとりにて

アップが必要だと判断。神社を出た私たちは県道43号を東進し、波瀬の集落を出る。
 ベビースターラーメンで有名なおやつカンパニーの伊関工場の前を通り過ぎ、波瀬川に沿って走っていく。この辺りは自動車のスピードが乗りやすい場所なので、周囲に気をつけながらペダルをこぎ、徐々に加速していく。お盆だけあって、平日の昼間にも関わらず、意外と交通量がある。
 名松線の踏切をこえて、レトロなコンクリート橋を渡り、県道15号と交わる手前辺りの波瀬川のほとりで休憩。今まで、ずっと脇を走ってきたこの川は台風が来るたびに増水し、流域住民に不安を与えている。そのため、市は川底の土砂を掘る浚渫工事を進めているが、市の発表によると、先日の台風では、従前より水位が低下。効果はそれなりに出たそうだ。それでも、この付近の水量は今とは比較にならないほどで、水位計を飲み込みそうな勢いだった。県内はいわずもがな全国で猛威を振るっている集中豪雨の被害を見ると、自然の脅威の前には、全能と錯覚を覚えてしまうほど豊かな生活を手に入れた我々がいかにちっぽけな存在であるかを思い出す。
 私たちは県道15号と交わる交差点を、少し回り道になるが高野団地方面へと進んでいく。とことめの里一志の下で、毎年栽培しているヒマワリが満開を迎えているのだが、台風の影響で多くが寝そべってしまっている。少し残念だが秋のコスモスや来年を楽しみにしよう。
 更に、坂を上り二人は団地の中に入る。この旅は、なにも名所・旧跡を回ることばかりが目的ではない。私は職業柄、津市内であれば、町名や簡単な説明さえ聞けば、大体どこへでもいける自信はあるが、一つだけ例外がある。それは団地の中だ。商店など、目印となる建物に乏しく、綺麗に整理された区画割が情報のインプットを阻害する。まして、周辺は住宅しかないので、普段通ることがなく、用もないのに車でウロウロするのは、心情的にはばかられる。自転車でのんびりと走れる今は好機なのだ。
 M君から見れば、なんてことのない団地の中を、名勝旧跡を歩く時より、嬉々とした表情で走る私の姿は少し異様に映っただろう。しかし、こういう未知を埋める過程が、私にとってのこの旅の意義でもある。(本紙報道部長・麻生純矢)

 8月5日14時過ぎ。私とM君は、美杉町下之川に居た。今日は、美杉町と一志町を結ぶ矢頭峠に挑む。
 降り注ぐ鋭い日差は容赦なく、私たちの身体を貫いていく。車の屋根から自転車を下ろすだけで、皮膚が焼ける。
 今日は新兵器のインカムを投入する。前後を走る自転車同士でコミュニケーションを取るのに、いつも不自由さを感じていたので思い切って購入。マニュアルを読みながら、なんとかセッティングを完了した。
 開始早々、額から汗を流しながら、矢頭峠へと続く坂道を登っていく。すると矢頭トンネルの工事現場が見える。このトンネルは、津市が下之川に建設を予定しているゴミの新最終処分場の建設計画に伴い、工事が進められている。これから走る峠道は、美杉町から一志町への最短ルートだが幅員が狭く車で走るには適しているとは言い難い。そのため、このトンネルが必要となる訳だ。
 完成すれば、現状でも地元の限られた人以外は余り通らないこの峠道の交通量は、更に減少するだろう。だから、その前に自分の足と目で、この峠道の姿を記憶しておきたかったのだ。
 「聞こえるか」「ああ、うるさいくらいにな」。走り出し以降、インカムの性能を確かめているが、感度は良好。声もはっきりと聴こえるし、これは想像以上に便利。
 そうこうしながら、延々と続く坂道を登っていく。斜度はきついが、今の私たちなら、ある程度は登れそうなレベル。木立のカーテンが幾分日差しを和らげてくれるので、明らかに涼しく感じるが、湿度と気温が高いことには変わりがない。ここまで走ってきた距離と時間はわずかなものだが、暑さに蝕まれた体が急激に重くなった感覚を覚える。峠は目前だったが少し先を行くM君にインカムで呼びかけ、休憩を取ることにした。すると、いつもは軟弱な私のことを笑うM君が、いつになく苦しそうな表情を浮かべている。
 路肩に自転車を停め、水分を摂り、しばらく休憩。再出発後も、無理はせず、歩いて登っていく。そこから下り坂を降りると、すぐに矢頭中宮キャンプ場へと到着。丁度、夏休み中の家族連れがバーベキューを楽しんでいた。
 キャンプ場の間を縫うように走る道路のすぐ脇には、推定樹齢1000年を超える県の天然記念物・矢頭の大杉がそびえ立っている。いつもなら、アウトドア好きのM君は嬉々として周囲を見て回るはずだが、自転車の近くに腰を下ろしたまま、ぐったりとしている。ここは無理せず、引き上げた方が賢明と判断。軽い熱中症だったようだが、すぐに体調が戻ったのは不幸中の幸い。気を引き締めて次回に臨もう。(本紙報道部長・麻生純矢)

真福院の石鳥居

真福院の石鳥居

 チューブ交換も終わり、私の自転車のコンディションは上々。時計の針は16時前を指しているが、日も長いので、まだまだ走れる。この日の内に、津市最奥の地である美杉町太郎生まで行ってしまいたい。
 JR駅の伊勢奥津駅を出発した私たちは伊勢本街道をルーツとする国道368号を西へと進んでいく。  ここを直進すれば、あっという間に奈良県に入る。東京に向いて文化が発展する現代では、この辺りは紛れもない僻地となってしまった。しかし、都が奈良や京都にあった時代だと事情は一変する。山ひとつ向こうには文化の最先端があり東京が政治的な主導権を握った江戸時代においても伊勢本街道を通って、お伊勢参りに訪れる旅人たちで賑わっていたのだ。
 時の流れというものは、とてもきめの細かい磨き砂のようなものだと思う。撫でるように触れながら、ゆっくりとヒトやマチの姿かたちや営みを変えていく。透明な砂粒が磨き上げる次の100年後の世界は誰にも分からない。不安なことも多いが、だからこそ楽しいともいえる。
 眼前に広がる山里の風景を眺め、そんなことを考えながら、のんびりペダルを回し続ける。まっすぐ進めば、すぐに太郎生についてしまうので、国の名勝にも指定されている『三多気の桜』で有名な三多気の集落に寄ることにした。国道から最も近い道を行けばすぐに集落に入れたのだが、それでは面白くないと、田畑と林の間を縫うように走る道を選択。これが想像以上に大変だった。
 そんな我々の姿を見かけた畑仕事をしているご婦人は「その先、めっちゃ大変やけど頑張ってなぁ」と優しく声をかけてくれる。それほどではないだろうと高をくくっていた我々は、すぐにご婦人の忠告の意味を心と体で理解させられる。山の斜面を縫うように延々とつづく九十九折の坂道。出発時と比べると、、それなりに鍛えられてきたが、これを全て自転車で登り切るのは難しい。
 しばらく、自転車を押しながら、なんとか三多気の集落に到着。まずは、集落の最も奥にある古刹・真福院をめざす。
 桜の季節以外に、ここを訪れたのは初めて。満開の折には、この小さな山里に溢れんばかりの見物客が訪れる。その時の賑やかな雰囲気とは打って変わり、今は静けさが満ちている。だが、目をこらし、耳を澄ませば人々の営みや息づかいが感じられる。こういうものにどれだけ触れるかが、私たち地方記者にとって大切なのだ
 やがて真福院に到着。ここは真言宗醍醐派の寺院だが、最初に出迎えてくれるのがなんと石鳥居。明治の廃仏毀釈を経て、今では姿を消してしまった神仏習合を色濃く残した趣が大変趣深い。更に、石段を登っていくと参道には樹齢1000年以上と言われる県天然記念物のケヤキ巨木や、2本のスギがそびえ立っている。私たちは山門をくぐった後、少し小高い場所にある本堂を参拝。ペットボトルの水で喉をうるおしながら、しばし先程の疲れを癒した。(本紙報道部長・麻生純矢)

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