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津ぅるどふるさと
射山神社を後にした私たち。心地良い春の日差しとそよ風を全身に受けながら再び県道28号線より白山町をめざしていく。
ほんの少し前までは背筋を縮め、必死にペダルを回していたのがウソのよう。心も体も軽い。しかし、油断は大敵だ。これから梅雨や猛暑と、厳しい気候が目白押しなのだから。今の内に体調を整えつつ、少しでも距離を稼いでおきたい。
しばらくすると、榊原町と白山町を分かつ、ちょっとした峠に到達。緑に包まれた坂道を下っていくのだが、ここでも所々に咲き乱れる桜花が美しい。
峠のふもとは、いよいよ白山町。近鉄大阪線の高架をくぐり、佐田の集落を抜けた辺りに
は、以前から気になっていたスポットがある。件の建物の見た目は古びた大きな倉庫なのだが、小さな看板にはラジコンサーキットと書かれている。中へ入ろうとしたが、入口は固く閉ざされている。すぐにスマートフォンで、この店のHPをチェックしたところ、残念ながら月曜定休らしい。残念だが、後日改めて立ち寄ってみよう。
その後、私とM君はまずは近くにあった白山郷土資料館へ。ここも実は休館日だったが、職員さんのご厚意で入館させて頂いた。 この資料館には、古代から現代に至るまで白山町の歴史が分かりやすく学べるよう様々な展示がされている。中でも私とM君が楽しんだのは、奥側に所狭しと並ぶ古びた道具の数々。
例えば、実家の近くに打ち捨てられており、何をする道具か分からないまま遊んでいた唐箕といった農機具。大正から昭和初期にかけて作られたのであろうラジオや蓄音機などはその優美な姿に、つい見とれてしまう。単純な性能だけを見るならば、米粒大の電子回路にすらかなわない代物たちだが、温かみを感じるデザインが醸す独特の存在感はノスタルジーの一言で片づけられない普遍的な魅力を感じる。これが時を超え、生き続ける作り手の魂なのかもしれない。
改めて、職員の方に感謝の言葉を伝え、私たちは国道165号を名張方面へ進む。途中、天台真盛宗の寺院・成願寺の前では川べりの桜と背後の山門や大伽藍の威容を楽しむ。
更に、国道165号を東青山駅の下辺りで進みこの日の行程は終了。この時、既に16時くらい。急いで榊原町まで戻り、湯元榊原舘の日帰り温泉「湯の庄」で一息。清少納言も讃えた名湯で一日の疲れを癒す。
次回はいよいよある計画を実行に移す時だ。(本紙報道部長・麻生純矢)
2014年4月24日 AM 4:55
4月7日13時。津市榊原町は文字通りの桜花爛漫。様々な施設の敷地から、少し遠くに望む山中まであちらこちらが淡い紅色に包まれている。
東洋文化研究家のアレックス・カーは、一年に一度わずかな期間にしか咲かず他に何の役にも立たない桜の木をあらゆる場所に植えて楽しむ日本人の豊かな精神性を絶賛していた。風に舞い散る花びらと共に漂うほのかな香り。確かにこれこそが日本の春である。
この日は榊原町から、白山町に至る行程を走る。本音を言うと、もう少し美里町内を回りたかったが、前回からこの日まで、雨で3回ほど予定が流れている。うかうかしていると、あっという間に梅雨がやってくる。後ろ髪を引かれる思いだが、温泉保養施設「湯の瀬」の辺りで車から自転車を降ろすことにした。
そして、いつもの如く私とM君は自転車に乗り、榊原町のメインストリートである県道28号を白山町方面へ進んでいく。
湯の瀬の駐車場一帯にある桜の木々も見事な花を咲かせており、入浴客以外にも大勢の人が見物に訪れている。私達は、そのすぐ近くにある菜の花畑の横に自転車を停め元気に大空を泳ぐ鯉のぼりの姿を楽しむ。榊原温泉のゴールデンウィークを彩る風物詩を見ながら、始まったばかりと思っていた今年も、もうこんな時期かとしみじみと思う。
立ち並ぶ温泉旅館の前を通って、榊原町の氏神である「射山神社」へ。この神社は、海底の地層がせり上がって出来た貝石山のふもとにある。祭神は大名貴命(大国主の別名)と、少彦名。境内の一角には、大国主と同一視されてきた大黒天の像が祀られている。その手には触れると恋の願いが叶うという「恋こ槌」が握られており、最近は恋のパワースポットとしても売出し中である。
恋愛成就や縁結びのスポットと聞くと、うら若き乙女が集う感じがして、我々など場違いではないかと、つい尻込みをしてしまう。しかし、そのような女性たちは元々、引く手数多ではないか。むしろ、我々のような人間こそが、この神にあやかるべきだろうと少し卑屈な見方も交えながら、強引に結論づけて境内へと歩を進める。
何事も自らの〝腕力〟で切り拓こうとするM君は余り信心深い人間ではない。この時も驚くほど、そっけないお参りをしていた。
私は大きなお世話と自覚しながらも心の中で神に友人の非礼を詫びた上で、彼に素敵な出会いがあらんことを密かに祈願した。(本紙報道部長・麻生純矢)
2014年4月17日 AM 4:55
相変わらず、険しい林道は続いている。めざす長野氏城跡は、現在登っている山の頂上に位置するのだがふもとからの距離は想像以上に長い。これに関しては少し侮っていたと言わざるを得ない。
休憩を終えた後、M君と二人、自転車を押しながら薄い雪に彩られた林道をゆっくりと登っていく。突き刺さるような寒気が頬を撫でるたびに、背筋を丸めて耐える。足元に散らばる石や砂に気を付けながら、慎重に進んでいくと、舗装が途中で途切れている。
そこで、私は荷物になる自転車をここに置いていこうと提案。M君はうなずいた後に「カギをかけるからちょっと待って」とリュックからワイヤーロックを取り出そうとするが、私はすかさず「こんな日にここまで来る物好きな泥棒は、まずおらんと思うよ」と制止する。流石に用心深い彼も「確かにそうだな」と、これを承諾。道の脇の木に自転車を立て掛け、砂利道を歩む。
5㎝ほどの雪が降り積もった道は、当然足跡一つない。やはり、こんな日にここに来る人間など私たちしかいない。最初の足跡をつけるのは、何度やっても快感である。一方、前を進むM君は雪の中を歩くのを少しためらっている様子。なぜだろうと、頭からつま先までを観察してみると理由はすぐに分かった。大仰なヘルメットやゴーグルを身に着けている癖に足元はおしゃれなスエード製のスニーカーを履いている。これでは、すぐに靴の中が濡れてしまうだろう。私はというと、歩きやすいランニングシューズを装着。自転車で走るという連載の趣旨からは少し外れてしまうがいつでも徒歩で歩けるよう準備をしている。
そんなM君をからかいながらしばらく進むと、ようやく頂上付近の国指定史跡・長野氏城跡に到着。標高は540mということもあり、一帯は道中以上に雪が積もっている。おかげで、全貌は見いだせないが、公園のように整備されているのは分かる。
在りし日のこの城は工藤長野氏によって鎌倉時代に作られ、調略によって同氏を傘下に収めた織田氏が廃城とするまで300年余り使われていた。また長野小学校の方の山にも3つの支城が建てられていた。
城跡内は小高い丘になっており、奥には史跡を表す石碑が建てられている。その横からを山下を見ると目の前に大きな鉄塔が立っているが、ふもとの集落だけでなく、遠くは伊勢湾まで見渡せる。本来は、ここまで尾根伝いに走る道から登ってくるらしいが、一時間半もかかるらしい。砦としては最高の立地だろう。
私の隣にいたМ君は少しソワソワした様子で辺りを見渡している。なるほど、城跡とくれば、神算鬼謀を誇る軍師様の御出陣だ。
いつもの如くM君は「城の広さは多分これくらいだから、常駐できる兵力はこんなもんだ」といった具合に根拠なき推論をもっともらしい顔で並べていく。ここで異議を唱えようものなら、槍衾の餌食になるのは目に見えている。
「そうやな。そうやな」と懇ろに頷くそぶりを見せながら、M君が話終えるのを待つ。満足したのを確認し、城跡を後にした。(本紙報道部長・麻生純矢)
2014年4月3日 AM 4:55