新緑の色も深みを増し、いつの間にか立夏も過ぎ、木々を渡る風にも、初夏の香りが漂う季節になりました。夏に訪れを告げる夏祭りも、各地で始まっております。
今回は、夏祭りの小唄を二曲ご紹介したいと思います。お囃子の違いも面白く唄われており、お楽しみいただければと思います。
神楽ばやし
神楽囃子の打込みは 先づ屋台囃子、聖天鎌倉大間囃子、あとは四丁目で、テンステテンストトントン、オヒャリ、ヒャリトロ、ヒヤリトロ笛の声、先玉じゃあと玉じゃ、共に打込む、チエッチェチェチキ 当り鉦
この唄は明治43年に青木空声による作詞で、作曲は不詳です。
江戸時代の上方小唄「桜見よとて」から明治に入って江戸小唄にとり入れられたのが替唄「神楽ばやし」です。「草紙庵夜話」によると明治43年頃、青木空声が唄や踊りの遊びにもあきて、何かないかと思案の末、思いついたのが「わかばやし」神楽ばやしの稽古でした。お神楽はずぶの素人だから順序を忘れてはいけないと、空声がこれを唄にして覚えるのが早道と、神楽太鼓の順序を唄いこんだものが小唄になりました。この唄は横笛が主となって、他の楽器を指導するもので、主曲は12曲あり、このお囃子は最も江戸っ子の気性に合い、お祭りばやしとなって旧幕時代は盛んに行われました。道具の種類に大胴と呼ぶ大太鼓、しめ太鼓、笛(トンビとも呼ぶ)鉦(与助と言う)となっており、小唄の「屋台~四丁目」までは神楽ばやしの曲の名を並べたもの、「先玉じゃあと玉じゃ」は、しめ太鼓の本手、替手の打ち方です。当り鉦は摺り鉦というのが正しく、手に持って打つ深皿のような形の鉦で、与助の名称は、他の四人を助けるからという説もあり、又、当り証を打つ名人であったからとも言われています。この小唄は曲が派手で、よく出来ており、オヒャリヒャリトロは笛の音ですが、笛の音まで口真似で唄う所が面白く、この小唄の味噌になっています。
天神祭
ちょうさやようさで、お神輿かきこみ、よいよいいっさんに担きこませ
なかに太鼓の、ドデドン、ドデドン、よういよいやさ、ドデドンドデドンようい、ドンデン世の中よういやさ、させさせ、させさせ、さいてくだんせ盃を、三遍まわしてヨーイヨーイ これなん拳の酒 ソレちょうちょう
ちょう
7月25日に行われる大坂天満宮の「天神祭」を唄った上方小唄で三世中村歌右衛門の作詞といわれており、文政4~5年の作です。
天神祭は、昔から京の祇園祭、江戸の山王祭と共に日本三大祭の一つに数えられ、京の祇園祭から一週過ぎた暑さも絶頂の祭で、その起源は天暦7年、村上天皇の勅願によると伝えられ、怨霊神としての菅原道真の御霊の信仰と夏の災厄よけ祈願という民俗から出た祭です。6月1日に鉾流しの神事、24日の宵宮祭には、山車の宮入り、大太鼓と鉦によるだんじり囃子は、男性的な力強さがあり、山車の上で鉢巻、赤ふんどしの若者が、乱舞し、野性味があり、安永9年は最も盛んで、84輌も宮入りしたといわれています。25日は川渡御といって、御鳳輦、鉾、神馬、稚児、武者など10数町の行列が社殿を出て、鉾流橋の畔から乗船し、堂島川を下って御旅所に入り、賑やかに、はやす「どんどこ船」に曳かれて行きます。船には一体づつ「御迎人形」が乗せられ、体長4メートルに及ぶ豪華な衣裳の人形は精巧に出来ていて、元禄の頃から行われているといわれております。
もっとも有名な柳文三作「安倍保名」には町娘が変死した話が伝えられるほどの名作でした。他に木津勘助、加藤清正、雀踊、戎島の恵比寿、雑喉場の大鯛、与勘平朝日奈など、名高いものがあります。小唄の中で唄われている「ちょうさや、ようさ」は上方で御輿をかつぐ掛声で江戸で言う「わっしょい、わっしょい」と同じ意味です。この小唄は江戸端唄から採ったもので、上方調には珍しい早間調子のよい小唄になっております。
江戸と上方での祭り囃子が作られた経緯の違いや、御輿をかつぐ掛声、おはやし、太鼓、笛、鉦などを比べてみるのも面白いですね。
梅雨寒の日もあれば、真夏のような日差しのつよい日もあって体が不調になりがちです。どうかお体を大切に。
小唄 土筆派 家元
木村菊太郎著「江戸小唄」参考
三味線や小唄に興味のある方、お聴きになりたい方はお気軽にご連絡下さい。又、中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。☎059・228・3590。