随想倶楽部

 ここ数年、私は日本アルプスの山々を年に数回ほど気が向いたときに登っていました。仕事上、連休が少ないのでどうしても日帰りが多くなります。
 すると前日の夜中に出発し、登山口で車中泊、早朝に歩きだして夜中に津に戻ってくるパターンになります。これは結構しんどいもので、それなりの覚悟をもって出発しなければなりません。
 もう少し、お手軽な気分で行きたいなと思ったのが鈴鹿山脈の山々でした。かの有名な定番の御在所岳はまあまあこんなもんかな?と思いましたが評価が一変したのがその近くの竜ヶ岳でした。石灰岩と花崗岩と笹が作り出す風景は日本アルプスのそれに劣らない感動を与えてくれます。
 味をしめた私は何度か竜ヶ岳を登った後(さすがに同シーズンに3回登ると飽きます)、鈴鹿山脈最高峰の御池岳を目指すことにしました。 
 御池岳の山頂はカレンフェルト(未状岩郡)やドリーネ(侵食窪地)のある広い石灰岩の台地で、南面は切り立った崖となっていて展望が素晴らしい、とされています。要するに大きな木が育ちにくく、石や地形の造形が豊かでそれが展望が良いことに繋がっています。
 まず登山口を探します。あったあった、いつも登山口までたどり着くのが大変です。登山口を示す看板はあったりなかったり、あっても大抵は小さく分かりにくいか、朽ち果てています。もちろん車のナビには載っていませんから、書籍やネットを駆使して下調べします。大抵はご親切な誰かが画像つきでネットに掲載しています。便利な世の中になったものですね。
 えっちら、おっちら登っていくと、リスがうろちょろしていました。鹿はなんどか見たことがあるのですがリスは初めてです。しばし足を止めて行方を追います。
 登山開始後2時間ほどしてから雲行きが怪しくなってきます。今日は雷雨注意報が出ているのは知っていましたから雨は覚悟はしていました。しかし雷だけは勘弁願いたいものです。
 ほどなくして、頂上に到着。全然よくありません。周りが木に覆われて遠望が利かないんですね。たまたま居合わせたおじさんに写真を撮ってもらいましたが天気悪いし、逆光で真っ暗です。実は登山とは必ずしも頂上がいちばん素敵というわけではないのです。
 気を取り直しその人に展望のひらける「ボタンブチ」の場所を聞いて向かいます。本当にこれであっているのかな〜と不安に思っているころにすばらしい光景が突如現れます。長い風雨の影響で木々が流されたまま育っています。三重県にいるとは思えない、大げさに言えば映画のワンシーンのような展望の中を歩きます。
 もう気分は冒険の勇者です。もっとこの光景の中を歩きたかったのですが、「ボタンブチ」にほどなくに到着してしまいました。さっきから前も後ろも私の視界に人類はいません。眼下に飛んでいるヘリコプターくらいでしょうか。高度感のある景色に目が休まります。
 さて、ここで待望のカップラーメンの登場です。いままでは携帯ガスコンロでお湯を沸かしていたのですが、高性能の保温ポットを手に入れたので朝入れたらお昼でも十分熱く、手軽にラーメンが楽しめます。
 ここの石にメッセージが刻まれています。今年遭難で亡くなった方が見えたようです。手を合わせ先に進みます。地図とにらめっこして、この道でいいのかな〜と不安が募ります。霧がかかっていたりルートがたくさんあったり踏み跡がはっきりしていないと結構道に迷います。
 今まで何度か迷ったり、偶然すれ違った人に助けてもらったりと山では都会にない注意を払わないといけません。鈴鹿といえども遭難者は毎年数名いるのです。
 しばらくすると展望が開け道が間違っていないことに確信を得ます。
 しかしまた次の問題が…雨と雷です。ついにきました落雷、とっても怖いです。雷雲はすぐ頭上にあります。勇者は近くの森の中に退避しますがきっと何の対策にもなっていません。だからといって、だだっ広い原野ををひとりで歩くのは怖すぎます。山で雷にあったらもうそのあとは運次第と山岳ガイドの言葉が反芻されます。
 20分くらい経ったでしょうか?とても長く感じましたが実際にはそんなもんだったと思います。ようやく雨と雷が止みます。勇者はすごすごと森から出で再び歩き出します。
 すぐに一面コケの原野に到着しました。雨が降った後なのですごいです。何がすごいってコケが青々と光り輝いています。もちろん眩しくはありませんが、生命の喜びみたいなものを感じるんですねぇ。大台ケ原や屋久島もすごいコケでしたが三重県にこんなすごいところがあったんですね。 ちなみにここは「日本庭園」という名前がついてます。わたしなら、「コケ牧場」にしますけどね。
 さあ、もうあとは下るだけです。頂上で写真を撮ってもらったおじさんに再び出会います。山ですれ違ったりする人は必ず挨拶するので会話もはじまりやすいです。どこそこに茂っていた草の名前やどこの山はどうだとか年配の方なので私の質問に答えて頂けます。例の雷のときはシートを引いて寝そべっていたそうです。別れ際に「鈴鹿山脈最北端の霊仙山行ってみたら?」と言うので次回の冒険はそこに決めました。なぜそこがいいのか理由は聞いていませんでしたがそれもいいでしょう。行けばわかります。
 そんなこんなで帰りはいつもの片岡温泉に入ってから帰ります。ここがまたすごくて、加湿・加水・循環・消毒を一切せず、タンクにも貯めず一度も空気に触れない新鮮な源泉を掛け流しです。おまけに最近リニューアルされてとってもオシャレになっていますよ。 
  あー楽しかった!
 でもみんなに聞かれます。登山のどこがいいの?なんでのぼるの?苦行?
 行けばわかります(笑) (前川 政輝 ㈱マック=カーライフマック=代表取締役社長)

  先日、藤堂高虎公の大河ドラマを!とNHKに3県4市町の首町や各団体の代表者32名が請願に行かれたと聞きました。高虎公ファンの私も早期に実現となる事を願っています。 
 高虎公は徳川家康公と共に戦国時代を終え、おだやかな安定した平和な時代(封建社会ではあるが)へと力を注いだ一人でもあります。治世は武力で制圧する「武断政治」から徳をもって治める「文治政治」になっていきました。家康公は豊かな知識を持っている儒学者林羅山(道春)を召しかかえています。二百ヶ条御詠歌の箇所に林羅山との交友が書かれており、高虎公の学ぼうとする精神が読み取れます。
 古代国家の成立の時に、神道のところに中国、朝鮮から儒教や仏教が伝来し、うまく調和して日本文化に大きく影響を与えました。 儒学とは中国の孔子(BC551~BC479)を始祖とし、徳をもって治める思想。五つの徳(仁義礼智信)と五つの関係(親子・君臣・夫婦・兄弟・朋友)を大切にする考え方です。江戸期には儒学は「思想」よりも「教養」とされ、人々の生活の中に秩序、礼節を重んじる道徳として根づいていったのです。これは現代社会にも受け継がれてきています。
 高虎公家訓十九条に「仁義礼智信、どれ一つ欠けても何事も成功しないよ」と述べられています。仁(思いやり)義(道理)礼(礼儀)智(知恵)信(信頼)の事です。その他の条にもいろいろと書かれていて、息子の高次(当時二五歳)に父高虎(当時七十歳)はやさしく諭していて、親の深い情愛がわかります。 
 また高虎公遺訓二百ヶ条は高虎公死後三四年のちに家臣の大神朝臣惟直が高虎公を偲んで書き記したものです。家訓と類似する部分が多くあり、高虎公の心情や思考がよく分かります。背中のかゆい所に手が届く程にきめ細かく書かれています。
 まず一条は命の大切さ、一一条は思いやりを持つ事、一五条は人の意見は聞くようにすると良い。一六条・言葉は礼儀正しく。二〇条・適材適所に人を使って育てなさい。二一条・上司は人を見る目を持つ事。三七条・信頼されるように心がけよ。四三条・親孝行しなさい。五四条・精神力を養うこと。他に嗜み一つで人となりが見えるよ。自分の人生道はしっかりと持つ事。旅に出るときの心得。習い事はした方が良い。本を読もう。諸作法の心得等々。
 私のお気に入りは九三条です。妻は大切にしなさいよ!神代の昔から赤い糸で結ばれているから互いに助け合いなさいの所です。夫婦は笑顔で喜んで生活していれば福の神がやってくると言われています。頑張ろうーと!
 さて、今世間ではいじめや体罰の事が大きく取り上げられています。挨拶は笑顔のはじまり。ありがとうは感謝の言葉です。言葉ひとつで人を思い、更に自分の成長になりますね。一条の「寝屋を出るより其の日を死番と心得よ」の言葉にはいのち、今と言う時間の大切さ、心の持ち方が書かれています。一一条の情(思いやり)をかけなさい。もし何かあった時は「人のせい」にしないで、反省して相手の立場の身になって考えなさいと記されています。
 しつけは「しつづける」事でいつの間にか生活習慣となるもの。そして親や上司がやってはいけない三つの事があります。小言、権力乱用、体罰という暴力です。人は笑うと心が満たされ、褒められると頑張ろうという活力になります。親や上司は子や部下を信じて愛し、理解し、認めてあげると良いということですね。
 この高虎公の家訓や遺訓二百ヶ条の教えを守り、子孫、家臣や領民は努力し、人づくりや町づくりをし文化藩として栄えてきたのだと思いました。読み終えて高虎公の人柄に触れ、江戸時代早期の生活をかい間見た気がして楽しい時間を過ごしました。
 (椋本 千江 全国歴史研究会・三重歴史研究会・ときめき高虎会会員)

 私はよさこい「笑楽-eraku-(えらく)」というチームの代表を務めさせて頂いたり、「ノルディックウォーキング」という、スキーストックのような2本のポールを用いたウォーキング運動の普及活動をさせて頂いたりなど、まずは自分が楽しみ、それが皆さんへお役立てできるものであればと、催し物や市民活動を趣味の範囲で企画させて頂いています。
 しかし、それらの活動を元々されていらっしゃった方とのご縁があって始めたのであって、街の活性化などに私自身が寄与しているとは思っていませんが、この機会に〝街で暮らす〟と言うものを自分なりに考えてみようと思いました。
 「そもそも街の活性化ってなんだろう?」
 初歩的なようで、実はとても曖昧なものと言いますか、裏を返せば奥深いものなのだろうなと感じます。 経済学・社会学的に言えば、更なる消費の活性化、経済効果を指すことが一般的だろうと思います。それは街の将来にとっては非常に大切で、市民全体で取り組むべき課題であることも認識しているつもりです。しかし、私の立場は商売人でもないし、公の職員でもない。なかなかそのようなことを強く意識することが難しい中で、印象的な出来事がありました。
 仕事で美杉を訪れた時のことです。場所は美杉町の三多気地区。北畠氏が隆盛を誇った時代には、1万5千人もの民衆が暮らす一大都市でした。ところが現在では限界集落の代名詞のような場所になり、深刻な過疎化状態が続いています。お伺いさせて頂いた年配のお客様のお宅も御多分に漏れず。交通機関も行き届かず、さぞ困難な生活を強いられているのだろう、不安な毎日を暮されているのだろうと思い、お話していましたら意外なことをおっしゃられたのです。
 「ここは日本の桜名所百選にも選ばれた風光明媚な場所。こんなに景色が良く歴史が深く素晴らしいところはない。若い人にもおすすめしたい」
 私はこの言葉を聞いたときにハッとしました。私は住んでいるところに「自分の街」として誇りを持って生活しているのだろうか?誇りが持てるような街の魅力をきちんと分かっているのだろうか?それを意識したら、もっと楽しく生活でき、活性化に繋がるかもしれない。
 私自身ここ数年、様々な活動を通じて、沢山の方々と触れ合い、地域の魅力を発信されている方が沢山いらっしゃることを知りました。大切なのはその情報をきちんとお届けできる仕組みや、情報をキャッチしようとする受け取り側の意識を育むことなのではないでしょうか?
 そうすることで街で暮らすことへの愛着が高まり、地元が誇りに思える。結果として、外から見ても魅力ある地域になり、居住者や訪問者が増え、それがまずありきで、そこに名物や観光地がうまく絡んでいければ、津市のブランド化や活性化につながるのでは?そう考えました。
 とはいえ、矛盾するようですが、都会にいけば行列ができるようなおいしい飲食店が、いつでも落ち着いた雰囲気で楽しめるのも津市の魅力とも言えます。
 皮肉ではありません。要するに、真似事ではなく、自分なりの、その地域なりの独自の物差しで魅力を感じることから始めれば良いのだと思います。そのためにも「楽しい情報交換の活性化」が欠かせないのではないでしょうか?
 街は長い歴史に彩られた「人と食のテーマパーク」。もともとインドア派の私が街に出ることの楽しさを教えてくれたのも、この津市に魅力があるからです。私も体ひとつですし、すべての事を見聞したり取り組むことは難しいと思いますが、ご縁のある方とできる限りこの津市で楽しみ続けることが大切なことだと思っています。
 日頃の市民活動を支えて下さる地域の皆様に心から感謝申し上げます。
(田村 賢治 よさこいチーム笑楽-eraku-(えらく)代表、津市民活動団体『レッ津!ノルディック!』事務局長、ゆるキャラ「藤堂とらまるくん」テーマソング振付)

[ 20 / 21 ページ ]« First...10...1718192021