随想倶楽部

 2013年12月に文部科学省は、小学校での英語を正式な教科にすることを発表し、5、6年生で年間35単位の「外国語活動」が必修化されました。
 そのなかで、「外国語活動においては、音声を中心に外国語に親しませる活動を通じて、言語や文化について体験的に理解を深めるとともに、積極的にコミュニケーション能力の素地を養うことを目標として様々な活動をおこないます」としていますが、私は小学生に英語の授業は不要だと考えています。以下その理由と提案を申し述べます。
 先ず、ここで「コミュニケーション」とは何かをはっきりとしておかなくてはなりません。それは、日本語で表すと、意思伝達、相互の意思の疎通を意味すると思います。ここで大切なことは、自分の思いを相手に伝えるという一方的な作業ではなく、相手の言っていること、また相手が何をあなたに伝えようとしているのか理解し、聴き取る能力、そして態度の有無が大切となってきます。
 つまり「聴く力」の有無です。相手の話しをよく聞くこと。聞いてあげないと、相手は自分のことを聞いてくれません。大人になっても対人関係がうまくいかなくて悩んだりする人、「コミュニケーション」がうまく取れない人が随分と多いように思います。
 このコミュニケーション力はある程度学習すれば身につきます。日本語ですればいいのです。ことさらいつ必要になるか分からない外国語の学習を通してする必要性などありません。
 母語でできないことは外国語ではできません。「コミュニケーション」、「コミュニケーション」と言いますが、日本語で日常生活において、「コミュニケーション」が果たして取れているのでしょうか。
 あいさつ、返事、「ありがとう」、「すみません」がきちんと言えているのでしょうか。相手と褒めたり、認めたりすることができているのでしょうか。注意された時、あるいは誤りを指摘された時、素直にそのことに「すみません」と言えているのでしょうか。 
 それどころか怒ったり不機嫌になる子供が多いのではないでしょうか。学校内だけでなく、それぞれの家庭で親子間の意思の疎通はうまくいっているのでしょうか。
 「コミュニケーション力」を全て学校教諭に押し付けてはいけません。また児童生徒は学校の授業で手を挙げ自分の意見や考えをきちんと明瞭に伝えることができているのでしょうか。  つまり「伝える力」の有無です。作文、読書感想文、日記、手紙がきちんとした日本語で表すことができているのでしょうか。これらは、「コミュニケーション能力」を磨く上で必要不可欠な事柄です。これらの事は、日本語ですればいいのです。また、もう少し欲を言えば、「ユーモア」を理解する力も付けてほしものです。
 繰り返しますが「コミュニケーション能力」とは日本語の運用力にほかならなりません。母語で出来ないことは、外国語では出ないのです。また思考や意思疎通は正しく明瞭な日本語の運用能力が源となっています。論理的思考も日本語でしているのです。
 公立中学校では一年生から本格的な英語を学習します。語学は初期の導入期が一番指導が難しく熟練の教授法が求められます。この初期において正しい発音も教えなくてはならなりません。A~Z、アルファベットの正しい読み方を教えることはもちろんのことです。発音に関してはやはり個別指導を基本とします。文法は「be動詞」を習う初期の段階で英語が分からなくなる生徒が出てきます。英語は分からない、テストでいい点数が取れない。「だから嫌い」と言う生徒はこの頃から出てきます。
 私事ですが、私の英語塾に六年制「高田」の生徒が母親と一緒に私を訪ねてきました。「英語が分かりません。嫌いだと言って勉強しません。先生どうしたらいいのでしょうか」。
 よくうかがってみると「be動詞」の使い方から混乱しています。それで、その生徒が不理解になっている部分から徹底的に反復演習を行いました。それを十分理解した後、予習中心のレッスンに切り替え、学校の授業はその復習と考える勉強法に切り替えました。元々頭脳明晰だったので、自学自習できるようになりました。今、彼女は東大の大学院生です。
 ここで大切な提案があります。それは、英語が不理解となっている中1の生徒を対象に夏休みを利用して一学期に習ったことを総復習する補習授業をすることです。それも個別指導ですることです。担任制度を導入して責任指導をする。先生方もご多忙だから、英語の教職経験者や大学等で英語を専攻したボランティアの方々のご助力もできればお願いする。欲を言えば褒めることが上手な人がいい。この時期の苦手意識を努力の結果、克服して英語を得意科目にすれば一生の宝物になります。「やればできる」という自信は他のことにも良い影響をもたらします。
 中2の二学期の終わり頃になると、十分に英語の授業についてこられる生徒は、70%くらいです。よく理解している生徒はもともと学力があるか、塾通いをしているかどちらかです。
 そこで提案があります。二学期からは英語の授業のクラスは定員10名位にします。習熟度に応じてクラス分けをして、生徒には十分に理解するまで繰り返し根気良く教える。不理解になっている生徒には土曜日の放課後を利用して補習を行なう。現場の先生方は大変ご多忙だから、この補習授業もまたボランティアの方々のご助力をお願いする。子供6人のうち一人が貧困に喘いでいるといいます。それで、できれば自治会内に1カ所無料の「学習塾」を空家などを無料でお借りして設置する。
 月謝などを無料にすることで、金銭的な教育格差は是正できます。ここまでしても結論的に言えば、できない生徒は出てきます。それは興味があるか否かというよりも、基礎学力があるかが問題となってきます。これは避けられません。この「学習塾」は中学生が卒業するまで行います。文科省が導入を進めている「ICT教育」など中学英語教育には不向きだと私は断言します。教育には人の温かみが必要なのです。人による個別指導が一番の教授法です。
 「英語を6年も勉強したのに、英会話が出来ない。日本の英語教育はだから、まちがっている」と、おっしゃる方が大勢います。
 できなくてあたりまえです。なぜなら中高では英語の基本的な骨組みを教えているからです。いわゆる「英会話」とか「実用英語」は教える時間などないのです。
 この骨組みを十分理解することなしに、英会話などできません。基礎英会話すら出来ない人のほとんどは、残念ながら、中学英語すら十分理解していなのです。英会話がすぐに上達する人の共通点は基礎英文法を理解して語彙数が豊富だということです。英会話を習得したい学生はそれなりに努力をすればいいのです。ラジオ、テレビ、英会話教室等色々あります。英会話ができるようになるためには、それなりの練習が必要になってきます。
 ここでまた提案があります。高校からは普通科と国際科のみ英語を必須科目とします。それ以外の高校では英語は選択科目とします。日本人全てが英語ペラペラ人間になる必要はありません。「グローバル人材」とかもうしますが、英語が操れる前に必要なことは「立派な日本人」であることです。英語は本当に必要としている人が一生懸命勉強すればいいのです。中学で習う英語を十分に理解している人は、いわゆる実用英語、英会話は学習すればすぐにできるようになります。ご安心ください。     (英語、英会話講師)

 「お母さん、ぼく野球がやりたい!」で始まった球児の母の道。
 子供たちの夢に向かう姿に魅せられて、いつの間にか私も同じ夢を描いていました。今年、次男が高校三年生になり「最後の夏」球児の母、最終章となりました。
 ONE FOR ALL ALL FOR ONE
 苦しい練習も苦しい試合もみんながいるから乗り越えられた。もうムリだと思っても、みんなが手を差し伸べてくれた。親元を離れて寂しくても、監督に地元に帰れと怒鳴られても、涙がこぼれ落ちても一人じゃない、みんながいるから乗り越えてきたんだ。
 ご存知の通り、高校野球とは厳しくて熱いど根性の世界です。そんな高校野球生活はたったの2年と3カ月。長い人生の中では、一瞬に過ぎ去ってゆく。だから毎日必死に白球を追いかけることができるのです。夢叶うまで…。
 小さい頃から甲子園という夢の舞台を目指し、ひたすら頑張ってきました。休日なんかありません。雨の日も雪の日も…夢の舞台を目指して歯を食いしばってきました。
 その集大成が高校野球なのです。だから後悔なんかしたくない!今を必死に生きる!自分を信じ、傷だらけになっても必死に野球をする!
「俺たちの青春みとけ」
これが高校野球なのです。
 そんな球児たちに心打たれない親はいない。そして周りの人々も魅了する。高校野球マニアの人達が地元新聞片手に監督さながらのアドバイス、どの試合に行ってもいる女子たちの追っかけや黄色い声援。そんな周りの人たちが球児たちのやる気を上げてくれます。
 人々をここまで虜にする高校野球、少しは興味湧いてきませんか?
 どんなスポーツにも魅力はありますし、そこには色々な物語があると思います。たまたま息子が野球をやっていただけで、陸上でもサッカーだとしてもキラキラ輝く少年たちのサポートをし、ずっと支えてきたと思います。だけど…
 やっぱり私は野球が大好きです。野球を通じ色々な事を教わりました。私の友達の大切な息子が高校一年生の時に打球が頭にあたり生死を彷徨う大手術をしました。
 その2年後、最後の夏の大会で彼は、一打席目にホームランを打ったのです。グランドに立っていることは奇跡だと思いました。でもそこには苦しいリハビリと自分を信じた強い心、そして何よりも大切な母のために復帰できたのです。
 このホームランボールは彼のありったけの「ありがとう」という言葉と一緒に母の手に渡りました。このような感動場面に携わる事ができ、人間の強さを知りました。
 そして私が彼らを誇りに思うことは周りの人々への感謝の気持ちを常に持って野球をしているということです。支えてくれた人たちに必ず恩返しができるようにと。球児たちは野球を通じて人生の大切なことを学んでいます。
 このような感謝の気持ちはグランドに足を運べば目に届きます。大きな声での挨拶や、気持ちを込めてのグランド整備、そしてボール磨き。この様な雑用は気持ちがないとできません。球児たちはひたむきな心で日々感謝し雑用をしています。
「技術を磨く前に人間を磨け」
 ある有名な監督さんの名言です。高校野球は人間育成です。日本人の伝統のスポーツ野球。伝統を守り続けるから厳しくもあり古くもありますが長く愛されているのは確かです。
 また本年度の第96回全国高校野球選手権大会では三重高校が県勢として初となる本大会の頂上決戦が脚光を浴びました。このようなプレッシャーの中で、強豪校相手に必死に食らいついた選手たちに県民は心揺さぶられ、熱くなりました。
そして国民の多くが決勝戦に大声援を送ったことでしょう。
 この熱戦や快挙は三重県の高校野球史と多くのファンの胸に刻まれました。高校野球がなぜこれほどまで見る者の心を打つのでしょうか?
 それはここまでの道のりが険しかったことをみんな知っているからです。
そして…
 高校野球に次はないからです。
(片田商事チーフアドバイザー)

 今年のNHK大河ドラマは黒田官兵衛(1546~1604)の一生が放映されて、中でもイケメンの俳優さんがやさしい笑みを浮かべた高山右近(1552
~1615)を演じています。ふと、この時代の人々の信仰は…と気になりました。
 時は安土桃山期から鎖国に到る頃です。日本人にとって、それまでのどの時代よりも海外との接触の多かった頃です。
 天文18年(1549)、はるかな海を越えて神・仏の日本にフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝来しました。この信仰は日本中に広がり、キリシタン大名(大友宗麟、黒田官兵衛、高山右近、内藤如安、蒲生氏郷、等々)や百姓町人の庶民の信仰者が増えました。爆発的な広がりに豊臣秀吉、徳川家康はキリシタン禁教を開始し、高山右近や内藤如安は慶長19年(1614)にマニラに追放されています。古田織部は自刃するが、織部焼は残ります。後に藤堂高虎は京都の織部の屋敷と石造物をもらい受けて津に移しています。
 キリシタン大名の妻子、家中も信仰を共にしています。高山右近の妻である黒田ジュスタ、細川ガラシャ、松浦久信夫人らの話は有名です。戦いはいやです。平和な世の中を夢みて彼女達は祈りの中に生きたのです。島原の乱以降は鎖国へとなっていきます。
 江戸時代初期にはキリシタン達はきびしい弾圧を受けたために、密かにそして深く信仰は続けられ、摂津、伊勢、会津、九州で信仰は守られました。
 さて、津藤堂藩でこれらの遺物、遺跡がかい間見る事ができます。寛永年中(1624~1643)、三代藩主高次の時代、彼も他藩と同じく踏み絵で誓わせた人です。が、可愛い娘の父親でもありました。高次の四女、お石姫は信仰深く改宗しません。百石の池田権左衛門に預けていましたが、生まれつき体が弱く、四歳で亡くなりました。正覚寺(別称「赤門寺」津市西丸の内)には御殿の赤門を下げ渡して山門とさせました。西洋式の石棺です。幕府に気付かれないように、戒名は「香林院自性妙円大童女 四歳 寛永二十一年甲申歳八月二十四日 俗名御石」と記してあります。
 他に中島・鯰江事件があり、記録によると、寛永14年(1637)秋、上級武士二百石、中島長兵衛夫妻が城内式部倉の空地で逆磔付になり、息子二人が打首となっています。その二年後に上級武士三百石の鯰江九右衛門一家四人、職人、足軽等二十三人は塔世橋下流芝原で処刑されています。子供らは声高らかに祈り唄え信仰を守ったという。他に津城下では医者の道竹、研ぎやの長右衛門ら数人が処刑されています。キリシタンの子孫は天神様、荒神様に擬装を加えて信仰を続けていました。
 幕末期に禁教政策がゆるみ、慶応3年(1867)に長崎でキリシタン三三八〇人が発見され、津藩は浦上キリシタン一五五人を預かり、一志大三村に八三名、伊賀に五九名住まわせ村人は大切に接したといわれています。後に長崎に帰しています。ようやく、明治維新による「ご一新」でキリスト教開禁(1873)されました。
 今は津市木造町の引接寺、伊賀の西蓮寺、津市西丸の内の津カトリック教会などには切支丹灯籠マリア灯籠が、西古河町の国魂神社に織部型切支丹灯籠が残っています。大きな権力の中にあってもひそかにキリシタンの信仰が守られた形跡がわかり、美しい形でどこか心ひかれます。
 現在は平成17年(2005)に切支丹殉教記念碑がお城西公園に建立されて静かに歴史を語っているように思いました。
 世界では戦いに明け暮れる国々があったり、伝染病蔓延で大変だあという国があります。
 今日の日本の平和に繋がれるまでには幾多の戦いがありました。どの時代でも人は懸命に智恵を持ち、勇気と強い心で生きています。私自身も感謝と喜びと希望の念を大切にして人生を送りたいと思っています。(全国歴史研究会、三重歴史研究会及びときめき高虎会会員)

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