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随想倶楽部
先日、京都産業大学名誉教授所功先生の随筆を拝読いたしました。題名は「君が代」「細石の巌となりて」の意味です。これを読んだ時、ふと学生の時に担当してくださった教授がよく似た内容の話を懐かしく想い出しました。
国歌「君が代」は人を尊敬し、和の気持を大切にする(長寿と繁栄)歌と思っています。十世紀の延喜五年(九〇五)『古今和歌集』巻七、三四三番賀歌にある「君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の産すまで
詠み人知らず」が採用されたものです。「君」は年長の親しい人を指し、「代」は世・時代でその地位を務める人を指します。一時期(悲しい第二次大戦時)は軍の国体護持に使用された事がありましたが、今はそれを乗り越えて平成十一年(一九九九)八月に制定された国旗国歌に関する法律で決められています。
この歌は末永く国の繁栄と個々の力が集まり、それはまるで小さな石が積み重なり、長い年月をかけて大きな岩の塊(細石の巌)となり、それに苔が生えるまでの国や人々の生や気持を守っていこうとする祝歌と感じています。なんとステキな寿歌でしょう!
私はこの歌に詠まれている「苔」のところが好きです。苔は岩や木の根っこに生えて、水分を栄養分としている花の咲かない小さな植物です。「苔むす」とは長い時間がかかり古くなったもので、永久のものの一つに使われます。
苔はひっそりと生え、でも潤いと繊細さがあり、力強さがあります。
平安時代の貴族の華やかにみられる梅、桜、紅葉に対して、次の世の武士や人々は質素、閑静の中にもみずみずしい美しさをとらえて、そこにある侘び寂びの風情を苔のもつ力に日本人の精神を見い出しているのでしょう。
年に一~二回滋賀県の永源寺の庭を訪ねます。夏は緑の木々を鑑賞し生きるパワーを、秋には真っ赤に色づき血染めの紅葉といわれる紅葉を長時間眺めています。その下にびっしりと敷かれている苔が木々の戯れを支えています。ひっそりと味わい深くその場所を守るかのように苔があります。花々の艶やかさと苔の地味の美しさを教えてくれます。ほんまに私はホッとひと息つき、その美しさの中に時の経つのを忘れています。他に苔寺で有名な京都の西方寺庭園、三千院門跡や他に市松模様の東福寺などもいいです。
そして、もう一つ、苔(草)の歌があります。万葉集第一、二十二の「川の上のゆつ岩群に草むさず常にもがもな常おとめにて」(訳 川のほとりにある神聖な沢山の岩には苔が生えていません。このようにいつまでも変わらず美しい皇女でいてくださいね。) 皇女とは十市皇女です。彼女の父は天武天皇、母は宮廷歌人額田王の子として生まれました。十七歳の時に天智天皇の子、大友皇子(追号 弘文天皇)と結婚。葛野王を生みます。父と夫の戦いの壬申の乱が起こり、大友皇子は死去。父の命令で伊勢神宮を参拝する時に初瀬街道を通り、波多の横山(現 三重県津市一志町井関、大仰、八太のあたり。そして波瀬川と雲出川に挟まれた横に長い山)を見て乳母で侍女の吹黄刀自が十市皇女を元気づけるために詠んだ歌天武四年(六七五)二月十三日)です。でも十市皇女は三十一歳の時、急死しています。
国歌の君が代の苔むす=永遠の繁栄と幸せを詠んだもの。
万葉集の歌の草むさず=いつまでも清浄な若々しい人でいてねと詠んだもの。
私はこの万葉集の歌を時々思い出して〝いつまでも気持は若くいようね〟と自分のパワーアップの為に口づさみます。
苔は現代、世界中の大気汚染物質の害で沢山枯れていくようです。人類の未来のために、次世代の人々の心の寄り所として苔の大切さを継いでいきたいものです。
(全国歴史研究会 三重歴史研究会 ときめき高虎会及び久居城下町案内人の会会員)
2023年9月14日 AM 4:55
30年近く、谷川士清の会、点字絵本サークル、お茶、お花の教室と、4つの事業に均等に力を注いできた私ですが、近年の頑張りが、体力以上に達していたのか、体が悲鳴を上げ、10月下旬に動けなくなり、医師より最低3カ月の安静を言い渡されました。一日中、ほとんどベッドの上で過ごしています。
それまでの私の日常は、朝6時25分のテレビ体操に始まり、夜11時頃まで、まるで独楽ねずみのように動いていました。なんと思いもよらない生活に突入してしまい途方に暮れました。
しかし、これは神様が無謀な私を心配して休憩を下さったのだと、ありがたく受け入れようと、全ての行事を断り、まわりの皆様のお力を借り、3カ月余を過ごそうと覚悟しました。健康な生活に復帰できることを祈り、ひたすら治療に専念しています。
書物をはじめ、仕事関係の物が二階の書斎にあり、取りに行くことができず、手元に置いていた、今年一月に津市内小学校、中学校に寄贈した自費出版の『小学校高学年・中学生向け倭訓栞』をゆっくり読み直すことにしました。
士清さんが『倭訓栞』に編纂された言葉は、なんと2万1千語近く。
私が十年かかって『増補語倭訓栞』から拾い出してまとめたのは、たったの九百一語。原本がむずかしく子供にわかる言葉を取り出し、また小学館の国語辞典や日本標準出版の国語辞典と照らし合わせ、両方に載っている言葉に絞る作業に手間取り、こんな結果になってしまいました。
でも、子供達がこれを読んで谷川士清や本物の『倭訓栞』に興味を持ってくれたらと、一節の希望を持っての毎日でした。学校での活用も切に願うものです。
あ行の中から特に大人も子供もおもしろいなと思える言葉を抜き出しました。「あーなるほど」と思えるものばかりです(現代かなづかい)。
あき 秋をいう○万葉集に秋の香のよきとよめるは松のにおいをいえり
あけぼの 曙をよめり、あかんとして物のほのかに見ゆる時なり
あさがお(あさがほ) 朝顔の義なり、朝ごとに花さくをもて名づくるなり。新選字鏡に桔梗をよめり
あさって(あさつて) 明後日をいう。あすを去って後のという義なり
あちこち 彼此を常にいえり。あちらこちらともいえり
あまがえる(あまがへる) 和名抄に蛙竈をよめり。あまは雨なり。喜んで雨に出るものなり
あまる 餘(余りの昔の字)をよめり○口語に物事の過ぎたるをあまりにというは甚だというがごとし
あめ 天をいう、神代紀に天上とも見ゆ。天の字の多くあめとよめり。あまともいえり○雨は天水のつづまりたることばなり○飴というは甘き義なり
あり 蟻をいう○易占に蟻穴を封じるは大雨に至るとも見ゆ
ある 有、在をよめり 有は無に対し、在は没に対す
あん 餡の音転なり。西土(西洋・インド)の饅頭の餡は鳥獣の肉を用い、本邦(日本)には赤豆、砂糖を用う○あんを書かせてというは案とみゆ
(津市広明町在住・谷川士清の会顧問)
2022年12月8日 PM 4:55
「あぁ―。いい湯だなぁ。これで身も心も回復だ」と日本人の誰もが言うコトバで、温泉好きです。わが国は世界有数の火山地帯で温泉国です。
温泉は療養と共に人の心を救う力を持ち、魂を再生する良薬です。温泉は古くから鳥獣、天皇、貴族、高僧、英雄が発見し利用されて『日本書紀』『風土記』『万葉集』などに温泉の名前や伝説地が残っています。
代表的な例をあげてみると、鳥獣の発見地では鹿=浅虫温泉、酸ヶ湯。熊=野沢温泉。狐=湯田温泉。猿=平湯温泉。白鷺=湯郷温泉、武雄温泉。 高僧なら行基=草津温泉、山中温泉。空海=修善寺温泉。最澄=雄琴温泉。親鸞=赤倉温泉。 役行者では龍神温泉や伊豆山温泉。そして英雄医療ならば大国主命、少彦名命=道後温泉、城崎温泉、榊原温泉。神仏では下呂温泉、湯田温泉、三朝温泉、湯本温泉、那須温泉、玉造温泉などがあります。
『出雲風土記』」の玉造温泉では出雲国造が朝廷へ挨拶に行く前に禊(御沐)を行いとあり、また『勢陽雑記』には第二十六代継体天皇の皇女荳角媛命が榊原温泉(ななくりの湯)で湯ごりをし、長命水に榊の枝を一晩浸してから伊勢神宮に奉献されたとあります。斉明天皇、天智天皇、有間皇子は白浜温泉に湯治しています。平安時代には清少納言の枕草子一一七段「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と記されており、温泉地は大切な所とされています。鎌倉、室町時代には湯場(温泉)はいつしか文化人、公家や武士の保養地となっていきます。戦国時代では傷を負った武士達が治療に使っています。中でも有名なのは武田信玄の隠し湯である下部温泉。織田信長は下呂温泉、上杉謙信には生地温泉があります。天正期(一五七三~一五九二)には豊臣秀吉は有馬温泉をこよなく愛して、入湯してこの地で戦いの作戦を練り、精神状態の再生をし、また北政所寧々との入湯場でした。
さて、秀吉から関東をまかされた徳川家康は空海発見伝説のある名湯、熱海温泉を手に入れて関ケ原戦後の慶長九年(1604)にはゆっくりと湯治しています。
この頃は三歳であった十男頼宣と、その生母で側室お万の方を連れて熱海温泉旅行の楽しい親子の時間を過ごしています。いいなぁ♪ のちに紀州藩祖となった頼宣は龍神温泉を開発しています。更にその後の徳川幕府第八代将軍となった吉宗は殺菌力の強い草津温泉の湯を江戸城に大きな樽に入れて運ばせて湯を楽しんでいます。また他に戦国・桃山時代に薩摩藩島津家の武将島津義弘は吉田温泉を開発し、江戸時代後期に越後高田藩第三代藩主榊原政令は赤倉温泉を開発しています。
殿は温泉が大好きじゃ!参勤交代などで各街道が発達し整備されていきます。人々は大名を見習って温泉大好きになります。温泉地は人々の社交場であり、旅人の疲れを癒す湯治場となります。各温泉地ではパンフレットやガイドブックが作られており、賑わいが解ります。
温泉は先人たちやお殿様が心身を清め、また人との関わりの大切さを教え導いてくれた贈り物です。良き温泉の効能は心をリフレッシュさせてくれます。
これからはますます観光地産業、福祉事業の充実の対策が盛んになされて行くことでしょう。温泉は笑顔になる素です。気分はお殿様で行きましょう。
(全国歴史研究会、三重歴史研究会、ときめき高虎会員及び久居城下町案内人の会会員)
2022年8月11日 AM 4:55