随想倶楽部

 「誠意に応えるには、誠意しかない」
 ある日、こんな言葉が私の心に降ってきた。
 この言葉が生まれたのはどんな理由でかわからない。長年、いろんな事を考えてきたから、ある日、こんな言葉が生まれたのも不思議ではない。
 ただ、人は誠意で示されたら誠意でお返しするしかない…、魔法のような言葉ではなく、ごく普通の、当たり前の言葉である。
 今頃になってこんなことに気づいたのか、もう65歳をまわっている私の脳から生まれてきたのは間違いない。 
 生きるとは、いくつになっても、生命ある限り学び、勉強し、真面目に生きてゆかなければ…、人間は考えなければ面白くない、いくつになっても精いっぱい生きなければ…、こんな時間をくれた神様に感謝している。
 人の事はいい、今、自分がどう生きるか、ひとり真面目に考えている。
  「誠意に応えるには、誠意しかない」
 この言葉を何度も反すうし、そこに精神を組み立てる。すると、言葉というものが少しずつ生まれてきて、それを書き留めてゆかなければ私は始まらない。
 人々が60歳の定年を迎えてほっとしている時に私の人生は60歳から始まったようなものだ。この歳くらいから酒も煙草もキッパリやめて、もう6年になり、だんだん頭がすっきりしてきた。
 毎日朝4時に目覚めると店の台帳を読み、本を読んだり、余った時間を考える事に専念する。テレビはあまり観ない。
 酒も煙草も、車に乗るのもやめ、ひたすら歩いている。何が楽しいのか…人様にはそう思われているようだ。ただ、自分で決めた事は意志の力で必ずやり通す…そんな風に生きてきた。これからもずっとそうだろう。
 ただ、生きてゆくのに緊張感がある。人間はだらけると駄目だと思う。しかし何かをやり終えてほっとしたことや、のんびりする時間は必要だと思う。
 ただ、一生懸命に生きるのが全ての人々への恩返しだ。
 「誠意に応えるには、誠意しかない」
(高崎 一郎 大観亭支店栄町本店)

 小型ヨットで太平洋横断中のニュースキャスターと全盲セーラーが救出されたニュースでみなさんもこの言葉を耳にしたことでしょう。世界一とも言われる洋上離着水能力をもつ国産飛行艇と、志も練度も高い自衛隊員によって成し得た救出だったというのも成功要因のひとつだったようですね。私も過去に何度かそんな感情を抱いたことがありました。
 今年のゴールデンウィークに北アルプス滑落事故がテレビニュースで報道されました。折りしもそのとき私も北穂高登山中で、その事故に遭遇していました。上のほうで1名まさに滑落しているのが見え、なかなか止まりません。
 止まったかなと思うとしばらくして上のほうから「2名滑落」と伝言が届きました。登山者も多かったため、そのまま眼下の山小屋までその伝言は容易に伝わったことが想像できます。
 私は登り続け、30分後に滑落者のそばを通るときには、既にたまたま近くにいた数名の人たちが手当てをしてヘリを待つばかりの状況になっていました。
 その後、1時間以内にヘリは彼らを救助して飛び立っていったと思います。事故を起こしてしまった側の問題はさておき、この日本には国民を守るシステムや仲間を助ける利他の心がしっかりと存在するということを実感いたしました。
 またCS(顧客満足)日本一の自動車ディーラーに研修に行ったときのことです。そこに存在したのはCSに対する手法やこだわりではなく、スタッフの価値観や道徳観など、もっと深い人としての生き方を教育する風土でした。CSは単にその結果、生まれていたものに過ぎません。
 そのとき私が感じたのは、そのディーラーのすばらしさはもちろん、商売できれいごとやバカ正直なことをしていても、ちゃんと理解し応援してくれるお客さまが必ずいるという幸せな国に私は生まれたのだという事実です。
 そしてJALを奇跡のV字回復させたあの有名な稲盛和夫・京セラ名誉会長の言葉をしてもそうです。
 「正・不正や善・悪などは、人間の最も基本的な道徳律であり、これに則れば、経験や知識がなくとも、そう大きく間違った判断にはならない」。つまり人間として正しいことなのか、悪しきことなのかを判断基準にして経営されてきました。
 ・利他の心が存在し、また技術もインフラも整っている国、日本
 ・正しいことを行い、それが報われる国、日本 そんなすばらしい国のもとで得た利益を、税という形で還元する。
 「この国の国民であってよかった」
 そう思い、正しく働き、たくさんの納税ができる経営ができたら、きっとすばらしい人生だなと思いませんか?
(前川 政輝 ㈱マック社長、津法人会会員)

 「春山は笑っているよう、夏山は滴るよう、秋山はよそおうよう、冬山は眠るよう」。以前、俳句の本を読んだ時見つけた山の表現方法で、お茶を嗜む者として季節感を大切にしている身、なるほどと感銘を受けた。
 ところが現実の自然界は異変が来ているのかけじめがない。今年は梅雨らしからぬカラカラ天気で、一足飛びに夏が来てしまい、溜池は干上がり稲作の出来に不安をもたらした。錫杖湖の湖底に沈む石造りのだるまは今も足元まで丸見えである。水の中から顔を少し出す姿が一番愛嬌がある。早くその姿にもどってほしいが、余程の雨がふらなければ…。
 このように人間の力ではどうしようもないのが自然界であるが、自然の美しさは人間の力で維持していかなければならない。
 富士山が世界文化遺産に登録された。日本人の心に温かさと光を与える霊峰富士山、皆が喚起の声をあげた。遠くから拝むだけならよいが、登拝する一人一人がゴミの山にしないよう、自然破壊に結びつかないよう、心して守っていかなければならない。5合目から頂上までは人の波。高齢者などには、一合目から五合目をゆっくり歩くと緑の木々や足元の草花にふれ、富士の誠の姿がよくわかると、テレビで放映していた。体力のある内に挑戦してみたいものだ。
 私が所属している「谷川士清の会」では、小学校へ士清の話をしにいくが、私は時代背景として「皆さんがよく知っている富士山のこぶが出来たのが、ちょうど士清さんが生まれる二年前だったの」と説明している。名著刊行会が平成二年に発行した「増補語林『倭訓栞』下巻」でふじを調べてみた。
 倭訓栞は日本で初めて五十音順に並べた本格的な国語辞典で約二万一千語にものぼる。士清は一人で編集し、前編の出版準備を終え、さて印刷だという一七七六年に亡くなった。その後、子孫や弟子が一一〇年もかけて明治二〇年に全九三巻を出版し終えた。増補本は伴信友(一七七三~一八四三年)の書き入れを上欄に加えた製版本の前編、中編を明治二〇年に井上頼圀らが出版した本である。後編は製版本の後編と同じである。平成二年発行の増補本は上・中・下巻と後編の四巻になっている。
 素人の私が利用するにはちょうどよい。
 「ふじ 日本紀に富士山下雨灰と見え日本後紀に延暦十八年富士山嶺自焼と見えたり其後貞観六年宝永四年にも大に焼ぬいさよひの記にふしの山を見れハ煙もたゝすと書る此時ハもえさりしなるへし宝永の時に小山ふき出たるを宝永山といふ」
 宝永六年に士清は生まれている。こぶが宝永山である。宝永山をパソコンでひいたら全く同じような説明文が出てきた。三〇〇年も前にちゃんと士清さんは『倭訓栞』に記してくださった。
  (馬場 幸子 谷川士清の会代表)

[ 31 / 37 ページ ]« First...1020...2930313233...Last »