随想倶楽部

「笑いは、最も安く、最も効き目のある特効薬である。笑いは世界共通の薬なのだ。」バートランド・ラッセル。
またユーモアの持つ効用について丸山孝男著の「英語ジョークの教科書」から引く。「日本とは違い、英語を母国語とする人たちは、ユーモアの精神を最も高く評価する。すぐれたユーモアの精神をもっている人、そのユーモアを理解する人を最も高く評価する。彼らにとって、ユーモアとは複雑きわまるこの人間社会を冷静で、かつ客観的な視点で見つめ、それを滑稽さ、おかしさをもって表現しようとする行為なのだ」
ジョークには様々な機能、効能がある。最大の働きはコミュニケーションの
潤滑油になることだろう。 ただ国によって、言語、歴史、文化、習慣、諺、時事や政治的な事柄、同音異義語、語呂合わせなどが深く関与するのでなかなか手ごわい相手でもある。

イギリスに留学して通っていたカレッジで「クラス代表を今日は決めます」と担任の先生が言う。「さあ皆さん、誰が一番の適任者かよく分かっているでしょうね」といいながら、私に目線を送ってくるではないか。選挙でもするのかなと思っていたら、「ミスタークモイがいいと思うが、皆さんはどうですか」とクラスの皆に問いかけた。すると拍手が沸いた。
先生は「では、決まりました」一瞬の出来事だった。クラスはフランス、スイス、イラン、ポーランド等、ロンドンは国際都市だけに、世界中からの留学生で構成されていた。その個性豊かな学生の「代表」に私が選ばれた。
私は授業での議論が好きだった。それに「ジョーカー」と呼ばれるほどいつもこっけいなことを頻繁に言ってはクラスの皆を笑わせていた。
例えば、ある日の授業で先生が「韻を踏んで文章を作りなさい」と学生に求めた。私は「あなたは、custard(カスタード)、 mustard(からし)、bastard(卑語、私生児、嫌われ者、注、あまり上品な言葉でない。相手を罵るときに特に男性が多用する)のうちどれか」と即座に答えをだした。これにクラス全体が爆笑に包まれた。stardで語呂合わせをしているのだ。カタカナ語に「ムード・メーカー」というのがありますが、私はクラスのそれだったように思う。このユーモアのセンスが欧米では極めて重要な資質なのです。

ある日、イギリス人の友人と散歩をしていた時に、ガラの悪そうな若者が絡んできた。それで私は「お前さん、Scotland Yard(ロンドン警視庁)、とGraveyard(墓場)のどちらに行きたいのか」と聞いてみた。友人は大笑いしている。若者はキョトンとしている。yard で語呂合わせをしたことに気がついていない。もう勝負はついている。

またある日、私は「バッキンガム宮殿」の見学に訪れた。衛兵が右手に銃を持ちその銃を地面につけて不動の姿勢で立っている。その衛兵に近づき「あなたは勤務中に人と話をしてもいいのですか」と質問をした。すると衛兵は「いいえ、話をしてはいけないことになっています」と返答した。私はにんまりとした。たった今、あなたは私と話をしたではありませんか。

イギリスの名物といえば「フィッシュ アンド チップス」だ。住んでいたフラット(ワンルーム、アパートの意)の近くに行きつけの店があった。ある日「フィッシュ・アンド・チップスをひとつ下さい」と注文したら、揚げ立てのジャガイモのチップ(イギリスではフライド・ポテト、フレンチ・フライをチップといいます)を一本指で掴み「はいどうぞ」と私に渡した。一本取られてしまった。
(次号に続く)

文部科学省が九月二九日に結果を公表した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、三重県の平均正答率が初めて国語Bと算数Aで全国平均を上回ったという記事が掲載された。これは子ども達の頑張りとともに、現場の先生たちの努力に因る部分が大きいのではないかと考える。
大川学園義塾では平成十九年に学童トムソーヤを開設し、基礎学力の強化、特に国語力の強化に努めてきた。子ども達はトムソーヤに到着すると、まず学校の宿題を行う。これは学習習慣の定着をねらってのことである。学校の宿題である音読もトムソーヤで力をいれて指導している学習の一つである。何故なら、音読は国語力をつける第一歩だと考えているからだ。正しく文章を理解するためには、正しく読むことは必要不可欠である。
また学校の宿題だけでなく、塾専用教材(国・算)、家庭から持参した教材などで子ども達は学んでいる。時には保護者のニーズに合わせて他塾の宿題を指導することもある。子ども達の勉強時間は平均して二時間、高学年になると午後六時まで勉強している子が大半を占める。これが月~金まで毎日行っている内容である。サポートするのは、義塾教員や元小学校教諭等である。学習面・生活面については個人カルテに記入して、子ども達一人ひとりに最適な対応をするために毎日話し合いを行っている。
昨年度トムソーヤを卒業した二名が義塾中学部に入塾した。義塾では一クラス十名以下という少人数制をとっている。一人ひとりを大切に見ていきたいという思いからである。中学部においてもトムソーヤ同様、生徒一人ずつについて毎日話し合いの時間を持っている。中学生は多感な時期でもあるので、学習だけでなく学校生活や友人関係においても悩みを抱えている。それが学習にも影響を与えている。義塾の教員はその悩みに寄り添い、時には叱咤激励して生徒たちの目標達成に尽力している。
そのような日々の学習において、トムソーヤの卒業生二名が今年の夏期講習最終日に行った模擬試験の英国数三教科で、それぞれ三重県四位、十三位という成績を残した。
学童トムソーヤからの流れで一名は四月より毎日当学園の塾を利用している。中学部においても英数だけではなく、国語も必修教科とすることで国語力の強化に努めている。これは全ての教科の土台は国語であるという考えからである。今回の学力テストにおいても、中学校の数学Bは三重県も正答率が低く、資料を読み解く能力、論理的に物事を捉える能力の不足が窺える。これらの能力は中学校だけでなく、その後の学習内容の習得や社会に出てからも必要となってくる。
学童トムソーヤ、義塾中学部に現在通っている子ども達が大人になる時代は、生き抜く環境は現在よりも更に厳しさを増すだろう。その時に問われるのは自らに積極的に働きかけ、自らが学ぶ力なのではないだろうか。今後も小学生、中学生の教育に携わる者としてこれらの力を身につけている人材を育てていきたい。
(学童トムソーヤ・大川学園義塾長)

「サミット、無事に終わってよかったな」と、三重県民なら、この言葉を何度言ったことか。空、陸、海、どの道をとっても万全の体制を整えるため何年も前から準備がされ、特に警察官は九州から北海道まで二万八千人もの動員があったようだ。
世界のあちこちでテロが起こり、つい最近日本人もまきこまれている。何事もなく「伊勢志摩サミット三重で開催」と歴史の一行に載った。関わられたすべての人々に感謝するのみである。
一躍有名になった伊勢志摩観光ホテルへサミット料理再現の一泊旅行に夫と友人夫婦とで出かけた。夫の体調を考え、予約とキャンセルを繰り返し夏の終わりにやっと実現した。このホテルへは一三年前、昼食に訪れたことがある。丁度陶芸家の辻田岳秀氏の個展が開かれており、小さなひな人形を購入し毎年三月に飾っている。
辻田氏は宇治山田出身で各種の陶芸展に入選されている。時々、ホテルではこのような催しが行われている。今回の料理は、伊勢海老、鮑、松阪牛を中心に目にも舌にも見事なもの。四十代から夫と海外旅行を共通の趣味としてヨーロッパ、アメリカ、アジア等の多種多様のレストランも訪れているが今回が最高と意見が一致した。
各首脳は世界の平和、経済、エネルギー、保健等について議論をされたが食事の時は三重の食材が話題の中心であったろう。今後は伊勢志摩地方もサッミットブランドを地域活性化につなげられるかが課題である。終わってからも官民一体となって地域を盛り上げてほしいものだ。
ホテルの庭を散歩していたら「久米三汀」句碑、「佐々木信綱」歌碑、「山口誓子」句碑があった。伊勢に関係の深い谷川士清の歌碑が並んでいても不思議ではない。
伊勢と士清の関係を少し述べてみよう。谷川士清は娘八十子を伊勢神宮重代の祢宜職である蓬莱尚賢に嫁がせた。尚賢は谷川塾に学び、林崎文庫の再興をしたり、文人学者と交流もあり声明が響いていた。
自慢の婿殿であったに違いない。士清が京都で一緒に垂加神道を学んだ竹内式部は公家衆に講義をし、なかなかの人気で、幕府は朝廷内に式部の説が広まるのを恐れ式部を京都より追放した。士清を頼ってきた式部を津より人混みの多い神宮のある伊勢の方が安全と考え、士清は蓬莱尚賢に匿うよう頼んでいる。士清は娘や式部のいる伊勢へ何度も出かけ、この地を詠んだ歌も何首かある。
なぜ士清の歌碑がないのか考えた時、津と伊勢が遠いことも一因だが、尚賢の悲運が大である。まず八十子との長男駒之助を幼くして亡くし、次男尚陽も健康面などで恵まれず、後継者のため病弱な八十子の勧めで娶った側室の三幸は平三郎を産み、半月で死去、平三郎も六才で亡くなった。
尚陽の妻富子、後添い幸子、そして尚陽の子供新之助も数年のうちに亡くなる。尚賢自身、四九才の若さで突然死去。蓬莱家は尚喜、尚賢、尚陽三代が享保九年から文化四年までの八四年で血統は絶えた。士清を伝える人が伊勢で続いて活躍されておれば前述の歌碑も実現していたものをと残念に思う。
増補語林『和訓栞』で調べてみたら、「いせ」と「しま」は非常に丁寧に説明してあった。(次の二つは原文のまま)
〇いせしま・伊勢島とて伊勢と志摩とひとつによむなりといヘリ志摩ハもと伊勢の國を割しよしふるく見えたり志摩の國ぶりも古今集にいせうたとて入たり。
○ふたみのうら…伊勢但馬播磨ともにあり紀伊ノ國和歌浦のむかふなる二見浦も立石の景なりよく伊勢に似たるより呼成へし伊勢の立石埼ハ江村に行道の境なり
『和訓栞』は『日本書紀通証』を著わした際に非常に多くの文献から調べた言葉約二万語を最初の二文字を五十音順に並べて整理した通巻九三巻・八二冊の偉大なる辞書である。後述の二つの言葉は実際に歩いて調べたのではと思う。
伊勢のあちこちを歩いていて、ひょっこり士清さんがいるような気がした。
(谷川士清の会顧問)

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