名松線を応援する人々

最終回は、津市美杉町の3地区(伊勢地・八幡・多気)の住民でつくる『伊勢本街道を活かした地域づくり協議会』と、同協議会内のガイド団体『伊勢本街道美杉会』の両方の会長を務めている結城實さん(83)にインタビュー。

結城實さん

結城實さん

伊勢本街道奥津宿(伊勢奥津駅前)でのガイド活動の様子

伊勢本街道奥津宿(伊勢奥津駅前)でのガイド活動の様子

同美杉会では津ガイドネットなどと共に、昨年10月~今月まで「JR名松線復旧記念ウォーク」を開催中。また、以前から同町内の伊勢本街道石名原宿・奥津宿・多気宿のウォークでガイドを行っている。

──名松線にはどんな思い出がありますか?
結城 私の家は多気宿にあり、子供の頃は祖父のおつかいでお酒を買いに伊勢奥津駅近くの店へ歩いて行って、帰りは、歩くより遠回りですが同駅から比津駅まで名松線に乗りました。遠回りになっても、蒸気機関車に乗りたかったんです。
当時の名松線は、美杉の人が松阪に遊びに行ったり、材木や牛・馬を運んだりするための重要な生活の足でした。
──結城さんは、同線が平成21年に台風で被災し、一部区間で鉄道の運行再開が危ぶまれた際には復旧を望む陳情・署名活動も行われましたね。
結城 私は当時、現・名松線を守る会と、美杉自治会連合会の会長で、両方の立場で活動しました。松阪市の自治会などにも応援を頼んで、多気町や四日市市の人なども含めて11万6千人以上の署名が集まり、びっくりしました。
23年にJR東海・三重県・津市が復旧に向けて3者協定を締結したときは復旧のきっかけができたと思いましたが、それでも復旧前に再び台風が来ることが心配で、本当にほっとしたのは昨年12月、JR東海が、今年3月26日に同区間の運行を再開することを発表したときです。
──名松線の活性化についてお考えを聞かせてください。
結城 名松線は現在も通学、通院で使う学生やお年寄りにとって大事な生活の足です。しかし美杉町の人口は5千人を切っており、地元の人が乗るだけでは活性化できないので、イベントなどで他地域の人に親しんでもらい、来てもらわなければいけないと思います。
私達としてはこれからも伊勢本街道ウォークのガイドで盛り上げたい。このウォークには和歌山や岡山、島根県からもお客さんが来てくれます。地域の自慢の名所を見てもらい、喜んで頂けるのがやりがいです。
──ありがとうございました。(この連載は本紙記者・小林真里子が担当しました)

「一志町歴史語り部の会」の西田太司会長

「一志町歴史語り部の会」の西田太司会長

第1回目の名松線復旧記念ウォークで、尾張徳川家ゆかりの青巌寺(一志町小山)を訪れた参加者やガイドたち

第1回目の名松線復旧記念ウォークで、尾張徳川家ゆかりの青巌寺(一志町小山)を訪れた参加者やガイドたち

津市一志町のガイド団体『一志町歴史語り部の会』の西田太司会長(75)にインタビュー。同団体は、津ガイドネットなどと共に、昨年10月~今年3月にかけて「JR名松線復旧記念ウォーク」を開催している。

──ガイドの活動について教えて下さい。
私は京都出身で、就職を機に一志に来て50数年になります。仕事で、一志から美杉に行くために名松線に乗ったこともあります。会社を定年退職後、地元の歴史を知りたくなり、約8年前に語り部の会に入りました。
当会でイベントを行う度に、下見など様々な準備が必要です。大変ですがやはり、おもてなしの心で、お客さんに「また来たいな」と思ってもらえるよう準備やガイドをしないと先に繋がっていかないと思っています。
──復旧記念ウォークを実施した感想はいかがですか。
私はウォークのうち、主に一志町で行われた1回~4回でガイドをしましたが、 「名松線は雨などでよく運休する路線」という程度の認識しかなかった他地域からの参加者に、沿線にこんな名所があるんだと認識してもらえたし、地元の人にも名所の魅力を再認識してもらったと思います。
──名松線の活性化について、どのようにお考えですか。
沿線には白山町の白山比咩神社、美杉町の伊勢本街道などがあり、一志町にも名所が沢山あるんです。例えば「とことめの里」の魅力は温泉だけではなく、万葉集の一節にある言葉が名称の由来で、そこから広げて関連する歴史も学んでいくと面白いなという形になってきます。そういう沿線の歴史を生かすのも、名松線を活性化する方法の一つだと思います。
また復旧記念ウォークは全10回、各回とも定員100名で、申し込み受付時には、ひと月もしないうちに全ての回が満員になってしまいました。このように、大仕掛けのイベントを定期的に開くと人が集まってきてくれます。但し一部の人だけに任せていては活性化は難しい。全線復旧後も将来に亘り名松線を存続させるには、行政が、例えばチラシで宣伝するなどしてバックアップしないといけないと思います。

吉村武司さん

吉村武司さん

昨年10月から今年3月にかけて開催中の「JR名松線復旧記念ウォーク」を企画している『名松線沿線史跡めぐり事業プロジェクトチーム』の吉村武司会長(81)にインタビュー。同チームは、津のガイド団体が加盟する「津観光ガイドネット」を中心に、名松線の関係団体で構成されている。

──名松線と様々な形で関わられていますね。
吉村 私は一志町波瀬で生まれ、子供の頃は、井関駅から名松線に乗って松阪や伊勢参宮に出掛けていました。
現在は、一志町井関にある「そそこ桜公園」のソメイヨシノを管理する「そそこの桜愛好会」の会長も務めています。この公園は、名松線のトンネルを堀ったときの残土が置かれた場所に、波瀬地区の先輩達が桜を植えてできました。このように、昔から名松線とゆかりがあります。
──復旧記念ウォークについて教えて下さい。 私はガイド団体「一志町歴史語り部の会」の会員でもあり、ウォークでも、おもてなしの心で案内をしています。

八知の仲山神社で発見された「五神名地神碑」

八知の仲山神社で発見された「五神名地神碑」

また、ウォーク開催にあたり行った現地調査を機に、美杉町八知の仲山神社で「五神名地神碑」(農耕に関わる5柱の神名を刻んだ石柱)を発見しました。専門家によると全国でも7番目に古い珍しいものだそうです。 その後、八知の他の場所でも見つけたので、これから沿線の新たな見所としてウォークなどでアピールしていきたい。
運休し約6年半も経ってから復旧するため〝奇跡の名松線〟と言われますが、我々としては、このような発見があったというのも一つの奇跡だと思います。
──名松線の活性化についてどのようにお考えですか?
地元の名物を生かした観光客向けの様々な企画が必須です。車窓から見えるようにと沿線に植樹してくれている住民もいるので、多くの人に乗ってもらえれば、その方々の地道な努力も生きてくると思います。
また住民に「車で行くから名松線には乗らなくてもいいや」という人が多いと外からの関心も衰えてくるので、まず住民に関心を持ってほしい。
そして田舎ならではの住民が訪れる人を迎える温かい気持ちも大事だと思う。名松線を通じ乗って来てくれる人と住民が交流してほしい。住民がそういう場面を頭に描きながら名松線を見てくれるといいなと思います。

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