国道165号を遡る

 11月21日13時頃。私は四日市千歳町の四日市港湾合同庁舎の付近に立っている。ここは私が踏破した国道163号と165号の間にナンバリングされている国道164の始点。一連の旅を締めくくるため、今日この国道を踏破する。これでようやく身近なところに転がる未知を既知に変える旅に区切りがつく。
 カンの良い読者はお気づきだと思うが、この国道も前回紹介した日本一短い国道174号と同じで、いわゆる港国道。総延長はわずか3㎞と短い四日市港(千歳地区)と国道1号線を結んでいる。これだけ短い国道が存在する理由は道路法で、重要な港や空港と主要国道とを結ぶ道路を国道とすると定められているからというのは、前回にご説明した通りだ。
 元々、伊勢湾内の商業港として栄えた四日市港は明治32年(1899)に外国との貿易を行う開港場として最初の一歩を踏み出した。現在では120年以上の歴史を持つ中京圏を代表する国際貿易港であり、県内唯一の国際拠点港湾。四日市市から川越町にまたがる形で展開しており、開港当初は、肥料や羊毛・綿花などの繊維材料の輸入が主だったが、現在では石油化学コンビナートを支える工業港の色が強い。
 四日市港は5地区に分かれており、私が現在いる千歳地区は旧港からの歴史を受け継いでおり、3つの埠頭を備えている。港国道は、国策として外貨獲得のために港を重要視したことから国道に指定されたという側面が強いが、そのころと情勢が変わったなどの理由で、その意義が薄れてしまい、主要国道と接続しない盲腸線のような形で残っている国道も散見する。一方、この164号は、当初与えられた役割を今もそのまま果たしているため、生き生きとした印象を受ける。工業港という性質上、普段の生活の中では余り訪れる機会がなかった地域なので未知に心が躍る。
 起点より港を背にしての西へと進むと、すぐに北側へと国道は伸びていく。長い直線には国道であることを示す三角の道路標識、通称「おにぎり」も設置されており、ここが国道であることを再確認できる。この辺りには、日本板硝子の四日市工場など、工場や倉庫などが並んでおり、国道と並行して、JR四日市駅と四日市港を結ぶ貨物車用の構外側線も走っている。いかにも工業港の周辺という感じが面白い。いつも通り、下調べ無しで歩いているため、後日知ったのだが、この辺りを走る千歳運河には二本の可動橋(跳ね上げ橋)がある。一本は、港から北西へ真っすぐ進む臨港通りにかかる臨港橋。そして、もう一つが少し北にかかる現在日本で唯一稼働している可動式鉄道橋の末広橋。こちらは可動橋の設計を得意とした橋梁技術者の山本卯太郎の設計で可動橋として初の重要文化財に指定されている。国内で現存している可動橋は貴重で、多くが可動を廃止され、普通の橋として使われている。恥ずかしながら身近に現役の可動橋があることを知らなかった。開閉するところを見る楽しみが増えた。
 起点から歩き始めた頃から、ずっと香ばしい良い匂いがただよっている。この匂いは、とてもなじみ深く正体に心当たりはあるものの、確信が持てない。しかし、この千歳運河にかかる千歳橋を渡る時に答え合わせが出来た。千歳運河沿いに、九鬼産業の工場が見えたのだ。同社は昔ながらの圧搾法にこだわった高品質のごま油を始め、様々なごま製品を手がける老舗。とある取材で同社の広報担当の方が、料理に合わせたごま油の使い分けなどを紹介していた記憶がよみがえる。私も料理は好きでほぼ毎日やっているが、原材料のごまの焙煎具合で味や香りが代わるごま油を何種類も揃えるという発想が無かったので、とても勉強になった。そして、売り場で見かければ、同社の製品に優先的に手を伸ばすようになった。商品を売る場合、売りたい気持ちを前に出すのではなく、買った側にどのような恩恵があるかを説くことが大切という好例としても記憶に残っている。
 橋を渡り、再び北方向へと直角に曲がって突き当りまで進むと、また直角に曲がり、納屋運河にかかる開栄橋を西方向に渡る。国道が非常に短い感覚で何度も直角に曲がっているのが面白い。ここからは、まっすぐ西へと進めば終点に着くという形だ。橋と逆方向に進めば、四日市港の旧港がある。私財を投じて四日市旧港の開港に尽力した稲葉三右衛門を称える稲葉翁記念公園が整備されており、極めて貴重な港湾遺産として国の重要文化財に指定されている潮吹き防波堤も近くにある。これも後に気付いたので、実物は、後日改めて楽しむことに。
 橋の手前に「四日市港みなとまち歩き」と書かれた看板を発見。その横には周辺の地図が記された看板も設置されている。これも後で調べてネットで知ったが、JRと近鉄四日市駅から港方面に向かってのまちあるきマップも作成されており、先述の可動橋や防波堤など、周辺のスポットをまとめて紹介している。工業都市として栄えている街の原点ともいえる港周辺をもっと知ってもらいたいという気概に好感を抱かずにはいられない。そういった意味では港と深く関わる国道164号も、一見すると地味ではあるが、この街の歴史を語る上で欠かせない存在と確信できる。道を知れば、街そのものを理解することができる。
 話を本題に戻すと、国道164号は、三重県で暮らす我々にとって、最も馴染みの深い国道である23号と交差。この国道は豊橋市を起点に、終点の伊勢市までの総延長245㎞を結んでいる。起点から西三河や西尾張を通り、海岸線に沿って終点の伊勢神宮内宮前へと進むという流れ。起点からしばらく平行する1号が片側一車線の区間が続き、混雑し易いため、実質的にバイパスの役割を果たす。今日では、四日市を始めとする工業地帯と港湾や大都市・名古屋、そして関東方面を結ぶ大動脈として八面六臂の大活躍だが、お伊勢参りで賑わった江戸時代の参宮街道をルーツとする歴史の古い道でもある。
 歩道橋で23号を横断し、西へと進むと間もなく、JRの関西本線の踏切。164号のこの辺りは柳通りという名称がついており、市の中心市街地を走る立派な2車線道路となっている。23号を境に164号の性格は大きく変化する。分かりやすく例えるなら、工業道路が生活道路へと様変わりするという表現が適切かもしれない。国道沿いには、四日市市民に長年愛される洋食店などもあり、私も国道164号であることを意識していなかったが、何度も通ったことのある区間である。
 国道1号との合流地点までは前述の通り一致直線。あっという間に国道1号との合流地点の終点へと着いた。国道1号のの終点は、国道163号と165号のある梅田新道交差点。間接的であるとはいえ、国道164号もこの終点から同じ場所へと繋がると考えると、非常に感慨深い。ちなみに真っ直ぐ1号を越えて西進する道は、国道477号線で通称湯の山街道。ここを起点に大阪府池田市の終点に至る。
 164号を歩き終えた私は近くの商店街の方へと進み、諏訪公園から諏訪神社の境内へ。この神社は鎌倉時代からの歴史を持つ四日市の産土神として篤く信仰されている。拝殿の前には身なりを整えた親子連れの姿がある。七五三のお参りを終え記念撮影をしているところなのだろう。笑顔溢れる家族の時間を見ているとこちらまで釣られて笑顔になってしまう。撮影を終えたタイミングを見計らい、賽銭箱に百円玉を入れ、神前で旅を無事に締めくくれたことに感謝の意を捧げる。
 境内を後にした私は、これまでの旅を振り返り、総括する。最初に踏破した163号、そして今回の旅のメインである165号、たった今踏破した164号。おまけの174号。全国に459路線もある国道の内、たった4つしか踏破していないが、旅の前後では、目の前に広がる世界の解像度が段違いに高まっている。自分の周囲やその延長線上に未知なる楽みは山のように転がっていることに気付けるようになったからだ。ゆっくり時間をかけて、自分の足で一本の道を味わい尽くすことは、この上ない贅沢である。一連の旅を締めくくることができたが、この愉悦を知った以上、もう歩みを止めるられない。帰路に就く私の頭の中は、次の旅に向けた〝悪巧み〟を始めている。それを語るのはまたの機会に…。
 「165号を遡る」はこれにて閉幕。お付き合い頂いた方々に心よりの感謝を。=了=(本紙報道部長・麻生純矢)

日本一短い国道174号の始点(神戸市中央区)

日本一短い国道174号の始点(神戸市中央区)

国道165号を遡る旅を終えた翌日。大阪市の中心部の梅田近くのホテルで私は目を覚ました。時刻は6時前。いつも5時頃に起きているので、私にしてはゆっくりめの起床。一晩経った今も、国道を踏破した余韻が色濃く残っている。
冷蔵庫で冷やしておいたペットボトルのコーヒーを飲みながら「人生であと何本の国道を踏破することができるだろうか」などと、とりとめもないことを考えている。国道を歩く旅は、私の人生の中でも最高の贅沢といえるだろう。それは、お金がかかっているという意味ではなく、この世に生命以上に価値のあるものはないからだ。生命=時間と捉えれば、車で一日あれば巡れる距離を、わざわざ何分割もしてゆっくり楽しむ行為は、この上ない贅沢という他ない。
現代人は生き急ぎ過ぎている。徒歩しか移動手段のない時代の人と比べると、生涯で行ける場所も出来ることも格段に増えた。ただスピードが余りに早すぎて、大切なものを見落としがちになっている。国道を歩けば、その道が出来た経緯から、沿線の文化、歴史、経済が全て理解できるといっても過言ではない。有名な観光地まで足を延ばさなくても、普段通っている道の先には知的好奇心を満たす未知が星の数ほど転がっている。
気が付くと時刻は7時前。今日は朝から行く場所があるので、余りゆっくりしていられない。エレベーターで1階に降り、朝食を済ませると8時半にチェックアウト。JR大阪駅をめざす。
今日は4月1日。社会人や学生にとって1年の始まりであり、旅を終えた私にとっても次の旅を探す始まりの日でもある。駅に着いたのは8時45分。通勤のピークを過ぎ、駅のホームも電車もそれほど混んでいない。20分ほど電車に揺られ、兵庫県神戸市の三ノ宮駅に到着。神戸の中心地に降り立ったが、観光や買い物に来たわけでもなく、中華街で食い倒れをしにきたわけでもない。実は今から国道をもう一本踏破するために来た。昨日の今日で正気を疑う人が居るかもしれないがご安心を。ここにあるのは日本一短い国道であるからだ。
三ノ宮駅から神戸港に向かって10分ほど南に進むと件の国道174号に辿り着く。日本一短い国道として国道ファンの間では有名で、始点には看板も設置されている。この国道の総延長は、わずか187m。神戸税関前から国道2号線を結んでいるが、どれだけゆっくり歩いても5分あれば踏破できる。なぜこれだけ短い国道が存在するかというと、道路法で二級国道は「港湾法で特に規定された港、または建設大臣が指定する重要な飛行場、もしくは国際観光上重要な地と一般国道を連絡する道路」と規定されているため。いわゆる港国道と言われる道路で、当初は5倍ほどの長さがあったが、周辺の道路の改良によって日本一短くなった経緯がある。当然ながら私も始点から終点をあっという間に踏破することができた。もちろん、昨日味わったような達成感はないが、新たな旅立ちを迎えられる高揚感に胸が満たされる。
三ノ宮駅への帰路で通ったビルの前には、入社式の立て看板がある。会社の偉い人たちの話に、耳を傾ける新社会人たちの胸中は、きっと期待と不安が入り混じっているに違いない。自分が彼らの前で挨拶をするならば、どんなことを伝えるだろうか。ふと、そんなことを考える。3つの国道を踏破した今だから伝えたいのは、人生も道のようなものであるということ。自分の人生という道の総延長が長いか短いかは誰にもわからない。路傍の風景や路面の状況はもちろん、平坦なのか険しいのかも人それぞれ違う。無数の人たちが描く道と交わったり、別れたりしながら自分の描く道も終点へと向かっていく。きっと道の先が見えなくて苦しんだり、自分の置かれている環境に悩むこともあるが、そんな時は歩みを緩め、自分の行く手を阻むように広がる闇に目を凝らしてほしい。速度を落とした分、闇の中に今まで気付かなかったものが見えるはず。闇とは未知。未知とは可能性。未知の中には必ず自分の問題を乗り越えるヒントや答えがある。自分の知っていることなど、非常に狭い範囲でしかないのに、行き止まりと勘違いするのは勿体ない。どれだけ遅くても歩みを止めさえしなければ、必ず終点へと近づける。だから、苦しい時こそ闇の中に飛び込み未知にふれる気持ちを忘れないで欲しい…等々。ふと我に返った私は、自分の尊大なもの言いに思わず苦笑してしまう。
この後、ネット上で20年来の付き合いのある友人二人と合流。ボイスチャットなどで何度も話したこともあり、お互いのことを良く知るいわば旧知の間柄といえるのだが、実際に遭うのは初めて。一人とは三ノ宮駅で合流し、もう一人とは再びJRで大阪駅へ戻って合流。直接会うのは初めてとはいえ、全く違和感がなく、会話も弾む。大阪の地理に明るくないので、案内をしてもらうことに。実は3年前に163号を踏破した時に会う話も出ていたのだが、先約があってすぐに戻らなければならなかったので、ようやく会うことができた。改めて、人付き合いで最も大切なのは、物理的な距離ではなく、心の距離なのだと感じる。そして、物理的な距離を縮めたのが、なじみの深い国道を遡る旅であったかと思うと感慨深い。この旅の意義に更なる彩りを添えてくれる。
この連載を始めて以来、沢山の読者から応援のメッセージを頂いたことが励みになっている。特に毎回熱心に読んで頂いている方の中には、母の友人もおり、この連載が掲載される度にご感想と共に叱咤激励のお言葉を頂いているそうだ。その中に「お勧めの飲食店の紹介をして欲しい」とご要望を頂いたので、最後くらいはご期待にお答えしたい。同様のご意見を頂いたことがあるが、下調べ無しの徒歩旅の都合上、ちょうど良い時間、ちょうど良い場所に、ちょうど良い飲食店が存在することは稀で、どうしても営業時間の長いチェーン店などで手軽に済ませることが多かった。今回は旅の締めくくりを祝し、少し贅沢をしようと思うので、お店を予約してある。

「日本料理ゆずな」のビフカツ

「日本料理ゆずな」のビフカツ

三人揃ったところで、国道165号の始点・梅田新道交差点からも歩いて行ける距離にある大阪市北区西天満の「日本料理ゆずな」へ。こちらはSNSを通じて知り合った方からのご紹介で、彼が料理人の修行時代にお世話になった方が経営しているお店。店内は木をふんだんに取り入れた和モダン。ゆっくりと時間が流れる心地良い空間で「名物ビフカツ膳」を頂く。ビフカツの揚げ加減は絶妙で、細かく切ったパンを使った衣はサクサク、肉の中心部は赤みを帯びて美しい。ソースは深く上品な味わいだが、しっかりとろみがあるため重厚感を感じさせる。私たち3人は積もる話に花を咲かせながら心ゆくまで美味を堪能する。 昭和22年創業の鰻料理の名店の暖簾を引き継いでいるだけに、うなぎも自慢だそう。また大阪を訪れた際は、是非味わってみたいものである。
昼食後は、二人の案内を受けながら、昨日十分に巡れる時間の無かった場所を追加取材したり、いか焼きやたこ焼きなどの大阪グルメを味わいながら大阪市の中心部を散策。とても楽しい時間を過ごしながら、私は次の旅をどのようなものにしようかと思いを巡らせている。すると、ある未知の存在が浮上する。それは国道163号と165号の〝間〟。つまり国道164号である。津市周辺で暮らす人にとって身近な二つの道の先にある未知を既知に変えた今こそ向き合うべき存在といえる。新たな旅を始める前に、本当の意味で今回の旅にピリオドを打つ必要があるようだ。もう少しだけお付き合い願いたい。(本紙報道部長・麻生純矢)

梅田新道交差点の大阪市道路元標

梅田新道交差点の大阪市道路元標

時刻は17時50分。日没も迫り、薄暗くなった大都会の中心に私は立っている。周囲には、仕事を終えて家路を急ぐ人の姿が目立つ。ここは梅田新道交差点。目指し続けてきた国道165号を遡る旅の目的地である。津市にある終点からここにある始点まで遡り続けてきた距離は約120㎞。途中で道を間違えた分も加えてざっと計算すると、ここまで計9日間で140㎞ほど歩いてきたことになる。そして、この場所に立つのは実に3年ぶり。前回は同じく津市に終点がある国道163号を遡る旅をしていたのだが、今回と逆方向の東から来た。今回は国道の最後の区間が一方通行のため、並行する大阪市道南北線を北上。土佐堀川と堂島川を渡り、関西を代表する歓楽街・北新地を越え、国道2号を西へと進み、梅田新道交差点へと入ってきた。
競い合うように雨空へと向かって伸びる高層建築物の谷間であるこの交差点の一角には、ひっそり佇むように小さなモニュメントが建てられている。これは「大阪市道路元標」。道路元標とは、国道の起点や終点に設置される標識で、ここは東京から大阪を結ぶ国道1号の終点、ここから北九州に向かって走る国道2号の起点など、4つの国道の起点と3つの国道の終点がある。その中に、津市に終点がある国道163号と165号も含まれている。この旅を振り返ると、①津市雲出本郷町の国道終点から久居IC②久居ICから西青山駅③西青山駅から名張駅④名張駅から榛原駅(宇陀市)⑤榛原駅から長谷寺駅(桜井市)⑥長谷寺駅から桜井駅⑦桜井駅から上ノ太子駅(大阪府太子町)⑧前回が誤って国道のバイパス方面へと進んでしまったので本道を通るため、大和八木駅から大阪教育大駅(大阪府柏原市)⑨柏原市から大阪市の終点という流れ。(駅は全て近鉄)。
春夏秋冬と歴史に彩られた道中での出来事は全て鮮明に記憶している。徒歩は自動車と比べると10分の1以下のスピードしか出ない反面、旅路の景色、天候、気温、湿度、においなどの情報を文字通り五感で味わえる。新幹線や高速道路などで移動すると一日で多くの目的地を巡ることができるので時間効率は良く、あっという間に次の街へ移動できる。しかし、矢継ぎ早に新しい情報が入ってくるため、脳の処理速度が追いつかず消化不良起こすことがままある。その点、徒歩旅は多面的な情報をじっくりと咀嚼しながら、飲み込み、自らの血肉へと変える時間を得られるのが最大の魅力といえる。
事実この旅を終えようとしている現在、旅の前には、ほとんど知らなかった土地に対する知見を得ただけでなく、愛着さえ抱いている。
モニュメントを眺めていると、旅路での思い出が次々と蘇り、熱い思いがこみあげてくる。スタートから2年以上。長いようで、あっという間だった。年度を締めくくるこの日に国道165を遡る旅を締めくくることができ、えも言われぬ達成感が心を支配している。だが、明日どうしても行ってみたい場所があるので、今日は宿がとってある。疲れた体に鞭を打ち、なんとかホテルに到着した私は、朝まで泥のように眠った。(本紙報道部長・麻生純矢)

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