発達さんの日常

言語聴覚士の新谷さんが   発達障害の子の支援語る

 

発達障害のリアルを当事者・専門家らが語る対談連載。発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違うために幼いうちから現れる様々な症状。出生率は数十人に一人と少なくないが社会の理解がまだ不十分で、同調圧力もあるため生きづらさを抱えている当事者は多い。最終回は当連載のコーディネーターで、言語聴覚士として発達障害を持つ子供の支援を行う新谷麻衣さんが語った。 (敬称略。聞き手は本紙記者・小林真里子)

 

(前号からの続き)
──発達障害の相談に対応する時、どんなことを心がけていますか?
例えば、保護者からの「集団で遊べない」という相談には生活背景をしっかり聞き取り、今その子が集団で遊ぶ必要がある段階なのかどうかや、集団ではなく一人で遊ぶ理由やメリット、必要性も考えながらお話させて頂いています。「遊べない」と、「遊ばない」では、事情が異なってくるからです。
また「言葉の発達が遅れている」という相談には「周りと比べて遅れている」ではなく「今、この子の発達がこの段階」という視点で、普段の生活の中でどうやって伸ばしていこうかと一緒に考えるように働きかけます。
そして、今のその子の生活に適した支援がもたらすメリットをお伝えしたり、私がこれまでの支援活動で出会った事例を話してみる。すると、先の見えない不安が少し和らぐ方も少なくありません。これは、前回お話しした「雑談という宝物」が与えてくれるものですね。
一方、お子さん自身からの相談では、とにかく日々のエピソードを沢山聴いて、その中から頑張れている姿やユニークな姿を見出し、ポジティヴな言葉で伝えるようにしています。
特に発達障害のグレーゾーン(「発達障害の特性を持っているが、診断基準は満たさない状態」を指す通称)のお子さんの場合は、友達との発達や興味の差が開いてくる学齢期に「今までみたいに遊んでもらえない」「誘ってもらえなくなった」という相談や、ケンカなどのトラブルも聞きます。この場合には、出来事や、本人と相手との関係性よりも、「その時のあなたの状態」を聞きます。答えが「しょうがないから一人で遊んだ」なら、相手の気持ちを尊重できたことが素晴らしいですし、別の方向性の友達ができる可能性を示したりもします。
また少し前に、「忘れ物をする」「うそをつく」「言っちゃいけないことを言う」などのいわゆる困った行動を「妖怪がのりうつった」とコミカルに表現したテレビ番組がありましたが、この表現が相談に対応する際、大変役立ちました。
発達障害を持つ子供の中には、感情のコントロールが難しい子やこだわりが強い子も多いので、衝動的に行動してしまい、後からひどく自分を責めて落ち込むというケースもあるんです。そこで、例えば落ち着きがなく椅子に座っていられない子には、「妖怪ソワソワが暴れ出してるから、ちょっと静かにするように言おうか」と話しかけたりしました。
このような表現は、「努力などの根性論ではどうにもコントロールできない自分」というものを見つめて付き合っていく力を育てるのに有効です。何よりも、困った行動が出た時に直接的に本人を責めることなく、穏やかに注意を促すことができるんです。ちなみに、うちの子の場合は遠足にリュックサックを忘れて行く猛者ですので、「忘れん坊将軍が現れた!」とユーモアを交えて声かけしています。

 

新谷麻衣 さん 津市在住。言語聴覚士、NPО法人アスペ・エルデの会三重支部ピカリンディレクターとして発達障害の子を支援。また、県内で国際的な自閉症啓発活動「ライトイットアップブルーみえ」に取り組んでいる。

新谷麻衣 さん
津市在住。言語聴覚士、NPО法人アスペ・エルデの会三重支部ピカリンディレクターとして発達障害の子を支援。また、県内で国際的な自閉症啓発活動「ライトイットアップブルーみえ」に取り組んでいる。

「世界自閉症啓発デー」である4月2日に合わせて毎年開催している「ライトイットアップブルーみえ」を、会場の津城跡でPRする新谷さん

「世界自閉症啓発デー」である4月2日に合わせて毎年開催している「ライトイットアップブルーみえ」を、会場の津城跡でPRする新谷さん

ライトイットアップブルーみえで、青く照らされた津城跡の櫓

ライトイットアップブルーみえで、青く照らされた津城跡の櫓

 

──発達障害を持つ人とそのほかの人が理解し合いながら共生するために、それぞれができることは何でしょうか?
この連載の第1回にもご登場頂いた金井先生(三重県立子ども心身発達医療センター長)が「人類みな発達障害」とおっしゃっていましたが、これは本当に共感できる言葉で、人は必ず何かが得意で何かが苦手なんですよね。先ほどお話した、「忘れ物をする」「うそをつく」など困った行動をする「妖怪」は発達障害の有無に関わらず、皆さんにのりうつります。ただ、それをうまく飼い慣らせるタイプの人と、手こずってしまうタイプの人、妖怪の存在に気づけないというか、自分の姿が見えないタイプの人がいます。
タイプの異なる人同士が理解し合い共生するためには、「それぞれのタイプがどのようなものなのか」という情報を共有することももちろん必要ですが、お互いの「寛容さ」「柔軟性」「ユーモア」が鍵になると考えています。例えば、私にも忘れん坊将軍がよくのりうつりますが、「片付けてしまうと忘れるが、見えていれば忘れない」という飼い慣らし方を発見しましたので、仕事机は多少の散らかり感を覚悟の上で色々なところに書類がマグネットで留めてあります。
もちろん、社会には深刻な問題もあります。例えば「数字の処理がとても苦手な人と同じ職場で働く人が、苦手な人の分の仕事もフォローしているのにお給料が同じ」という状況は寛容さだけでは乗り越えられませんよね。一部の人にだけ寛容さや柔軟性を求めるのではなく、この例だったらその職場の経営者や、働き方・お金の流れを司る国の機関にも対応が求められるわけです。
話が大きくなりすぎてわかりにくいように思えるかもしれませんが、「常識的に考えて、〇〇をするのが当たり前なのだが、それが行われない場面に直面した」という場合の適応能力や、「じゃあ、どうすれば良いのか」という発想力が健常者と呼ばれる人にも発達障害(自閉症スペクトラム)の人にももっとあると、色々な問題が問題ではなくなるのではと考えています。
──「常識」や「普通」といった人によって尺度が異なるものに捉われず、互いを尊重し合いながら、快適に共生するための方法を一緒に考えることが大切ですよね。
社会の発達障害への理解を広めるには、どのようなことが有効でしょうか?
それぞれの発達の個性やスピードに適した場で学ぶことは重要なのですが、そうすることによって特に学齢期から青年期、発達障害者は定型発達者と生活環境自体が離れてしまうケースが多いんです。進路が就労移行支援事業所や障害者雇用だと、一生関わりがないことも。
一方、同じ空の下、同じ社会で暮らしていますし、街中などで出会うことは当然あります。しかし、テレビのCM・ドラマ・アニメや映画、漫画で不特定多数の人が登場するシーンに、発達障害者だけでなく障害者が「当然の存在」として描かれることはめったになく、逆に「主人公は発達障害の少年」のように特別に扱われることはありますよね。
こうしたことにより既に社会の印象が定められると言うか、絞られているように感じています。ここが変わってくると、当事者との具体的な接点を持つことが難しくても理解は大きく進み、社会が変わると思います。
そういった点では、米国の某番組で自閉症の女の子がレギュラーのキャラクターに採用されたことはとても大きな意味があります。日本でもこういう動きが出てくるといいですよね。
SNSでは、「#発達障害あるある」などのタグがついた当事者の本音や、日常のネガティヴエピソードの投稿を目にすることがあります(ポジティヴなものも、もちろんあります)。また、一つのことにやたら詳しい人やこだわる人に対して、親しみを込めて「アスペかよ」とツッコミを入れるやりとりも見られます。人によっては驚いたり、いじめのように感じるかもしれませんが、私はむしろ、これまでの社会から当事者への腫れ物に触るような扱いよりもこうしたやり取りの方がオープンで、多様性社会の可能性に満ちていると考えています。タブー視せずに、もっともっと絡んでほしいと思うくらいです。
「人類みな発達障害」という言葉はちょっと刺激的かな?でも、これは言い換えると「わたしもあなたもみんな凸凹」ということなんですよね。凸や凹がまぜこぜになって、組み合わさったりはまらなかったり……。そうしてこの社会ができているんですよね。
──どうもありがとうございました。     (この連載は今回で終わりです)

言語聴覚士の新谷さんが   発達障害の子の支援語る

 

発達障害のリアルを当事者・専門家らが語る対談連載。発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違うために幼いうちから現れる様々な症状。出生率は数十人に一人。最終回は当連載のコーディネーターで、言語聴覚士として発達障害を持つ子供の支援を行う新谷麻衣さんが語った。(敬称略。聞き手は本紙記者・小林真里子)

 

 

新谷麻衣 さん

新谷麻衣 さん

──当連載を振り返っていかがですか?
連載企画を暖かく実現して下さったことに何よりも感謝しています。発達障害という言葉は広まってきましたし、社会で皆がまぜこぜになり暮らしているものの、「実際どんなふうなのか」は専門書や単発的な報道では伝わりきらないんです。
私は学生時代から「アスペ・エルデの会」に所属し多くの当事者や関係者とお会いしてきました。訓練室などの改まった場ではなく、雑談している時に面談で語られなかった生活の背景がふと語られたりして、聞き手として点と点が繋がることがとても多いんです。また「ライトイットアップブルーみえ」で展示する、当事者などから社会へ向けた「目は合わないけど聞いてます」のようなメッセージが、どんな専門書よりも理解に役立つと実感しています。
このような、支援に必要な金言を生む「雑談という宝物」や皆さんの思いを、沢山の人に届けられる連載ができたことは画期的だと思います。
──発達障害の子の支援の中で、特に印象深い場面を教えてください。
やはり本人や親御さんが、「他者との違いを受け入れる」瞬間ですね。特別支援級の利用を打診された時のご両親の表情や、ふと「僕が皆と違う部屋で勉強しているのは僕がダメだから?」と聞いた子、「発達障害と診断をつけたら何かこの子が変わるんですか!?」と興奮が抑えられなくなったお母さんもみえました。曖昧な言葉でその場凌ぎの対応をしてしまうと実態と本人の気持ちとの間にねじれが生まれ、拗れてしまう恐れがあります。かと言って、身も蓋もない言葉で現状を直視させるのは危険です。
特に保護者は、子供の将来を思って転ばぬ先の杖を用意したいと、即効性のある解決法を求めて相談される方も多いです。その焦りや不安を受け止めながら、日々のエピソードを聞き、そこからお子さんの成長をしっかりキャッチして伝える。「自分の子と他の子との違い」に気づき始めたり、子供が就学前などで気づきを促したい方には「発達障害」という言葉は使わないようにします。
発達障害と診断されたらその途端、その先の人生の方向性が定まってしまうと思われがちですが、実際の日々はもっと細かいステップで色々なことに向き合いながら過ぎていきますし、当事者の状態は千差万別で、日によって(時には分単位で)変わるので何も一括りにできないんですね。
私も親として同じ経験をしましたが、長年専門としている分野にも関わらず動揺しました。連日夜通しの夜泣きや公共の場でのパニック、きょうだいへの申し訳ない気持ちや自分の親世代との思いの食い違いで苦しい経験もしました。それでも、毎日が地獄のように暗いわけではなく、しんどい中でもちょっとした子供の姿が愛おしかったり面白かったりしましたし、今でもトライ&エラーを繰り返しています。子供の姿と自分の姿、周囲の姿を多角的に見ることで「陰が陽になる」というか、柔軟性が鍵になるんです。  (次号に続く)

発達障害のリアルを当事者・専門家らが語る対談連載。発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違うために幼いうちから現れる様々な症状。出生率は数十人に一人と言われる。発達障害者の仕事や自立を、県内在住の当事者、浜野千聡さん(28)、Aさん(仮名・29歳男性)と、千聡さんの母・芳美さん(60)が語った(敬称略。聞き手は本紙記者・小林真里子)。

 

 

──発達障害に関して、職場の人やお客さんに知ってもらいたいことは何ですか?
A 困ったりパニックになった時の形は色々で、誰も彼も「ギャー」となるわけじゃなくて、逆に真っ白になって立ち尽くす人もいるということです。
千聡 レジ打ちで、文句を言われたことがあります。
芳美 娘が働き始めたばかりの時、レジでモタモタしていたらお客さんに怒られたことがあって、私らが謝り「ここは障害のある人が働いていて、この子も障害を持っているんです」と説明したら「見た感じ分からないから、胸に何かマークを付けといてよ」と言われたんです。それで私は本当に「私は障害者です」と示すバッチを付けようと思い、娘にもそう言ったら娘も「うんうん」と。だけど、お店の皆で話し合ったらそれはちょっとねと。だから、「ここは障害者も健常者も働く喫茶店です」という貼り紙をしたんです。それからは、お客さんに何も言われなくなりました。
特に発達障害って見た目で分からない障害なの で、気付いてもらいにくいんです。「ぽっカフェ」ではそこを周りのスタッフが上手にカバーするので、発達障害がある人たちも皆さんそれぞれのペースで楽しく仕事をしてもらっていると、私は思っています。

小学生時代は乱暴な行動多数   理解ある職場で褒められて変化

──親としての、千聡さんの将来への思いは、昔と比べて変化しましたか?
芳美 周りのお母さん方は「とにかく他人様に迷惑をかけない子にしたい」「犯罪に関わるような人にはさせたくない」とよく言ってますが、私は実際、そうなるんじゃないかと思った時期がありました。千聡が小学生の時、高機能自閉症の子が人を殺す事件があって、当時、自分の子供もそういう風になってしまうんじゃないかとすごく怖かったんです。家で暴れて物を壊したり、壁に穴を開けたり、ペットを殺したりしていたので。だから、あすなろ学園(現・子ども心身発達医療センター)での入院も含め周りの色んな人に助けてもらって皆さんにこの子を育ててもらったなと思っています。今では「この子は癒やしの存在だ」と言われ、ヘルパーさんにもすごく好かれて「ちーちゃんのお世話なら私がしたい」と手をあげてくれる方が何人かいるので、ありがたいことだなって。娘が小学生の時はこんな風になるとは思っていなくて、将来が不安で不安でしょうがなかったです。
──千聡さんが変わった理由は何でしょうか?
芳美 多分、楽しいことが一杯あったんじゃないかなって。昔は親にも周りにも理解されなくて、自分のすることに「これはだめ」「こうせなあかん」と言われて嫌で辛かったんだと思う。仕事を始めてからは周りの皆さんが「すごいね」とたくさん褒めてくださる中で働かせてもらっているので、それが良い状態に繋がっているのかなと。
A 僕の職場の方も良くしてくれて、配慮してくれているのかあまり厳しく言われることはありません。分かってくれている人に囲まれて働けるというのはやっぱり良いですね。(第5回終わり)

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