筆ちどり

 台風被害で列車の運行を休止しているJR名松線の一部区間(家城駅~伊勢奥津駅)が、平成27年度中にいよいよ復旧する見込みだ。
 松阪市から津市美杉町に至る同線は利用者が少なく赤字路線だが、沿線地域の学生や、車を運転しない高齢者などにとって生活に欠かせない足。
 しかし私が津市で同線関係の取材をするようになって間もなく、21年に運行休止となり、津市内に位置するこの区間は一時、存続が危ぶまれた。私はそれまで、無意識に「列車が走っているのが当たり前」と思い込んでいたので、虚をつかれたような気がしたのを覚えている。
 その後、津市自治会連合会などによる全線復旧を求める署名活動が行われ23年、JR東海・三重県・津市が全線復旧に向けて協定を締結した。
 以来、美杉町をはじめ沿線では、住民などが、「このままでは復旧しても利用者は少なく、いつか廃線になる」と強い危機感を持ち、復旧後を見据えた同線の活性化策として、地域住民による利用の促進や、観光客誘致に取り組んでいる。
 「名松線を元気にする会」のイベントで、過疎化が深刻で普段はひと気の少ない駅周辺が、大勢の来場者で賑わう様子は壮観だった。また、同線に関わる組織などが、産官民の枠や地域を越えて協力する動きもある。
 これらを取材し、同線の存在は決して「当たり前」ではなく、多くの人の努力なしでは守れないものだと実感した。
 この路線の活性化は容易ではない。だからこそ私は、津市民の一人として、住民の悲願である全線復旧が実現されることにとても感謝している。
 復旧後、その感謝を胸に列車に乗るのが今から楽しみだ。車窓から見えるのはどんな景色だろうか。  (小林真里子)

 親友が亡くなってから一年。長かったような短かったような不思議な感覚。
 彼が命を落としたのは、世間を揺るがす大事故だっただけに、この一年間、事故後の検証も含めて嫌というほど、関連報道を目にしてきた。
 このことを通じて、私が強く感じたのは、マスコミの在り方だ。
 彼の無言の帰宅を迎えた時、葬儀の後、また私の自宅でも報道陣に何度も友人としてのコメントを求められた。私たちが抱える悲しみを多くの人たちに伝えこのような事故が二度と起きないように促すのはマスコミとしての責務。当然、私自身もそれは理解していたが何も話せなかった。
 ただ、それには理由がある。私の前に現れたのは「何が何でもコメントをとってこい」と上からプレッシャーをかけられているのが見ただけで分かる記者ばかりだったからだ。彼らはシナリオ通りの報道をするためのパーツ集めが目的となってしまっており、なぜ報道するかという最も大切な部分が、抜け落ちてしまっていたように見えた。
 これは私にとっての戒めでもある。自分も同じ立場なら、彼らと同じ行動をとっていたのではないか。そんな疑問が胸をよぎる。親友の死という余りに重すぎる現実を受け止めた時に、報道に携わる者としての原点に立ち返れた気がする。
 あれから事故の原因究明が進められてきたが、どのようなことが判明しようと遺された私たちに突き付けられた事実は至ってシンプルで残酷だ。もう彼は帰ってこない。ただそれだけなのだ。
 命日に彼の墓前で手を合わせると、未だ癒えぬ心の傷が疼く。〝ありのまま〟を伝えるのは口にするよりも、遥かに難しいことだ。自分自身が当事者になって初めて見えたものがある。
      (麻生純矢)

 先日、登山家・野口健さんの講演会を取材したが、大変印象に残っている。
 エネルギーや環境についての内容だったのだがエベレストや富士山での清掃活動や、子供たちを対象にした環境教育に取り組む立場上、原発問題への質問を投げかけられる機会が多いという。しかし、賛成か反対の二元論でしか意見を求められず、どちらかを即答しないと痛烈な批判を浴びてしまう。それに対し、一人の人間の中でさえも多種多様な考え方が混在しているのに、二元論で答えが出る訳がないとした上で「安易な色分けが社会に自ら限界をつくっている」と反論していた。
 未だに終息の見えない福島第一原発の事故の問題などから、原発再稼働への懸念が大きいのはわかる。だが、火力発電への依存によって貿易赤字が拡大しているのも事実で、国民生活に大きな影響が出る可能性も高い。 早期の脱原発も不可能ではないだろうが、相応の痛みに耐える覚悟は必要だ。原発は嫌だが電気代が上がるのは困るし、便利で豊かな暮らしは何も変えたくない。そんな甘い考えは通用しない。
 間もなく8%となる消費税についてもそうだ。増税は嫌だが手厚い社会保障は維持してほしい。これも無責任だ。
 野口さんは「エネルギー問題は落としどころ」とも語り、最も小さな負担で最も大きな効果を得る解決策を模索することの重要性を訴えていた。
 この考え方は全ての事柄に当てはまる。我々は目の前の現実から逃げずに、正しい〝落としどころ〟を見極める責任を背負っている。講演を聴きながら、改めてそれを実感した。 (麻生純矢)

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