163号をゆく

「和同開珎」の鋳造所があったことを示す碑

「和同開珎」の鋳造所があったことを示す碑

国道163号線沿いの風景

国道163号線沿いの風景

和束町を超えるといよいよ京都府木津川市へ。平成19年に木津町、加茂町、山城町が合併して誕生した市。その名が示す通り、国道163号に沿って流れる木津川がこの地域の歴史や文化を語る上でも欠かせない存在となっている。
津市から国道を西へ進むと、同市の入口に当たるのが旧加茂町。この辺りは、津藩が玉城町にあった田丸城を御三家の紀州藩に譲る代わりに得た山城地域の領地。津市ともゆかりが深い。淀川へ注ぐ木津川の水運は、津藩にとっても非常に重要な財源にもなっていた。近年、日本一の城づくりの名手として再評価が進んでいる津藩祖・藤堂高虎公も大坂城再建の際にはこの地から石垣用の石を切り出し、船で運んだ。その名残として、使われなかった残念石がいくつもも残っている。
この加茂町を国道に沿って歩くと、最初に入る地域が銭司。〝銭〟という文字は、現代の語感からすると、なにやら俗っぽく思えてしまうかもしれないが、誰もが知るあの貨幣が鋳造されていたことに由来する名前。そう、日本最古の貨幣・和同開珎だ。
立地条件的にも、当時の都である平城京からほど近く、陸路、水路共に交通の便が良かったことや、当時の日本になかった高度な鋳造技術を持った渡来人が付近に多数暮らしていたことが、この地が選ばれた理由と推察されている。
発掘調査によって、貨幣そのものだけでなく、鋳造に使ったるつぼ、鋳型、ふいごなども発掘されている。古の造幣局というわけだ。
生まれた時から、東京を中心とした文化に慣れきっている我々、現代人からすると、この辺りはのどかな山里という感覚でしかない。しかし、都が奈良や京都にあった時代には、都会からも非常に近く、陸水共に明るい交通の要衝という性質を持っていたのだ。
歩くという行為は、そういった古の人々と自身の感覚をすり合わせるにはうってつけ。頭でわかっているつもりの理屈を真の意味で理解するための貴重な手段でもある。
国道163号沿いにはこの地が和同開珎の鋳造所であったことを示す碑が建てられている。
ここまで、大した距離は歩いていないが、足が重い。国道の狭い路肩で、大型トラックをやり過ごすのは、少し大袈裟に言えば、命がけなところもあり、体力以上に神経をすり減らしていたようだ。碑の近くに腰を下ろし、古の貨幣経済を支えたこの地の往時の姿にしばし、想像を巡らせながら、心を落ち着ける。
(本紙報道部長・麻生純矢)

無動力歩行支援器「aLQ(アルク)」

無動力歩行支援器「aLQ(アルク)」

前回の行程から約3カ月。季節はすっかり春から初夏に移り変わっている。梅雨の合間の晴れを狙って歩ける機会を伺いつつ、次回に向けて色々と準備を進めている。
以前、自転車で津市を回る連載をしていた頃と比べると、今の私はメタボ体型。普段の移動は、なるべく歩くようにしているものの、この連載を愛読いただいている方々とお会いすると「歩いている割には…」というお声を良く頂く。至極ごもっともな感想である。加えて、40歳を目前に20代の頃と比べると明らかに体力も落ちており、一日30㎞ほど歩くと毎回疲れ果てている。
もちろん、地道にトレーニングを重ね、体重を落としながら体力をつけるのが大前提なのだが、生来の横着者である私。少しでも楽が出来る妙案が無いかと考えている所天啓を得た。「㈱機能食品研究所」=津市大門=の梅田幸嗣社長のご厚意で同社が取扱っている無動力の歩行支援器「aLQ(アルク)」を貸して頂いたからだ。
アルクは今仙電機製作所が開発した世界初の健者向けの歩行支援器で、電気やモーターなどの動力を一切使わないのが特徴。本体に内蔵されたばねが縮む反動と足を交互に踏み出す際の振り子運動を利用して、歩行時にかかる負担を20%軽減できる優れもの。
歩行支援器と聞くと仰々しい感じもするが、実のところ全くそんなことはない。健常者向けと銘打っているだけに、足腰の弱い高齢者だけでなく、旅行などで長距離を歩く際など、誰でもその恩恵を感じられる。装着も簡単で、本体をベルトに引っ掛け、本体から伸びるアルミ棒を膝上で固定するだけ。着けた時の違和感は全く無く、初めて付けた時は、それほど効果があると思えかもしれない。しかし、外した瞬間に足が少し重く感じるこの自然なアシスト力が身体に負担をかけない絶妙なラインなのだ。
以前、取材でアルクを試着し、効果を実感した私はすぐに梅田社長に、この連載のことを伝えたところ、快く協力して頂いた次第。雨で思うように予定とかみ合わないため、お借りしたアルクを久しぶりに装着。その効果を再度実感しながら、この稿を書いている。
次の行程は、笠置町から木津川市に入り、その後は奈良県、大阪府と関西の奥へ奥へと踏み込んでいく。津市民にとって身近な国道163号線の知らない姿をよりお見せできることになるはず。
そして、アルクがどのような効果をもたらすのか楽しみである。雨空を見上げながら来るべき時を待っている。(本紙報道部長・麻生純矢)

南山城村と笠置町の境目

南山城村と笠置町の境目

木津川にかかる大河原橋(恋路橋)

木津川にかかる大河原橋(恋路橋)

南山城村役場を過ぎるとJR関西本線の大河原駅。時刻は15時半過ぎ。車の置いてある上野市駅まで帰るのに電車を使う必要があるが、日没までにはまだしばらく時間があるので、ここでの乗車は見送る。
この一帯(当時は南山城村へ合併前の旧大河原村)は昭和28年(1953年)8月14日に発生した時間雨量の100㎜にも及ぶ豪雨による土砂崩れが発生。南山城村史に記載されている当時の駅長の言葉を借りると、大河原駅舎も「この世のものとは思われない、ものすごい山鳴りをともなってあっという間に」山津波で飲み込まれてしまった。それは木津川に沿って広がる旧大河原村の集落全体を横なめにし、未曽有の損害を出している。その際、山の中腹にあった共同墓地が崩れ、集落の入り口には頭蓋骨が転がる地獄絵図だったそうな。
もちろん、今はそんな過去を全く感じさせないのどかな風景が広がっている。自然と共に生きるということを口にするのは容易い。我々はその恵みばかりをイメージしがちだが、時には試練を課す厳しい一面を忘れてはならない。だからこそ、その試練を乗り越え、この地域に今も人々が暮らしていることを素晴らしく思うのだ。
駅を過ぎると、村内に唯一残る沈下橋の大河原橋が見える。沈下橋とは橋桁と橋脚のみで構成された橋。増水時に土砂や流木などが引っ掛かり橋が破損したり、川の水をせき止め洪水を引き起こす原因とならないように、このような構造となっている。
昭和20年に竣工され、今も地元の人々に使われているこの橋には、恋路橋という粋な通り名がついている。川面に月影がきらめく夜、北大河原と南河原を結ぶこの橋の上で、逢瀬を重ねる男女の姿を連想せずにはいられない。老朽化によって姿を消している沈下橋だがいつまでも残しておきたい村の風景である。
その後、再び国道はバイパスと合流。しばらく進むと南山城村と笠置町の境にさしかかる。見た目には、どこにでもあるような景色だが、津市を出発し、境を一つ超える度に言い知れぬ達成感を味わうことができた。
しばらく歩き詰めで、足が悲鳴を上げているので境の付近にある町の運動公園で少し休憩。時刻は16時過ぎ。やはり、今日の目的地は笠置駅になりそうだ。(本紙報道部長・麻生純矢)

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