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163号をゆく
清滝第一トンネルを抜けると、絶景が広がっていた。今までの緑あふれる景色とは打って変わり、視界はビルや高速道路など無数の建造物で埋め尽くされている。いわゆる都会の景色。我々、三重県民がイメージする「大阪」の姿である。
自然と対立する形で都会という言葉が使われることは多いが、私は必ずしもそうではないと考えている。なぜなら森や川や虫や鳥や獣などと同じく人間もまた自然が生み出した存在だからだ。その人間が生み出した都会も、また自然の一部といえる。この眼下にそびえる建物一つひとつに人々の営みがある。夜には、数多の光が闇を染め上げる美しい光景が見られるはず。それもまた自然が生み出した風景である。
環境保護を訴えることは大切だと思うが、そもそも人間が自らを自然から乖離した存在と捉えること自体が、傲慢ではないだろうか。まずは考え方を変えることで、見え方が変わる。そうすると生き方が変わる。それが社会に変化を及ぼすことで世界は確実に変わる。田舎と都会の境目では、いつもこんな考えが頭をよぎる。
国道163号を下り、四條畷市の市街地に入った私は、国道から少し外れ、ある場所を目指す。そこは四條畷市のアイデンティティの中核を占める存在ともいえる四條畷神社。祭神は、南北朝時代に南朝方の中心的な武将として戦った楠木正成の息子・楠木正行。正行は正成の死後、高師直らと「四條畷の戦い」を繰り広げ、敗北の末に自刃した。
このくだりは、軍記物語の太平記でお馴染みであるが、後に南朝が正統とされたこともあり、軍神として崇められた正成は大楠公、正行は小楠公と称され、広く親しまれるようになった。
前述の通り明治時代に南朝が正統とされる中、正行を祭る四條畷神社が創建された。津市の結城神社や北畠神社などと共に、後醍醐天皇や南朝方の忠臣を祭る建武中興十五社の一つに数えられる。明治以降に天皇制国家が成立していく中で、忠臣と名高い正行を祭神とする神社には創建当初から多くの人達が参拝に訪れ、参拝客を運ぶために電車の路線が開通。今でも多くの人で賑わう四條畷地区の発展は正行あってのものと言っても過言ではないのだ。そのため、正行は、地元の人から楠公の呼び名で親しまれ、町名や施設の名前にもなっている。楠公といえば、正成を思い浮かべる人が多いと思うが、ご当地の事情は面白い。
163号を南に折れて、住宅街を抜けると四條畷神社の鳥居。境内に入ると、9月の台風21号によって、手水舎が崩れていたり、電線が垂れ下がっていたりと、大きな爪痕が残っていた。拝殿で残り僅かとなった今日の行程の安全を祈願。後はJR四条畷駅へと向かうだけだ。(本紙報道部長・麻生純矢)
2018年12月6日 AM 4:55
国道163号の生駒市高山町の高山大橋交差点は上下線が分離されており、歩道も地下を横断する形。いわゆる最新型の道路である。163号の中でも四條畷市と生駒市を結ぶ全長約11㎞は「清滝生駒道路」と呼ばれており、その整備計画に伴いこの交差点付近の道路も改良されている。
この道路は、慢性的な交通渋滞や急勾配や急カーブの解消を目的としており、ちょうどこの辺りを入口に四條畷市に向けて、今の国道の北側に新たな道路が建設される計画。土木工事技術の進歩に伴い、山中にまっすぐ広い道を構築することが可能となり、谷筋の曲がりくねった狭い道にこだわる必要がなくなる。 道路は人々の想いが募り、それが具現化されたものである。道路の付け替えによって人の流れは変化し、周囲の街に変化をもたらす。それがどのような形で顕現するのか分かるのは先の話であるが、必ずこの目で確かめようと思っている。
流転する世界で、一人の人間が知覚できる範囲など、ほんの些細なものである。だからこそ、できる限り自分の心に刻みたい。そんなことを考えながら歩いている時に、同市北田原町付近の歩道で〝それ〟と出会った。
歩道の柵に立てかけられた古びた看板に「差し上げます。御自由に持って帰って下さい」とかすれた文字で書かれており、その脇にクーラーボックスが置かれている。
字面だけを見ると、どうということはないかもしれないが写真をご覧頂くと分かるように実物は、静かな威圧感を放っている。足を止めて開けるべきか、開けないべきか、しばし逡巡する。
ここで頭に浮かぶのはギリシア神話のエピメテウス。主神ゼウスから火を盗み、人類に授けた神プロメテウスの弟神。名前を日本語訳すると兄がプロメテウス(先に考える者)なのに対し、弟はエピメテウス(後に考える者)と、これだけでどのような神なのか分かるはず。
エピメテウスは、兄の忠告を聞かずにゼウスからの贈り物である人類最初の女性といわれるパンドラを妻として迎える。ここから先は、かの有名な「パンドラの箱」の物語である。ある日、パンドラは、神々より「絶対に開けてはいけない」と言われ渡された箱を興味本位で開けてしまう。するとそこから、争いや病気など、様々な災厄が世界中に飛散し、人々は苦しむこととなった。
前振りが、やや壮大になってしまったが、衝動に任せて行動するのはよくないという教訓だろう。何が入っているかは非常に気になるが、真実を知らない方があれこれ想像する余地が残る。最終的には「近所の人が善意で余った野菜を入れているのではないか」と結論付け、先へと進む。
後日談であるが、周辺の追取材を行った際、この場所を再び通ると、看板とクーラーボックスは消えていた。あれは一体なんだったのだろうか。結局のところ、私は『後に考える者』にすぎなかったのである。(本紙報道部長・麻生純矢)
2018年11月8日 AM 4:55
生駒市史では国道163号は主要道路であった一条街道と清滝街道を一つに結んだものと説明されている。市史が綴られた1985年でも重要な道と位置付けられており、無論それは今日でも変わらない。ただこの市史で面白いのは、国道163号が四日市市に達する道路と記載されていることだ。
これまでにも何度か説明したが、国道163号は元々、大阪市と四日市市を結ぶ国道だった。それが、名阪国道の開通した1963年に旧上野市から四日市市までの区間が切り離され、国道25号へと編入。その後、1993年に旧上野市から津市の岩田橋北交差点間が国道に編入されて今の形となった。つまり、この市史が書かれる20年以上も前に四日市市に達する道では無くなっているのだ。関西方面には国道163号のことを、この市史が書かれて30年以上経った今も四日市線と呼ぶ人がたまにいるそうだが、それを証明するような記載である。後に国道へと編入された区間が走っている津市の方々にとっては特に面白く思えるのではないだろうか。
さて、話を旅路に戻そう。生駒市に入って、のんびりと山間の地域を歩いていると案の定、再び歩道が消えた。路側帯もほとんどないので、身を縮めながら白線をなぞるように歩いていく。
道路の両端が木々や草に覆われ、見通しの悪いカーブ箇所には、ご丁寧に「事故多発地帯」と書かれた立て看板。ここまでの行程で何度も同じような経験をしてきたが、一つ間違えば大事故に繋がりかねないことには変わりない。慎重に進んでいく。
生駒市も関西文化学術研究都市を形成する一都市であり、その中核である国立大学の「奈良先端科学技術大学院大学」は国道163号に沿う場所に立っている。この大学には、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんが現在の京都大学の前に在籍。今や誰もが知っているiPS細胞の研究を開始した地でもある。
そんな場所とも津市が一本の道で繋がっていると知れば、驚く人も多いのではないだろうか。何気なく普段通っている道の先には、世紀の大発見に関わる地が待っているのだ。
同大学を越え、更に国道を進んでいくが何度か車道の端を歩く羽目になり、肉体的にも精神的にも疲れを感じ始めている。先述した左足裏の痛みも気になり始めているので少し広めの歩道の端で休憩。腰を下ろしポケットからスマートフォンを取り出し、地図を確認する。どうやら間もなく大阪府の県境で、それを越えれば四條畷市に入るようだ。
やはり、ここからの距離と日没までの時間を考えると、JR四条畷駅が今日のゴールだと確信する。(本紙報道部長・麻生純矢)
2018年11月3日 AM 9:30