163号をゆく

南山城村と笠置町の境目

南山城村と笠置町の境目

木津川にかかる大河原橋(恋路橋)

木津川にかかる大河原橋(恋路橋)

南山城村役場を過ぎるとJR関西本線の大河原駅。時刻は15時半過ぎ。車の置いてある上野市駅まで帰るのに電車を使う必要があるが、日没までにはまだしばらく時間があるので、ここでの乗車は見送る。
この一帯(当時は南山城村へ合併前の旧大河原村)は昭和28年(1953年)8月14日に発生した時間雨量の100㎜にも及ぶ豪雨による土砂崩れが発生。南山城村史に記載されている当時の駅長の言葉を借りると、大河原駅舎も「この世のものとは思われない、ものすごい山鳴りをともなってあっという間に」山津波で飲み込まれてしまった。それは木津川に沿って広がる旧大河原村の集落全体を横なめにし、未曽有の損害を出している。その際、山の中腹にあった共同墓地が崩れ、集落の入り口には頭蓋骨が転がる地獄絵図だったそうな。
もちろん、今はそんな過去を全く感じさせないのどかな風景が広がっている。自然と共に生きるということを口にするのは容易い。我々はその恵みばかりをイメージしがちだが、時には試練を課す厳しい一面を忘れてはならない。だからこそ、その試練を乗り越え、この地域に今も人々が暮らしていることを素晴らしく思うのだ。
駅を過ぎると、村内に唯一残る沈下橋の大河原橋が見える。沈下橋とは橋桁と橋脚のみで構成された橋。増水時に土砂や流木などが引っ掛かり橋が破損したり、川の水をせき止め洪水を引き起こす原因とならないように、このような構造となっている。
昭和20年に竣工され、今も地元の人々に使われているこの橋には、恋路橋という粋な通り名がついている。川面に月影がきらめく夜、北大河原と南河原を結ぶこの橋の上で、逢瀬を重ねる男女の姿を連想せずにはいられない。老朽化によって姿を消している沈下橋だがいつまでも残しておきたい村の風景である。
その後、再び国道はバイパスと合流。しばらく進むと南山城村と笠置町の境にさしかかる。見た目には、どこにでもあるような景色だが、津市を出発し、境を一つ超える度に言い知れぬ達成感を味わうことができた。
しばらく歩き詰めで、足が悲鳴を上げているので境の付近にある町の運動公園で少し休憩。時刻は16時過ぎ。やはり、今日の目的地は笠置駅になりそうだ。(本紙報道部長・麻生純矢)

国道163号沿いに咲く桜(南山城村北大河原付近)

国道163号沿いに咲く桜(南山城村北大河原付近)

黒川紀章氏が設計した「やまなみホール」

黒川紀章氏が設計した「やまなみホール」

国道を彩る景色はのどかだが、相変わらず歩道は途切れ途切れ。近畿と中部を結ぶ抜け道として、利用する大型車も多いので、大きな身体をすくめながら進む。
しばらくすると国道は北大河原バイパスと本線に分岐。バイパスは歩行者通行禁止なので、本線を歩いていく。南山城村の中心部に位置する北大河原は、現在の奈良市柳生町に本拠を構えた柳生藩が治めていた江戸時代には、村内で一番の石高を持つ大村で国道のルーツである伊賀街道の宿駅だった。今でも、村役場はこの地域にある。
柳生藩はわずか1万石余りの小藩だが、その名を知らしめたのは、剣豪して名高い藩祖・柳生宗矩と息子の十兵衛こと三厳親子。二人は江戸時代の講談を始め、現在でも漫画やゲームなど様々な創作物で虚実を織り交ぜながら〝伝説の侍〟として語り継がれている。以前紹介した伊賀出身で鍵屋の辻の決闘で有名な剣客・荒木又衛門が三厳より柳生新陰流を学んだといわれる逸話も伊賀街道が結んだ立地によるところが大きい。今では真偽を問う声も大きいが、自分で歩くと、そんな話が出てもおかしくない距離感に思わず納得する。
少し早めの桜が素朴な山里の風景に格別の彩りを添える。歩道は途切れがちだが、平日午後に本線を通る大型車は無く、ようやく景色を楽しみながら歩くことができる。 昔ながらの集落をしばらく進むと村役場。その向かいには、ひと際目を引く建物が建っている。この建物は、世界的に有名な建築家である故・黒川紀章氏が設計した村の総合文化会館「やまなみホール」。ホールの入口に並ぶ塔や、波打つような屋根など、特徴的かつ洗練された姿がひときわ目を引く。村史によると、黒川氏は水と森など豊かな自然環境に恵まれた村の風景を大変気に入り、建設用地の選定にも携わったという。
ホールは外観だけでなく、音響効果にも優れており、国内外の音楽家たちにも高く評価されている。このホールや、同じく村内にある英国人の世界的建築家リチャード・ロジャースが設計に携わった南山城小学校に共通して感じるのは、村に息づく〝本物志向〟。
前者は1991年、後者は2003年完成で、20年近く隔たりがあり、時代背景が大きく変化している。求められる政策や財政状況も変化しているはずだが、小さい村だからこそ、未来に投資する教育や文化施設をしっかり整えたいという揺るぎない意志の表れだろうか。村に息づく侍の心を感じてしまう。(本紙報道部長・麻生純矢)

 

伊賀盆地を洪水から守る「小田遊水地」

伊賀盆地を洪水から守る「小田遊水地」

桜に彩られた「射手神社」の赤鳥居

桜に彩られた「射手神社」の赤鳥居

伊賀市の中心市街地から国道163号で、郊外へと進んでいく。
島ケ原方面に向かう国道沿いには、のどかな田園風景が広がっているように見えるが、この一帯が「小田遊水地」。遊水地とは、洪水が発生した際に水を貯めて市街地への被害を最小限にとどめる設備。この小田遊水地を含め、周囲にある4つの遊水地で「上野遊水地」を形成している。
旧上野市の市街地を含む上野盆地は、淀川に注ぐ木津川と柘植川、服部川の合流地点があるが、三河川の合流地点からほど近い岩倉峡で一気に川幅が狭くなり、溢れた水が洪水を引き起こす。歴史的にも幾度も水害が発生しており、この遊水地は多くの人たちの生活を守る非常に重要な存在となっている。一見すると単なる農地にしか見えないが、自然と人のせめぎあいの最前線なのだ。
遊水地を見ながらしばらく国道を進むと、木津川にかかる橋にさしかかる。前回の行程で、大山田に入った際、東海と関西の境目を超えた感覚はあったが、この川を渡ると更にそれが強いものとなった。「賽は投げられた」。さながら大軍を率いてルビコン川を越え、ローマへ迫るカエサルのようだといえば大袈裟だが、昂る気持ちを抑えられない。
時刻は、ちょうど11時半。天高く上った太陽からは、3月末と思えないしたたかな日差しが降り注いでいる。実のところ、今日の目的地は未だ定まっていない。木津川に沿って走るJR関西本線で帰ることとなるので、自ずと目的地は、その駅となる。候補は近いところから笠置、加茂、木津の3駅。一気に木津駅まで行くのは私の体力と、日没までの時間を考慮すると難しい。実質は笠置と加茂の二択ということになるだろう。
急ぐ旅でもないので、足の赴くままにといったところ。長田の集落に差し掛かった私は、「射手神社」を参拝。この神社は、源義経が木曽義仲を討つために宇治へと向かう道中に立ち寄り、戦勝祈願をしたり、西行法師も訪れ、歌を残したという。いずれもこの道が、京都や奈良へと続く重要な道路であり、今も国道である所以を示すエピソードである。
風に揺らめく無数の桜花に彩られた赤鳥居。その近くにある石造十三塔は国と市の文化財指定を受けている。私は石段を登り、拝殿の賽銭箱に白銅貨を投じ、二礼二拍手一礼の作法で、日々の感謝と道中の安全を祈る。
参拝を終え、石段下の社務所の方を見ると、桜の大木が晴れ姿を誇るように境内を薄紅色に染め上げている。この景色に無条件の美しさを感じるのは人の性であろう。
晴れやかな気持ちで神社を後にした私は、未だ定まらぬ目的地に向かって歩き始めた。(本紙報道部長・麻生純矢

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