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163号をゆく
前回の行程から約3カ月。季節はすっかり春から初夏に移り変わっている。梅雨の合間の晴れを狙って歩ける機会を伺いつつ、次回に向けて色々と準備を進めている。
以前、自転車で津市を回る連載をしていた頃と比べると、今の私はメタボ体型。普段の移動は、なるべく歩くようにしているものの、この連載を愛読いただいている方々とお会いすると「歩いている割には…」というお声を良く頂く。至極ごもっともな感想である。加えて、40歳を目前に20代の頃と比べると明らかに体力も落ちており、一日30㎞ほど歩くと毎回疲れ果てている。
もちろん、地道にトレーニングを重ね、体重を落としながら体力をつけるのが大前提なのだが、生来の横着者である私。少しでも楽が出来る妙案が無いかと考えている所天啓を得た。「㈱機能食品研究所」=津市大門=の梅田幸嗣社長のご厚意で同社が取扱っている無動力の歩行支援器「aLQ(アルク)」を貸して頂いたからだ。
アルクは今仙電機製作所が開発した世界初の健者向けの歩行支援器で、電気やモーターなどの動力を一切使わないのが特徴。本体に内蔵されたばねが縮む反動と足を交互に踏み出す際の振り子運動を利用して、歩行時にかかる負担を20%軽減できる優れもの。
歩行支援器と聞くと仰々しい感じもするが、実のところ全くそんなことはない。健常者向けと銘打っているだけに、足腰の弱い高齢者だけでなく、旅行などで長距離を歩く際など、誰でもその恩恵を感じられる。装着も簡単で、本体をベルトに引っ掛け、本体から伸びるアルミ棒を膝上で固定するだけ。着けた時の違和感は全く無く、初めて付けた時は、それほど効果があると思えかもしれない。しかし、外した瞬間に足が少し重く感じるこの自然なアシスト力が身体に負担をかけない絶妙なラインなのだ。
以前、取材でアルクを試着し、効果を実感した私はすぐに梅田社長に、この連載のことを伝えたところ、快く協力して頂いた次第。雨で思うように予定とかみ合わないため、お借りしたアルクを久しぶりに装着。その効果を再度実感しながら、この稿を書いている。
次の行程は、笠置町から木津川市に入り、その後は奈良県、大阪府と関西の奥へ奥へと踏み込んでいく。津市民にとって身近な国道163号線の知らない姿をよりお見せできることになるはず。
そして、アルクがどのような効果をもたらすのか楽しみである。雨空を見上げながら来るべき時を待っている。(本紙報道部長・麻生純矢)
2018年6月21日 AM 4:55
南山城村役場を過ぎるとJR関西本線の大河原駅。時刻は15時半過ぎ。車の置いてある上野市駅まで帰るのに電車を使う必要があるが、日没までにはまだしばらく時間があるので、ここでの乗車は見送る。
この一帯(当時は南山城村へ合併前の旧大河原村)は昭和28年(1953年)8月14日に発生した時間雨量の100㎜にも及ぶ豪雨による土砂崩れが発生。南山城村史に記載されている当時の駅長の言葉を借りると、大河原駅舎も「この世のものとは思われない、ものすごい山鳴りをともなってあっという間に」山津波で飲み込まれてしまった。それは木津川に沿って広がる旧大河原村の集落全体を横なめにし、未曽有の損害を出している。その際、山の中腹にあった共同墓地が崩れ、集落の入り口には頭蓋骨が転がる地獄絵図だったそうな。
もちろん、今はそんな過去を全く感じさせないのどかな風景が広がっている。自然と共に生きるということを口にするのは容易い。我々はその恵みばかりをイメージしがちだが、時には試練を課す厳しい一面を忘れてはならない。だからこそ、その試練を乗り越え、この地域に今も人々が暮らしていることを素晴らしく思うのだ。
駅を過ぎると、村内に唯一残る沈下橋の大河原橋が見える。沈下橋とは橋桁と橋脚のみで構成された橋。増水時に土砂や流木などが引っ掛かり橋が破損したり、川の水をせき止め洪水を引き起こす原因とならないように、このような構造となっている。
昭和20年に竣工され、今も地元の人々に使われているこの橋には、恋路橋という粋な通り名がついている。川面に月影がきらめく夜、北大河原と南河原を結ぶこの橋の上で、逢瀬を重ねる男女の姿を連想せずにはいられない。老朽化によって姿を消している沈下橋だがいつまでも残しておきたい村の風景である。
その後、再び国道はバイパスと合流。しばらく進むと南山城村と笠置町の境にさしかかる。見た目には、どこにでもあるような景色だが、津市を出発し、境を一つ超える度に言い知れぬ達成感を味わうことができた。
しばらく歩き詰めで、足が悲鳴を上げているので境の付近にある町の運動公園で少し休憩。時刻は16時過ぎ。やはり、今日の目的地は笠置駅になりそうだ。(本紙報道部長・麻生純矢)
2018年5月31日 AM 4:55
国道を彩る景色はのどかだが、相変わらず歩道は途切れ途切れ。近畿と中部を結ぶ抜け道として、利用する大型車も多いので、大きな身体をすくめながら進む。
しばらくすると国道は北大河原バイパスと本線に分岐。バイパスは歩行者通行禁止なので、本線を歩いていく。南山城村の中心部に位置する北大河原は、現在の奈良市柳生町に本拠を構えた柳生藩が治めていた江戸時代には、村内で一番の石高を持つ大村で国道のルーツである伊賀街道の宿駅だった。今でも、村役場はこの地域にある。
柳生藩はわずか1万石余りの小藩だが、その名を知らしめたのは、剣豪して名高い藩祖・柳生宗矩と息子の十兵衛こと三厳親子。二人は江戸時代の講談を始め、現在でも漫画やゲームなど様々な創作物で虚実を織り交ぜながら〝伝説の侍〟として語り継がれている。以前紹介した伊賀出身で鍵屋の辻の決闘で有名な剣客・荒木又衛門が三厳より柳生新陰流を学んだといわれる逸話も伊賀街道が結んだ立地によるところが大きい。今では真偽を問う声も大きいが、自分で歩くと、そんな話が出てもおかしくない距離感に思わず納得する。
少し早めの桜が素朴な山里の風景に格別の彩りを添える。歩道は途切れがちだが、平日午後に本線を通る大型車は無く、ようやく景色を楽しみながら歩くことができる。 昔ながらの集落をしばらく進むと村役場。その向かいには、ひと際目を引く建物が建っている。この建物は、世界的に有名な建築家である故・黒川紀章氏が設計した村の総合文化会館「やまなみホール」。ホールの入口に並ぶ塔や、波打つような屋根など、特徴的かつ洗練された姿がひときわ目を引く。村史によると、黒川氏は水と森など豊かな自然環境に恵まれた村の風景を大変気に入り、建設用地の選定にも携わったという。
ホールは外観だけでなく、音響効果にも優れており、国内外の音楽家たちにも高く評価されている。このホールや、同じく村内にある英国人の世界的建築家リチャード・ロジャースが設計に携わった南山城小学校に共通して感じるのは、村に息づく〝本物志向〟。
前者は1991年、後者は2003年完成で、20年近く隔たりがあり、時代背景が大きく変化している。求められる政策や財政状況も変化しているはずだが、小さい村だからこそ、未来に投資する教育や文化施設をしっかり整えたいという揺るぎない意志の表れだろうか。村に息づく侍の心を感じてしまう。(本紙報道部長・麻生純矢)
2018年5月24日 AM 4:55