163号をゆく

吹上の坂の道路改良を祝う開鑿記念碑

吹上の坂の道路改良を祝う開鑿記念碑

さて、ここからはいよいよ美里町。すぐ近くに吹上の坂の道路改良を祝う開鑿記念碑が立っている。碑には明治15年7月建之とある。この当時、既存の道路改良や新道の設置の機運が全国的にも高まっていた。四方を山に囲まれた伊賀地域にとって旧伊賀街道は商業的にも、生活インフラとしても非常に重要で改良工事は悲願。長野隧道(トンネル)含めた街道全体の改良工事が行われた。当時の道路工事の原資は、公費よりも沿線の村々から集めた民費の割合が大きいのが一般的。吹上の坂の改良工事は五百野村の人々の負担によって賄われており、碑には「五百野人民一同」という名義と共に発起人の名前などが刻まれている。難所の改良を自分たちの代で成し遂げたことは、後世にも語り継ぎたいほど誇らしい出来事だったのだ。事実、その思いが生き続けているからこそ、我々も難なくこの道を通ることができる。現在の道路は行政によって設置・管理されているので、自分のものという愛着は薄いかもしれないが、この碑はかつて道路がどういう存在であったかを教えてくれる。
更に国道を進むと、旧伊賀街道と旧伊勢街道を結んだ旧奈良街道との分岐点。その少し先にあるコンビニで休憩をとる。すぐに冷たい炭酸飲料を購入すると、駐車場の端に腰を下ろす。
スマートフォンの時間は17時。地図アプリで、目標の長野峠までの道程を改めて確認すると、中心市街地からここまでの距離とほぼ同じ10㎞。日没までしばらく時間はあるが、体力的に辿り着ける自信がないので、キリの良いところで引き上げを決断。幸い国道には津駅方面へ向かう路線バスが走っているので、コンビニを出発し、近くのバス停で時刻表を確認。帰りのバスは確保できそうなので迷わず進む。
五百野の集落の北側を通る国道沿いに「五百野皇女」の伝説が残る地であることを記した大きな碑がある。彼女は景行天皇の第7皇女で、伊勢神宮の斎王としての任を終え、都に戻る旅路で病に倒れたといわれている。以前は国道の北側に鎮座する高宮神社の方にあったが圃場整備でここに移動したという。赤く染まり傾いていく太陽。皇女の郷愁に思いを重ねながら西へ進む。(本紙報道部長・麻生純矢)

田園風景を走る国道163号(津市片田井戸町)

田園風景を走る国道163号(津市片田井戸町)

国道163号沿いの集落(津市片田町)

国道163号沿いの集落(津市片田町)

津市片田志袋町から片田井戸町、片田町、そして片田久保町。国道163号は田園地帯に沿って緩やかな曲線を描いている。収穫を終えたばかりの田では風に舞う稲わらが、豊穣を告げている。
この一帯は、旧伊賀街道に沿って集落が形成されており、片田町から片田久保町にかけては、旅籠だった建物や、常夜灯など宿場町の面影も残っている。
そんな風景に心躍らせながらも、アスファルトをなぞる足取りは決して軽やかではない。この地域には歩道や十分な広さの路側帯が余りなく、必然的に車道の端を歩く時間が長くなるからだ。平日昼間でも交通量があり、気を抜けば、事故になりかねないので、慎重にならざるを得ない。
道路の右側を歩きながら、前方から来る自動車に全神経を注ぐ。スペースがあれば大きく避け、無ければ立ち止まり、やり過ごす。それを繰り返しつつ、少しずつ美里町方面へと歩みを進める。
国道沿いでも少し古めの家々は、玄関が国道にほぼ直結しているものが少なくない。これは数十年前まで、道路が単なる交通インフラというだけでなく、文字通り人々の生活の場であったことを示す証。道路は子供たちの最も身近な遊び場であり、大人たちにとっても社交の場だった。
自動車への〝主役交代〟によって、利便性は飛躍的に向上したが、ほとんどの道路は自動車のために最適化されてしまった。一方は、陸を統べる王者の顔色を伺い、もう一方はか弱き貧者への施しに腐心するかの如き均整を欠いた関係が路上の常となっている。
本来、人間は2本の足と道さえあれば、どこへでもいける生物のはずだ。〝遠く〟が近くなった反面、〝近く〟が遠くなってしまったのは、皮肉という他はない。
なにも今を否定したいわけではない。大切なのは私たちが何を得て、何を失ったのかを知ることだ。ただ道路を歩くという単純な行為が、それらを浮き彫りにしていくから不思議だ。 (本紙報道部長・麻生純矢)

伊勢自動車道の高架(津市殿村)

伊勢自動車道の高架(津市殿村)

津市殿村。見渡す限り広がる田園風景と、澄み渡る晩夏の空のコントラストを楽しみながら国道163号を伊賀方面へ進んでいく。容赦のないように思えた日差しも盛夏のそれとは違う微かな柔らかさを秘めていることに気付く。「秋隣」という言葉はこういう時にこそ使うべきなのだろう。
再び歩道が途切れ、気を引き締めつつ歩くと、伊勢自動車道の高架が見える。1993年に全線開通したこの高速道路は東西の名阪自動車道と三重県の南北の主要都市を結んでおり、伊勢神宮の参拝者も多く利用している。近年では、紀勢自動車道にも接続され、尾鷲や熊野といった東紀州とのアクセスも飛躍的に向上している。
余談になるが、高速道路の正式名称は高速自動車国道で、その名の通り国道の一種。大正時代に道路法が制定された際には、東京から伊勢神宮を結ぶ道が国道1号(現在の国道23号)と定められたことは余り知られていない。江戸時代には〟一生に一度〝と言われたお伊勢参りには、伊勢街道などを通って全国から多くの旅人が訪れていた。この高速道路も、その時代から連綿と受け継がれた思いが形づくっていると思えば味わい深い。
伊勢自動車道の高架下をくぐる際、道路に鳥の糞が落ちている。見上げると橋の付け根部分の出っ張っているところで何匹ものハトが羽を休めている。ちょっとやそっとの災害ではびくともせず、危害を加える人間もほとんど通らない高架下は格好のねぐらとなるのは自明の理である。
泉ヶ丘団地に繋がる道と163号が合流する交差点で普段よく通っているはずだが、今まで全然気づかなかった。これを書くのに調べたところ、高架下でのハトの営巣は全国各地で問題になっているらしい。こういうことを自分の目で見て感じられるのは歩く醍醐味だと思う。
道中の幸運は願うが、不ウンに見舞われたくないので慎重に高架下をくぐり、片田地区へと入っていく。北には伊勢平氏発祥の地である忠盛塚。辺りのコンビニで初めての休憩。店舗脇に腰を降ろし、購入したばかりの冷えたミネラルウォーターを一気に飲み干す。人心地ついたところで、懐からスマートフォンを取り出す。時間は15時。出発から一時間半が経過しており、距離にするとまだ7㎞ほど。当然のことながら目標の長野峠は遥か彼方。まだまだ、ここで休みたいが気持ちを奮い立たせ、国道に戻っていく。(本紙報道部長・麻生純矢)

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