163号をゆく

伊勢自動車道の高架(津市殿村)

伊勢自動車道の高架(津市殿村)

津市殿村。見渡す限り広がる田園風景と、澄み渡る晩夏の空のコントラストを楽しみながら国道163号を伊賀方面へ進んでいく。容赦のないように思えた日差しも盛夏のそれとは違う微かな柔らかさを秘めていることに気付く。「秋隣」という言葉はこういう時にこそ使うべきなのだろう。
再び歩道が途切れ、気を引き締めつつ歩くと、伊勢自動車道の高架が見える。1993年に全線開通したこの高速道路は東西の名阪自動車道と三重県の南北の主要都市を結んでおり、伊勢神宮の参拝者も多く利用している。近年では、紀勢自動車道にも接続され、尾鷲や熊野といった東紀州とのアクセスも飛躍的に向上している。
余談になるが、高速道路の正式名称は高速自動車国道で、その名の通り国道の一種。大正時代に道路法が制定された際には、東京から伊勢神宮を結ぶ道が国道1号(現在の国道23号)と定められたことは余り知られていない。江戸時代には〟一生に一度〝と言われたお伊勢参りには、伊勢街道などを通って全国から多くの旅人が訪れていた。この高速道路も、その時代から連綿と受け継がれた思いが形づくっていると思えば味わい深い。
伊勢自動車道の高架下をくぐる際、道路に鳥の糞が落ちている。見上げると橋の付け根部分の出っ張っているところで何匹ものハトが羽を休めている。ちょっとやそっとの災害ではびくともせず、危害を加える人間もほとんど通らない高架下は格好のねぐらとなるのは自明の理である。
泉ヶ丘団地に繋がる道と163号が合流する交差点で普段よく通っているはずだが、今まで全然気づかなかった。これを書くのに調べたところ、高架下でのハトの営巣は全国各地で問題になっているらしい。こういうことを自分の目で見て感じられるのは歩く醍醐味だと思う。
道中の幸運は願うが、不ウンに見舞われたくないので慎重に高架下をくぐり、片田地区へと入っていく。北には伊勢平氏発祥の地である忠盛塚。辺りのコンビニで初めての休憩。店舗脇に腰を降ろし、購入したばかりの冷えたミネラルウォーターを一気に飲み干す。人心地ついたところで、懐からスマートフォンを取り出す。時間は15時。出発から一時間半が経過しており、距離にするとまだ7㎞ほど。当然のことながら目標の長野峠は遥か彼方。まだまだ、ここで休みたいが気持ちを奮い立たせ、国道に戻っていく。(本紙報道部長・麻生純矢)

終点付近にある水上マーケット

終点付近にある水上マーケット

 

8月31日13時半頃に国道163号の終点から出発。ただ少々寂しいのはここが終点と誰もが一目で分かるようなランドマークがないこと。全国の国道ファンの間では〝おにぎり〝と呼ばれ、親しまれている国道の道路標識もかすれ、歩道に三重県の距離票(道路のしてん起点からの距離を記してある)が打ち込まれているのみ。道路の起終点を示す道路元標設置義務はもうないが、小さなものでも良いので終点を示すモニュメントがあれば、この道に興味持つ人が増えるかもしれない。
ここから近鉄津新町駅周辺にかけての区間は、国道163号という名前以上に「新町通り」という通称の方が圧倒的に知られている。津市史には、戦後復興の折、厳しい物資統制の隙間を補う形で生活必需品を販売する露店が立ち並んでいたことから、次第に商店街が形成されていく通り

終点付近にある水上マーケット

終点付近にある水上マーケット

の黎明期が記されている。
歩き始めた私を最初に出迎えてくれたのは、岩田川に沿って広がる水上マーケット。立ち並ぶ商店の前を走る歩道には、スレート屋根に鉄骨がむき出しの簡易なアーケードが掛けられている。戦後のいわゆる闇市がルーツで、当初は川沿いの狭い土地にバラックが並んでいたが、やがて水上にまでせり出す形で少し広い店舗が建てられた。昭和36年に床下は埋められたが、今も護岸いっぱいに並ぶ古びた建物は決して名前負けしていない。
今では、入口付近の建物は火災で焼失し、シャッターが閉まったままの店舗も多く、少し寂しい印象も受ける中、近鉄津新町駅方面に歩を進めていく。国道に沿って、昭和の面影を色濃く残す佇まいは終点として、インパクト十分な風景かもしれない。
アーケードを抜け、その先の津新町商店街を通過していく。飲食店を中心とした比較的新しい店舗、逆に小売り店は長い歴史を感じさせる店が並ぶ。戦前まではただの一つの通路に過ぎなかったというこの道が、戦後復興より津新町商店街の目抜き通りになり、やがて主要地方道に。それが、平成5年には国道へ

三重県の距離標

三重県の距離標

終点にある〝おにぎり〟

終点にある〝おにぎり〟

と格上げされていく流れには大きなドラマを感じる。
ようやく近鉄名古屋線の踏切にさしかかり、津新町駅を超え、どんどん163号を遡っていく。ここまでの所要時間は約15分。流石に疲労感は無いが、想定を下回るペース。ここ数年の不摂生でかなり体が鈍っていることだけは確信できた。
軽い気持ちでこの日の目標と定めた約20㎞先の長野峠付近までたどり着くのは難しいかもしれない。残り火と呼ぶには、まだ厳しい夏の日差しが私を急き立てるように降り注いでいる。額に浮かぶ汗をタオルで拭い、歩みを早める。(本紙報道部長・麻生純矢)

 

8月31日、終点の岩田橋北交差点よりスタート

8月31日、終点の岩田橋北交差点よりスタート

8月31日、終点の岩田橋北交差点よりスタート

8月31日、終点の岩田橋北交差点よりスタート

「この道はどこまで続いているのだろう…」。幼き日、きっと誰もが一度は抱いたことのある想い。しかし、それは大人へと成長していく過程でいつの間にか忘れ去られ日々の生活の中に埋もれがちな想いでもある。かくいう私自身もそうであったるように…。
子供の頃からという訳ではないが、私がこの仕事を始めて以降、そんな思いを抱き続けているのが国道163号。この道路について簡単に説明すると、大阪市北区の梅田新道交差点から津市丸之内の岩田橋北交差点を結び全長は118・5㎞。津市から上野市にかけての区間は、津藩の拠点であった津城と上野城を結ぶ官道として整備された伊賀街道をルーツとしている。この区間は、県道津上野線が平成5年に国道に格上げ認定されたもので、国道と呼ばれてからは比較的歴史が浅い。日常的に津市中心市街地から美里町や榊原温泉方面や、伊賀方面へ向う幹線道路として日々多くの人が利用をしている。
20周年記念企画と銘打ち、この道を徒歩で津市の終点から大阪市の始点まで遡る旅を試みようと思った原点は、13年前に入社した間もなくの頃にある。鈴鹿市で生まれ育った私は、文字通りこの辺りの地理について右も左も分からない状態だったため、現在の森昌哉社長(当時報道部長)に同乗してもらい、旧町村の役場周りをした。ナビゲーションを受けながら旧芸濃町から、グリーンロードを通り、旧安濃町、旧美里村と役場を辿り終わり、旧津市内へと戻ろうとする時に走ったのが国道163号との出会いだ。緊張から解放された安堵感もあって、豊かな新緑に彩られた山里の風景が今も脳裏に焼き付いて離れない。この時は、この道がどこからどこへ続くのかなんて考える余裕すら無かった。
国道163号は同じく津市内を走る国道23号や国道165号と比べると道幅も狭く、沿道に商業施設なども少ないため、地味な存在といえるかもしれない。しかし、最初の出会いから、幾度も走る度に私の心を捉えて離さない魅力を感じていた。それが何なのか分からないが、幼き日に抱いたあの気持ちに似たものであることは確かだ。そこで会社自身の大きな節目の年に、私自身の想いの源を確かめる機会として、この道を自分の足で余すことなく踏みしめるという企画に至ったというわけだ。
旅路の風景を綴る前にこの旅のルールを簡単にまとめておこう。①事前の現地下調べなしの一人旅②交通に支障がない限り徒歩で終点から始点まで現道約106㎞を踏破する③体力と時間を考慮し、一度で歩き切るのは難しいので行程を5~6回に分割④前回の中断地点までは公共の交通機関で戻り再開。これ以外には特に大きな制約を設けない気楽な旅にしたいと思う。
さて、これからどのような風景や人々に出会うのだろう。見慣れたはずの道に、不思議な高揚感を感じながら8月31日、岩田橋北交差点の終点より旅が始まった。(本紙報道部長・麻生純矢)

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