地域

 6日、津市一志町八太の市立川合小学校5年生76名が同校前の実習田で、稲刈り体験を行った。JA三重中央が、ガイド団体「一志町歴史語り部の会」の協力を得て、同町内の小学校の児童を対象に実施しているもの。実践で地域の農業を学んでもらったり、食の大切さを伝えるのが目的。
 児童は、真剣な表情で鎌を使って丁寧に稲刈りし=写真=、刈った稲をコンバインに運んで脱穀の様子を見学した。なお同校は学校再編で来年度から一志東小として再スタートするため今年、現在の校名を描く田んぼアートを初実施した。

ずらりと展示された作品と(左から)野島さん・美佐子さん・さえ子さん

 津市安東町の古民家コミュニティ「ゆずり葉」で、木下美佐子さん・藤木さえ子さん・野島ひろみさんら3人による「姉妹・ひろみ作品展」が開かれている。会期は9月29日まで(月・金休館)。
 美佐子さんとさえ子さんは姉妹で、美佐子さんは昔からパッチワークや編み物が得意。ちりめん細工を得意とするさえ子さんは松阪市で7年以上教室に通い技術を磨いてきた。
 野島さんも主体はパッチワークだが、一般的な作風では飽き足りず、個性的な作品づくりに精力的に取り組んでいる。
 津市在住の3人はもう一つの共通の趣味である民謡を通じて知り合い、意気投合。今回の初個展の開催となった。
 ギャラリーには、古布にこだわったちりめん細工の可愛らしい干支や、深海をモチーフにした斬新なデザインのパッチワークの大作。さらに150㎝もある魚のパッチワークのクッション一対をはじめ、毛糸の編み物で制作した小物など、3人の個性が表れた作品が展示されている。
 問い合わせは、木下さん℡059・227・4991へ。

信包ゆかりの津城址を見学する一行

四天王寺本堂で西田会長の説明を聞く参加者たち

 8月28日、兵庫県丹波市柏原町で史跡の整備活動をしている柏原町民俗資料館友の会=小松忠明会長=が同町にあった柏原藩の藩祖・織田信包ゆかりの史跡を訪ね、約40年ぶりに来津した。
 津市観光ボランティアガイド・ネットワーク協議会(略称・津観光ガイドネット)が受入主体となり、安濃津ガイド会、河芸「江」の会、芸濃ふるさとガイド会と連携して案内した。
 織田信長の伊勢侵攻により、永禄11年(1568)信包は長野氏に養子入り。伊勢上野城を仮城とし、天正8年(1580)完成した津城に移ったが、文禄3年(1594)秀吉により改易され、近江2万石(2万5千石説も)に減封。信包はただちに京都の慈雲寺に入り剃髪して老犬斎を名乗った。後に秀吉がお伽噺衆に迎え、慶長3年(1598)柏原3万6千石を与えられた。信包家は同地で3代続き、後継が絶え廃藩となった。その後50年ほどして織田信雄系が柏原で立藩、明治維新まで10代続いた。
  当日は友の会会員ら26名が参加。11時過ぎに津城跡に到着。信包時代の津城下や現存する津城跡の中の信包時代の痕跡を見学。昼食はレストラン東洋軒で津が生んだ陶芸家・川喜田半泥子ゆかりのブラックカレーを味わった。
  午後は栄町の四天王寺を訪ね、本堂で重文・薬師如来坐像を拝観した後、西田久光ガイドネット会長が信包が母・土田御前をこの寺に葬り200石を寄進したこと、津藩祖藤堂高虎の正室久芳院、側室松寿院は共に兵庫県の出身であることなどを説明。友の会の皆さんは意外な縁に興味深く聞き入り、また境内の墓地では土田御前の墓が立派なのに驚いていた。
 続いて河芸町に移動、伊勢上野城跡を見学。資料館では、信包、お江、重臣となった地元の分部氏について説明を受た。
 最後に信包の長男信重が元和元年まで31年間にわたり領有した林1万石の名残を求め、芸濃町林地区の林屋敷城跡などを散策、400年前に思いを馳せた。
 柏原町歴史の会・竹内脩会長は「信包が丹波に来る前にどんな所にいたのか理解できた。四天王寺で古文書を見せてもらったり、史跡が整備されていて嬉しかった」と話した。他の参加者もガイドの丁寧なおもてなしに感激していた。

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