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岡林さんと個展の出品作品「果ての果てへ

岡林さんと個展の出品作品「果ての果てへ

洋画家で独立美術協会準会員の岡林まち子さん(60、津市久居本町)が今月5日~9日、同市中央の三重画廊で個展を開催し盛況だった。岡林さんは1979年武蔵野美術短期大学美術科卒。現在、「岡林まちこ絵画教室」を主宰。
また80年代半ば頃から毎年、同協会の展覧会「独立展」に出品し続けている。近年は「果ての果てへ」をテーマにした作品で、海老原賞などを受賞。そして昨年、同テーマの作品で見事、最高賞の独立賞に輝いた。
そして今回の個展では海老原賞受賞作品や、薔薇・牡丹といった花を題材にした美しい作品など21点を出品。長年かけて追求し続けてきた独特の世界で、来場者を魅了した。
岡林さんは、自身初の最高賞受賞を喜ぶとともに「『果ての果てへ』は透明感、光、色の輝きを表現したいと描いています。絵が好きで夢中になって走ってきているから、制作活動の苦しいことは忘れる。独立展は出品者の皆さんが高め合っていて、勉強になります」と話した。

米搭乗員の記録

(前回からの続き)    次々に一刀のもとに執行されていった。ところが執行人のうちひとりだけが、受け持った搭乗員を切り損ねてしまった。穴に落ち込んだが、まだ咽喉の部分が残っていたのでウメキ声が出た。誰かが、『早く行って殺してしまえ』と誰かに命じました。誰かが穴の上から銃剣で心臓を一刺しにしたので、声は止まりました」。
新元敏夫元上等兵は1948年1月27日の戦犯裁判イトウ・ケースの公判で、通訳として死罰の執行に同行し、捜査・取調べの段階から始まって「軍律」審判、7月12日の死罰の執行の立会いと結局、最期まで通訳を務めている。その人物の証言である。
シャーマン機以外の4名の搭乗員の詳細は下記のとおり。
 第314爆撃航空団、第19爆撃航空群所属のB29〔機体番号#44─70017〕、機長 ケネス・W・クレウエット中尉。昭和20年5月14日午前9時30分頃、名古屋市西区児玉二丁目の県立二商〔現在の西陵商業高校付近〕に墜落。墜落原因は不明。左記の搭乗員がパラシュート降下に成功し、俘虜となり、東海憲兵隊を経て東海軍司令部に送致された。
エルトン・V・カイム少尉。キース・H・キャリアー少尉。ジョージ・R・グランジィアデル ジュニア伍長。ジョセフ・R・シェルトン伍長。
捕獲搭乗員11名の死罰執行後、34日目の8月15日に日本は、いわゆる「終戦」を迎える。連合国からみれば、日本は降伏したことになっている。「終戦」という言葉を考え出したのは、当時、外務省政務局長をしていた安東義良〔アンドウ ヨシロウ〕という人物だ。
降伏からまだ一週間も経たない8月20日ごろ、第13方面軍の法務部は、11名の遺骸を掘り起こし、改めて火葬にした。かなりの量の木を積み重ね、集めた遺骸をその上に並べた。木には油がまかれ、荼毘にふした。午前8時から午後5時くらいまでかかった。
遺骨は全員のものをそれぞれ一部ずつ集めて、二つの箱に入れ、50円の供養代とともに、2名の法務部の下士官が寺へ納めた。名古屋市昭和区の八事山といわれる真言宗の名刹、興正寺だった。
シャーマン中尉、1922年5月22日生まれ、享年23。コンスタンス・A・シャーマン婦人の夫
ソロモン少尉、1924年生まれ、享年20~21。ゴルディー・E・ソロモン婦人の息子。
ジョンソン伍長、生年月日不明、ヒルダ・W・ジョンソン婦人の夫
プリチャード伍長、1924年生まれ、享年20~21。 ベシー・プリチャド婦人の息子。
ハウエル伍長、1924年生まれ、享年20~21。エルシー・ハウエル婦人の息子
マンソン伍長、1924年生まれ、享年20~21。エルシー・J・マンソン婦人の息子
ジェントリー伍長、1922年生まれ、享年22~23。ルビー・ジェントリ婦人の息子
(次回に続く)
和室につるし雛などが展示されている

和室につるし雛などが展示されている

自動車修理・販売業を営む「前川モータース」=津市美杉町奥津=の従業員・前川美江さん(79)が、同事業所敷地内にある自宅で、自作のつるし雛やお雛様、羽子板などを4月2日㈭まで展示中。時間は毎日10時頃~15時。
前川さんは20年余り前に手芸を始めた。昨年6月、左手首を骨折してしまったが、現在もペットボトルや譲ってもらった古布などを使い作品制作に励んでいて、「展示会場は、近所の年寄りの憩いの場にもなっています」と話す。
問い合わせは☎090・7040・1605。

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