地域

三重県医師会は2月20日㈭14時~、津市桜橋2丁目の三重県医師会館で健康教育講演会を開く。参加無料。
①高齢者と体重=JCHO四日市羽津医療センターの住田安弘院長・30分。
②認知症予防の食事=榊原温泉病院・管理栄養士の柏城明美さん・30分。
③元気づくり体験・元気でいるための大事な身体づくり・筋力知って取り組む「3種の神器」=元気づくり大学副学長で保健師の大澤裕美さん・30分。
尚、健康食品の誤った利用による健康被害を抑止するため、三重県栄養士会の管理栄養士による栄養相談および健康食品についてのアドバイスを行う。時間は講演前13時~14時、講演後~16時半頃まで。
参加希望者は同医師会へ電話で事前申し込み。☎059・228・3822へ。

ひと月に一度は回っているすしを食べに行く。好きなものを好きなだけ食べられるのが回転ずしの魅力だ。平日の回転ずし店には営業マンらしき一人客や高齢者が多い。
席につくとタッチパネルで注文をする。お勧めや期間限定やお気に入りを、次々とタップしていく。そして後は待つだけ。皿が近づいたら知らせてくれる便利なシステムだ。
さて、今日もそうして、待っていたが、届いたのはイカの皿だけ。残りは待っても届かない。ブリやタイはどうした。海まで取りに行っているのか。
注文履歴を見てみると注文したすべての皿に済マークがついていた。つまり、皿はレーンの上を流れた。それが私の前まで来ないのは、途中で誰かに取られたということ。注文した皿には席によって色分けがあるというシステムを分からない人がいるのだろうか。
きっと外国人だと思う。海外でレストランに入ると料理の名前も注文の仕方もわからない。もしかしたら高齢者かとも思う。初めての人にはレーンのすしが、誰かの注文した皿か自由に取ってよい皿かの区別が難しいかもしれない。それとも、注文するのが面倒で「ええやないか。誰のでも」と考える人がいたりして。
世の中にはいろんな人がいる。腹を立てるほどのことでもないので、再度注文してしっかり食べてきた。(舞)

米搭乗員を処刑

(前回からの続き)
古市長蔵氏は呉海兵団で軍務に服し、地元の網元をしていた。5月とはいえ、当日は雨が降り、7m位の風が吹いていた。伊勢湾中央部の水温は16度位、平均気温は18度位である。ずぶ濡れの米兵の体感温度はかなり低くかったであろう。2名のアメリカ兵は古市長蔵氏らに救助された時、飛行服を脱ぎ、「下ばき」のみ身につけていたとう目撃談もある。〔注。当時米兵の標準的な「下ばき」は綿製でカーキ色のトランクス型をしている〕。
現場での処理は次のとおり。津警察署から連絡を受けた津憲兵隊司令部のヤマモト マサオ中尉らが、2名の米兵を受け取り、津憲兵隊司令部から東海軍司令部に送致した。救助された米兵2名の氏名は不詳。
長蔵氏は「裸同然で震え上がっている人間に石をぶつけたり、殴ったりするのを見て、こんなことになるなら助けるのではなかったと後悔しました。地区の人からは、なぜ殺さなかったのかとよくなじられました」と述懐する。長蔵氏らは、その後の米兵の運命については、何も知らない。
津市の津観音寺の敷地内に銀行集会所があり、そこに津憲兵隊司令部があった。4名の米兵はそれぞれここに連行されてきた。
津市民の目撃談
「津市の観音さんの所に憲兵隊の詰め所があり、そこへ背の高い3名の米兵が目隠しをしてつれて来られた。ゴムボート等が市民に見せられた。私はその時、小学3年生でした」〔津市、平田氏〕。
「津観音さんの中に、憲兵隊があって、そこへアメリカ兵がつれてこられた。罵声を浴びせたり、石をぶつけたりしていた。連行されてゆく米兵に群衆があとをついていった」〔津市、松田氏〕。
以上、5月14日2名、翌15日2名、合計4名が津市管内で俘虜となった米兵は4名である。この4名は津市から名古屋へと移送され東海軍司令部に送致された。
東海軍に収監されたのは、下記の7名である。シャーマン中尉、ブリチャード伍長、ソロモン少尉、ハウエル伍長、マンソン伍長、ジェントリー伍長、ジョンソン伍長。これら7名は7月11日に東海軍司令部で軍律会議にかけられ、5月14日の名古屋市に対する無差別爆撃を理由に死罰〔死刑〕を宣告された。
翌7月12日、愛知県瀬戸市の小幡ヶ原陸軍射撃場において日本刀で斬首処刑した。遺体をその場の穴に埋めた。この日、処刑されたのはシャーマン機の捕獲搭乗員の外に4名の捕獲搭乗員4名が含まれており、合計11名が処刑された。
捕獲搭乗員11名の死罰は7月12日、愛知県瀬戸市の小幡ヶ原射撃場で執行された。執行する側の伊藤法務少佐一行が、執行場へむけて第13方面軍司令部を出たのは、午前5時もしくは5時半ごろだった。執行される11名の搭乗員は、縄で両手を縛られ、目隠しされていた。2台か3台のトラックで運ばれたが、乗り降りは同行の衛兵が助けた。衛兵は10名ないし20名で、小銃で武装していた。
執行場に通訳として同行した新元敏夫元上等兵の証言。
「執行場に着いたのは、1時間ほどのちだった。11名の搭乗員はトラックから降ろされ、地面に座らせられた。衛兵たちは小銃に銃剣をつけた。指揮者であり執行者である伊藤法務少佐が口を開いた。
『今から、5月14日に行われた爆撃により多数の非戦闘員を殺し、平和的財産を破壊した搭乗員を処刑する。冥福を祈る』。
搭乗員たちは水を飲まされた。〝末期の水〟というわけだろう。穴は11個、前日の審判の終わったあとで掘られたものである。彼らは、順番に各々ひとつの穴の前に連れていかれた。そして軍刀で首をはねられ、穴に落ちていった。座らされていたところから穴までは、5mから8mくらいの距離だった。
執行は階級順におこなわれた。最初はシャーマン少尉だった。
(次回に続く)

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