社会

今月より行政機関での運用が開始された「マイナンバー制度」。津市内では全世帯への通知カード送付を昨年内に完了したものの、不在等で受け取られず返戻されたカード約6500通を今も津市が保管中。今後、交付される個人番号カードの受取方法にも注意が必要なので要点をまとめた。

津市では、12万3282世帯(約28万人)に、郵便局の簡易書留で世帯全員分のマイナンバー通知カードが送付された。送付は12月23日に完了したが、不在等で受け取とられなかった約1万700通が返戻され、津市が保管してきた。それらは世帯の代表者が市に連絡し、市役所各総合支所、各出張所など最寄りの場所で、本人確認した上で受け取らないと約3カ月後の3月末頃に破棄される。
そこで津市は昨年末まで市役所のマイナンバー担当窓口の受付時間を延長。日曜日も受け取りができる体制を整えていた。企業などに勤めるサラリーマンは今年1月からの運用開始を前に、昨年中にマイナンバーの提出を求められるケースが多かったこともあり、約4200通を渡すことが出来た。しかし、まだ半数以上に当たる約6500通を市が保管している。
年が明けてからは、通常の体制に戻したが、受け取りに来る人の数は落ち着いている。まだ受け取っていない人の中には、高齢者が多く含まれるとみられ、「マイナンバー制度が自分には関係ない」と放置している可能性も高い。だが、それは大きな誤りである。
今月からマイナンバー制度が運用が始まり、津市役所でも国民健康保険の手続きなどを行う際にマイナンバーの記入が求められるようになった。現役世代と比べると役所で自らが様々な手続きを行う機会が多い高齢者ほど、マイナンバーを記入する機会が多いのだ。保管期間が過ぎて破棄されると再交付に費用が必要になるので、津市は早期の受け取りを求めている。
また、通知カードを受け取った後に作成できる個人番号カードの受取り方法にも注意点がある。個人番号カードは、初回の作成無料で、スマートフォンからでも簡単に申請できるとあって津市でも多くの人が手続きを済ませている。申請すると、一定期間後に交付通知書が申請者の元へ郵送される。その後、通知書を持って申請者本人が直接市役所か各総合支所(住所で最寄りの窓口が決定)で、成りすまし防止のために本人確認をした上で受け取る必要がある。世帯で複数人申請した場合も、申請者一人ひとりが窓口で手続きしなければならない。通知カードは全員分が郵送され、まとめて受け取れたので、ここが大きな違いとなる。こちらも保管期間は約3カ月。手続きを平日8時半~17時15分に行う必要があるのも留意したい。
マイナンバー制度は、来年から民間での運用が始まり、行政でも更に運用分野が広がるなど、我々の生活により深く係わっていくこととなる。まずは、役所で手続きをする際など必要な時にいつでも提示できるよう意識する一方、詐欺事件も発生しているので、大切な個人情報として管理することが求められよう。
通知カードの受取り手続きなどについての問い合わせは、津市市民課のマイナンバー担当☎059・229・3198へ。

津市大門の津観音こと『観音寺大宝院』が11月23日付で真言宗醍醐派の別格本山へと東海4県初の昇格を果たした。往時には、塔頭7ヶ寺41棟もの伽藍が境内に立ち並ぶ大寺院だったが戦災でその全てが焼失。今回の昇格は寺の500年以上にも及ぶ長い歴史と由緒だけでなく、所有する文化財、戦後の見事な復興と宗旨・宗派に対する貢献が評価されてのもの。

 

別格本山を示す石碑が新たに設置された観音寺大宝院の仁王門

別格本山を示す石碑が新たに設置された観音寺大宝院の仁王門

観音寺大宝院の別格本山への昇格は、真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺自らの意向で決まった。通常は昇格を希望する寺側が申請を行い、各寺の代表者による宗議会などでの議論を経た上で本山が判断するという流れだが、今回は本山の意向を宗議会ではかるという逆のプロセスを取っている。別格本山への昇格は、東海4県で初。その経緯も含めると、異例の扱いといえる。
観音寺と大宝院は元々、別の寺院で、観音寺は和銅2年(709)に阿漕浦の漁夫の網に聖観音立像が引っ掛かり、これを本尊に今の津市柳山に開山したと言われている。その後、700年間ほどは、歴史を示す資料は残っておらず、永亭2年(1430)に将軍・足利義教が三重塔と恵音院を建立し、寺領を贈った記録が残っている。
一方の大宝院は元の名前を六大院といい、文安元年(1444)に伊勢国安芸郡窪田(現在の津市大里窪田町)に、公家の東坊城和長(後に正一位大納言)の幼少時の学問の師である長円法印が開山。歴代の住職は朝廷より僧正の官と上人号を授かるなど、密接な関係を構築。天文3年(1534)に、天皇の勅会で京都の東寺で開かれた空海の七百回忌法要にも、醍醐寺や仁和寺など名だたる京の名刹と共に地方寺院として唯一名を連ねていることからも、その寺格を窺い知ることができる。
その後、織田信長と伊勢国司・北畠氏の合戦で全焼したが、天正8年(1580)に、信長の弟・信包が観音寺の境内に大宝院を再興。大宝院は観音寺境内の塔頭7ヶ寺を含む12ヶ寺の本寺として、観音寺の棟梁寺院となった。豊臣秀吉や徳川歴代将軍など、時の権力者からも庇護を受け、寺領の寄進を受けている。
お蔭参りが盛んだった江戸時代には、大宝院の本尊・国府阿弥陀如来が伊勢神宮の天照大神の本地仏(同一的存在)とされたことから、多くの参拝者が訪れていた。長い間、〝日本三観音〟の一つとして広く親しまれてきたが、昭和20年(1945)の空襲によって国宝の阿弥陀堂と観音堂を含む境内の41棟が全て焼失。
昭和55年(1980)、第27世院家の岩鶴密雄さんが入山して以降、本格的な復興が図られ、仁王門、鐘楼堂、宝物庫、護摩堂、五重塔、資料館の建立・再建が実現した。また、平成3年には津観音保存会を設立し、戦災を逃れた貴重な宝物や文化財の整備に着手。現在までに、三重県有形文化財(絵画)5件8点、津市有形文化財(古文書)の指定を受けている。それに加え、数々の高僧を輩出しており、岩鶴さんも総本山・醍醐寺の顧問と宗議会副議長の要職に就いている。
これら背景から、別格本山昇格に必要な5条件=①500年以上の歴史②境内に七堂伽藍(金堂、塔、経蔵、鐘楼堂、講堂、僧坊)が揃っていること③名門たる由緒④③を裏付ける文化財⑤宗旨、宗派への貢献度=を満たすことがわかる。
岩鶴さんは「東海4県初の昇格は非常にありがたい。観音寺大宝院は昔、境内に役所や津商工会議所の前身の津商業会議所、小学校が置かれるなど、津市の政治・経済・文化・教育の発信地だった。これを機に、市民共有の財産として理解を深めて頂けたら」と語る。
津市中心市街地の顔でもある〝観音さん〟。今回の昇格は戦後からの復興が一段落し、新たな局面へと進んだ証ともいえる。宗教的な役割だけでなく、文化や観光などでも津市の中核を担う存在として、今後の更なる飛躍に期待したい。

安全保障関連法案に反対する任意団体の事務局が津市立三重短期大学内の研究室に置かれていることに対し、政治的な中立性が求められる地方公務員法、教育公務員特例法、人事院規則などに抵触する恐れがあるのではと津市議から指摘が上がっている。同短大では、事実関係を確認した上で市長と議会に報告し、教育公務員としての在り方を模索するとしている。

三重短期大学

三重短期大学

この問題が発覚したのは平成27年第4回定例会の中で行われた小林貴虎議員=市民クラブ=による一般質問。小林議員は、県内の宗教人や文化人らが8月に立ち上げた安保関連法案に反対する任意団体のチラシやブログを紹介し、そこに記載されている事務局が三重短大に所属する教授の研究室であると指摘した。更に、その連絡先が同短大の代表電話であったり、賛同者や活動資金の寄付を募っていたため、政治的中立性を求める地方公務員法や教育公務員特例法、人事院規則に抵触するのではと短大側を厳しく批判している。
地方公務員法では、公務員が特定の政党や政治団体の結成に係わったり、その幹部になること、特定の政党や政治団体、内閣などへの支持や反対、これに伴う寄付金の募集や署名活動が禁じられている。加えて、教え子への影響の大きい教員は教育公務員特例法でより厳しい規制を受ける。
小林議員の質問に対して同短大の東福寺一郎学長はこの任意団体が政治資金規正法に定められた要件には当たらないと問題性が無かったことを強調したものの、前葉泰幸市長からは事実関係の調査と報告を促された。そこで、来年3月の平成28年第1回定例会までに市長と津市議会に調査結果を報告した上で、学内の意識統一など教育公務員としてのあり方を模索する協議会の設立も視野に入れているという。更に小林議員は、同短大の教授ら有志が安保関連法案に反対する声明を発表したことに対しても政治的中立性に問題があることを指摘している。
今回の争点はあくまで、安保法制への反対や賛成ではなく、学生の多種多様な考え方を育む公立の教育機関の政治的な中立性が保たれているかどうかである。同短大の調べによると、学内への事務局の設置及び電話番号の使用は、教授が短大側に無断で行ったものであることが分かっている。任意団体の活動内容や理念そのものに問題がある訳ではないが、政治的中立性が問われる公立の短大内に事務局を置くとなれば、今回のような指摘が出てても仕方が無い。この点に関しても、学校として明確な判断基準を設ける必要がある。
当然、個人の思想や学問の自由、大学の自治は尊重されるべきであるが、同短大の設置者である津市の意向や〝全体の奉仕者〟である公務員としての原点を無視することはできない。
公職選挙法改正で選挙権年齢が18歳に引き下げられ、同短大の学生は全員が有権者になる。そのことも踏まえた上で再度、学校としての在り方や教育公務員としての役割を議論し合う必要があろう。

 

 

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