社会

「広い庭なんていらない!」と友人が言っている。それが庭の広さ自慢じゃないことは明白だ。この時期の雑草といったら、倍々ゲームのように増えていくから。
道端の草を見ていても、雨の後には一気にボリュームが増える。中でもスイバは、ぴゅーっと伸びて、薄赤い花を咲かせている。似たような草で、少し大きい緑の花を咲かせるのがギシギシ。これもあっという間に大きくなる。
庭に除草剤はまきたくないし、草引きは大変だ。自分で草刈り機を使えれば一応格好はつくけれど、それも重労働。広い庭を持つ人には気の毒な季節である。
草を動物に食べさせたらと考える。庭で兔を飼うのはどうだろう。ギシギシを摘んで兔に与えた記憶がある。スイバやギシギシは兔の大好物だ。
山羊や羊なら、もっと草を食べる。ニュージーランドで聞いたが、彼の地では夜でも冬でも羊を外に放りっぱなしらしい。ニュートン算みたいに、羊が草を食べる速度と庭の草が伸びる速度を計算して庭に羊を放しておく。
それでも、動物を飼うのは除草作業より手間がかかりそうだ。防草シートぐらいが、現実的な雑草対策だろう。さらに上をいく対策は、広い庭を持たないこと。庭は公園に任せて、日本人らしく小さな敷地のウサギ小屋に住めば草の悩みは解決だ。      (舞)

地域住民でつくる「自主防災組織」のリーダー育成などを目的に、平成19年度から毎年開講している「津市民防災大学」(事務局=津市危機管理部防災室)。28年度までに238名が修了し、うち86名が25年度末に始まった同大の「人材バンク」に登録しているが派遣実績はなく、卒業生と地域のマッチングが課題となっている。そこで市は今年度の講義を通じ解決方法を検討し、来年度から同大の事業を一新する予定。

 

昨年度の津市民防災大学のチラシ

昨年度の津市民防災大学のチラシ

自治会などが任意でつくる「自主防災組織」は、災害時に地域住民が助け合う「共助」の軸となる組織で、防災訓練や被災者の救出・避難誘導などを行う。阪神淡路大震災を教訓に全国で設立が進み、津市の組織率は98・1%に上るが、結成したものの活動が停滞しているグループも少なくない。しかし約1年前の熊本地震で改めて明らかになったように、自主防災組織が活性化し災害時に機能を発揮するには、グループを引っ張るリーダーの育成や住民の防災意識向上が重要。
そして今年度で第11期目を迎える「津市防災大学」は、この課題解決に大きな役割を担っている。
実施主体は市職員や卒業生など官民でつくる実行委員会で、対象は市内在住・在勤・在学の人。昨年度は10月~2月に8回開講し、川口淳三重大学准教授の南海トラフ巨大地震に関する講義や、災害時をイメージしながら歩くタウンウォッチングなどが行われた。地域での防災活動の入り口となっており、19年度~28年度までに238人が修了。
しかし、卒業生が地域と繋がりを持ち、講義で学んだ知識を生かし防災活動を行うための仕組みが不十分で、懸案となっている。
市は、対策として全修了生のうち希望者が登録する「津市民大学 人材バンク登録者名簿」を25年度末に作成し、津市防災ホームページで公開。自治会・自主防災組織・事業所などから依頼を受け、市の仲介で登録者を派遣するというシステムで、28年4月9日現在で86名が登録しているが、問い合わせは少なく、現在まで派遣実績はない。
大きな原因は、同ホームページ以外で名簿についてPRを行っていないこと。また名簿には、登録者がどのような防災活動ができるのかが記載されていない。
一方、卒業生が自力でより発展的な防災活動に取り組んでいる例もあり、その一つが27年4月に発足した団体「津市民防災ネットワーク」=朝倉玲子代表。地域で防災活動を実践しているメンバーが毎月1回、定例会議を開き情報共有や勉強会などを実施。会議には同部の職員も出席し、卒業生と行政が交流する貴重な場となっている。
市の対応は後手に回っていたが、ついに、同大の事業が今年度を一区切りとして、来年度から一新されることとなった。講義の中で「受講生が修了後にどのように地域で活躍できるか」と、「地域住民が防災活動に求める人材」のマッチングを目指していくという。
リニューアルの具体的な内容は今年度10月頃~来年2月頃に開講する第11期の講義を通じ検討する予定で、防災室は「今年度は、例えばタウンウォッチングを卒業生も一緒にしたり、地元の自主防災組織の会長と受講生の交流の場をつくることを考えている」としている。受講生は防災の初心者が多いため、地域・行政と連携し防災活動を実践するには、受講中だけでなく卒業後のサポートも重要。そのため新事業には、例えばフォローアップ講座など、卒業生を対象とした人材育成の継続的な取り組みが欠かせないだろう。

『しろの日(城の日)』である4月6日、公益財団法人日本城郭協会が発表した「続日本100名城」に、津市の「津城」=津市丸之内=と「北畠氏館」=津市美杉町多気=が選ばれた。どちらも津市を代表する史跡だが、全国の各地域・各時代を代表する城として、改めて選ばれたことで今まで以上に注目されることは確実。全国から訪れる歴史・城郭ファンたちに、その魅力を伝える絶好のチャンスとなりそうだ。

 

県指定史跡の「津城跡」

県指定史跡の「津城跡」

  霧山城の本丸跡(国史跡・多気北畠氏城館跡)

霧山城の本丸跡(国史跡・多気北畠氏城館跡)

日本城郭協会は国内外の城郭の調査研究を行っており、「日本城郭検定」も主催している。同協会は06年に、日本各地・時代を代表する城をピックアップした「日本100名城」を発表し、県内では伊賀上野城と松阪城が選ばれている。この度、発表された「続日本100名城」は前回の選定から惜しくも漏れたものや同様の歴史的価値を持つものが選ばれている。選定基準には城郭愛好家らの推薦を受けたもので、①優れた文化財・史跡、②著名な歴史の舞台、③時代・地域などがあり、同協会が精査。
今回、「続日本100名城」に選ばれた津城は、1558年~1570年の間に築城されたと言われており、1608年に津に入府した津藩祖・藤堂高虎公が大修築を実施。当時の火器の射程距離より広い水堀と頑丈な鉄門や多門櫓などを備えた鉄壁の要塞でありながら、城内は平地で平時には政庁として使い易い先進的な設計思想が最大の特徴。県史跡にも指定されている。「続100名城」には高虎公が豊臣秀長の家臣時代に築城した赤木城=熊野市=も選ばれており、100名城で公の手掛けた江戸城、二条城、徳川大阪城、篠山城、宇和島城、大洲城、今治城、伊賀上野城なども合わせると築城の名手の呼び名をほしいままにしている結果となっている。
一方の「北畠氏館」は、伊勢本街道に沿った交通の要衝であった美杉の多気に1342年に築かれ、「多気御所」の名で呼ばれた伊勢国司・北畠氏の本拠地。織田信長に攻められ、同氏が滅亡した後、廃城となったが跡地に北畠神社が建っており、見事な同氏時代の庭園も残っている。その背後の山頂に、同氏によって築かれた霧山城は、全国的に見ても珍しい規模の大きい山城の遺構が残る貴重な場所。庭園と城跡を合わせて「多気北畠氏城館跡」として国の史跡指定を受けている。
どちらも津市を代表する史跡で観光スポットであるが、こういった形で改めて注目されることで、今まで以上に全国の歴史・城郭ファンが訪れることはほぼ確実。それに伴い、津城復元資金の募金などに取り組む「津城復元の会」の活動の弾みとなったり、昨年、全線復旧した名松線の利活用のきっかけになることも期待されている。今後の動向が非常に楽しみだ。

 

 

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