社会

 三重県内にある知的障害者の入所施設の待機者数は4月1日現在で480人と年々、増加を続けている。国は平成18年の障害者自立支援法施行以来、〝施設から地域へ〟を掲げ、入所施設の新設を認めない方針を打ち出しており、県もそれに従っている。しかし、県が増設を進めるグループホームやケアホームでは対応できない重度の障害を抱える待機者も多く、保護者の高齢化なども含め、問題は予断を許さない状況だ。 
 障害者自立支援法施行を境に国は、〝施設から地域へ〟を掲げ、24時間体勢でサポートを受けながら利用者が生活する入所施設の新設は基本的に行わず、最低限の補助を受けながら、ある程度、自立した暮らしを地域の中で行うグループホームやケアホーム(以下、GH・CH)の新設を進めている。三重県でも国に従う形で「これ以上、入所施設の新設や定員増加はしない方針。GHやCHで対応できる人が入所しているケースもあるため適正化を進めている」としている。
 しかし、県内に全部で24ある知的障害者施設の待機人数は、県障害者支援センターのまとめによると平成24年4月1日現在で404人だったものが、今年4月1日には480人に。施策とは反比例する形で増え続けている。その理由は簡単で入所施設とケアホーム・グループホームが必ずしも同じ性質を持つ施設とはいえないからだ。
 基本的にGH・CHは、ある程度の生活能力を持った軽度障害者たちが授産施設などで日中活動を行いながら、地域の中で共同生活を送るための施設という想定がされている。
 そのため、24時間体勢で職員たちがサポートを行う入所施設と比べると、職員体勢が薄く、特に夜間や土日などは行き届いた支援が難しいというケースも多い。大部分のGH・CHでは重度の障害を抱える人を受け入れることが難しいというのが実情だ。
 更に保護者の高齢化もこの問題に大きく関わっている。重度の知的障害を抱える人の場合、物や人などへのこだわりや自傷、徘徊などを伴うことがあり、体力が年々、低下していく中、家庭内だけで我が子を支えることが難しくなった保護者が入所を希望するケースも多い。これは非常に切実な問題といえよう。
 ある施設関係者は「〝施設から地域へ〟という考え方自体は素晴らしいし、GHもCHもそれを進める上で非常に重要な施設。しかし、現実的には入所施設は必要で、待機人数が増えている以上、新設や定員の増加も考えていくべきだ」と語る。更にその上で「入所施設はGHやCHと比べて悪いというイメージを持たれがちだが、利用者一人ひとりに密着しながら日々の支援を続け、きっちりと成果を挙げていることも知って欲しい」と続ける。
 津地域でも待機者は年々増え続けているが、施設が極端に少ない伊勢志摩圏域は更に深刻。県内480名のうち114名の待機者がいることからも、なんらかの手立てを考えていく必要があるだろう。
 高齢者問題にまで視点を広げると、介護疲れによる無理心中にまで発展することもそう珍しいことではない。この問題も放置を続ければ、そのような最悪のケースに発展する可能性も否めないはずだ。県外では自立支援法成立後も入所施設を新設したというケースもあるだけに、県内でも現状の施策の〝歪み〟をもう一度冷静に見直し、現実に即した形で対応していくことが求められよう。

松枯れが深刻な御殿場海岸の松林

 『御殿場海岸』にある松林は「マツ材線虫病」に悩まされてきたが平成22年より津商工会議所が三重県・津市と、植樹などの保全活動に取り組む三者協定を結んでいる。しかし、現在は国が高潮対策のため、松林に隣接する堤防を改良する計画を進めていることもあり、植樹などは休止状態。計画の内容上、松の一部を伐倒する必要も出てくるが、津市を代表する景色の一つであるだけに防災と景観の両立が求められている。

 御殿場海岸の松林は元々県が海岸防災事業として、昭和53年から3年間かけて1万2000本を植えたもの。それらが成長し、津市を代表する風景である『白砂青松』を形成する重要な要素になっていた。しかし松に卵を産み付けるマツノマダラカミキリが媒介する『マツ材線虫病』による立ち枯れが深刻化している。
 そこで『市民の財産』である松林を守ろうと、津商工会議所が立ち上がり、県の「企業の森」事業を活用し、県と津市による三者協定を締結。以降、津商工会議所は、病気に耐性のあるスーパークロマツを植えたり、樹に薬剤を注入したり枯れた松の伐倒など、様々な保全活動に努めてきた。
 この協定の有効期間は5年間。津商工会議所は松林を5つのエリアに分け、順次保全活動を行う計画だったが、昨年4月に国土交通省中部地方整備局の「津松阪港直轄海岸保全設備事業」が予想よりも早く正式に事業採択された。
 この事業の内容は海岸線の老朽化した堤防を台風などによる高潮対策のために改良しようというもの。松林に隣接する阿漕浦・御殿場工区は全部で3・5㎞。現在、詳細設計の段階だが堤防の上を走る道幅は最も狭い所が約4mの現状から5mにまで拡幅。高さも6mにまでかさ上げされる予定。堤防には住宅地が隣接しており、工事は松林側からしか行うことが出来ないため、場所によっては拡幅と共に工事用の重機が通るスペースを確保する都合上、松の木を伐倒しなければならない。そこで津商工会議所では工事の詳細が決まるまで植樹を控え、草刈りなど必要最低限の保全活動に移行している。
 同局ではワークショップなどを開き、県・市・商工会議所関係者とともに、地域住民代表の意見を取り入れ、松林の伐倒を最小限に済むよう努力する姿勢は見せているが、結果的に保全活動が減速し、松が約1500本にまで減っている現状に危機感を募らせる地域住民も少なくない。
 ある地域住民も命を守ってくれる堤防が改良されることを喜ぶ一方で「すっかり数は減ってしまったが、地域のシンボルだから、なんとか残して欲しい」と、慣れ親しんだ松林に対する深い愛着の思いを語る。
 工事は平成35年の完了を目標に来年頃から始まると見られているが、防災面だけでなく、景観も重視した形で工事が進められることが求められよう。

 
 

B29の図柄が掲載された伝単を手に…雲井さん

「日本國民に告ぐ」と題された津空襲予告の伝単

 まもなく昭和20年7月28日の津空襲から68年。津市の戦災研究家・雲井保夫さん(64)が本紙を訪れ、秘蔵していた津空襲予告の伝単を見せてくれた。米軍が、日本国民に対する心理作戦の一環でB29から撒布したもの。戦時中、国民は敵機が投下したビラを警察署などに届ける義務があったうえ、予告通りの空襲で津の市街地が焦土と化したなか残った貴重資料で、多くの犠牲を払った戦争の悲惨さを今に伝えている。

 「伝単」は、戦時に、相手国の国民や兵士に対し、戦意を喪失させるために撒かれる宣伝ビラのこと。第二次世界大戦時には各国が大量に作成し、配布した。
 津空襲予告ビラもその一種で、太平洋戦争中の昭和20年7月27日夜、米軍が、日本本土空襲において実施した「リーフレット心理作戦」で、B29が津の上空から撒布したもの。
 縦約14㎝・横約21㎝で、片面は、無数の爆弾を投下するB29の図柄で、津をはじめ国内12の都市名も記載されている。
 また、もう一方の面には「日本國民に告ぐ」と題して、①数日中に裏面の12都市のうち必ず4つは爆撃するという予告②避難勧告③アメリカの考える平和は、戦争を強制する日本軍から日本国民を解放することである、など巧妙に人道主義を語り、厭戦気分を煽る文章が毛筆で書かれている。 このビラが撒かれた翌日28日深夜から29日の未明にかけて、B29が津に雨あられのように焼夷弾を投下し、多くの犠牲者を出した。さらに、津と同じくビラが撒かれた宇治山田・青森・一宮・大垣・宇和島の5都市も空襲されたことで、国民の米軍のビラに対する信憑性が高まったという。
 雲井さん所有のビラは、撒かれた時に津市内で拾ったという知人(故人)から5、6年程前、研究用にと譲り受けたもの。以来、秘蔵していたが、ビラを多くの人に知ってもらい平和の尊さをかみ締めてほしいという思いから今月2日、本紙を訪れ見せてくれた。
 戦時中、国民は敵機が投下したビラを警察などに届ける義務を課せられていたうえ、空襲で市街地が焦土と化したなか、今日まで残った貴重資料と言える。
 「平和はある程度努力しないと保てない。若い世代に戦争について知ってほしいし、体験者は声を上げてほしい」と雲井さん。
 戦後約68年が経ち体験者は年々減っているが、だからこそ、戦争を知らない世代がこの伝単のような資料を手がかりに自ら知ろうとすることが重要で、二度と悲劇を繰り返さないための一歩となるだろう。

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