催し

本番に向けて熱の入った稽古をする劇団津演の団員(仏教会館にて)

 社会人の演劇集団、劇団津演による公演「ら抜きの殺意」=作・永井愛、演出・マスダ春花=が7月6日㈯18時30分開演(開場17時30分)、7日㈰14時開演(13時開場)、津リージョンプラザお城ホールで開かれる。
 1998年、第一回鶴屋南北戯曲賞を受賞した同作は、現代日本の言語状況に迫った知的コメディで、「見れる」「出れる」「来れる」「食べれる」など…現代日本語の乱れの象徴としてよく話題になる「ら抜き言葉」に作者が抵抗感を覚え、日本人の言葉遣いをまとめてみたいと執筆した。
 また、「ら抜き」言葉だけにはとどまらず、一般的に「敬語」とされている言葉も「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類に別れ、時と場合に応じて使い分けなくてはならない日本語の難しさにも焦点をあて、出演者らが言葉をめぐる抱腹絶倒のバトルを繰り広げながらテンポ良くストーリーを進める。 
 あらすじは…通信販売の会社にアルバイトで入った男、海老名は言葉遣いに厳しく「ら抜き言葉」を嫌っている。一方、社員で頻繁に「ら抜き言葉」を使い、意味が通じればいいだろう程度の感覚で話す男、伴がいる。立場上は正社員である伴の方が強く、遠慮がちに言葉の乱れを指摘する海老名をうるさがる伴。やがて二人の間には殺意に似た感情が芽生え始める…というもの。 
 演出のマスダさんは「津演は創立61周年を迎えます。1973年から2001年までは、稽古場を小劇場に仕立てたアトリエ公演を28年間続けてきました。しかし2001年の公演を最後に使用できなくなり、最後のアトリエ公演は2003年11月に東宝会館で『ら抜きの殺意』を3日間上演しました。
 今回の再演では、キャスト、スタッフも一部を除いてリニューアルしています。殺意と言っても血生臭い話しではありません。ら抜き言葉は日常で普通に使っています。劇中に出てくる「チョベリバ、アリゴザ、シンコクル」など言葉の展示場になっています。合理化精神の現れかもしれませんが、簡略化した言葉は今後も出没してくるでしょう。今公演で少しでも言葉について考えて頂けたら」と話す。 
 前売り大人1500円(当日1800円)、学生1000円(同1200円)、小学生600円(同800円)。津演劇鑑賞会☎津228・9523、三重額縁☎津225・6588、久居アルスプラザ、県文☎津233・1122などで取り扱い。7月4日まではメールでの受付も可能。g-tsuen1963@hotmail.com(名前・枚数・種類を記入) 問い合わせは同劇団☎059・226・1089(月・水・土の夜8時以降)。

総会の様子(アストホールにて)

 6月6日、津市羽所町のアスト津アストホールで、「21世紀のエネルギーを考える会・みえ」=小林長久会長=の令和6年度総会が行われた。
 同会は環境問題との調和を図ったエネルギーの確保等による脱炭素社会の実現に向け、世界のエネルギー事情、エネルギーの安全保障上の課題、エネルギーの安定確保に向けたベストミックスなどへの正しい理解を広げ、県民生活の向上に資することを目的に活動している。
 総会では令和6年度の事業報告案と収支決算案、令和7年度の事業計画案と収支予算案、声明書案などが審議され、全会一致で承認された。
 更に新会長に四日市商工会議所会頭の小川謙氏が選出された。小川新会長は「エネルギーは国民生活や経済を支える根幹。エネルギー問題について県民と共に考え、行動に移していくことは重要と考える。会の理念であるエネルギーや環境問題を自分の問題として考えて行動していくための事業活動が展開できるよう努力していく」とあいさつした。
 採択された声明書では、エネルギー資源のほとんどを海外に依存し、自然エネルギーの活用も諸外国と異なる点など、我が国のエネルギーの脆弱性や、収束の見えないロシアによるウクライナ侵攻や中東地域の武力衝突によって我が国のエネルギー安全保障が脅かされていることや新興国の発展に伴うエネルギー資源の獲得競争が与える影響などを踏まえた上で、エネルギーの安定確保と脱炭素社会を目指すために、原子力発電の安全を確保した上での早期再稼働と多様なエネルギーの特性を生かして組み合わせる「最適なエネルギーミックス」の実現などを訴えた。更に三重県、三重県議会と、経済産業省中部経済産業局への要望事項も提出された。

 

友愛の庭の清掃活動に参加したみなさん

津南ロータリークラブ(以下RC)=今西孝彰会長=が5月26日朝、ゴミゼロ例会を阿漕浦海岸にある「友愛の庭」で行った。
 同クラブは昭和51年11月10日、設立10周年記念事業の一環として、三重国体開催の地である津ヨットハーバー前にある「友愛の庭」に植樹コーナーを寄贈し、以来、毎年ゴミゼロ運動の名称で清掃活動をしてきたが、当時の阿漕浦一帯は心無い人の捨てた空き缶やゴミが山積しており、清掃が追いつかず、いつしか海岸一帯はゴミの山に。
 昭和55年(1980)に当時の広田正夫会長は、それまでロータリー会員だけで取り組んでいた清掃活動を地域全般に広げようと、「とり戻せ、きれいな伊勢の海と山」のスローガンのもと橋南地区自治会、社会福祉協議会などに呼びかけ、老人会、婦人会、子ども会、ボーイスカウトなどの団体の協力を得て、同年10月の第1回に続き、翌年には1000人を超える地域住民による第2回阿漕浦海岸清掃が実施された。
 同RCは活動の輪を広げる起爆剤としての役目を終えたとして、現在は
地区社会福祉協議会等が主催運営を引き継いでいるが、同RCは独自に清掃活動を行っている。
 当日は、45名が参加。「友愛の庭」にうっそうと茂った草を刈り集めながら落ちていたゴミも拾い、ヨットハーバーの美化に貢献していた。

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