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 5月8日午前9時、大津市浜大津の大津港近くの駐車場に車を停め、2023年に始まった徒歩旅の最後の行程が始まった。津市・江戸橋をスタートし、伊勢別街道と旧東海道を経て大津宿本陣跡まで、これまでに歩いた行程は6回。合計距離は125㎞にのぼる。月並みな言い方になるが、思えば遠くへ来たものである。
 今日の目的地は、東海道の終点・京都の三条大橋。距離にして約12㎞。大津から京都までは、まさに目と鼻の先。滋賀県の旧国名「近江」が、「京都に近い琵琶湖」に由来するという説にも納得がいく。一方で、静岡県西部の旧国名「遠江」は「京都から遠い浜名湖」が語源とされている。
 前回の行程以降、取材やプライベートも含め何度も大津を訪れてきた。お気に入りの飲食店もできたし、大津港に浮かぶ外輪船「ミシガン」や大型客船「ビアンカ」の姿を見ると、地元に帰ってきたような安心感を覚えるようになった。津と大津。名前がよく似たこの二つの街は、「居心地のよさ」という大きな共通点を持っている。
 大津港から、前回のゴール地点である大津宿の本陣跡まで、滋賀県道556号を南進する。この道路には、びわこ浜大津駅と京都市山科区の御陵駅を結ぶ京阪電鉄の京津線が並走しており、道幅が広い。全長7・5kmという短い路線だが、大津市街では道路上を自動車と並んで走る「路面電車」としての姿が街の象徴にもなっている。
 この京津線は、やがて通常の鉄道のように線路上を走るようになり、その後は地下鉄へと姿を変える。一つの路線で路面電車・地上鉄道・地下鉄に変化していく様が楽しめる全国でも唯一の存在として知られている。ちょうど京津線の電車が京都方面からやってきて、車と並走していたので、ワクワクしながらその姿を見送った。
 スマートフォンさえあれば、世界中の情報が手に入る時代。だが、実際に自分の目で見て、空気の匂いをかぎ、手で触れ、舌で味わい、耳で聞く……そんな五感での体験は、唯一無二のものだ。そこから得られる知見は、まさに自分だけの宝物。最も原始的な移動手段である徒歩は、五感を総動員する旅だ。これまでに踏破してきた国道163号や165号も、歩いた当日の天気や出来事までも鮮明に思い出せる。車なら数十分で通り過ぎてしまう距離を、丸一日かけて歩くことに、確かな価値が生まれることを確信できる瞬間である。
 県道556号と国道1号が合流するあたりに、標高324mの逢坂山がある。近江国と山城国、つまり現在の滋賀県と京都府の境界に位置するこの山には、かつて「逢坂の関」が設けられていた。古くから交通の要衝として重要な役割を果たしてきた土地である。
 「逢坂」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、百人一首の蝉丸の歌だ。
「これやこの 行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬも 逢坂の関」
 現代語訳すれば、「これがあの有名な逢坂の関か。旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、みなここで出会い、別れていくのだな」といったところか。旅人たちの姿に人生の縮図を見出した、情緒あふれる名歌である。
 中学時代の百人一首大会では、「これやこの…」と読み上げられた瞬間に札の取り合いになった記憶がある。それは「坊主めくり」の影響が強かった。歌を知らなくても遊べる坊主めくりは、子供たちにも大人気で、私も本来の遊び方ではなく、坊主めくりばかり楽しんでいた。絵札を積んだ山札から、一枚ずつ札を引いていき、坊主札を引けば手札をすべて失い、姫札を引いた人がそれを総取りできるという単純明快なゲーム。蝉丸は「坊主札」の中でも特別な存在でトランプのジョーカーのような存在として扱われていた。私が遊んでいた百人一首では、後ろ姿で顔が描かれておらず、引いた瞬間に「あっ」と声が上がる存在感を放っていた。他の坊主札の〇〇法師と比べると蝉丸という名前は一度耳にしたら忘れない抜群のインパクトを持っている。
 蝉丸は平安時代前期の歌人で、逢坂山に庵を結んでいたという伝承がある。盲目の琵琶法師であったとも、物乞いであったとも、天皇の皇子であったとも言われ、出自には諸説あって実像は不明。史実としてはっきりしているのは、あの歌を詠んだということだけだ。
 この地には、蝉丸を芸能の神として祀る関蝉丸神社があり、上社と下社に分かれているのが特徴。特に下社は参道の途中に京津線の踏切があり、遮断機が下りると鳥居のすぐ前を電車が通るという、なんともユニークな景観を楽しめる。境内には神楽殿や国指定重要文化財の時雨燈籠があり、奥には小野小町を祀る塚もある。一方、上社は石段と赤い鳥居が印象的な斜面にあり、どちらも無人ながら清掃が行き届き、地域住民の信仰の深さが感じられる。
 上社と下社の間には、名神高速道路をまたぐ2本の巨大な鉄橋──蝉丸橋と追分橋が架かっている。どちらも1963年の名神高速開通時から使われており、1日の交通量はそれぞれ10万台を超える。私も幾度となく走ったことがあるが、今回初めて下から見上げて観察した。
 トラス構造の鉄骨が幾重にも重なり、巨大な橋脚がそびえる姿は圧巻。普段はわずか数秒で通り過ぎてしまうこの橋も、下から見ると全く違う表情を見せてくれる。大津トンネルと蝉丸トンネルの間にあるこの橋を通る時間は数秒なので存在すら意識しないまま通っている人も多いだろう。しかし、その下には、多くの人にとって未知の風景が広がっているのだ。
 知っているつもりの場所にも、実は「まだ見ぬ風景」が潜んでいる。見慣れた日常のなかにも、目を凝らせば未知がある。好奇心を持ってそれを探し続けることで、人生はもっと豊かになっていく。旅を続けてきた私の人生が豊かになっていることが何よりの証明である。
 逢坂の関は平安時代後期から徐々に形骸化。近世に往来し易くするために道が掘り下げられたことなども影響し、正確にどこにあったかは分からなくなっている。国道1号と旧東海道の分岐点には、「逢阪山関址」の碑があるが、もちろんこれは正確な場所を示すものではない。しかし、自分自身が蝉丸の歌の世界に身を置いている実感が湧いてくる。前述の通り名神高速道路や国道1号を、毎日多くの人が行きかっていることもあり、逢坂の関は形を変え、今も交通の要衝となっている。ひとり徒歩で京都へと向かう私も、国道1号や名神高速で私の脇や頭上を行きかう人々も、昔の旅人たちのように顔を合わせることこそないが、知らず知らずのうちにここで出会いと別れを繰り返している。人の世は変わっているようで、変わっていないのかもしれない。(本紙社長・麻生純矢)

3月15日㈯13時~(開場12時)、津リージョンプラザお城ホールで、『津城復元第9回資金造成チャリティーコンサート』が開かれる。主催=津城復元の会、後援=一般社団法人津市観光協会、津観光ガイドネット。
 復元の会が主催する年1回のお城ホールイベント。毎年様々な団体が協賛出演、好評を博し毎回50万円以上の寄附を行っている。因みにお城復元の原資となる津市のふるさと納税「ふるさと津かがやき寄附」の使途項目「津城跡の整備」への寄附は昨年12月末で延べ3万6088人から8521万円に達し、同会が掲げる第一次目標である1億円に近年中に届く見込み。
 今回の協賛出演は…①大正琴アンサンブル「あいあい」。左手で音階の刻印された鍵盤を抑えながら、右手に持ったピックで弦を弾く大正琴。同グループはイベント出演や施設慰問など様々な形で演奏活動を行っている。
 春のメドレー(さくらさくら、春の小川、どこかで春が)を皮切りに、谷村新司の昴、時代劇メドレーなどを演奏する。
②鼻笛合唱団「アミーゴ」。南米生まれの楽器「鼻笛」を通じて、多くの人とのつながりを広めつつ、イベントへの参加や施設への慰問などのボランティア活動や海外友好演奏など計120回を超える活動を実施。
 今ステージでは、ランバダや、メドレーでコンドルは飛んでいく、見上げてごらん夜の星を、アメージンググレースなどを演奏する。
③「津・高虎太鼓」。津まつりを始め様々なイベント・行事に出演しており、50年以上の歴史を持つ津市を代表する和太鼓チーム。今回は総勢25名による大編成でのステージとなる。
 道を行く人、芽吹、黎明、游飛、蔦乃葉、和気藹々を披露する。
 チケットは、全自由席1000円(前売り完売の場合は当日の販売はなし)、津駅前観光案内所(アスト津1階)、三重額縁(中央)、近藤楽器(大門)、本紙(東丸之内)などで好評前売り中。
 問い合わせは担当の西山さん(携帯090・7315・5308)。

藤棚の前で目録を手に…志田会長(左)と前葉市長

 1月15日、津市丸ノ内のお城前公園で、津ロータリークラブ=志田行弘会長、以下RC=は、津藩祖・藤堂高虎ゆかりの藤の樹2株と藤棚を津市に寄贈した。
 同クラブ創立75周年記念事業として行われたもの。式典にはRC会員約60名と津市の前葉泰幸市長が出席。
 式典では、高虎を祭神とする高山神社の多田久美子宮司が藤棚の生育と安全を祈祷。その後、志田会長と増田冬樹実行委員長が玉串奉奠を行い、志田会長より前葉市長に目録が贈呈された。
 目録を受け取った前葉市長は、高虎の生まれ故郷である滋賀県甲良町の在士八幡神社に大きな藤棚があることにも触れ、「この藤棚も何年か経てば初夏に紫色の花が垂れ、市民を楽しませてくれるはず」と謝辞を述べた。
 藤棚には藤堂家の歴史と、藤棚、津RCの寄贈への思いを解説した映像へのリンクを記したQRコードを設置し、より理解を深められる工夫もされるという。

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