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昨日9日から三重県総合文化センター2階ギャラリーで『津西地区ふれあい創作展2022』が開かれている。時間は9時半~17時(最終日は14時まで)、入場無料。会期は11月13日㈰まで。
津西ハイタウン・緑の街・西団地・つつじが丘・津公園団地・広明台・むつみが丘・コモンヒルズ西が丘・渋見ヶ丘・上津台・西が丘団地など12団地を管内とする津西地区社会福祉協議会と津西地区自治会連合会の主催。
同作品展は2010年から毎年、開催していたが、新型コロナウイルスの影響で今回、3年ぶり11回目の開催となった。 書道・絵画・写真など住民らが丹精込めて創作した趣味の作品を一同に展示公開している。
更に12日㈯13時(開場12時半)~同文化センター多目的ホールで「ふれあいコーラスのひろば」も開催。入場無料。はみんぐ♪つつじ・Cantiamo・コールみどり・偕楽クラブ合唱団・マンマ合唱団・スィングハイタウンが出演。響く美しい歌声が楽しめる。

暑い夏が過ぎ、秋空が気持ち良く澄み渡る季節になりました。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。彼岸花が赤く染まるのを楽しみに愛でていたのもいつの間にかコスモスに変わり、どこからかよい香りが運ばれてきて、楽しみだった金木犀の花も雨で散ってしまったようです。代わりに十三夜を過ぎて盛りを迎えたススキや萩が凛として見え、草花を見ていると季節の移り変わりの早さに圧倒されてしまいます。乾いた空気に冬の気配を感じ、晩秋から初冬にかけて歩みを早める時雨で、私達は冬の近いことを知ります。
今回は「伊勢に宇治橋」と「世を捨てて」の小唄二曲をご紹介いたします。

「伊勢に宇治橋」=江戸小唄 作者不明・江戸後期
伊勢に宇治橋 内宮下宮 八十末寺の宮廻り 相の山ではお杉お玉が  縞さん紺さん中乗りさん 岩戸さんには道続き 二見ヶ浦には朝熊山 磯辺比丘尼に 太太神楽 これ申し上がりやんせ

この唄は江戸時代の泰平が続くにつれ「お陰参り」「抜参り」などと称して、諸国の男女をなして、お伊勢参りをしたもので、伊勢の名所を伊予節にのって唄ったものです。又、伊勢構の組織が生まれ、参詣人の世話をする「御師」という職業も生まれました。
「伊勢に宇治橋」は伊予節の替歌で、伊勢皇大神宮は、伊勢市五十鈴川上に鎮座し、宇治橋は神域に入る第一の関門でした。天照大神を祀る我が国最高の大宮を内宮、豊受大神を外宮と呼びます。神宮には、十の別宮、三十三摂社、十六末社、三十所管社合わせて八十九社がこの近くに散在しております。相の山には内宮、外宮との間の尾部坂と牛谷坂の間で昔の繁華街があった所です。
中でも古市は街並みで、伊勢詣りの人々はここで精進落としの遊びを楽しむのが例で、備前屋、杉本屋、油屋などが有名でした。又、お杉お玉という名物の女乞食がいて、三味線を引いて相の山節を唄い、お金の喜捨をを受けてました。縞さん紺さんとは、伊勢参りの客を着物の柄によって呼びかけている言葉です。
「岩戸さん」とは二見ヶ浦の夫婦岩のことで、朝熊山は内宮の東、伊勢志摩の国境にそびえる山のことです。「鸚鵡石」とは言葉石とも言われ、この石に向かって言葉を発すると、こだましてすぐその人の言葉を真似するといい伝えられています。志摩磯部町にあり、31mの石英岩です。「磯部比久尼」は尼の姿で売色をした私娼で、びんざら杓をふって唄を歌い乍ら客を呼び込む者のことです。「太太神楽」とは神宮に奉納する神楽のことをいいます。当時は神楽を奉納することが流行りでした。

「世を捨てて」=大正末期(新暦晩秋十月)益田太郎冠者作詞作曲

世を捨てて 身は奥山の侘び住居 訪う人も虫の声 音さえ淋しき月の影 テナこと言うのも嘘の皮 忘れられない色と酒 それにつけても金の欲しさよ 死んでも褒美の金欲しや 地獄の沙汰も金次第 欲ばってるね

益田太郎冠者の作詞作曲です。本名は益田太郎といい劇作家です。男爵益田孝の一人っ子で太郎冠者はペンネームで、脚本(笑劇)を書き演出もしております。
色と酒で身を持ちくずして、しょんぼり反省している様子ですが、これは真赤な嘘で、人間の本性と欲は変わらないものです。作者の場面転換の面白さが際立っている曲です。
窓から差しこむ光りも長くなり、日に日に秋の気配を感じます。皆様に楽しんでいただいております小唄の楽しみちんとんしゃんも21回を迎えました。まだまだコロナも収まらず、ただただ心配しております。あっという間に過ぎて行く一日を大切に過ごされ、お体をくれぐれもご自愛いただき、これから迎えます寒い冬を乗り切りましょう。
小唄 土筆流 家元 参考・木村菊太郎著「江戸小唄」

※三味線や小唄に興味がある方や、お聴きになりたい方は、お気軽にご連絡下さい。
又、中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。電話は059・228・3590。

10月15日・16日、津藩祖・藤堂高虎公が今治城を築いた愛媛県今治市で、高虎公ゆかりの地の人々が集い交流を深める「第12回高虎サミットin今治」が開かれた。津市からも前葉泰幸市長を始め、顕彰・ガイド団体など40名以上が駆け付けた。セレモニー後のシンポジウムでは、津と今治の様々な共通点や深い関係も語られた。

 

 

サミットで挨拶する徳永今治市長

サミットで挨拶する徳永今治市長

サミットは、津市と今治市のほか、津と並ぶ津藩の重要拠点で高虎公が大改修を行った伊賀上野城がある伊賀市、公が赤木城を築城した熊野市、公の生誕地である滋賀県甲良町の4市1町が2年に一度持ち回りで開催。
今治地域地場産業振興センターで行われたセレモニーには徳永繁樹今治市長、前葉泰幸津市長、岡本栄伊賀市長、河上敢二熊野市長、野瀬喜久男甲良町長ら持ち回り開催地の首長のほか、今治と同じく高虎公が治めた愛媛県宇和島市市長も出席。来賓として藤堂宗家15代の高正氏と弟の高幸氏が臨席。津市からも藤堂藩五日会を始め、顕彰・ガイド団体を中心に40名以上が駆け付けた。
今治城築城の際、大工の士気を高めようと打ち鳴らされた先ぶれ太鼓をルーツに持つ「今治寿太鼓保存会」の勇壮な演奏でセレモニーが開幕し、ゆかりの地の連携を深めるサミット宣言が行われた。次回は熊野市で初開催されることが決まり、徳永市長から河上市長にサミット旗が手渡された。
その後の記念シンポジウムは「海と高虎~瀬戸内が育んだ今治の歴史」がテーマ。村上海賊ミュージアム学芸員の田中謙さんをナビゲーターに、パネリストは女優・タレントの村井美樹さん、東海大学教授で作家の山田吉彦さん、今治城学芸員の藤本誉博さん。
1600年の関ヶ原の戦いの功績で高虎公の領地となった今治は「九州四国のかなめ所」と言われた伊予(愛媛県)の中心地で今治津という港があった。1602年に今治城の築城を開始すると同時に移転した港と城下町を一体化する都市計画が行われ、それが多くの外航海運業者や造船業者を擁する世界トップクラスの海事都市となった今治の基盤になっていることなど、海を活用した高虎公の巧みなまちづくりの手腕が語られた。
また、1608年に高虎公は津に移るが、今治で得た経験を生かし、津城の大修築と共に城下町と岩田川河口を一体化した都市計画を行ったことや現在も造船のまちであること、津市岩田には高虎公と一緒に伊予から津へと移り住んだ人々が暮らした伊予町や、村上海賊(村上水軍)の来島衆が暮らした久留島という旧町名が残ることなど、今治と津の大きな共通点や繋がりも紹介された。
その後の懇親会は、なごやかな雰囲気で行われゆかりの地の人々が親睦を深めた。また、津市を拠点に活動する武将隊「勢州津高虎隊」が宗家からお墨付きを受けるという一幕もあった。
翌日、津から訪れた一行は今治城、村上海賊ミュージアム、能島城跡などを見学し、高虎公と、瀬戸内海で権勢を振るった村上海賊についても学んでいた。

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