歩きへんろ夫婦旅

桜満開の大洲城天守遠景

 松屋旅館から44番大宝寺(久万高原町菅生)までは66キロ強、無理すれば2日で行けなくもないが、2泊3日の安全策をとる。29日目、今日は内子町の芝居小屋・内子座近くの松乃屋旅館まで31キロの行程。
  朝から晴れだが冷えこみ強風注意報も出ている。7時3分発。通りにまだ人影はなく静まり返った伝建地区・旧街道を白い息を吐きながら歩く。30分ほどで国道56号に合流。
 しばらく行くと国道沿いの駐車場の一角に遍路小屋のあるレストラン東洋軒。『昭和の光悦』川喜田半泥子が三重県にも本格派の洋食店をと先々代を東京から招いた津のレストラン東洋軒と同名だが、焼き肉・すし・うどん・とんかつと何でもあり。店主が還暦を機に歩き遍路を体験。多くの人のお接待に励まされ無事結願したことから遍路小屋を設け敬徳庵と命名したとか。朝8時から夜9時まで店のトイレをお遍路に開放している旨の表示もあり、歩き遍路をされた方ならではの心配りが嬉しい。
 途中で出会った中年女性二人組と一緒に峠の鳥坂トンネル(1110m)を抜け長いだらだら坂を下る。10時半、坂の途中の札掛パーキングで別れてトイレ休憩。出しな入れ替わりに初老のKさんが入ってきた。37番岩本寺前の美馬旅館以来の再会だ。互いに言葉を交わす。元気そうだ。
 大洲の市街地が近づくと肘川の畔に臥龍山荘が見えた。桂離宮と修学院離宮の要素を採り入れた明治の名建築。もうすぐ『おはなはん通り』だ。NHK朝の連続ドラマの第1号。おはなはんは実在の人物ではなく南予地方の小京都、城下町大洲を舞台にしたフィクション。2004年、当時の市民4万人が総参加で淨財を寄付し地元の木を使って復元した木造四層天守の一般公開に訪れて以来3度目の大洲だ。天守は藤堂家の伊勢伊賀移封に伴い淡路島から入った脇坂家が移築したものだが、町割、すなわち城下町の都市設計は藤堂家が行ったもの。藩祖高虎公ゆかりの町である。
 『おはなはん通り』の入口にある大洲まちの駅あさもやで昼食。肱川の朝靄は大洲の風物詩なのだ。1時間休憩し1時出発。再び国道に出てすぐ、大橋から桜満開の中にそびえる大洲城天守を望む。城下の清流肱川と相まって美しい。欄干にもたれしばし見とれる。
 2時過ぎ、橋の下でお大師さんが一夜を明かしたと伝える大洲郊外の別格霊場・十夜ケ橋着。橋長は10mほどか。『橋上でお杖をついてはならない』という歩き遍路の基本ルールのルーツ。巡拝に欠かせない正しく別格の霊場なのだが、思ったよりも小さく、うっかり通りすぎてしまうお遍路もいるようだ。
 手前のお堂で勤行をあげ納経を済まし橋の下に降りる。寝姿のお大師さん像に向かい再度勤行。寝姿像はもう一つ小ぶりのものが右手にあり、こちらはふかふかの布団にくるまれ、傍に千羽鶴も飾られていた。
 残りは10キロ。楽勝だと思っていたら2キロを過ぎた辺りから女房の疲れが目立ちペースダウン。この日の最大のお目当て内子座に着いたのは4時37分。
 内子は幕末から明治期、和蝋燭で栄えた伝建地区のある町。内子座は大正時代の創設ながら江戸期の芝居小屋の様式で地元経済界が総力をあげて建てたもの。四国では春の歌舞伎で有名な琴平町の重文・金丸座と並ぶ名館である。こちらは文楽で全国各地からファンを集めている。6年前の初訪時は催しのリハーサル中で中を覗けず今度こそはと期待して来たのだが、何と公開時間は4時半まで。
 既に7分オーバー。またしても……夫婦してガックリ。どっと疲れが出て体中の力が抜けた。ところがである。落胆ぶりに同情したのか、閉館ですといったんは入場を断った受付の女性職員が「まだ中に一人お客さんが見えますから、10分くらいならいいですよ」
  升席、花道、回り舞台もある本格芝居小屋。演劇に関わる人間なら一生に一度は使ってみたい舞台空間。金丸座より少し小ぶり。文楽ならむしろこちらの方が適している。わずか10分だったが、わくわくする時間だった。ありがたいお接待を頂いた。 (西田久光)

早朝の卯之町(重要伝統的建物群保存地区)

  車遍路は明石寺の本来の参道を通らない。地道だがよく整備され幅も広く、森閑とした杉林の中に続く参道を歩いて下るだけで体中が浄化されてゆくようだ。時計は既に4時半を回り他に歩き遍路の姿はなく、夫婦二人だけで独占するのは申し訳ないくらいだった。
 参道を下り市街地を少し行くと風情のある古い町並みに入る。前年暮れに国の伝建地区に選定されたばかりの西伊市宇和町卯之町保存地区。江戸末期から明治初期にかけての町屋群が残っている。
 宿は保存地区の中の松屋旅館。間口はさほど広くないが落ち着いた和風の門構え。創業は文化元年(1804)当主は7代目。街道側の建物は築200年を超え、尾崎咢堂をはじめ後藤新平、犬飼毅、前島密、新渡戸稲造ら歴史に名を残す錚々たる傑物たちも泊まった老舗。れっきとした観光旅館であるが、お遍路は2食付き7350円也。風呂も大きく10時までOK。これなら取り敢えず汗を落とし、就寝前にもう一度入れるからありがたい。
 遍路宿(民宿)はどこも風呂が一つで小さい関係から到着すると入浴をせかされる。そうしないと夕食までに人数をさばけない。それが遍路側にもわかっているから、もうちょっと湯船でゆったりしたいと思っても急いで洗い、上がるのである。それに洗濯機・乾燥機の順番もある。
 しかし中にはこの常識に欠ける遍路もいるようで、ある遍路宿で聞いた笑い話のような本当の話。一人旅の若い女性遍路が風呂に入ったまま30分たっても出てこない。次々と他の客が到着し、宿の主人は気が気でない。それに貧血でも起こして倒れてはいないかと心配になって、ドア越しに声をかけると、「大丈夫で~す」と悪びれる様子もなく実に明るい返事。これには拍子抜けで「後がつかえているから早く上がって」とも言えず、もう少々待つことにしたが、40分たっても50分たっても一向に出てこない。止むなくご主人は自分の車に後着のお遍路さんたちを乗せ銭湯に走る破目になった。
 当の女性遍路、風呂から出てきたのはそれから10分ほど過ぎてから。つまりたっぷり1時間の入浴だったわけだが、風呂場でお気に入りのアロマを焚いて芳香に包まれ、すっかり良い気分に浸っていたのだとか。これぞKY、状況が読めないというか、悪気がないだけによけい始末が悪い。
 この日、投宿のお遍路は歩き組がぼくら夫婦と川崎さん、鳥取の初老の人の4人、車組が夫婦3組。夕食時、ひょんなことから一期一会、知らぬ同士の会話が弾む。中でも盛り上がったのは川崎さんの体験談。
 学生時代から太っていて歩き遍路のトレーニングに入る前は100キロを超えていた。それが今は80キロ台、25キロの減量に成功した。別人28号になった姿で同窓会に参加したら、親しい同級生がそばに来て耳元で心配そうにささやいた。「お前ガンなのか……」。
 それぐらい見事に痩せたわけだが、悩みの種は余ってしまった皮。そのうち解消されるだろうとは思ったが、念のため医師に相談した。先生いわく「若いうちならともかく一定の年齢を越したら皮膚の弛みは消えません。あなた、婆さんの垂れ下がった乳や顔のシワは元に戻らないでしょ。それと同じことですよ。どうしても気になるというなら余った皮膚を切除する整形手術しかありません」と。
 これにはみんな大笑いだが、ぼくは内心ドッキリである。30過ぎからすっかり高値安定して50代は82キロ前後。これが歩きトレーニングで7キロ、本番に入り3週間で更に6・5キロ、計13・5キロ減のところで安定しているが、宇和島のホテルの風呂上がりに「嘘みたいにスリムになったけど、お腹の皮もお尻の皮も余って垂れ下がっている」と女房に笑い転げられた。彼女も10キロ近く減っているのに体質の違いか皮の弛みは目立たない。その時は「まぁ徐々に解消されてくさ」とタカを括っていたのだが、川崎さんの話で希望的観測はあっさり打ち砕かれてしまった。だけど皮の弛みは服で隠せる。『脱トド体型』の方が遥かにましと自分を慰めるしかなかった。    (西田久光)

赤い屋根瓦の43番明石寺にて

 28日目。7時5分、ホテル出発。曇りのち晴れ。相変わらず寒い。今日は久々の3カ寺参り。宇和島市はずれの41番龍光寺、42番佛木寺。そこから歯長峠(標高480m)を越え西予市宇和町の43番明石寺へ。宿はその少し先の松屋旅館。計25キロの行程。
  大きなアーケード街だがシャッターに貸し店舗の表示が目立つ商店街を通り抜け1キロもすると市街地は終わり、県道57号の8キロ以上も続く長い長い緩やかな上り坂を歩く。途中の桜並木は美しかったが歩けども休憩できる場所はなし。1時間40分進んでようやく遍路小屋を発見。壁板のない簡単な造りだったが、長椅子の隅の小さな花瓶にかれんな洋花が活けてあり、ほっと心がなごむ。柱には『百メートル先の左側にお遍路さん用のトイレがございます』とトイレ案内の表示もある。「ちょっと行ってくるわ」と女房はさっそく利用。地元の方々の心くばり、ありがたさに涙がこぼれそうになった。
  10時8分、龍光寺着。駐車場には大型バスが2台とまっていた。嫌な予感。団体さんに巻き込まれないように急いでお参りし、納経所に向かう。
 納経所の受付が団体と個人を分けてある所はよいのだが、一つしかないとやっかいだ。個人遍路は──朱印だけが目的でお参りなしの『スタンプラリー遍路』は別にして──参拝勤行を済ませてから、その証明として納経所で納経帳・判衣・軸に墨書・朱印をいただく。ところがバス遍路のほとんどは添乗員が先達さんに従ってお参りする參加者たちと別行動を取り、参拝中に全員分の納経帳などを抱えて納経所に駆け込むのである。作法からすればこれは完全におかしい。それで、かつて本来の姿に戻すべきだという声がおこり、一時期団体遍路も参拝を済ませてから一人ひとり自分で納経することにしたら、納経所が大混乱。やむなく添乗員がまとめてやる形に戻したのだそうだ。
 お寺によっては窓口が一つでも、長時間かかる団体客の墨書・朱印の間に作法通りに勤行を済ませている個人(特に歩き遍路)を適当にはさんで融通をきかせてくれる所もある。添乗員の中にはそうした寺側の配慮に「寺にそんな権利はない!」と喰ってかかる者もあるとか。「あんたにも順番を決める権利はない!」と言い返してやったと、ある札所のおばさんが苦笑しながら明かしてくれた。
 案の定、納経所には添乗員が陣取っていたが、朱印はほぼ終わり、ドライヤーを使い必死で判衣を乾かしていた。添乗員も大変なのだ。少し待っただけで納経を終え、佛木寺をめざす。
 遍路道はお寺の横山、斜面の段々墓地の間の狭い急坂を登り、そのまま山越えで再び県道に出る。わずか2・6キロを1時間近くかかり佛木寺へ。駐車場には大型バス3台が到着したところ、乗用車も10数台。車遍路は龍光寺より多い。ここで漸く今日が春休みの日曜日と気づく。異常な寒さが続いているが暦の上では春本番。旅行社の本格的なバス遍路のシーズンが始まったのである。混雑を避けるためちょっとズルをして添乗員より先に納経所に駆け込んでからお参りした。
  次の明石寺へは10・6キロ。歯長峠を越え、峠下の歯長地蔵と巡礼の途中で倒れた『お遍路さんの墓』にお参り。その先の道引大師にも手を合わせ、3時42分明石寺に到着。ここから宿までは1キロほど。ゆったり気分でお参り。納経所には5人ほどの個人遍路が並んでいた。応対している青年僧は何だか疲れた様子。
 いわく「88カ所の中間点なので今まであまり来なかったのが、本四架橋と高速が千円になってから客がいっぱい来るようになった。今日は日曜で朝から団体も個人もいっぱい。忙しくてもう頭が朦朧。(墨書・朱印が)間違えてないか、よく確認して下さい」と。
 ぼくらは過去3度大型連休に四国を訪れている。初回・2回は渋滞なし。それが千円になった去年、琴平で800m前進に1時間、しまなみ海道でも10キロの渋滞。それまでめったに見なかった関東の車の多いこと。確かに千円の威力はすごい。お遍路で再認識させられた。    (西田久光)

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