特別寄稿

今にちの映画の原型、映像をスクリーンに投影して一度に多くの人々が鑑賞できるシネマトグラフは1885年にフランスのリュミエール兄弟が発明したが、世界各国で制作されていた当時の映画は、1927年(昭和2年)に世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が公開されるまで音声トラックが存在しないサイレントムービーだった。作品は、カットタイトル字幕によるセリフとト書きで進行し、演技はアニメのようなオーバーなパントマイムで表現される文字通りの活動写真であり、モノクロで効果音もなかった。
その時代の傑作の一つである「バグダッドの盗賊」を観る機会を得た。この1924年(大正13年)に公開されたサイレントムービーは、1996年に米国国立図書館によって国立登録簿に登録された芸術作品でもある。とはいえこれは退屈とは縁遠い娯楽超大作だ。巨大なセットや目をみはる群衆シーン、また、「どこかで見たことのある」カットやストーリー展開の原点さえをも確認できる。特撮も満載だ。
あらすじは、バグダッドの盗賊(ダグラス・フェアバンクス)が王宮に忍び込み、美しい王女(ジュランヌ・ジョンストン)を発見し、恋に落ちる。盗賊は王子のふりをして、王女も彼に夢中になる。盗賊は不正行為を聖人に明かし、聖人は彼を苦行として魔法の箱を見つける旅に送り出す。盗賊は箱を獲得するために多くの障害を克服し、そのパワーを使って蒙古の侵略者からバグダッドを守り、最愛の人を救い出す、というものだ。泥棒に扮したフェアバンクスはバレエの如き身のこなし、蒙古の王子に扮した日本人俳優・上山草人(かみやまそうじん・1884─1954)は準主役なみの仇役である。
ところで、この47本ものアメリカ映画に出演していた上山草人という俳優は、三重県とは浅からぬ所縁がある。昭和6年(1931年)に映画『唐人お吉』の撮影で渡鹿野島を訪れた際、島民と意気投合して草人が別荘を建てる事になり、島から寄贈された大日山頂の別荘の門に谷崎潤一郎が書いた「草人漁荘」の竹製の表札を掲げている。草人はこの渡鹿野島を「東洋のモナコ」にすると意気込み、文学、画家、劇団のすべての友人を招いて、静かな絵画のごとき美しい島の風景を楽しむ計画だったそうである。
結局のところ草人は別荘は建てなかったが、戦後は多くのホテルが県外から進出、不夜城と化した。だか、それらはバブル経済終焉と共に相次いで撤退し、残骸だけを遺すに至った。今や、この昭和時代の面影を色濃く残すハート型の小さな島は、夜ともなると島の半分が漆黒の闇へと溶け込んでいく寂しい状況である。それだけに、渡船が行き交う港の側は、波止場に設けられたハートマークの電飾もきらびやかに来訪者を明るく迎え入れている。この島は、家族連れやツアー客の支持を受け、甦ろうとしているのだ。
港に隣接する宿泊施設も、「GoToトラベル」がピークを迎えた昨年の秋から師走の初めにかけ、休日は津市や松阪などの近隣都市からの家族連れ、平日は九州や東京など全国からのツアー客で活況を呈していた。私はちょうどこの頃2カ月間、ほぼ毎日のようにこの島に通ったが、過去の汚名を十数年かけ払拭してきた甲斐を目の当たりにした思いである(この点において、現状を見ずして古傷をほじくり、印税を稼ぐ輩には憤りを覚える)。
だが、悲しいかな観光業界よりも大手旅行業界の救済に焦点をあてた「GoToトラベル」である。主に大都市圏における感染者急増で政策が停止したとたん、状況は一変した。宿泊施設の窓からは明かりは消え、漁協も日帰り釣り客を閉め出し、初めて魚を釣った子供たちの歓声も消えた。まるで無人島の如き状況である。
とはいえ、この元々コロナ禍ならではの賑わいには、持続性の点で問題があった事も確かである。現在ストップしている一般向けの海外旅行が再開されれば、国内市場が海外市場との競争に再び晒されることは疑う余地がないからだ。しかも、旅行に出られる市場は少子高齢化で減少の一途であり、椅子取りゲームの加速が否めない。収支の点においては、アウトバウンド(海外旅行者)を上回るインバウンドが必要なのである。
そんな中で、今年は志摩市で太平洋諸島首脳会議(Pacific Islands Leaders Meeting)が開催される。三重県も新年度予算案に県警のテロ対策費などを計上している。私は島のイメージチェンジを加速する点、また、インバウンドの呼び水にもなる点で開催会場は渡鹿野島としたほうが、県にとっても理にかなった選択になるのではないかと思う。知名度の向上こそが「東洋のモナコ」ではないだろうか。
ちなみに首脳会議の参加国は、日本を含む17カ国、オーストラリア、クック諸島、ミクロネシア連邦、フィジー、キリバス、マーシャル諸島共和国、ナウル、ニュージーランド、ニウエ、パラオ、パプアニューギニア、サモア、ソロモン諸島、トンガ、トゥヴァル、ヴァヌアツの首脳などとされ、主要テーマは、気候変動・環境・防災、海洋・漁業、貿易投資・観光・インフラ、社会開発(保健・教育・人材育成・人的交流)と多岐にわたる。また、年末年始にかけて4回開催された有識者会議の中には4回とも防衛研究所主任研究官が参加している事からみて、領土問題、海上権益、安全保障問題も内包されるに違いない。(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイト・シーイング・サポート」代表)

少し前、5月11日のNHKによると、安倍総理は衆議院予算委員会の集中審議で、経済の弱体化に伴って日本の企業や土地が外国資本などに買収されるのを防ぐとし、経済の安全保障の観点から対策を戦略的に講じていくとの考えを示した。
コロナ禍で日本経済が悪化すると、企業や土地に割安感が出て中国などが買収する可能性があり、防御策をとる必要があるからだ。
韓国、シンガポール、オーストラリア等では、外国人の土地購入には既に厳しい制約をかけており、米国では、包括通商法によって大統領が国の安全保障を脅かすと判断した場合、事後であっても土地取引を無効にできる権限を持つ。
総理は「わが国の経済構造を安全保障の観点から俯瞰し、そのぜい弱性に対処するとともに、強じん化に戦略的に取り組んでいかなければならない。対内直接投資を一層促進しつつ、国の安全を損なうおそれがある投資に適切に対応する観点から、昨年改正した外為法を適正に運用するなど、投資に対してはしっかりと目を光らせていきたい」と述べた。
中国が狙っている不動産は水源地、森林、ゴルフ場、観光施設、メガソーラーなどがあり、いま最も顕著なのが北海道である。
2010年にはニセコの山田温泉ホテルが7億円で中国資本が買収、2015年には占冠村の1000ヘクタール(東京ドーム213個分)を超える総合リゾート施設『星野リゾートトマム』が、中国の商業施設運営会社『上海豫園旅游商城』に約183億円で買収された。上海豫園の大株主は上海の中国民営投資会社『復星集団(フォースングループ)』だ。トマム地域は水資源保全地域に指定されておらず、リゾート施設内にある水源地も一緒に買収されている。
この復星集団は、トマム買収以前にも隣のリゾート地『サホロリゾートエリア』(新得町)で、宿泊施設を所有するフランスのリゾート施設運営会社『クラブメッド』を買収。サホロリゾートも実質は中国資本の傘下にある。
ところで、星野リゾートは同年、日本政策投資銀行との折半合弁会社として20億円に上る投資ファンドを設立、トマムなどを運営している。日本政策投資銀行とは、株式会社日本政策投資銀行法に基づいて2008年に設立された、財務省管轄の日本の政策金融機関の特殊会社だ。いわば手綱である。
とはいえ、中国化が進捗し、居るのも来るのも殆どが中国人の状態になると、その場がチャイナタウン化するのも時間の問題だといわれている。
土地絡みだと、メガソーラーも懸念材料である。
上海電力日本株式会社は上海電力股份有限公司が日本で設立した100%子会社で、太陽光・太陽熱、風力、水力等の発電事業への投資、開発、建設、運営、メンテナンス、管理、電気の供給及び販売に関する事業を展開している。
基本スタンスとしては日本企業との共同で事業を進め、その地域の人々との共生を重視するとし、既に大阪南港と兵庫県三田市、そしてつくばでメガソーラー施設を建設・稼働させている。それに伴い取得した土地は、大阪約5ヘクタール、兵庫約11ヘクタールである。大阪市南港咲洲メガソーラー発電所の定格出力は 2・4MW。日本伸和工業との共同投資プロジェクトで、2014年5月16日に稼動。兵庫三田プロジェクトの定格出力は 5・05MW。ロケーションは沢谷字南山にある山林野原で、2016年2月8日に稼動だ。
そして、SJソーラーつくば発電所の定格出力は35MWで、2017年4月1日に稼働した。約3万枚の太陽光パネルが設置されたこの発電所の投資額は130億円超。東電と2015年4月に売買契約を結び、売電価格は2013年度申請時の36円/kWhで、年間販売額約10億円を見込む。  また、全国最大規模のソーラーシェアリング事業として、ソーラーパネルは農地の上に設置、地元の農業生産法人による農作物栽培を同時に行なっている。約50ヘクタールの用地は、200人近くの地権者から20年間借り受ける契約で、賃貸料は1000平方メートル当たり年間約10万円。SJ社が9割超、農業生産法人が1割弱の負担だとされている。
しかし、太陽光発電は発電効率が悪い上に買い取り価格も年々下がっており、事業の旨みが少なくなってきている。日本企業は参入を渋り始めたところだ。日本国内4つ目の事業とされる那須烏山プロジェクトも足踏み状態にある。
それでも中国系企業が怯まない背景には、太陽光発電を名目とした土地取得という目的があると言われている。そして、20年間の借り受け契約満了後に上海電力は、土地の買い取りを地権者に打診するのではないかと懸念されている。日本政府は、メガソーラーを含む土地の転売にも、しっかり目を光らせてもらいたいものである。
とりわけ、中国の潜水艦が潜航したまま通過する太平洋沿岸は、日米同盟の戦略上でも重要だ。伊勢志摩国立公園のメガソーラーも、転売ヤーが手掛けているものは監視が必要である。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイングサポート」代表)

降下した米兵の末路

 

(前回からの続き)
4「養正小学校〔当時〕の運動場から西の空を見た時、B29が1機、火を吐きながら東の方へと飛行している。まもなくパラシュートが1つ開いた。これを見た多くの人が竹槍を持って、津公園の桜道をパラシュートを目指して走った。腰の曲がったおばあさんまでもが、『突き殺したる』と走った。民衆に捕えられたアメリカ兵に『殺せ』『殺せ』という罵声が浴びせられた。憲兵が静止し、どこかへ連行していった」〔津市、中川氏〕
5「私は当時国民学校の2年生でしたが、火を吐いて飛行するB29と降下してゆくパラシュートは、今でもはっきりと覚えています。皆んな竹槍をもって飛行兵をやっつけたると息巻いていました」。〔津市、T氏〕
6「私が国民学校の5年生で13歳の時でした。降下するアメリカ兵を見た時、友達と木刀を持って御山荘橋を走って渡り、パラシュートを目指しました。私は当時『新道』(現在の養正小学校のあるあたり)に住んでいました」〔津市、石井昭氏〕
7「昭和20年初夏。大里地区の旧伊勢街道の松並木の伐採し、松根油製造のため松の太い根を掘り起こし中、B29が煙をあげながら上空を通過、伊勢湾方面へ高度を下げていきました。パラシュートで降下するのを目撃し、仲間の数人が落下点の方へくわ(鍬)をかついで走りましたが、小生連日の食糧難で空腹の為行く気にならず、あとどうなったか知りませんが、聞くところによると鬼畜米英をこらしめる為、大分なぐったようです」〔津市、小松氏〕
8 石川慶男氏の手記、「パラシュート降下した米兵。学徒動員中の数々の恐怖の体験と言えば、B29の集中爆撃を思い出すが、その他に、鮮やかに思い出に残る出来事がある。
昭和20年5月14日は、五月晴れの青空の美しい日であった。三菱航空機津工場へ出勤後、程なく警報が発令された。それは連日の事で、作業を中断して工場西方の山林へ避難するのが日課となっていた。
池の岸辺に寝ころんだり、雑談をしていた。その日もB29は京阪神方面を攻撃目標にしているのか、上空はあくまで青く静かであった。やがて何事もなく空襲警報解除かと思った頃に、西方よりB29が1機、白煙を引きながら、我々の頭上に向かって飛行して来る。よく見ると、エンジンより火を吹き、高度を下げて伊勢湾目指して逃走中と思われた。更に、機体後部より、白いパラシュートが1つ開き、まるで、一輪の花のようにゆっくりと、降下して来るではないか。
我々は、一瞬に見とれていたが、『アメリカ兵が降りて来るぞ』と、大声をあげて走り出していた。私もその一人であった。
落下地点は、予想外に遠く、現在の津商業高校あたりであったようで、息切れして、歩き始めたら、群衆に囲まれて、憲兵に引き立てられた米兵に出会った。
米兵は作業服のような軽装で、体格も血色もさすが良かったように思った。取り囲んだ群衆は、殺気立って、米兵に暴行しようとしたが、憲兵が制止していた。憲兵にガードされた米兵は、何処かに無事連行されて行った。私は憎しみとともに内心ほっとした事を覚えている。
(次回に続く)

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