特別寄稿

 2014年が明けた。昨年は、日本にとっても三重県にとっても良い年だった。2013年度の実質成長率は、2・7%程度の高い伸びが見込まれている。株価も堅調だ。オリンピックも決まった。一方、三重県は、神宮の式年遷宮で史上最高の参拝客を集めた。また、秋には待望のアンテナショップ、三重テラスを、東京・日本橋に開店した。2013年は人々の気持ちが上向いた年だった。
 さて、今年はどのような年になるだろうか。4月には消費税が引き上げられるので、成長の鈍化は避けられない。それでも、実質成長率は0・7%程度と予測されている。05年度から12年度の平均実質成長率は0・2%であったので、それほど悪い数値ではない。
 また、今年は、大きな選挙がない。与党は衆参両院で圧倒的な多数を擁しているので、落ち着いて政策に打ち込める年でもある。そうであれば、年頭にふさわしく、一つ大きな絵柄を描いてみよう。この国の大きな政策課題は何か。
 第一に、経済が活況を呈すれば、人々は自ずと元気になる。経済はやはり大切である。経済の基本となるGDPは、人口×生産性と考えられるので、まず、人口を増やす政策が中長期的には必要である。人口を増やす政策は、大別すると3つある。1つは、子どもを産み、育てやすい社会を創っていくことだ。
 ヨーロッパをみると、手厚い子育て支援策を採っているフランスや北欧諸国の出生率は2・0前後にまで回復している。極論すれば、これらの子育て先進国の政策をそっくりそのまま借りてきてもいいのではないか。2つ目は、大学の競争力をつけることである。アメリカには、全世界から100万人近い留学生が集まる。アメリカの教育費は高いので、2年間学ぼうと思ったら1千万円前後を持ちださなければならない。これだけで10兆円の有効需要が生まれることになる。
 加えて、アメリカのベンチャー企業の経営層は留学生が約半数を占めていると言われている。多様性が企業家精神を高めることは疑いがない。異質の文化がぶつかるところに、イノベーションが生まれる素地があるのだ。
 わが国の大学は世界のトップ100に2校しか入っていない体たらくである。これでは、良い学生が集まるはずがない。秋入学に切り替え英語の講義を増やすことは、国際競争力を高める前提条件であろう。
 第3は、観光客の誘致である。フランスなどは、人口以上の観光客を毎年集めている。日本の食事は世界一である。ミシュランのトップ3は、東京、パリ、大阪の順である。神社仏閣はもとより、温泉も雪もサンゴ礁もある。観光資源の面では、フランスに負けるはずがない。負けているのは、整合的な政策面だけではないか。
 第二に、生産性を高めるためには、労働の流動化が必要だ。学生の就活人気企業は、相も変わらず、大銀行や保険会社だ(アメリカは、ベンチャー、NPO、公務員が上位)。一方で、成長戦略の中で取り上げられる分野は、医療・介護、農業、IT、そして大企業よりはむしろベンチャーや中小企業だ。わが国は、労働資源の最初の配分の時点で既に大きく歪んでいるのだ。労働を流動化して成長分野に人が移動していく仕組みを創らない限り、生産性は上がらないと考える。 第三に、税と社会保障の一体改革が必要である。わが国の現状は、低負担・中福祉である。40兆円強の税収しかないのに、90兆円以上を使い続けてサステイナブルであるはずがない。この現状を直視すれば、わが国の現実的な選択肢は、中負担・中福祉か、高負担・高福祉のどちらかを選ぶしかないのだ。2020年には、経常収支が赤字化するという予測もある。そうなれば双子の赤字がこの国を襲うことになる。それまでに、財政の再建にある程度は目途をつけておかないと、大変なことになりかねない。杞憂であれば幸いだが。
 最後に、隣国との関係である。隣近所とギスギスしていては、毎日が楽しくない。家は引っ越せるが、国は引っ越せない。小異を捨てて大同に就くという精神で、我慢強く友好関係を模索していくことが必要だ。 (出口 治明 美杉町出身。ライフネット生命保険㈱代表取締役)

山田町のゆるキャラ「ヤマダちゃん」「たけちゃん」と津のゆるキャラ達(山田町にて)

 おはようございます!津に来て戦隊ツヨインジャーのツヨレッドです!
 熊本のくまもん、今治のバリィさん、彦根のひこにゃん、今や地域の情報発信や活性化にはかかせない存在になったご当地キャラクター。
 津市でも、シロモチくん、ゴーちゃん、ツヨインジャーをはじめとする11のキャラクター(通称「津ぅキャラ」)達が津市を盛り上げるために日夜、活躍しています。
 ご存知のとおり、各キャラクターは、それぞれ生まれた時にPRを行う使命をもっており、シロモチくんなら城作りの名手、藤堂高虎公、ゴーちゃんなら幼少期を津で過ごした浅井三姉妹の江姫、ツヨインジャーなら津の良い(ツヨイ)もののPRなどです。
 私の考えるところでは、ご当地キャラは全国区の観光地や名所でなくとも、地域の「やる気」を原動力に、一流の観光地と戦える武器になりえると思います。そんなキャラクターたちの活動の転機になったのが、2011年3月11日の東日本大震災の発生でした。そのとき日本各地でイベントや行事が中止や自粛となりました。もちろんキャラクターの出演も自粛ムードになりました。
 そんな中、我々は「こんなときこそ地域を笑顔にするキャラクター達の力が必要なんじゃないか!」と奮い立ち、仲間たちに声をかけ、ともに街頭でのキャラクターによる募金活動を行いました。この募金活動にはたくさんの方の協力や賛同をいただき、おかげさまで多くの募金を被災地に届けることが出来ました。
 このとき強く感じたのが、キャラクターには地域を元気にするだけでなく、いろいろな人の思いを実現させる「力」があるということでした。
 そして翌年2012年8月には、それら津市内のキャラクター活動の熱心なメンバーを集め「津ぅキャラえがおとどけ隊」を結成し、みえ災害ボランティア支援センターの「ボラパックⅡ」にて、岩手県山田町への災害復興のボランティア活動に参加しました。
 山田町では、キャラクターで仮設住宅や各福祉施設を訪問し、キャラクターとの「ふれあい」を通じ、被災地の皆さんが少しでも「笑顔」になれるような活動をしました。どの訪問先でも子どもたちは笑顔で出迎えてくれ、ある施設ではおばあちゃんが「よく山田町まで来てくれました」と涙を流しながら握手をしてくれたこともありました。
 このキャラクターでの活動が被災地の皆さんを勇気づける「心の復興」の一助になればと心から感じるとともに、我々も山田町のみなさんから震災復興にかけるかけがえのない「思い」をもらったような気がしました。
 その思いが通じたのか、津ぅキャラたちの活動が山田町のみなさんの印象に大きく残り、今年になり山田町にご当地キャラを誕生させようという事業に発展しました。
 我々「津ぅキャラえがおとどけ隊」のメンバーもこの制作実行委員会に入れていただき、キャラクター制作や運営のアドバイザーとして、制作会議や選考会などに数回参加させていただきました。
 そしてついに、9月15日「復興山田がんばっぺし祭り」にて、山田町のご当地キャラ「ヤマダちゃん」「たけちゃん」が誕生し、無事お披露目することができました。
 この山田町のキャラクターが、山田町のみなさんを笑顔にし、その笑顔が自らの力で前向きに未来へと歩むことができる「原動力」になって欲しいと切に思います。
 最後に、キャラクターと子ども達がふれあうことで、それのことが子どもたちにとって「楽しい思い出」として、将来、この地域で生きていこうという「地域愛」へと育まれていくのではないでしょうか。
 これからも、津市の情報発信、地域活性化だけでなく、地域のみなさんが自分たちの住む地域に愛着が持て、子どもたちの笑顔があふれる「誇れる地域」に少しでも近づけるよう津ぅキャラたちはがんばります!今後とも津ぅキャラたちの応援よろしくお願いいたします!
 (ツヨインジャー(ツヨレッド) 津ぅキャラえがおとどけ隊 隊長)

 「たこ焼きで世界中の人を幸せにします!」三重大学4年生の2月に、東京で開かれた「wiz TABIPPO」というコンテストに参加した。2200人の前でプレゼンし、自分の夢を語った。約500人の応募者から、僕はその大会で優勝した。優勝賞品は「世界一周航空券」だった。
 その頃、すでに4月から就職が決まっていたが、入社を辞退させていただき、世界を周ることを決意した。
 「バカじゃないの。」「早く働け。」「就職辞退なんてもったいない。」そんなことも言われた。でも、親は僕にこう言った。「お前の人生やから好きなように生きろ。20代は何でもやったらええねん。」
 僕の両親は今まで僕がやることをすべて認めてくれ、応援してくれた。浪人、三重大学進学、たこ焼き屋起業、休学、旅、そして入社辞退からの世界旅。すべてにYesと言ってくれた。僕はこの二人のもとに生まれて本当に幸せだと思う。
 コンテストから5カ月が経ち、旅立ちの日を迎えた。旅に必要な道具をバックパックにつめる。パスポート、服、カメラ、日用品、そして、たこ焼きの道具。大学1年の時にたこ焼き屋を起業して5年が経つ。これが今この旅に繋がっていると想うと不思議である。
 「たこ焼きを世界中で焼いて、人を笑顔にするんだ。」この大義名分のもと、僕の旅はスタートする。
 スタートから2カ月半が経った。モンゴル、中国、東チベット、ベトナム、ラオス、タイ、バングラデシュと旅をして、現在はネパールにいる。これまでモンゴル、ベトナム、タイでたこ焼きの店を出した。ラオスでは托鉢で僧侶に食べてもらった。
 「何だよこの食べ物!」「どうやって作るんだ?」「何が入ってるんだ?!」そう言って集まってくる人々。そしてたくさんの人が笑顔になる。熱々のたこ焼きを頬張り「おいしい!」って言いながら笑っている。この瞬間が最高に嬉しい。「たこ焼きは人を笑顔にする。」そう断言して日本を飛び出したけど、それは間違っていなかった。これからもいろんな国でたこ焼きを焼いていきたい。
 僕がこのような旅をするきっかけになったのが、1年前のモロッコのエッサウィラという街でたこ焼き屋を開いたことである。モロッコの道端で営業していた時、一人の男性が買いにきた。そして一言こう言った。「俺のピザ屋の前で店だせよ!」それがピザ屋のアナスとの出会いだった。それから3日間アナスの店の前で出店した。たこ焼きはとてもよく売れた。別れの日、店を貸してくれたアナスにレシピと技術と道具をすべて渡した。「アナス、がんばれよ!」って言いながらお互い抱き合った。
 あれから1年が経つ。アナスは今どうしてるんだろうって。先日、モロッコを旅されていた方からメッセージがあった。「モロッコでたこ焼き屋を見つけました。」その方のブログをみた瞬間に、ぶわーってモロッコでの記憶が蘇った。
 自分が本気でやってきたことが人を動かし、国境を越えて人を笑顔にする。こんなに嬉しいことはない。今でもアナスのたこ焼きを食べたっていう旅人にたくさん会う。「すごく売れていたよ!」「美味しかったよ!」っていう言葉を聞く度に、たこ焼き屋をやってて良かったなって思う。
  これから先、まだまだたくさんの国を旅する。たくさんの国でたこ焼きを焼く。世界中の人の笑顔が見たいから、重い鉄板かついで、世界を歩いて行きます。(森田 松之助(たこのすけ))

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