特別寄稿

始まっている教育改革について、六月に四回の連載させていただき、その後の様子をうかがっているなかで気づいたことがあります。それは、例えば「アクティブ・ラーニング」という言葉そのものを、まだご承知でない方々がたくさんいるということです。
「アクティブ・ラーニング」については、私の身近な子どもたちにも、「今、君たちが取り組んでいることをアクティブ・ラーニングと言うのだよ」と具体的な場面で何度か説明しているのですが、それでも「アクティブ・ランニング」と間違えていて、「それじゃあ、踊りでもしながら走ることになってしまうね」とつぶやきながら苦笑させられる始末です。
まして、教育改革は始まっていると言っても、よほど関心の高い保護者の方か地域の方がご反応くださるぐらいで、学校の教員ですら、きちんとした理解や見通しをもっている人は少ない、という現実と遭遇してしまいます。
そのなかで、先日、有権者の年齢が十八歳からになった初めての国政選挙が行われました。この選挙年齢の引き下げも、今回の教育改革と無関係ではない、と言えば、意外に感じる方や、「まさかそういう形で見えるようになってきているのか」と驚かれる方や、「それとこれとがどう関係があるの」と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。
今回の教育改革で先導的な役割を担っている「教育再生実行会議」の最新の提言(今年五月二十日)には、これまでの同会議の「提言の実行に向け、特に注視する必要のある重要事項」の一番目に、政治の仕組みや選挙の意義の周知や、選挙に関する教員の教育研究などと、その「適切な対応」について述べられています。(十六~十七項)
もちろん、選挙制度の改革は国会の決議によるもので、内閣府直属の機関とはいえども「教育再生実行会議」がどのように力を出してもできることではありません。
強いて言えば、選挙年齢の引き下げが行われる社会的な要因は、そのほとんどが教育制度に関しても解決すべき重要課題と等しいものであるということです。「教育再生実行会議」の最新の提言が選挙年齢の引き下げへの対応を「重要事項」の第一に挙げているのは、始まっている教育改革が、これまでの教育行政のなかのできごとの範囲内で済まされる問題ではない、という必要感からのものであると私は受け止めます。
つまり、日本のこれからを考えれば、選挙年齢の引き下げをしなければならないのと同じくらい、教育制度の改革も不可欠、かつ不可避である、というところまで日本の社会がなってしまっているのです。
そうであるにもかかわらず、この地域の学校現場の実態はどうなのでしょうか。これまでにも申し上げてきましたように、この地だけが、まるで「今の日本ではない」ような、「時差ボケ」をしていることを危惧します。「これまでも、いろんな教育の変化はあったけれど、現実的には学校が忙しくなるだけで、実際にはそれほど変わりはしないに決まっている」という声が、あちこちから聞こえてしまいます。それが学校や塾の先生なら、
「あなたがそう考えるのは構いませんが、五年後、十年後に教育制度の改革と直面する児童や生徒、そしてその家族は、同じ日本のなかで、教育制度改革に熱心に対応している地域の児童や生徒と、果たして同じように力を発揮できると考えていますか」と問いかけたいものです。
さらに続けて、「目先のこの一年だけ、無事に目の前の児童や生徒と付き合っていればよいだけのことで、子どもたちの将来のことは自分には関係ないと考えているのではないですか」と言いたい、と思ってしまいます。
先日の参議院選挙では、「改憲」についての意識に世代差が歴然とあることが話題となりました。おおむね四〇代以上は「改憲」に慎重、二〇代を中心にその前後は「改憲」を考える方向にあるという報道はみなさんもご承知と思います。
四〇代より上の世代は、戦争を自分の人生で経験した教員と出会っています。戦争経験者ではない私は、相当に当時の様子を知る努力をしていますが、それでも、実経験者とは、雲泥の差があります。このようにして、憲法への意識にも、学校教育の影響が出ているとするならば、「改憲」の賛否はともかく、教育の在り方について、日本国民の全員がこれからの日本のために考える必要がないわけがないと私は考えます。しかも、団塊の世代の大量退職とともに学校教育現場は世代交代が著しくなっているのですから、教育を抜本的に改革しなければ、「戦後」の日本は百年持ちません。教育改革は国民全員の課題なのです。
次回からは、今回の教育改革へのご家庭での具体的な対応策や子育てについて書きます。
(伊東教育研究所)

一昔前にかなり流行したドラマと映画のシリーズがありました。その主人公である「はみ出し」者の警察官が、上司たちに向かって叫ぶ言葉。「事件は現場で起こってるんだ」。
それを聞いた瞬間に私が心の中で叫んだことは「教育も現場で起こってるんだ」でした。
私の専門は教育史で、特に明治期に日本に学校が創られたときから、その学校のなかで誰がどのように誰にどんなことを教えていたかを考察しています。そのとっかかりが音楽教育で、趣味の音楽と大学で学ぶ教育学をくっつければ探究心が強くなると思っただけのことでした。おかげで予想をはるかに超えて指導教官にもあきれられるほど研究できましたが、まさか、その後に私自身が実際に小学校の教員となり、しかも音楽専科としてそれなりの評価をいただくようになることまでは思っていませんでした。
私が三重県の音楽教育を子どもたちと初めて行った人物やそのときの様子について調べたのは、今から40年近くも前のことで、インターネットなどの便利なものもなく、その上、先行研究はまったくないときでしたから、何をするにしても、手探りで自分で歩いて現地で関係の史料を探さなければなりませんでした。三重県で最初に音楽教育を始めた人が、今の菰野町出身で三重師範学校の最初の音楽教員になった金津鹿之助であったことも、そのようにして、私が発掘したことです。(詳しくは拙著参照)ちなみに、それを調べているときが「三重県教育史」の編纂の最後の段階で史料がたくさん集められていましたので、担当の松村勝則先生のご厚意で、弁当を持って何度も史料の閲覧と筆写に通いました。
津高校の恩師で齋藤拙堂の研究者でもあった杉野茂先生には草書の読み方を習いました。
大学院で戦後の音楽教育を文部官僚の立場で長く牽引してこられた真篠将先生から、調べたことの実証性を上げるようご教示いただき、亡父伊東功を通して菰野町の教育関係の方々に依頼し、そこで、たまたま金津鹿之助を直接知るご子孫や縁者にあたる方々とお会いできました。そのときは、私の方が金津鹿之助の業績や郷里に戻るまでの足跡をお伝えする立場になり、大変喜んでいただき、貴重なお話や史料を得ることができました。
教育研究と言えば、法律や制度の様子だけで語られることが多いのですが、実際に、学校で誰がどのように誰に何を教えているか、が本当の教育だ、ということを私は言いたいのです。今では、教育の実態史ということでたくさんの研究業績がなされるようになりました。学校現場から離れた教育研究は机上の空論ということが当たり前になりました。もともとルソーもペスタロッチもフレーベルもデューイも自分で子どもたちと学びの創造を経験することから教育学を考えました。日本のそういう先人たちの発掘も進んでいます。
今回このようなことを私が力説しているのは、このたびの教育改革について、情報の根拠が定かでない、いろんな見方や考え方があふれ、期待も不安も、賛成も反対も、本当にそうなるのかならないのか、保護者の方々にもさまざまに推測や憶測が生まれても仕方がない状況を、毎日感じさせられているからです。さらに、文部科学省や関連の情報を見ても、制度改革が始まることは確かでも、実際はどうなるのかわからないところがあります。
その理由は、「教育は現場で起こっている」からです。
つまりは、学校やそこにいる個々の教職員、地域の教育委員会などによって、教育制度は、極端に言えば、どのようにでもなってしまうからです。どのように何を教育するかは、現場に委ねられているからです。
ここで、特に私が三重県のみなさんに言いたいことを書きます。
私は若い頃から子どもたちとの音楽活動を通して、全国各地の教育現場の様子をその当事者である教員たちから知らされていました。また、未熟なころからご縁があって、私は三重県のほとんどの地域の教育研究会に講師として招かれ勉強させていただきました。
三重県は、全国的な視野から見れば、教育の実態は「相当に変わったところ」です。さらに三重県内でも、地域によって、学校や教職員の考え方がずいぶんと違いますが、これはどこの都道府県でもあることのようです。けれども三重県が、三重県内だけにいてはとても想像もできないほど、全国的には「相当に変わったところ」であるのは事実です。
ですから、このたびの教育改革についても、関心の高い教員や保護者は別として、全体としての受け止め方が甘くて、実際の教育現場で、変化があまりない、となることも十分に予想されます。そのような保護者の方々のご心配も耳にしています。
三重県の子どもたちも、始まった教育改革とは無縁ではないはずです。保護者や地域の方々は学校教育の動向と実態を注視すべきだと思います。子どもたちの近未来のために。
(伊東教育研究所)

(前号からの続き)
この日の前日の7月27日に、瀬木山防空監視哨の監視員、内山雄視は「敵艦隊が熊野灘沖を航行している。特別の警戒をせよ」という指示を受け、徹夜の監視を続けていた。
翌日28日の早朝、国籍不明の潜水艦が島勝方面に向かって浮上してやって来るのを発見。この潜水艦は米海軍の「SS397スキャバード・フイシュ」であった。米陸海軍は「ボーイングB─29スーパーフォートレス爆撃機」で日本本土を爆撃するに当たり、同機が日本軍の攻撃あるいは事故に備えて同機の搭乗員を洋上で救助するためにマリアナのB─29の基地から日本本土の沿岸近くまで同機の飛行ルートに沿って、救助用の潜水艦、艦艇、飛行艇などを予め配備していた。 7月28日、津市や宇治山田(現在の伊勢市)が夜間に焼夷弾による空襲を受けた。津市の空襲の攻撃開始地点は尾鷲市の丸木崎である。津市は新型焼夷弾M─74A1の実験場となり、一夜にして市街地は灰燼に帰した。これら中小都市空襲がこの日に実行されたことを考えると、この潜水艦はB─29爆撃機の搭乗員を救助するのがこの日の主任務であったと考えられる。

7月28日、監視員の内山雄視は国籍不明の12機の「コルセア」が佐波留島と桃頭島の間上空から尾鷲湾に向かって飛来して来るのを発見した。尾鷲の司令部にその旨をすぐさま報告。尾鷲湾に停泊する海軍艦艇は「コルセア」による攻撃に対し、直ちに迎撃態勢に入り、時速300~400キロメートル、高度およそ60メートルでの低空飛行で向かってくる「コルセア」に集中砲火を浴びる態勢に入った。

尾鷲湾には司令艦の「潜水母艦 駒橋」(潜水艦に弾薬や水や食料を補給することが主任務)が国市の浜沖に停泊。「第45号海防艦 丙型」は湾内の防波堤に対し船首を古里海岸に向けて、つまり左舷を防波堤側にして防波堤から少し距離をおいて停泊、「第14号駆潜艇」は尾鷲港内に、それと「第2京仁丸」徴用船、「第18播州丸」徴用船は港外に停泊していた。その中で最も重兵装備艦は「第45号海防艦」だった。
一方、須賀利湾には「第1京仁丸」徴用船と「第10昭和丸」徴用船が停泊していた。「徴用船」とは戦争末期に地元の鰹鮪漁用の遠洋漁業の漁船で兵装に20ミリ機関銃を1~2挺搭載し潜水艦攻撃用に爆雷を搭載していた。これら4隻の徴用船は「第26掃海隊」と呼ばれ、またこれら船舶のほかに木造の「特別駆潜艇」2隻が尾鷲湾に停泊していた。

編隊は八鬼山から引本港方面に飛行し、橡山上空で左旋回して尾鷲市街方面から攻撃を開始した。尾鷲市内には防空警報がけたたましく鳴り響いていた。

攻撃の一番機はクイルター中尉機である。静まりかえっている山々の上空から高度を下げ、6時4分、「第45号海防艦」に「射方始め」の命令が出され、「高角砲、機銃」は一斉射撃を開始した。尾鷲の町並上空をすれすれの高度から弾幕の中を「コルセア」は眼前の同海防艦の左舷をめがけて爆弾を投下すると大きな水柱が上がった。しかし同海防艦」には命中しなかった。
2番目に攻撃をしたのは、スターリング中尉(ニュージーランド海軍、志願予備役)だった。「第45号海防艦」から集中砲火の中を同海防艦の左舷に命中するようにスキップ・ボミングした。爆弾は艦橋左舷下に命中、大音響が轟いた。艦橋は大破し即死者、負傷者で一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した。この時6時5分。これにより岩田末次艦長は重傷を負った。3番機4番機は機銃掃射ロケット弾を発射。機銃弾も何発かのロケット弾が命中した。船体は大破。黒煙を発し出した。
船体一部から浸水しだした。前部の高角砲作動不能となる。25ミリ2連装機銃1基はこのスキップ爆撃の直撃をうけ砲台ごと海に没した。砲手は即死。電探室、電信室、水測室、電話室及び揚錨機、通信伝達装置、操舵装置は全て破壊された。艦長は重傷により、先任将校の航海長が艦長代行を務めることとなる。

スターリング中尉機はこの攻撃で被弾し、尾鷲湾に不時着水した。中尉は先ず救命胴衣の左右下にある二酸化炭素が充填されている小型ボンベの紐を引っ張り、救命胴衣を膨らませてから「コルセア」の風防を開け、機外に脱出した。それから救命ゴムボートを膨らますために二酸化炭素が充填されている小型ボンベの栓を開いた。
たちまちゴムボートは開いた。中尉はボートの後部より乗り込んだ。不時着水したスターリング機の光景を目撃したクイルター中尉はスターリング中尉が無事救命ボートに乗り込んだかどうか確認するために湾上を旋回飛行中、自らもプロペラに被弾し尾鷲湾に不時着水した。
2名のパイトッロは急いで湾外に向かって長さ約50センチ櫂を使って一生懸命に漕いで尾鷲湾外へと脱出を試みていたが、陸から日本兵が2名をめがけて小銃を発砲し続けていた。残りの2機は「駒橋」や「第14号駆艇潜」にロケット弾や機銃掃射で攻撃。攻撃後に急上昇した。
この日の早朝に「フォーミダブル」から「アベンジャー雷撃機」で編成される第848飛行隊が四日市と桑名を空爆するために出撃。途中、尾鷲湾で黒煙を発する「第45号海防艦」の写真を8000フィート上空から撮った。四日市と桑名に爆撃のために向かう途中、伊勢湾が悪天候のため爆弾は海に投棄。午後に再出撃し、今度は爆撃がうまくいった。(次号に続く)

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