特別寄稿

既に報道されていることですが、今年の四月一日から、中学校や高校の部活動に、学校の教員ではない人も部活動の指導員として公的に位置づけられることになります。これは文部科学省が二〇一五年一二月に中央教育審議会が答申した「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」に基づいて、今年の一月に「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案」で示されたことです。ねらいは、始まった教育改革を具体化するために学校の教員の負担軽減と、学校教育を地域と連携して充実したものにしようというところにあります。わかりやすく言えば、甲子園の高校野球の監督を、地域にいる元プロ野球選手がすることもできる、ということです。
こう言うと、具体的にいろいろなことをお考えいただけると思います。たとえば、部活動の指導の専門性が高まり活動が充実するだろう、とか、いや、もう既に、全国的な大会で活躍している部活動の指導員には学校の教員ではない人もいたはずだ、とか、です。いろんな部活動の実質的な指導者で、そのような人は何人もいます。ただ、今回の省令で打ち出されたのは、これまでは、指導者が外部の人でも引率などで必ず教員が同行することになっていました。それを、教員が同行せずに外部の指導員だけでも行けるように公的に認めるのです。学校の近くに住む人で、毎朝と放課後と休日の練習を長年行い、甲子園へ何度も高校生を連れて行った有名な監督がいました。ベンチのなかには、監督のほかに奉行とか顧問とかの呼び名で必ず教員がいました。
いきなり外部の指導員だけで遠征をする、ということは少ないと思いますが、毎日の練習や近隣での大会の場合は、教員が学校本来の仕事に専念したり、休養をとったりできる、ということにだんだんなってくると思います。地域によって、その導入の仕方や時期の違いはあると思いますが、教員が部活動から解放される日も来ることになりました。
部活動は、本来は生徒の自主的な活動で、学校で行っていても、授業などとは一線を画したものです。生徒の全員が部活に入らなければならない、という学校もまだまだ見られますが、それは学校の方針であっても、もともと法的な強制力のないものです。また、担当していた教員が学校を変わることで部活動が、生徒や保護者や地域の希望とは関係なく、なくなってしまったりすることもあります。そうならないように部活動を固定しておいて、教員の能力とは関係なく、指導を割り振るという場合もあります。というように、部活動が、学校の思惑や教員の事情に左右される部活動は、本来の姿から離れていることになります。
部活動で、心身を鍛えられ、のちの人生によい影響を生む例もたくさんあります。その反対に、部活動での行き過ぎた指導やいじめなどによる問題も後を絶ちません。外部の指導員になるとその点での心配がさらに大きくなるという見方もできる一方で、本来の職務を怠るほど部活動に打ち込んで実際に問題を起こしてしまっている教員も少なくありません。部活動で、ずっと残る傷を心につけられたという生徒もいるはずです。
私は赴任した小学校や母校で長く部活動に関係してきた者です。そういう私がこういうと首をかしげる方もいるかも知れませんが、私は、甲子園のような学校単位の部活動が過熱することには、かなり以前から疑問を持っている者の一人です。海外の子どもたちが、地域のスポーツや文化の団体で、家族や地域の人たちと好きなことを追究していることを知って、地域(コミュニティ)の幅広い年齢の人たちが共に活動できる場を作ることも、積極的に行ってきました。最近ではサッカーや野球のクラブチームなどでの活動も、学校の部活動のように認める傾向があるのを、私はいいことだと思っています。かつては、学校の部活と学校外の活動の板挟みになって、苦しむ生徒たちがいましたが、できれば外部の指導員の活用は生徒が希望する団体で活動できまで広げたいものです。
また文部科学省は、二〇一四年年度の「白書」に「生涯学習社会の実現」を入れ、「自立」「協働」「創造」をキーワードとして「国民一人一人が自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう」な社会になることを期待しています。学校内に取り込んで、学校対抗の形にしていた部活動を学校外に開くことと、学校教育以外にも多様なあり方の可能性のある生涯教育の充実は、うまく連携してゆけば、必ず、生徒の自主性や対話力や学びに向かう力を伸ばし、地域の新たな活性化にもつながるでしょう。文部省の「白書」では、生涯学習の一つに「企業内教育」も明記されています。これは人材教育という狭いものではなく、組織にいる個人が「自己の人格を磨き、豊かな人生を送ること」を目的としたものです。
このような企業内教育にD社のK社長が取り組み始め、私もお手伝いさせていただくことになりました。「これで社員が家族と楽しく時間を過ごしたり、年を重ねても楽しめるものを増やしたりできればいい」というK社長のお考えに、学校の授業外の教育改革の先取りの例として、うまく実現できるようにしたいと、私も楽しみにしています。

(伊東教育研究所)

始まっている教育改革について、六月に四回の連載させていただき、その後の様子をうかがっているなかで気づいたことがあります。それは、例えば「アクティブ・ラーニング」という言葉そのものを、まだご承知でない方々がたくさんいるということです。
「アクティブ・ラーニング」については、私の身近な子どもたちにも、「今、君たちが取り組んでいることをアクティブ・ラーニングと言うのだよ」と具体的な場面で何度か説明しているのですが、それでも「アクティブ・ランニング」と間違えていて、「それじゃあ、踊りでもしながら走ることになってしまうね」とつぶやきながら苦笑させられる始末です。
まして、教育改革は始まっていると言っても、よほど関心の高い保護者の方か地域の方がご反応くださるぐらいで、学校の教員ですら、きちんとした理解や見通しをもっている人は少ない、という現実と遭遇してしまいます。
そのなかで、先日、有権者の年齢が十八歳からになった初めての国政選挙が行われました。この選挙年齢の引き下げも、今回の教育改革と無関係ではない、と言えば、意外に感じる方や、「まさかそういう形で見えるようになってきているのか」と驚かれる方や、「それとこれとがどう関係があるの」と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。
今回の教育改革で先導的な役割を担っている「教育再生実行会議」の最新の提言(今年五月二十日)には、これまでの同会議の「提言の実行に向け、特に注視する必要のある重要事項」の一番目に、政治の仕組みや選挙の意義の周知や、選挙に関する教員の教育研究などと、その「適切な対応」について述べられています。(十六~十七項)
もちろん、選挙制度の改革は国会の決議によるもので、内閣府直属の機関とはいえども「教育再生実行会議」がどのように力を出してもできることではありません。
強いて言えば、選挙年齢の引き下げが行われる社会的な要因は、そのほとんどが教育制度に関しても解決すべき重要課題と等しいものであるということです。「教育再生実行会議」の最新の提言が選挙年齢の引き下げへの対応を「重要事項」の第一に挙げているのは、始まっている教育改革が、これまでの教育行政のなかのできごとの範囲内で済まされる問題ではない、という必要感からのものであると私は受け止めます。
つまり、日本のこれからを考えれば、選挙年齢の引き下げをしなければならないのと同じくらい、教育制度の改革も不可欠、かつ不可避である、というところまで日本の社会がなってしまっているのです。
そうであるにもかかわらず、この地域の学校現場の実態はどうなのでしょうか。これまでにも申し上げてきましたように、この地だけが、まるで「今の日本ではない」ような、「時差ボケ」をしていることを危惧します。「これまでも、いろんな教育の変化はあったけれど、現実的には学校が忙しくなるだけで、実際にはそれほど変わりはしないに決まっている」という声が、あちこちから聞こえてしまいます。それが学校や塾の先生なら、
「あなたがそう考えるのは構いませんが、五年後、十年後に教育制度の改革と直面する児童や生徒、そしてその家族は、同じ日本のなかで、教育制度改革に熱心に対応している地域の児童や生徒と、果たして同じように力を発揮できると考えていますか」と問いかけたいものです。
さらに続けて、「目先のこの一年だけ、無事に目の前の児童や生徒と付き合っていればよいだけのことで、子どもたちの将来のことは自分には関係ないと考えているのではないですか」と言いたい、と思ってしまいます。
先日の参議院選挙では、「改憲」についての意識に世代差が歴然とあることが話題となりました。おおむね四〇代以上は「改憲」に慎重、二〇代を中心にその前後は「改憲」を考える方向にあるという報道はみなさんもご承知と思います。
四〇代より上の世代は、戦争を自分の人生で経験した教員と出会っています。戦争経験者ではない私は、相当に当時の様子を知る努力をしていますが、それでも、実経験者とは、雲泥の差があります。このようにして、憲法への意識にも、学校教育の影響が出ているとするならば、「改憲」の賛否はともかく、教育の在り方について、日本国民の全員がこれからの日本のために考える必要がないわけがないと私は考えます。しかも、団塊の世代の大量退職とともに学校教育現場は世代交代が著しくなっているのですから、教育を抜本的に改革しなければ、「戦後」の日本は百年持ちません。教育改革は国民全員の課題なのです。
次回からは、今回の教育改革へのご家庭での具体的な対応策や子育てについて書きます。
(伊東教育研究所)

一昔前にかなり流行したドラマと映画のシリーズがありました。その主人公である「はみ出し」者の警察官が、上司たちに向かって叫ぶ言葉。「事件は現場で起こってるんだ」。
それを聞いた瞬間に私が心の中で叫んだことは「教育も現場で起こってるんだ」でした。
私の専門は教育史で、特に明治期に日本に学校が創られたときから、その学校のなかで誰がどのように誰にどんなことを教えていたかを考察しています。そのとっかかりが音楽教育で、趣味の音楽と大学で学ぶ教育学をくっつければ探究心が強くなると思っただけのことでした。おかげで予想をはるかに超えて指導教官にもあきれられるほど研究できましたが、まさか、その後に私自身が実際に小学校の教員となり、しかも音楽専科としてそれなりの評価をいただくようになることまでは思っていませんでした。
私が三重県の音楽教育を子どもたちと初めて行った人物やそのときの様子について調べたのは、今から40年近くも前のことで、インターネットなどの便利なものもなく、その上、先行研究はまったくないときでしたから、何をするにしても、手探りで自分で歩いて現地で関係の史料を探さなければなりませんでした。三重県で最初に音楽教育を始めた人が、今の菰野町出身で三重師範学校の最初の音楽教員になった金津鹿之助であったことも、そのようにして、私が発掘したことです。(詳しくは拙著参照)ちなみに、それを調べているときが「三重県教育史」の編纂の最後の段階で史料がたくさん集められていましたので、担当の松村勝則先生のご厚意で、弁当を持って何度も史料の閲覧と筆写に通いました。
津高校の恩師で齋藤拙堂の研究者でもあった杉野茂先生には草書の読み方を習いました。
大学院で戦後の音楽教育を文部官僚の立場で長く牽引してこられた真篠将先生から、調べたことの実証性を上げるようご教示いただき、亡父伊東功を通して菰野町の教育関係の方々に依頼し、そこで、たまたま金津鹿之助を直接知るご子孫や縁者にあたる方々とお会いできました。そのときは、私の方が金津鹿之助の業績や郷里に戻るまでの足跡をお伝えする立場になり、大変喜んでいただき、貴重なお話や史料を得ることができました。
教育研究と言えば、法律や制度の様子だけで語られることが多いのですが、実際に、学校で誰がどのように誰に何を教えているか、が本当の教育だ、ということを私は言いたいのです。今では、教育の実態史ということでたくさんの研究業績がなされるようになりました。学校現場から離れた教育研究は机上の空論ということが当たり前になりました。もともとルソーもペスタロッチもフレーベルもデューイも自分で子どもたちと学びの創造を経験することから教育学を考えました。日本のそういう先人たちの発掘も進んでいます。
今回このようなことを私が力説しているのは、このたびの教育改革について、情報の根拠が定かでない、いろんな見方や考え方があふれ、期待も不安も、賛成も反対も、本当にそうなるのかならないのか、保護者の方々にもさまざまに推測や憶測が生まれても仕方がない状況を、毎日感じさせられているからです。さらに、文部科学省や関連の情報を見ても、制度改革が始まることは確かでも、実際はどうなるのかわからないところがあります。
その理由は、「教育は現場で起こっている」からです。
つまりは、学校やそこにいる個々の教職員、地域の教育委員会などによって、教育制度は、極端に言えば、どのようにでもなってしまうからです。どのように何を教育するかは、現場に委ねられているからです。
ここで、特に私が三重県のみなさんに言いたいことを書きます。
私は若い頃から子どもたちとの音楽活動を通して、全国各地の教育現場の様子をその当事者である教員たちから知らされていました。また、未熟なころからご縁があって、私は三重県のほとんどの地域の教育研究会に講師として招かれ勉強させていただきました。
三重県は、全国的な視野から見れば、教育の実態は「相当に変わったところ」です。さらに三重県内でも、地域によって、学校や教職員の考え方がずいぶんと違いますが、これはどこの都道府県でもあることのようです。けれども三重県が、三重県内だけにいてはとても想像もできないほど、全国的には「相当に変わったところ」であるのは事実です。
ですから、このたびの教育改革についても、関心の高い教員や保護者は別として、全体としての受け止め方が甘くて、実際の教育現場で、変化があまりない、となることも十分に予想されます。そのような保護者の方々のご心配も耳にしています。
三重県の子どもたちも、始まった教育改革とは無縁ではないはずです。保護者や地域の方々は学校教育の動向と実態を注視すべきだと思います。子どもたちの近未来のために。
(伊東教育研究所)

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