特別寄稿

観光客で賑わう奈良公園では、鹿たちがしきりにエサをねだっている。暑さも一段落で食欲旺盛のようだ。この『奈良のシカ』は春日大社の『神鹿(しんろく)』とされ、文化財保護法に基づく保護の対象となっており、約4000頭が生息する。今回で88回目の奈良訪問となる。
公園の客層は相変わらずインターナショナルである。わざわざゴールデンルートから離れてここを訪れるのは、貴重なお金と時間を費やすだけの価値を知る者ばかりかも知れない。外国人しか見かけなかった真夏と比べると、日本人客も少し増えたようだ。間もなく修学旅行のシーズンも来るだろう。
『国連世界観光機関駐日事務所』は、この奈良公園から遠くないJR奈良駅近くにある。

国連界観光機関では局長が応対してくれた。今年の国連世界観光機関のテーマは『持続可能な観光国際年2017』。10月5日にはその啓発の一環として、グローバル観光セミナー『ガストロノミーを通じた持続可能な観光・国際交流の可能性』が開催された。
これは『食』を観光コンテンツとした取組みで、ランドマークのない地域でも成功する可能性があるとする。
とはいえ、別段これは日本では珍しいことではない。大抵の旅館では、ずっと前から『一泊二食』で郷土料理が提供されている。三重県でも得意な分野である。
今回の訪問では、『ツーリズム』の国際社会に対する役割の再認識が共有できた。戦争の対極にあるのが平和産業としての『国際観光』だからである。
また、総会が近いことから、タイ人の女性観光客が1800万円の入院手術費用を日本で抱えたニュースを踏まえ、義務的な旅行保険の重要性についても話した。そのような啓発ができるのは国際機関だけだからである。

相互情報共有のために、ボランタリズムで奈良訪問を開始したのは2009年のちょうど今頃で、当時はまだ国道166号線沿線の宇陀市までだった。 それが、2010年に奈良県全域で開催された『平城遷都1300年祭』の、三重県内でのプロモーションを担うにあたり、奈良市にまで行き着いた。
月に一度の訪問はこの頃からである。このプロモーションイベントは、津と紀北町の観光協会、そして宇陀市と松阪市の協力も得て、2010年には『中部国際空港』の催事ホールを2日間借り切って開催、翌年には『津エアポートライン』でも開催できた。
福島第一原発事故が発生したのはその翌月であり、これによりインバウンドは大幅に減少した。国連世界観光機関を訪ねるようになったのはこの頃からで、経済協力開発機構(ОECD)と欧州統計局(EUROSTAT)が2013年に日本で初の『国際観光統計フォーラム』を開催した際に、たまたまO・H・M・S・Sブースの隣が国連世界観光機関のブースだった事もあり、それ以来、セミナーやフォーラムにはできる限り参加させてもらうようになった。 国のはじまりである奈良県や三重県を客観的にみる為だ。

ご存知のように、この奈良県と三重県は隣接しており、紀伊半島を縦断する伊勢本街道で繋がる津市・松阪市と宇陀市は、今は国道で直結している。現在、宇陀市では市民に向けた広報紙で、『古事記』『日本書紀』『万葉集』にまつわる話を連載中で、今月は本居宣長の『菅笠日記』に記録された3月の旅程を紹介している。
その中で宣長さんは投宿した榛原で、萩の咲く秋に来た方が良かったとの句を詠んでいる。
近年の榛原は、大阪のベッドタウンとして、近鉄榛原駅を中心に発展した宇陀市最大の都市だ。インフラも整っている。だが、急速な少子高齢化の波はここも同じようで、他都市との観光交流が必要なのは否めない。近隣諸県との情報共有が必要だ。
たとえば三重県と奈良県は同じ文化圏だった隣同士だが、今の三重では、遠く離れた長野県や静岡県はあるのに奈良県の天気予報さえ無い。それぞれが別々の経済圏に属する為に、メディアの縄張りが分断されているからだ。
したがって、戦国武将ブームも定着した感があるものの、宇陀市の三将を知る者は三重県には殆どいないし、その逆も然りである。このように情報交流が非常に限られている中、広報紙による紹介はとても価値があるといえる。
三重県も、リニア中央新幹線のみならず、隣県にも関心を持つべきだ。でなければ、どちらの県も通過都市と化すに違いない。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)

三重県にジェームズ・ボンドが既に来ていたと書くと、若い世代は驚かれるかも知れない。
それは、1964年にジョナサンケープ社から出版された小説『007は二度死ぬ』(日本語版は早川書房)での事である。
これは、スイスアルプスを舞台とした『女王陛下の007号』の後日譚で、執筆にあたって1962年に再来日した原作者イアン・フレミングは、三重県にも来ていたのである。
当時の取材日数は12日間で、ガイドは朝日新聞社の斎藤寅郎(タイガー)と、サンデータイムズ特派員のリチャード・ヒューズ。この二人は、1959年のフレミング初来日の3日間の際にも同行していた。
もともとロイター通信の特派員だったフレミングは、取材に基づくリアリズムを重視する。
この小説にも固有名詞や実在の場所がたくさん登場する。確認できる三重県コンテンツとしては、伊勢海老、水中翼船(今はない)、ミキモト真珠島の御木本幸吉の像と海女、伊勢神宮の外宮、松阪牛、和田金牧場、松尾芭蕉の俳句などがある。
また、固有名詞こそ無いものの、京都行きの途上で寄った、公安調査局の秘密訓練施設としての忍者の『城』や、スペクター首領のアジトとしての『海に囲まれた城』も登場する。
シチュエーションからみて、前者はまず伊賀上野城とみて間違いなく、後者についても、私はこれは鳥羽城ではないかと勘ぐっている。
モン・サン・ミッシェル城じゃあるまいし、このような城が日本でそうおいそれと思い浮かぶものではないからだ。
とはいえ、フレミングはこの城の舞台を九州某所の海女の島『黒島』へと移し、そこを宿敵との最後の死闘の場としてしまった。
このような作劇上の変更はよくある事で、たとえば実際にフレミングが活伊勢海老料理と遭遇したのは蒲郡のホテルだが、ジェームズ・ボンドが活伊勢海老料理に仰天する愉快なシーンは、物語の展開上、鳥羽の旅館での出来事となっている。
リアリズムにこだわる場面は他にもある。日本の公安局長タイガー田中の指示で、日本人に扮したボンドが伊勢神宮の外宮を参拝する場面もその一つだ。
ボンドは二人の神官が見守る中で、神殿に一礼すると賽銭箱に小銭を投げ入れ、柏手を打つと拝礼し、また手を打つと一礼して踵を返す。これを見たタイガー田中は、もう女学生達にも気取られないようになったと賞賛する。修学旅行で賑わう外宮前の当時の活況が彷彿される場面だ。
また、このあと二人は松阪の和田金牧場へとハイヤーで移動するが、ボンドはそこでビールを牛に飲ませたり、口に含んだ焼酎を背に吹きかけると擦り込みマッサージまでして、後にそれをステーキにして食す事になる。当時の松阪牛肥育の手間暇がシンボライズされた場面だ。
極めつけは、松尾芭蕉の俳句に倣ったというボンドの俳句である。その一節が小説の原題『You only live twice』となった。
ジョナサンケープ社のハードカバーの裏には、少し変わった日本文字で『二度だけの命』と縦書きでも表記されいる。
この小説はフレミングの没後3年目の1967年に映画化された。今年はちょうど50周年である。ボンド役は当時人気のショーン・コネリーで、タイガー田中には丹波哲郎、いわゆるボンドガールには浜美枝と若林映子の東宝コンビを配し、オープン仕様のトヨタ2000GTや、日本縦断ロケ等が国中の話題になった。
だが、プロデューサー達はロケハンの段階でヘリコプターを長期チャーターすると、小説にある『海に囲まれた城』を求めて日本中の海岸線を探したが見つからず、結果としてプロットが大きく改変される事になり、ロケハン途上で見い出された新燃岳の噴火口がスペクターのアジトとなった。
これにより、ロアルド・ダールによって書き起こされた脚本は、三重県の『み』の字もない映画となってしまった。
ちなみに、このシリーズはダニエル・クレイグ主演で仕切り直され、現在進行形である。2015年に公開された『スペクター』では、1969年公開の『女王陛下の007』がインスパイアされている。
つまり、次回の映画にフレミングの『007号は二度死ぬ』がインスパイアされても不思議ではない。
三重県は旗を振るべきである。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)

布製の帽子が被せられた上野英三郎博士の像とハチ公

布製の帽子が被せられた上野英三郎博士の像とハチ公

今から2年半前の事と記憶していますが、近鉄久居駅東口(三交バス停ハチ公口)緑の風公園前に建立された、忠犬ハチ公と上野英三郎東京帝大農学博士(久居本村甲出身)の銅像の頭に、一市民の善意と粋な計らいで帽子がかぶせられ、中々おしゃれであると当時相当に話題になりました。 その事は三重ふるさと新聞や朝日新聞等でも記事になりました。
その後、風雨にさらされたものの、長持ちしておりましたが、やはり自然の力には勝てず、何時の間にか飛ばされて、元の姿の丸坊主の姿に戻りました。
その姿に銅像制作者の鈴鹿在住の彫刻家(日展評議員・審査員)稲垣克次氏も心を痛まれ、自費で且つご好意により、少々の風雨に強いともされているFRP(強化プラスチック)製で帽子を制作して下さり、設置して貰いました。
素晴らしい出来で、非常に嬉しく深く感謝した次第です。
その後、無事経過してきましたが、先月末、市役所久居総合事務所より、突然私宅に連絡があり、帽子がなくなっているとの事。びっくりした次第です。
3ヶ所ビス止めし、更に接着剤でも養生されており、少々の風雨では飛ばされるような事はないと信じており、不審に思い津南警察署へ盗難届を提出した後で、署の方から現物が見つかり、同銅像を守る会が保管しており盗難ではないので、被害届を取り下げて欲しいとの連絡がありました。 現物は確認しておりませんが、写真だけでは無理です故、制作者の稲垣氏も、保管されている守る会に対し返還を求めて数日後、連絡があり、ようやく稲垣氏の手元に戻って参りました。
早速二人で確認の結果、相当痛みもひどかったものの間違いなく設置した物と同一であることが分り、改めて盗難ではないと理解し早速、津南署に対して被害届は取下げ申請し、本件一件落着となりました。
しかし此の夏の猛暑で連日35度を越す気温で、さぞ暑かろうと想像し、建てる会、元代表の私が取り敢えず布製ではありますが、暫定的に装着しました。これで丸坊主よりは見た目も幾らか涼しくなり感じよくなりました。
しかし、これは当面暫定的な措置で、何れはしっかりした永久的なブロンズ製で造るのが、最適であることは申す迄もございませんが、予算的に相当高額(約35万円程度)となります故、その調達方法に智慧をしぼっている最中です。
最後に朗報を一つお届けします。
私が所属する久居ライオンズクラブ(会長・関山正博氏)は今年創立40周年を迎え、その記念事業の一つとして40周年記念事業委員会(委員長・磯田泰之氏)が主導して忠犬ハチ公像にライトアップする工事を計画しております。
全国にハチ公像は数ありますが、ライトアップされるのは、ここ久居だけではないでしょうか。この面にても全国に大きく発信出来るものと確信致します。
尚、三重交通のご好意ご協力で近鉄久居駅東口の三交バス停東口をハチ公口と名付けて戴き親しまれております事を申し添えます。但し希望として字の表示をもう少し大きくしていただけたら、いいなあーと思う次第です。
(忠犬ハチ公と上野博士の銅像を建てる会元代表・津商工会議所名誉議員・多田不動産事務所代表・久居ライオンズクラブ会員)

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