女の落書帖

 先日、道路工事の人にお母さんと呼びかけられた。「お母さん、ここ通れないんで、あちらから回ってもらえませんか」比較的丁寧な言い回しだったから素直に従ったけれど、なんだかモヤっとした。「私はあなたのお母さんじゃない」口には出さなかったけれど、表情は硬くなったと思う。
 結婚していても子どものいない女性がいるし、近頃は結婚しない人も多いからお母さんと呼ばれた経験のない人もいるだろう。そんな人ならもっと違和感を覚えたはずだ。
 「おばあさん」と呼ばれなかっただけでもましだろうか。「おばさん」「奥さん」「お姉さん」「お嬢さん」女性の呼び方はいろいろあるが、どういう呼び方ならすんなり受け入れられるだろう。
 テレビの街頭インタビューなどでリポーターが「お母さん」「お父さん」と呼びかけるのを見ることがある。親しみのある呼び方をしたかったのだろう。そう呼ぶと距離が縮まる感じがする。私をお母さんと呼んだ工事のおじさんもフレンドリーに対応してくれたのだと思う。
 でも知らない人をお母さんと呼ぶのはペケだ。相手を不快にさせる可能性が高い。「あのう」「ちょっとそこの方」「すみませんが」のような声かけが妥当だろう。
 もしも「お姉さん」と呼ばれていたらどうだったろう。ニヤリと受け入れただろうか。

       (舞)

スマホに向かう時間が増えた。スマホは画面が小さくて肩こりが起こりそう。なるべく見ないようにと思っているのに、数独の沼にハマってしまっている。
 数独というパズルをやり始めたのは十年ぐらい前からだ。最初は新聞の隅っこにあるパズルを解くのが楽しくなった。続けるうちにそれでは易しすぎて物足りなくなり、パズルブックを買ったり、パソコンのパズルサイトでやったりしていた。スマホに入れた数独アプリが一番便利にできる。
 そうして何時間もスマホに向かうようになった。まるでゲーム漬けの子どもと同じだ。昔はゲームばかりしてないでと子どもに小言を言っていたのに、今は止められない気持ちが良くわかる。短時間でクリアした時は達成感を得られる。時間がかかった時には今度は早くと思って続けてしまう。
 何年か前にはゲーム脳という言葉があった。ゲームをやりすぎると脳がおかしくなるという理論だ。けれど、数独のような脳トレゲームは、認知能力や問題解決能力の改善につながりそうだ。特に高齢者には良いことが多いと思う。
 数独の沼にはまっている私は、これ以上依存しないように気を付けなくてはいけない。WHOもゲーム依存症という病気を認定している。スマホばかりではなく、鉛筆と紙で数独に向き合うのも良いかもしれない。    (舞)

 プールで友達に会ったら見慣れない水着を着ていた。「おニュー?」と口に出して、慌てた。おニューなんて言葉がまだ使えるだろうか。
 「そう、おニュー」と返ってきて、ホッとした。同世代にはまだこの言葉が通じる。もう何十年も聞いたことがないおニューは死語だ。
 では、おニューのことを今ではなんという言うだろう。「サラピン」これもあまり使わない。関西方言だ。「新品」なんだか固い感じがする。
 新しい服を見て「新品?」「まっさら?」と言うのは古着かと疑っている感じがする。「おニュー」という言葉にはいいねという気持ちが隠れている。
 英語に「お」を追加しておニュー。英語に「い」を追加してナウい。おもしろい言葉を作ったものだ。ナウいも死語だ。
 こういう日本語はほかにもある。「エロい」「エモい」「パニクる」「ディスる」など形容詞であったり動詞であったり。これらは今も使われているようだ。
 言葉は移り変わる。若い頃になじんだ言葉が消えていく。今はハンサムとは言わない。イケメンだ。ズックも履かない。シュミーズも着ない。みんな言い方が変わってしまった。
 セレブを皮肉っぽく揶揄する「おフランス」という言葉もあった。貧しくなった今の日本では、セレブはひたすらうらやましい存在で、おフランスは使わない。   (舞)

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