女の落書帖

天気が良いと洗濯が楽しい。秋の空気は洗濯物をパリッと乾かす。洗濯といっても、全自動洗濯機に洗濯物を放り込んでスイッチを押すだけだから、洗うのは仕事と言えない。干すのとたたむのが洗濯である。
そう書いてから、放り込むだけでもないと思った。汚れのひどいものをちょいちょいと手洗いしたり、染み抜きのために漂白剤に浸したり。少しは考える必要もある。
子育ての時代からずっと、私は柔軟仕上げ剤を使わなかった。花の香りもふっくら柔らかもなし。我が家の子供たちはバリバリのタオルで育った。香りが良いから柔らかくなるからと余計なものを足して、アレルギーの原因となる可能性を高めたくなかった。洗濯は汚れを取り去るだけで十分だと思っていた。
でも、この頃の洗剤売り場を見ると、香りや抗菌機能付きの洗濯用商品が何種類も並んでいる。洗濯は汚れを落とすだけではないのが世の風潮らしい。
実は私も、この夏から柔軟仕上げ剤と酸素系漂白剤を常用するようになった。長雨と酷暑に、室内干し臭や汗臭、加齢臭が気になったからだ。
そしてこんなに涼しくなったのに、まだ私は臭い対策を止めていない。臭いへの恐れが、私の長年の習慣を変えさせた。洗剤売り場がにぎやかなのは、私みたいな臭い恐怖症の人が増えてきているからだと思う。
(舞)

チンチーンとおりんを叩いて仏壇から羊羹を下げてきた。お下がりをいただく時におりんを二回鳴らすのは、子どもの頃からの習慣だ。
鳴らすのが二回で合っているのかどうか、そもそもそういう時に鳴らすべきなのかどうか、よく知らない。宗派によって違ったりしそうだけれど、お寺さんに確かめたこともない。さて、義母はいったいどうしていただろう。夫に聞いてみたが「知らん」と言う。
私は幼い頃に祖母から教えられた。「チンチーンと鳴らしてからまんまんちゃんあんしてちょうだいと言いなさい」そうすれば、仏さまにお供えしてあるお菓子がいただけた。私も自分の子どもにそう言ってきた。鳴らし方が合っているとか合っていないとかはさておき、先祖がいて自分がいるということを教える機会であったと思っている。
お盆を迎えたおりんは、少しの曇りもなく磨かれ仏壇の前で輝いている。チーンと鳴らすと余韻がずいぶん長く続く。美しい音色だ。
このおりんの音色を生かして、おりんコンサートという演奏活動をする人もいるそうだ。そうなるともう、鳴らし方が合っているとか合っていないとかを超越した場所にある。
人それぞれに信じるものも考え方も違う。ここではおりんは長い歴史を経て、美しい完成形となっていると結んでおこう。 (舞)

産直できゅうりを買ってきた。肌のぶつぶつがとがっている。きっと朝採りだ。スライサーで輪切りにした切り口が透き通って瑞々しい。
日に透かしてみたらきれいなので、大きな虫眼鏡を持ち出した。翡翠色の薄い一枚を窓ガラスに貼り付け、二枚の虫眼鏡を前後させて、はっきり見える位置を探し出す。老眼鏡もかけて、レンズ三枚の簡易顕微鏡だ。
すると、薄緑が少し濃い緑で細かく網目状に仕切られているのが見えた。きゅうりの細胞だ。自然は不思議で美しい形を創り出す
気を良くして、他のものも虫眼鏡で見ることにした。庭から摘んできたのはムラサキシキブの花。秋になって濃紫の実をつけた時だけ思い出す木だ。
ムラサキシキブはこの時期薄紫の小さな花を咲かせている。それでも目立たない。花より実を愛でられる宿命を違え、虫眼鏡で注目した。
直径三ミリほどの花には小さな花びらが四枚。それより目立つのはメシベとオシベ。小さいながらメシベは一段長いし、オシベには黄色い葯がりっぱについている。そんな小さな花が房状に咲くのがムラサキシキブだ。
虫眼鏡を使えば、今まで見えなかったもの見ようともしなかったものが見える。観察は楽しい。   (舞)

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