女の落書帖
コンビニのトイレを借りることはあまりない。でも、先日ドライブの途中にコンビニトイレに立ち寄って変わった体験をした。トイレが男女共用だったのだ。
ドアを開けてびっくりした。トイレの床にポツポツとしずくがある。これは男性の尿に違いない。気持ち悪くて便座に近づけない。座れない。
昔聞いた話によると、男性トイレの小便器の前には「一歩前に」という張り紙があったそうだ。「一歩前に」は人生の教訓ではなく、物理的な話。漏らすな垂らすな汚すなということだ。
床のポツポツを目にして私は迷った。このトイレの使用を止めようか。掃除をしようか。ドアの前には次の人が立っている。きれいするべきだが誰かに掃除をしてもらおうとは思わなかった。私ができることを、コンビニのアルバイトさんに頼むのは気が引ける。
トイレットペーパーをグルグル丸めてポツポツを拭きとり、消毒薬を吹きかけて再度拭いた。便座も拭いた。とりあえずきれいになった。
これからは多様性に配慮するジェンダーレストイレが増えていきそうだが、ポツポツは困る。皆が使うトイレを汚したなら、自分で掃除をしてほしい。汚す前に、男性も便座に座ればいいのだ。
トイレの張り紙は「一歩前に」ではなくて「立ちション禁止。座りましょう」としてはどうだろう。(舞)
2023年9月28日 AM 4:55
高校時代の漢文の教科書の中に印象に残った文章があった。中国の伝説の皇帝堯と舜についての話だ。
堯は徳をもって天下を治めた。「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」と言われた。民に慕われた皇帝である。
私は民主主義の国に暮らしていて、独裁主義は悪だと思っているが、堯のような人が治めるなら民主主義より効率的に素晴らしい政治が行われそうだ。民主主義は選挙だ議会だと手間がかかるし、ネットやメディアに民意を誘導されたり印象操作されたりする可能性がある。
さて、その堯には息子があったが、堯は息子に皇位を譲らなかった。臣下から推薦された舜を後継者にした。 舜にも息子がいたけれど、息子には皇位を譲らなかった。
息子に譲りたいのが親の常であろうが、そこを徳の高い臣下に譲ったのは偉い。高校時代の教科書の内容をこの私が今も覚えているのはそこが心に響いたからだ。
芸能人でも政治家でも息子や娘に跡を継がせている。富と名声が楽に手に入る仕事なのかと思ってしまう。会社も病院もお寺も一族に継がせる。ちなみに舜の後を継いだ禹は自分の息子に皇位を譲ったそうだ。
何十年も前の教科書を今になって思い出すのは、世界には独裁者がいると思うからだ。堯や舜のようでなければ独裁は悪だ。手間がかかっても民主主義が良い。
(舞)
2023年9月14日 AM 4:55
本棚を整理していたら、ピーターラビットのオルゴールに目が留まった。回転プレートが巻きネジとなっていて、巻いたらエリーゼのためにが流れ、ピーターがくるくる回った。
ゼンマイ仕掛けは面白い。ネジを巻く私のエネルギーをゼンマイバネに蓄え、少しずつエネルギーを放出してドラムを回転する。ドラムの突起に弾かれた櫛の歯のような金属板が澄んだ音を出す。オルゴールは夢のある楽器だ。懐かしくて何度もネジを巻いた。
昔の腕時計も手巻きゼンマイ式だった。高校に入って買ってもらった時計は、小さくて華奢なデザイン。大切に毎日ネジを巻いた。
居間の柱時計も手巻きゼンマイ式だった。踏み台に乗って時計のネジを巻くのは父。テレビの七時の時報を聞き、一分遅れた進んだと針を合わせていた。父は時間に正確がモットーの人だったので、時計の遅れは許さなかった。振り子の長さを調節していたようだ。
電波で時刻を合わせ、電気エネルギーで時計を動かす時代。何事も自動のこの頃、手巻きゼンマイはまだ使われているだろうか。掃除機のコード巻き取りみたいな動きには、ゼンマイバネが使われていると思うけれど。
ジーッジーッと腕時計のゼンマイを巻く音が聞いてみたい。うわさによると、ウン十万ウン百万円の時計なら手巻きもあるという。 (舞)
2023年8月24日 AM 4:55